第20話
神の国にて、空を飛んでいたクーリーフンはガーベラの神殿をうかがっている妖精を見つけて、地上に降りた。
「君？」
はっと振り向いたのはまだ子供である。茶色い肌で髪は軽くウエーブがかり、目元は前髪で隠れてみえなかった。子供といっても、ハロルドの子供バリアスほど小さくはないが、
この前生れたニイニよりは小さい。妖精はクーリーフンに手に持っていた鉢を渡してたっと走って行った。
「あ、おーい」
妖精は振り向くことはなかった。全体的に茶色い色だが、後ろに一房金色の髪が見えた。この前生れたサントスとガーベラの子供だろう。クーリーフンも彼の姿を見るのは初めてだ。
「ようやく外に出てきたんだ。そういや名前は決まったのかな？」
鉢には花が植えられていた。黄色い５枚の花びらの大きな花が一輪咲いていた。
「綺麗だな」
クーリーフンは鉢を持ったまま神殿の中に入った。奥の寝室では、ガーベラが真っ裸で眠っていた。あの子が中に入らなくてよかったかもしれない。
「お母さん、土の妖精君がきてたよ」
クーリーフンが呼びかけると、ガーベラは「うーん」とうなりながら目を開けていた。
「昨晩はサラディンが来てたの？」
「来てないわよ。サラディンを誘うのは失敗して、ラーズと過ごしたの。だれがきたって？」
「土の妖精君だよ。名前は決まったのかな？」
「えー私はまだ彼の顔を見てないわよ。どんな顔？」
「さー、顔半分髪で隠れてたからねえ、まあかわいいんじゃない？ これをくれたよ」
クーリーフンは黄色い花をガーベラに見せた。
「綺麗な花ね。神殿の外に植えてちょうだい」
ガーベラは起き上がりながら言った。
「どうして顔を見せてくれないのかしらねえ」
「恥ずかしがりやさんなんだよ。そうそう、あの子全体的に茶色系なんだけど、後ろに金髪が混じってたよ」
「金髪？ 私の影響かしら？」
「さあねえ」
クーリーフンは花を眺めて、「後でアマンザに植えてもらおう」と言っていた。
クーリーフンは自分で土をいじる気がなかったようである。
蛇の国ではまだ夏が続いている。幸い今年はうだるように暑い夏ではなかったが、虫が大量発生していたため、ラギが作った蚊取り線香が城のあちこちで煙をあげている。
ロイは稽古が休みになると湖に泳ぎに行っていたが、何かに刺されたようで、体中湿疹ができて大量の軟膏をぬられている。幸い移るものではなかったようで隔離はされていない。
「コーリが食べたい。おっちゃんいつ帰るん？」
ミシェイラがゆりに聞いた。おっちゃんとはカーライルのことのようである。
「おっちゃんって……ミシェイラはカーライル様のこと見えてたの？」
ゆりはそのことにまず驚いていた。
「うん。背が高いおっちゃん。コーリ食べたい」
「私も食べたい。カーライル様早く帰ってこないかなあ」
ゆりの部屋にいたナナミが言った。氷で思い出されているカーライルはへびっちと一緒に過去に行ったままである。夏の間に帰って来られればいいが。
「ミシェイラ、おっちゃんって言ったら氷は作ってくれないから。お兄さんって呼ぶのよ」
ナナミがミシェイラに教えていた。
「マーコーリってなに？」
ゆりの膝に乗っていたレーヌが聞いた。
「氷っていうのは、水を凍らせたものなの。冷たくて、ひやっとしてる。この国ではなかなかお目にかかれないのよねえ。まあ諦めなさい」
「ぶー」
ミシェイラは口をとがらせていた。
「今度カーライル様に呪文を正確に教えてもらってよ。あなたたちの誰かが使えれば毎年頼まなくてもいいんだから」
「アイバンドレイア！」
ナナミはジュースのコップを持って呪文を言ってみたが、ジュースは凍らなかった。
「やっぱり発音が？ それとも魔力が足りないのかなあ。むーパパの所に行ってくる」
ナナミは飛んでいった。
