第1話
よく知っている城の中であるはずなのに、全く知らない場所のように感じる。
ラギは不思議な感覚でいた。
「ラギ様、おはようございます。今日一日はアナスターシャ様と城の中にいてくださいね」
ベッドで目覚めたラギは侍女に声をかけられた。
「わかってるよ。今日は戦いの日なんでしょ？」
ラギは答えたが、（あれ？ おかしいな）とも思っていた。
（戦いって、いつの戦いだっけか？ 今日は何日だろう？）
ラギはベッドから下りて部屋の鏡に目を向けた。
（ん？ なんだか小さいような……）
ラギは自分の手足を見た。
いつもの自分よりもやけに小さい姿である。そして部屋の中にいる侍女の顔も見たことがないのである。
（僕は夢の中にいるのかな？）
ラギは着替えて食堂に向かった。が、そこにはだれもいなかった。朝食の準備もない。ラギが自分の部屋に戻ると、侍女が食事の用意をしてくれていた。
「ねえ、姉さんと兄さんはどこ？」
「アナスターシャ様はお部屋にいらっしゃいますよ。兄さん、とは？」
「シス兄さん」
「ラギ様にお兄様はいらっしゃいませんが」
「え？ ……あ、そうだっけ、姉さんに会いに行ってもいいかな」
「はい」
ラギは部屋を出た。
やはり夢の世界にいるようである。
どうやらこの世界にシスはいないらしい。だけどアナスターシャはいるようだ。廊下には人の気配はまばらだった。歩いているのは侍女だけである。
そして人の声も聞こえない。
ラギはいくつかの部屋の扉をあけてアナスターシャを発見した。銀色の髪、金色の瞳のアナスターシャは確かにいたが、こちらも幼い姿だった。
自分よりも10ほど上か。
「変な顔してるわよ。どうしたの？」
アナスターシャがラギを見て聞いた。
「え？ なんでもないよ。おはよう」
「おはようございます、でしょ」
アナスターシャはそっけなく言った。
「おはようございます」
ラギは挨拶をしてアナスターシャの部屋を出た。
（姉さんはいるけど兄さんはいない。ここは……どういう世界なんだろう？）
心はどきどきして落ちつかないが、もっといろいろ見てみたいという好奇心もあった。
怖い物みたさ、というやつであろう。城の中はやはり静まりかえっている。
（そうだ、お母さんに会いに行こう）
ラギは王妃の部屋に行った。だが、そこにはだれもいない。部屋の壁に女性の肖像画が飾ってあった。そこにいるのは黒髪の女性だがゆりではない。
ラギは後ずさって部屋の扉を閉めた。
（お母さんがいない……部屋に肖像画があるってことは、あの人はもういないんだ……）
「ラギ様、おはようございます」
男性の声が聞こえてきて、ラギは横を向いた。側にやってきたのは見知った男だったが、知っている姿よりはかなり老けて見える。
「ミルキダス？」
「そうですよ。どうかなさったんですか？」
そこにいたのは、ミルキダスであるが、二〇〇ほどの中年の男に見えるのである。ラギが知っているミルキダスは一〇〇をちょっと超えるほどである。
「顔色が悪いですよ。大丈夫ですか？」
ミルキダスが少ししゃがんで聞いた。
「……な、なんでも……今日、城に他の人はいるかな。ミカエルやフリット、イシュタールは」
「ラギ様、大丈夫ですか？ ３人とももうこの世におりませんが」
ラギの心臓がどきんと跳ね上がった。
「じゃあお父さん、王様は……」
「王は王の間にいらっしゃいますよ」
「ありがとう」
ラギは力なく言ってミルキダスから離れた。
（ここは、この世界は……もしかして、お母さんが来なかった世界なのか？）
ゆりがいない世界――
ゆりが来なくてもアナスターシャとラギは生まれたようだ。ずいぶん時が経ってからできたようだが。
しかし他の子供達はいないし、ミカエル達もすでに亡くなっている。
（ミルキダスがあれくらいの年齢ってことは、お父さんも……）
階段を下りて王の間の前までやってきたラギは、扉を開けてもらい、王に対面した。王の座にいたのは、やはりミルキダスと同じように200ほどの年のラクシュミだった。
「わー！」
ラギは自分の叫び声で目を覚ましていた。
ラギはあわてて自分の手足を見た。
「あーびっくりしたー元の世界だー夢でよかったー」
