第26話
朝起きて、ゆりは自分の伸びまくった髪を見て驚いている。これは儀式をした証拠のようなものだ。
―神様と儀式なんてすごいわ。感動だわ！
もう一人の自分の声が聞こえてきた。
「ハロルドにばれたらやばすぎるわ！ とりあえず、男達にも内緒にしよう。うん、それがいい。えーと……どうしよう」
ゆりはあわてていたのか何をしたらいいのわからない様子である。そろりと侍女が顔をのぞかせた。
ゆりが寝ていても起こさないように、侍女は声はかけないのである。
「え？ あれれ？ 王妃様？」
侍女は当然、ゆりの髪に注目している。
「ジュリ、あれもってきて、あれ、これ」
ゆりは右手をチョキの形にしていた。
「昨晩は儀式だったんですか？ 全然知らなかったですわ」
「違うの。いや、違わないけど、このことは秘密よ。秘密」
「え？」
「早くハサミをもってきて、髪を切らなきゃ！ ジュリ、私の髪を切ってちょうだい！」
「私は無理です。王妃様の髪を切るなんて恐れ多くて、ミラさんじゃないと」
「こっそりミラを呼んできて」
「ミラさんは今日は午後出勤です」
「ええー！ 他に私の髪を切れそうな人はいないの？ 今すぐに」
「とりあえず、王様にご報告を」
「髪を切ったら私が言うから、早く誰か呼んできて」
「はあ」
侍女は首をかしげながら去って行った。
「なんで今日は午後出勤なのよ！ ひどい！」
ゆりはぶつぶついいながらとりあえず服を着ようかとベッドから降りた。ベッドの上のシーツは乱れている。そのシーツを見て、ゆりは昨晩のことを思い出していた。
一人の男と儀式をしたのは初めての体験である。
ラーズってばなんであんなに優しくて素敵なの。女蛇も魅了しちゃうなんて、なんだかお風呂に入るのがもったいないような……こんなことを思うなんて初めてだわ
恋人扱いしてくれてありがとう。ラーズ
ぼんやりしていたら「マー」という声が聞こえてきた。
ゆりははっと我に返った。
「マーおはよー」
寝室にやってきたのはミシェイラとレーヌである。
「あれ？」
だが寝室にゆりはいなかった。
「なんかいいにおいね」
とレーヌ。ミシェイラも匂いをかいだ。
「ほんとだ」
ミシェイラはベッドの周りを回ってゆりを発見した。ゆりはなんとベッドの下に隠れるように寝転んでいた
「マーみっけた！ あれれ？」
レーヌもゆりの側にやってきた。
「あれー？ マー？」
「やったあ！ へびちゃんがはいったんだ！」
ミシェイラが万歳していたのでゆりは驚いていた。
「ミシェイラ、これは違うのよ。魔法よ。魔法でのばしたの」
「かわいいよ。みんなにおしえる」
「まって」
ゆりはあわててミシェイラを捕まえようとしたが、ミシェイラは素早く移動してしまった。
「まってー！！」
レーヌはゆりの髪をひっぱってみていた。
「マーいいにおいだね」
「レーヌたすけてー、マーはどこかに隠れたい」
ゆりはつい、幼い子供に助けを求めている。
「あそこ」
レーヌはクローゼットを指していた。
こうしてゆりが儀式をしたようだ、という話は、城の中に広まってしまった。城でその話を聞いたハインリヒは、
―ミカエル、儀式で私をのけものにしたろ。ひどいじゃないか
とミカエルに文句を言っていた。
―え？ 儀式？ 私は知らないぞ
―嘘をつくな。私を外したろう
―本当に知らない。王妃は昨晩だれかと一緒だったのかな？ その二人としたんじゃないか？
―本当に知らないのか？
―みんなに聞いてみよう
ミカエルは恋人たち全員に確認を取ったが、昨晩はだれもゆりと一緒ではなかったし、当然儀式もしてないと返してきた。
―相手はハザーク様じゃないのか？
フリットは他の男といったらハザークしかいないのでそうミカエルに思念を送っている。
―ハザーク様と今まで儀式になったことはないけどなあ。まあいいや、王妃に聞いてみよう
ミカエルは支度をして城に飛んでいた。
城では、ゆりは本当にクローゼットの中に入り込んで座っていた。
今日はゆりの髪を切れそうな侍女が休みだったり午後からだったりでだれもいなかった。
「おかあさーん、どうしたの？」
「母様？」