「ミーもいく。レーちゃんもくる？」
「うん」
ミシェイラはレーヌを連れて瞬間移動した。
ゆりの横では侍女が大きな団扇で扇いでくれていた。
「ありがとう。疲れたでしょ。もういいわよ」
「大丈夫ですよ」
毎年夏になると、元の世界にあったクーラーやら扇風機やらが懐かしくなる。
（あの世界は今どうなってるんだろう。あの世界にいたのが遠い昔のように感じられるなあ……）
こちらに来て３７年にもなるのである。そう思ってしまうのも無理はないだろう。
夜になった。夜になるとさすがに気温はぐっと下がっている。
一人寝ていたハインリヒの横に温かい塊が入ってきて、ハインリヒはすぐに目を覚ました。汗ばんだ身体がひっついてくる。
すぐに誰かは分った。ゆりである。妙に官能的な匂いを身体から発しているが、本人を見ると、目を閉じている。
ここに来て寝たというよりは、寝たまま来たかのようである。
ちなみにこの部屋には鍵がかかっている。瞬間移動でしかここに来ることはできないだろう。
（もう一人の王妃かなあ？ 分らないが……しかし熱い身体だ……）
ゆりはかなりべったりハインリヒにひっついていた。
（無意識の内に気が欲しくてきたのかもしれない）
ハインリヒはそのままゆりに抱きつかれていた。
（しかしこの匂いは身体が反応しそうなんだが……本人は寝ちゃってるんだからのんきなものだなあ）
さすがに強引に起こすのはためらわれた。
しばらく悶々としていたら思念が来た。相手はドルイドである。今夜も大人になれたようである。
―今取り込んでいて今夜は無理だ
ハインリヒが思念を返すと、ドルイドは「そうか」と返してきた。
ドルイドはまたシャナーンと剣を交えたいらしい。
（こんな場面を見られたら、また攻撃されかねないかもなあ）
ハインリヒは一人苦笑していた。
朝になった。
「あつ……」
といいながら目を開けたゆりは、横にハインリヒの顔があるのに気づいた。
「いつ来たの？」
「王妃がここに来たんですよ」
「えー？」
部屋の中を見回すと、確かに自分の部屋ではない。
「あれ？ 私いつ来たの？」
「夜中ですよ。ずっと王妃のあっつい身体をだっこしてたんですよ」
「そうなの？ ごめんね。気が欲しかったのかなあ？」
ゆりは首をかしげながらそそくさとベッドから降りようとして、ハインリヒに手首を掴まれていた。
「こらこら、そのまま行っちゃだめでしょ。一晩悶々としてたんでなんとかしてください」
「えー」
「嫌ならいいですよ。他の女を呼んじゃうから」
ハインリヒはゆりの手をぱっと離して行った。
「そんなのやだ」
「じゃあ来てください」
「うん」
ゆりはハインリヒにひっついた。
「ハインリヒが相手なら金蛇が出てくるかも？」
「がんばりましょう」
ハインリヒはゆりを裸にして愛撫した。
ゆり自信は散々気持ちよくなったものの蛇紋は出てこない。
「強情だなあ。もう限界だ。一度いかせてください」
ハインリヒはゆりの腰を引いて、ゆりの太ももの間に下半身をさしいれていた。
「ほんとは入れたいんですけどねえ」
「ごめんね」
ハインリヒはゆりのお尻をつかみ、腰を動かしている。
「はあ……っ」
達する瞬間、ハインリヒの胸にいる２匹の黒蛇がそろって口を開けていた。
そしてハインリヒの瞳も、蛇の瞳に変わっている。
「魔王様〜」
ゆりはハインリヒに抱きついていた。ハインリヒは顔を寄せてゆりに口づけた。
ゆりはハインリヒの瞳を見ていた。濃い青に黒い縦線が入った瞳である。
この瞳を、他の女にあまり見せたくはない。
「ねえ、変化すると、蛇の意識が出ることがあるって話、どう思う？ 今のハインリヒはハインリヒのままだと思う？」
ゆりはついこんな質問をしたくなった。
「さあ、どうでしょう」