ラギは寒かったので上着を着て、シスの部屋に足早に移動した。シスはまだベッドで寝ていた。ラギはほっとしながらシスの布団の中に入ると、すでに先客がいた。
ロイがシスの横にいたのである。
「もう朝？」
目覚めたシスが聞いた。
「起こしてごめんね。変な夢みちゃってさあ。びっくりして来ちゃったんだ」
「どんな夢？」
シスが聞いた。
「うーん、お母さんがいない世界かな」
「母様がいない世界？」
ラギは夢の内容を話した。子供はアナスターシャと自分だけで、しかも王様がかなり年をいってから生まれた子供らしいことを。
城は寂しい場所だった。
「お母さんがこなかったら、あんな風になったのかな。姉さんも、冷たい感じだったなあ……」
「まあ確かに、お母さんがこなかったら、子供はかなり後じゃないと生まれないかもね。こんなにいっぱいは無理だろうし」
「しかも次に生まれたのが僕なんて、王様にとっては最悪だよ。ミカエル達もいなかったし」
「まあ夢だから気にしなくていいんじゃないかな？」
布団がもぞもぞ動いて、ロイが顔を出した。
「ふわあああ。何の話をしてるの？」
ロイがあくびをしながら聞いた。
「夢の話だよ。お母さんが来なかった世界の夢を見たんだ。未来の僕達は、なんとしてもお母さんをこの国に連れてこなきゃならないんだよ。
僕は気が重い。未来の僕は、魔法でお母さんを助けたらしいんだけど……僕にはまだそういう力はない」
「大人になったらそういう力に芽生えるかもよ」
シスが言った。
「そうだろうか。力が使えなかったらどうしよう」
「僕がカー様を助けたらいんじゃない？」
ロイが言った。
「でもお母さんの世界にいったのは僕らしいよ」
「それって、ラギだけだったのかな？ もしかしたら、ラギ以外にも誰かいたのかもよ」
シスが言った。
「え？」
「僕らの誰かがこっそり隠れて母様を助けたのかも」
「……母様の世界に行ったのは僕だけじゃないかも？」
それは考えたことがないことだった。てっきりゆりの世界に行ったのは一人だけだとラギは思っていたのである。
「僕カー様の世界に行ってみたいな」
ロイが気楽に言った。
「でも、それなら僕が行かなくてもいいんじゃないかな？」
とラギ。
「僕らは目が違い過ぎるから、若いお母さんがビックリしすぎると思ったのかもよ」
シスはそう推理した。
「そうなのかなあ」
（まあ確かに、大人のシス兄が行っていたら、その姿にビックリしすぎだし、お父さんに姿が似てるからややこしい展開になったかもしれない。ロイはいい男すぎだし、
僕が無難だったからかな？）
ラギは未来の自分の姿を想像してそう思った。
「姉さんやナナミじゃ……だめか。この場合異性の方がいいんだろうなあ……」
ラギは一人でぶつぶつ言っている。
「ラギは未来の心配をしすぎだよ。今から心配してもしょうがないんだからさ」
とシス。
「わかってるけどね。いろいろ考えちゃうんだよねー」
「いろいろ考えるから夢を見るんだよ」
「そうかも」
ラギはロイの頭をなでなでしていた。夢の世界に、このやんちゃな弟は生れなかったのである。
「かわいいロイ」
「なんか気持ち悪い」
ロイは布団をひっかぶっていた。
新たな年が今日から始まるのである。
３人が食堂に行くと、いつも通り賑やかだった。末っ子のレーヌはよくしゃべるようになり、アナスターシャとナナミは二人でお酒についてあれこれ話している。
話し声に笑い声、幼い妹たちは食器をカチャカチャいわせてゆりに怒られた。年明け初日はいつもより食事は豪華で、酒の本数も多く並んでいる。
ラギはつい妹たちの頭をなでなでしてから自分の席に座っていた。
ラギはにやけた様子でゆりをじっと見ていたので、ゆりは「どうしたの？ 気味が悪いわよ」と言っていた。
「なんでもないよ。お母さんがいてくれてうれしいなって思って」
「やっぱり気味が悪いわね」
食事の途中にラクシュミが顔を見せた。
120歳のラクシュミはまだまだ若々しい姿である。笑顔にあふれているわけではないが、最近はずっと穏やかな顔つきである。
ゆりも子供達も、ラクシュミに挨拶をした。