どうやら寝室に子供達がやってきてしまったようだ。このまま隠れているのも不審すぎるので、ゆりはクローゼットの扉をあけた。外には子供達全員と、その後ろにミカエルとハインリヒがいたので、
ゆりは、「ぎゃっ！」と言ってまた扉を閉めていた。
「一体何があったの？」
シスがミカエルに聞いた。
「さあ、こちらが聞きたいですよ。王妃、出てきてください」
ゆりは意を決したように外に出た。
「儀式ができておめでとう。どうして隠れてたの？」
ラギが聞いた。
「ちょっと一人になりたかっただけよ」
ゆりが自分のベッドを見ると、ベッドの上はすでに取っ替えられていたのでほっとした。
「蛇は何匹きたの？」
アナスターシャが聞いた。
「えーと、一匹かな」
ミカエルとハインリヒは、そろって同じような目でゆりを見ていた。浮気を疑う夫の目である。ゆりの背中は汗ばんでいた。
「赤ちゃんよかったね」
ナナミはゆりのお腹をなでなでしている。
「お腹がすいちゃった。みんなは朝食を食べたの？」
「昨晩はだれと一緒だったの？」
ラギが聞いた。
「昨晩？ そういう話はあとでね、とりあえず、王様にお話しなきゃね」
ゆりは笑みを作ってラギに言った。
「王の所に連れて行ってあげますよ」
ミカエルは王の間の前にゆりをつれて行った。
「王との話が終わったら、我々との話ですよ」
「はあ……」
「待ってますからね」
（怖い……）
ゆりはとぼとぼと王の間の中を歩いた。
「ゆり、一体だれと儀式をしたんだ？」
ラクシュミはゆりが近づいてきたところで聞いた。
「王様ー」
ゆりはラクシュミに腕をのばし、ラクシュミは立ち上がってゆりを抱きしめて頭をなでた。
「みんなが怖いよー」
「男はだれなんだ？」
「座りたい」
「ちょっとあっちに行くか」
ラクシュミはゆりを連れて休憩所の方に移動した。ゆりはソファに腰を下ろした。
「何か食べたい」
「わかったわかった」
少ししてパンとスープが運ばれてきた。お腹がすいていたゆりはパンを口に入れている。
「ゆり、ミカエルがうるさいから早く相手を教えてくれ」
ラクシュミがせかした。ミカエルが思念でも送ってきているのかもしれない。
「実は、昨晩すごいことが起きちゃったの。相手は人間じゃないのー」
ゆりがついに話す決心をした。
「人間じゃない？ 蛇か？」
「違います。ラーズ」
「ラーズ？」
ラクシュミは目を見開いている。
「ラーズが昨晩やってきて、話をしていたら女蛇がおりてきちゃって、ラーズに儀式をしてもらっちゃったの」
「はあ？」
「みんながこれを聞いたらどう思うかなあ？」
「……ラーズ？ 虹の神のラーズか？ 本当にラーズとしたのか？ あれって一族以外の男でもできたのか？」
「できたみたい」
「ラーズ……」
ラクシュミは口を開けてゆりを上から下まで眺めている。
「ラーズが相手をしてくれたのか？」
「うん」
ゆりの姿は儀式が行われた証拠なので、ラクシュミもそこは疑いようがなかった。
「……ハロルドが知ったらまずいんじゃないのか？ あれほどお前が好きなんだから、最初はハロルドを相手にしなきゃだめだろ」
ゆりはぎくりとしていた。
「……そうなんだけど、だって、昨晩は女蛇が降りて来ちゃったから」
「こっちではハロルドとは本当に添い寝だけなんだろ？」
「うん」
「じゃあまずいだろ。ラーズと先にやったなんてのが知れたら」
「最後まではしてないの。みんなと同じようなことしかしてない」
「はあ？」
「だから、ばれてもまさか何かに変えられたりはしないかと思うんだけど……」
「お前……」
ラクシュミはかなりあきれた様子で自分の妻を見ていた。
「一族の男でもないのによくラーズは怒らなかったな。ガーベラと比べてそこまでその気にならなかったのかもしれんが、神様相手にそれはないぞ。さすがに」
「だってーそんなのみんなに悪いし」
「神と男達を同列に置くんじゃない。それに儀式をした以上、ハロルドよりもラーズの方が気になってるんじゃないのか？」
ゆりはどきりとした。
「ハロルドに後ろめたいって思わないのか？」
「お、思ってるよ。でも最後までしてないし」
「してなけりゃいいってもんでもないだろ」