ハインリヒは顔を寄せたままだ。
「どう変わっても、私は私ですよ」
「そうかな？」
「王妃に優しくしたいってのも私だし、王妃を強引に抱きたいってのも私、あ、蛇紋だ」
「え？」
ゆりは自分のお腹を見た。金色の蛇が２匹出ている。魔王蛇に会いたくなったのかもしれない。
「ようやく会えたね」
ハインリヒは金蛇をなでていた。
「ひっつきたい」
ゆりはハインリヒのお腹に自分のお腹をくっつけた。
肌ごしの逢瀬を両方の蛇は喜んでいるのかどうか。
朝からすっかり欲情してしまったゆりは、自分の部屋で一人朝食を食べていたのだが、部屋にやってきたミシェイラに、「マーピンクかーわいい♪」などと言われてしまった。
「ミシェイラ、ママがピンクなのは秘密にしておいて！」
ゆりはミシェイラに頼んだものの、「なんで？ なんで？ みんなにもういっちゃったよ」
ミシェイラにはあっさり返された。
「みんなって？」
ゆりは青ざめている。
「ネーと、ニーと、パパと、トーたち」
「とーたち？ たちって？！」
その１０分後、ミカエルがむすっとした顔で部屋にやってきた。
「王妃、また神の国で遊んできたんですかあ？ いや、なんか違うな。誰かとひっついたでしょ。だれ？」
ミカエルの目が光っている。
ゆりは心の中で「ギョエー」と叫んでいた。
「もしかして、ミシェイラから思念がきたの？」
「マーがピンクでかわいいから見に来てって」
「やだー！！」
「こっちがやだーですよ」
「実は知らないうちに夜中にハインリヒの部屋に移動してたの。きっと赤ちゃんが、赤ちゃんがトーに気をもらいたかったんだと思うけど」
ゆりは赤ん坊のせいにしていたが、そうとしか考えられなかった。
「昨日ハインリヒに昼間お腹をなでなでされたから、うれしかったのかも。王様はあんまりしないし」
「私がいくらでもなでなでしてあげますよ。いっそのこと今晩ここに、いや、やっぱりどえらい訪問者がきそうなのでやめとこう。午後時間を空けるんでいちゃいちゃしましょう」
「えー？」
「えー？」
ミカエルの瞳がじろりとゆりを見ている。
「えーうれしいなあ」
ゆりは無理矢理笑っていた。
「そうでしょ？ じゃあ仕事に行ってきます」
ミカエルは消えた。
「みんなに知られた！ 恥ずかしすぎる！」
ゆりは真っ赤な顔で絶叫していた。
みんな私の顔を見に来たらどうしよう。どっかに行ってしまいたい
ゆりは部屋の中をうろうろしていたが、子供達が順番にゆりの顔を見に来て「ほんとだ」などと言っていた。
「恥ずかしいから見に来ないでー」
子供達が去った後にヴィラがやってきた。
「ほんとにピンクだ。王妃、だれといちゃついてたんですか？」
ヴィラが聞いた。
「今思ったんだけど、なぜだれも相手が王様だと思わないんだろう」
普通、一番疑わしい相手は夫であるべきなのだが。ゆりが真剣な表情で言ったので、ヴィラはぷっと笑っていた。
「神の国じゃないなあ。生身の男でしょ」
ヴィラもミカエルと同様に鋭く気づいていた。
「なんでわかるの！」
「神の国の時は独特だからわかります」
「昨晩知らないうちにハインリヒのところに移動しちゃってたの」
ゆりは素直に白状していた。
「気が欲しかったのかな。気をつけないとだめですよ。それじゃこれで」
ヴィラはミカエルとは違ってそういう心配をして去って行った。
「？」
ヴィラがあっさり行ったので、ゆりは拍子抜けしていた。別に嫉妬がからんだやりとりがしたかったわけではないが。
最近のヴィラの様子からして、もっと何かあってもいいような気がするけど……
一方ヴィラは、ゆりに嫉妬するどころの心境ではなかった。昨晩、夢でディランと出会ったのである。
ヴィラは王の間に行き、そのことをラクシュミに告げた。そして、へびっちが一時危篤に陥って今はレイアスの肌から出てこられないことを知らせたのだった。