「最近寒いからな。風邪を引かないようにな。ロイはもう泳がないように」
ラクシュミが言うと、「まだ泳いでるの？」とゆりがびっくりしていた。
「昨日泳いだろ」
「昨日は太陽が出てたからつい、えへへ」
「えへへじゃないでしょ。水は冷たいからだめよ。夏まで泳ぐの禁止よ」
「へーい」
「へーいじゃないでしょ」
「ほーい」
「ロイ」
「ほいほい」
「王様何か言ってやって」
「ミシェイラにレーヌ、後でちゃんと歯を磨いてもらうんだぞ」
二人がジャムをなめていたのでそっちが気になったのか、ラクシュミは幼い二人に言っていた。
ゆりは肩をずりっと落としている。
「王様ってば」
「歯磨きは大事なことだ」
「とーだっこ」
レーヌがラクシュミに手を出したので、ラクシュミがレーヌを抱き上げたのだが、ラクシュミの胸元にジャムがついていたのでゆりが「ぎゃ！」と声をあげていた。
「レーヌってば、ばっちい手でー」
「きゃはは」
「まあいい。服なんていくらでもあるんだからな。レーヌは随分大きくなったな」
ラクシュミはさほど怒らずにレーヌを椅子に座らせた。
「ミーもだっこ」
今度はミシェイラが手をあげていたので、ラクシュミは今度はミシェイラをだっこしている。
「えい」
ミシェイラは手の平をラクシュミの胸元につけていた。またもやジャムのあとがついている。
「わざとやらないの」
とゆりが怒っている。
「どーせ着替えるもんね」
ミシェイラは恐れる様子もない。
「まあいい、みんな元気でいい」
ラクシュミはミシェイラを椅子に座らせた。
「ひいきだ。僕なら怒るのに」
とロイがブーブー言っている。
「当たり前でしょ」
とゆり。
「父様だっこ」
アナスターシャが手を出したが、ラクシュミはもうだっこしなかった。
「あ、ひどい。ナナミも言ってみて」
「ふっ、私はそんなお子様じゃないもんね」
とナナミは鼻で笑っている。
「なによ」
「僕がだっこしてあげようか？」
ロイが言ってアナスターシャが舌を出し、子供達は笑っていた。
ラクシュミは去って行ったがその後も食堂は賑やかだった。今年も、笑い声で年が始まったのである。
（この世界が何度も続くためには、過去のお母さんがこの国に来なきゃいけないんだな……そうじゃなきゃ、あの寂しい世界ができてしまう……
あんな世界はいやだ。未来にはまだ謎が多いけど、きっと正しい未来に向かっているよね）
ラギは自分を安心させるかのようにそう思った。
ラギはその後、シスと一緒にへびっちの子蛇を見に行った。子蛇は生まれて１０日ほど、ハザークの部屋で元気に動き回っている。
「この子名前はどうするんですか？」
シスが聞いた。
「名前？ さあ、いるか？ 名前」
とハザーク。
「名前がなかったら不便ですよ。ミシェイラは肌にもらった蛇に『リンリン』という名前をつけてますけど」
「そうか、まあ誰か考えるだろう」
「どのくらい大きくなるか楽しみだなあ」
ラギはしゃがんで小さい蛇を眺めている。
「この子の子供がルーなんてなあ。想像つかないなあ」
「今気づいたけど、じゃあゴショクもハザーク様の血を引いてるってことじゃない？」
シスがはっと気づいていた。ナナミの部屋にいる鮮やかな七色の蛇のことである。ゴショクはルーの子蛇である。
ゴショクもナナミになついて城から離れて行かない蛇なのだ。
「そうだね。ルーに気をとられて全然気づかなかった。ゴショクはハザーク様にとっては、ひ孫かひひ孫くらいになるのかな？」
「ただの蛇としか思わなかったがな……言われてみれば、ゴショクの顔はそこらの蛇以上にハンサムだな」
ハザークは今更ながらに言っていた。
「ゴショクはもう大人だから、そのうち子供もできるかもね。ハザーク様、結構子孫がいっぱいになりそうですね」
とシス。
「そうだな。びっくりだな。ゴショクに会いたくなってきた。後で連れてきてくれ」
ハザークは二人に頼んでいた。
―今年はどんなおもしろいことがあるんだろう。楽しみだね
―そうだね
二人はハザークの部屋を去りながらそう会話していたのだった。
つづく
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