第５話

「ゆりが神様のことを忘れてしまったって？」

子供達はラクシュミに報告していた。

「どうして忘れたんだ？」

と聞いても、子供達も「さあ」と首をひねるばかりである。

「もしかして、ゆりが神の国で何か大変なことをしてしまって、それで記憶を消されたんじゃないのか？」

ラクシュミは毎度のことながらゆりが何かしでかしたと推測していた。

「でも、ラーズ様は全然知らなかったですよ？　記憶を消すくらいなら、石の箱とか、宝石とかも没収するんじゃないでしょうか？」

ラギが言った。

「そうだよね。神様がしたことなら、こんな中途半端にはしないよね」

とシス。

「うーん？？」

「ガーベラ様のことがわからないんじゃ、母様神の国に行けないね」

アナスターシャが言った。

ラギははっとした。

ゆりが神の国に行けないということは、ガーベラはゆりに来ないということにもなるのである。

「ガーベラ母さん……」

「「ん？」」

ラギのつぶやきにアナスターシャとナナミが反応していたが、ラギはしょんぼりした顔つきのままだった。

「まあとにかく、様子を見よう。そうだ。神の石像をゆりに見せてみたらどうだ？　何か思い出すんじゃないか？」

「そ、そうだね。ラギ、母様を連れて行ってみよう」

シスはしょんぼりしたラギを促して消えた。

「もしかしたら、これもいつものいたずらか？」

ラクシュミはふと思ったが、記憶を消して何がおもしろいのか、そこがわからない。

「とりあえず様子を見よう」

ゆりは神様以外のことは覚えているようなので、ラクシュミも大慌てするようなことはなかった。


ゆりはシス、ラギと一緒に庭園に出た。ゆりは神様の石像を眺めてみたが、何も思い出せないようだ。

閉じた翼のラーズの石像を見て、「あ、これ昨日の神様？　実物の方が素敵だったなあ」と言っていた。

「一色だとあのすごさが伝わらないわよね。いやーすごくハンサムで派手な神様だったなあ。でかい翼で。しかも私のこと『お嬢さん』なんて。お嬢さんってなんか恥ずかしい」

ゆりは今更ながらに恥ずかしがっている。

「ラーズ様はお母さんに好意があるんだよ」

ラギが言った。

「本当に？　なんで？」

「さあ」

「あれ？　こっちとこっちの石像だけ、なんだか色が違う？　できが他と違うような？」

ゆりはガーベラとハロルドの石像を指していた。

「この二つは別で作ってもらったんだよ。ガーベラ様のこと、何か思い出してよ。お母さん」

ラギはガーベラの石像の前にゆりを連れて行った。ゆりは豪華な巻き毛の女神を眺めた。

「綺麗な女神様ね」

「それだけ？」

「胸がすごい」

ラギはがっくりきて、シスはラギの肩に手をあてていた。ゆりはハロルドの石像の前に移動した。

「いや、この神様、すごっ身体がすごい……本当にすごい」

「もう一人の母様、母様は何か覚えてる？」

シスが蛇の目のゆりを呼んだ。蛇の目のゆりはハロルドを見上げて、

「この神様素敵ねえ。実物が見てみたい！」

と言っていた。

しょっちゅう見てたじゃん、と突っ込みたい二人だったが、口を閉ざしていた。


「完璧に忘れてるね」

「そうだね。でも、僕らのことは覚えてるから、前回よりはましじゃない？」

とシス。

「まあそうだけどさあ……」

「おはようございます」

側にイシュタールがやってきていた。蛇の目のゆりはイシュタールが見て、「おはよう」と言った。


「今日は天気がよさそうですね」

「そうねえ」

「お母さん、イシュタールの髪はなんで赤くなったんだっけ？」

ラギが聞いてみた。

「半分妖精になったからよ」

と蛇の目のゆり。

「あれ？　それは覚えてるの？　イシュタールと神の国にいたことは覚えてる？」

「神の国？　私行ったっけ？　でも、神様には会ってないでしょ？」

「どうかしたんですか？」

イシュタールが聞いた。

ラギはイシュタールにゆりの神様に関しての記憶が消えたことを説明した。

「えー？　どうしてですか？」

「さあ、さっぱりわからない」

「石の箱も、宝石も、なんでもらったかさっぱり覚えてないんだ。母様、この神様がくれたんだよ」

シスはハロルド像を示した。

「このかっこいい神様が？」

「黒目のお母さんは石の箱で、お母さんは宝石をもらったんだよ」

「ええ？　私達両方に贈り物？　この素敵な神様が？」


『愛する人よ。お前の胸にこれを飾ってくれ』とかなんとか言って？


蛇の目のゆりはその場面を想像し、ちょっとにやっとしていたが、（ちょっとそれはないような……）と首を振っていた。

「王妃は他のことは覚えているんですか？」

イシュタールが聞いた。

「うん、神様のことだけ忘れてるんだよ。不思議だよね」

「不思議ですねえ……」

イシュタールも首をかしげていた。


結局何を説明してもゆりは神様のことを思い出すことはなかった。


神の国では――