「え？ へびっちが？」
ラクシュミも驚いている。
「今は命に別状はないようですが、当分帰れないようなんですよ」
「そうなのか。とんだことになったな」
「このこと、王妃には知らせますか？」
ヴィラはこのことをジュノーにも言っていなかった。
「うーん……ゆりは今妊娠中だからなあ」
妊娠中は情緒不安定になりやすいため、ラクシュミも躊躇していた。
「それで女王と赤ん坊は元気なのか？」
「二人は元気のようですよ。女王様は、まだ床についているようですが、しばらく安静にすれば元気になるでしょうと」
「そうか。しかしへびっちが赤ん坊を助けたとは……へびっちがいなかったらどうなったんだろう」
「どうなったんでしょうねえ。あ、そうだ。女王様の気力が戻りしだい、アナスターシャ様を引き取りたいと言ってましたよ」
「そうか。今年末か来年には、ってところか。うーん、へびっちにトラブルがあってレイアスの肌から出てこられなくなったと言ったらみんな信じるだろうか。本当のことを言った方がいいのかなあ」
「悩みますね。嘘をつくくらいならいっそのこと本当のことを言ってしまった方がいいと思いますが……」
「２．３日考えよう」
「わかりました」
王の間から出たヴィラは、へびっちの子供の蛇に会いたくなり、ハザークの塔に向かった。ハザークの部屋に入れてもらうと、ハザークの他にはナナミとミシェイラ、レーヌの３人がいた。
ナナミはグラスをもって何やら呪文を唱えている。
「こんにちは、ハザーク様、何をしているんですか？」
ヴィラが聞いた。
「水が氷になる呪文を練習している。昨日からずっと」
「へえ？」
「アイバンドレイヤ！ アイバンッドレイア！」
「ネーがんば！」
「がんば！」
「楽しそうですね」
ハザークの横によりそって、へびっちの子蛇がいた。ヴィラはその子蛇を眺めている。
「どうしたんだ？」
ハザークがヴィラに聞いたのでヴィラはどきりとした。
「え？」
「お前の子蛇が、何かいいたそうにこっちを見てるが」
「ええ？」
心臓がドキドキしてきたヴィラは、「何もないですよ。失礼します」と部屋を去って行った。
「あ、水が冷たくなってる気がする！」
ナナミが声をあげた。
「ちょーだい！」
ミシェイラが水をごくごくのんだ。
「つべたい？」
レーヌが聞いている。
「ちょっとだけ」
「ちょっと？ むずかしいなあ。パパは氷にできないの？」
ナナミがハザークに聞いた。
「我にはできない。それぞれ向いた呪文ってのがあるからな。無理ならあきらめることだ」
「えー氷にしたいー」
「大人になればできるかもな」
「それまで待てないー」
―ナナミ様ー稽古の時間ですよー
侍女から思念が飛んできて、ナナミはしぶしぶ移動したのだった。
「氷か……そういえば大昔、それぞれの性質をあげる石なんてのがあったな。いつの間にか聞かなくなったが……妖精石、そうそう妖精からの贈り物なんて言われていたような
気がする」
「よーせいって？」
レーヌが聞いた。
「妖精、王妃のお友達だ」
「マーのトモダチ？」
「ミーは妖精よりクーがいいの♪」
ミシェイラが言っていた。
「じゃあレーヌもクーがいい！」
「そういや半分妖精のやつがいたな。石のこと知ってるかな。知らないか」
ハザークはわざわざイシュタールに聞こうとはしなかったのだった。
塔から出たヴィラは、右腕をなでていた。
「お前もへびっちが心配なんだな。兄弟だものなあ。大丈夫だ。へびっちなら絶対に無事帰ってくる」
ヴィラは自分に言い聞かせるようにして去って行ったのだった。
つづく
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