ペガサス牧場にいたハロルドの元にラーズがやってきた。ラーズはむすっとした様子でハロルドに近づいている。

「おい、あまりにひどいじゃないか」

「は？」

「あっちのガーベラの、私の記憶を消しただろ」

周りにだれもいなかったので、ラーズはハロルドに詰め寄ってズバリ聞いていた。

「何の話だ？」

ハロルドはきょとんとしている。

「昨日人間界で彼女に会ったんだ。そしたら、私のことがまるで分らない様子だったんだよ」

「私は何もしてないぞ」

とハロルド。

「本当か？」

「本当に私は何も知らん」

「じゃあなぜ私のことが分らなかったんだ？」

「ラーズのことだけ分らなかったのか？」

「さあ、昨日はサーラは会わせてないからわからない」

「からかわれたんじゃないのか？」

「いや、そういう感じじゃなかった」

「うーん、確かめてみる」

「頼むぞ、全く……」

ラーズはぶつぶつ言いながら飛んでいった。


その夜、ゆりは身体を揺すられて目を覚ました。目を開けると黄金の輝きがあったので、しばしぼんやりと眺めている。

「おい、起きろ」

「……え？　ええ？」

ゆりはきょろきょろと周りを見て、目の前の男を見た。ちなみにレーヌはミシェイラと一緒の部屋で寝ているので、寝室にはゆりだけだった。

「夢？　ええ！？」

「お前、私のことは覚えてるか？」

男らしい声に促されて身体を起こしたゆりは、「ハロルド様でしょ？　知ってますよ」と言った。

「そうか」

ほっとした様子のハロルドだったが、「石像で見ました。実物はすごいですね」とゆりが言ったので肩をがくりと落としている。

「いやーほんとすごい。芸術的風貌ですね」

ゆりは興奮した様子だった。

「もう一人のお前に変わってくれないか？」

ハロルドはため息交じりに言った。

「え？　なぜそれを？」

ゆりの左目が変わった。

「お前は私のことを覚えてるのか？」

「覚えてませんが、握手してください！」

蛇の目のゆりは両手を差し出している。

「一体どういうことだ？」

ハロルドは首をかしげていた。蛇の目のゆりは強引にハロルドの手を握っていた。

「あなたが私に宝石をくれたって本当なんですか？」

蛇の目のゆりはきらきらした瞳で聞いた。

「いや、私がやったんじゃない」

「なんだ違うんだ」

「お前達は、私の子供を３人も生んだんだぞ？」

「え？」

蛇の目のゆりはのけぞっている。

「……私のお腹は、そういう暇はなかったと思うんですが……」

ゆりは何度も妊娠しているし、妊娠期間も長いので、そう思ったのだった。しかも、子供達はだれもそこまでゆりに説明していない。

ハロルドはため息をつきながらベッドに腰を下ろしていた。ゆりはベッドで正座をしている。

そしてうかがうようにハロルドを見ていた。

「じゃあ、ここで何度か愛し合ったとか、そうおっしゃるんですか？　もしかしてあの翼の神様も？　だから真珠をくれたのかしらん？」

「真珠？」

それは初耳だったようだ。

「私達がいろんな神様とここでそんなことするなんて……ちょっとおかしい。考えただけでにやけてくる……じゃなくて、どういういきさつで私のことを愛してしまったんですか？」

蛇の目のゆりはにやにやしながら聞いていたので、ハロルドは「もういい。あっちに戻ってくれ」と言っていた。

ゆりの左目が黒くなった。

「あのーあの石の箱はなんなんですか？　どうしてくれたんですか？」

黒目のゆりはハロルドに聞いた。

「あれをやったのは私じゃない。私がお前にやったのは、イカとカニだ」

「イカとカニ？」

ゆりにとっては思いも寄らない言葉である。

「お前が食べたがったんでやった」


イカとカニを？


ゆりの脳裏にイカとカニが浮かんでいる。


神様に海産物を頼むなんて……当時の私はばかなの？


ゆりは考えただけで恥ずかしくなっていた。

「まあいい。今日は帰る」

ハロルドは立ち上がった。これ以上話しても無駄なようだ。ハロルドはゆりに顔を向けた。

「私がお前を好きになったきっかけを教えてやる」

「はい」

ゆりは姿勢を正した。

「それは……お前が私を、ぶん殴ったからだ」

「え？」

ゆりはぽかんとしていた。

「ちなみに、私の長い歴史で、私を拳でぶん殴った女はお前だけだ」

ゆりはそのまま硬直している。

「じゃーな」

ハロルドは言うだけ言って去って行った。


ゆりはベッドに正座したままである。


ぶんなぐ……ぶん殴った？　私があの神様を？　拳で人をぶん殴るなんて、そんなことやったこともないわよ！

しかも神様を殴るなんて……絶対私じゃないでしょ！


「嘘よー！！！」

その場面を想像したゆりは、真っ赤な顔で、一人寝室で絶叫していたのだった。



つづく


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