「そうかなあ？」
「ゆり、だれがみても、ハロルドはお前が好きなんだから、そういう男の気持ちを無視するんじゃない。あまり適当なことをしてると、怖いことになるんだぞ」
「う……」
「かわいさ余って憎さ百倍って言葉もあるんだ。ガーベラの時は散々仲良くなっているんだろう？ お前の姿でハロルドとしてしまえばいいじゃないか」
「えー王様はそれでいいの？」
「今更いいも悪いもあるか。それともハロルドがいる時に強引に蛇を下ろして儀式をすればいい。お前にとって儀式をした男は特別なんだろ？ ハロルドもいれてやれ」
「えー」
ラクシュミはかなり無茶なことを言っていた。
確かに儀式をした男は特別っちゃ特別なのかもしれないけど……ハロルドと儀式って怖すぎるでしょ。うーん……
ゆりは部屋を出て行った。
ラクシュミは、「儀式を手伝うなんて、ラーズって優しすぎるだろ。優しいにもほどがある」と同じ男として信じられない思いでいた。
ゆりはとぼとぼと廊下を歩いて行き、自分の部屋の扉を開けると恋人達がずらりと勢揃いしていたので、つい扉を閉めていた。
どうしよう……ラーズのことはあまりいいたくないなあ。だって一人の男と儀式をしちゃったなんてなんかみんなに悪いような……
―私にまかせなさい
「え」
蛇の目のゆりは扉を開けた。
「みんなおはよう。今日は仕事はないの？」
ゆりはにこやかに聞いている。
「王妃、一体だれと儀式をしたんですか？」
ジュノーが聞いた。ゆりの髪はまだ伸びているままである。
ヴィラに示されて、ゆりはとりあえず椅子に座った。
「今日はいい天気だね」
「王妃、早く教えてくださいよ。ハザーク様でもないんでしょ？」
ミカエルがせかした。
「あまり言いたくないんだけどなあ。すごく恥ずかしいし、そんなに聞きたいの？」
「「聞きたいです！」」
ミカエルとハインリヒは声を合わせて言い、イシュタールとフリットは「落ち着け」と二人に言っていた。
ミルキダスとシャナーンは、ゆりを責めるのが悪いような顔付きである。
「実は……相手はいないの。昨晩、かなりムラムラしちゃったあっちが自分で自分を慰めていたら、女蛇が降りてきて、興奮して、蛇まで入っちゃったの」
「はあ？」
ミカエルが真っ先に反応している。他の男達はぽかーんとしている。
「嘘でしょ。自慰行為でそんなことになるなんて」
とハインリヒ。
「なら相手はだれだっていうのよ」
「エルじゃないんですか？」
「シャナーンが聞いた」
「エル？ まさか違うわよ。エルはセリアとラブラブなんでしょ？ 私が今更邪魔するわけないじゃない」
「エルバート一人で女蛇が満足するわけがないよ」
とジュノー。
「そうですか」
シャナーンはほっとしていた。
「実はガーベラに興奮剤をもらっちゃって、それを使って一人で楽しんでたらすっごく興奮しちゃったの。こんな話恥ずかしいし逃げたくなるのも当然でしょ？」
「もういいだろう？ 他の男が来た痕跡もないんだし」
イシュタールがお開きにしようとした時、
「痕跡ならありますよ」
とミカエルが言い出した。
「王妃の布団をかたづけていた侍女が、布団には王妃とは違う匂いがしてたって言ってましたよ。明らかに男の匂いだって、しかもすごくいい匂いの男だって言ってました」
「げっ」
「王妃、ごまかしたい理由でもあるんですか？」
ヴィラが聞いた。
「あ、もしかして、ハロルド様ですか？ ハロルド様がまたいらしたんじゃないんですか？」
ジュノーがひらめいていた。
「え？ ハロルド様？」
とミカエル。
「一族の男じゃなかったら、ハロルド様しかないじゃないですか」
「ええー？」
全員驚いている。
その時ゆりの左目が黒に戻っていた。黒目のゆりは周りの状況を見て目を白黒させている。
「王妃、本当に相手はハロルド様なんですか？」
フリットが聞いた。
「え？ どこからそういう話になったの？」
「確かにハロルド様は、最近よくいらしてるようだが……まさかハロルド様と儀式をするなんて……本当ですか？」
ミカエルの言葉を聞いたゆりの表情はひきつっていたが、ゆりはちょっと考えて、「実はそうです」と言っていた。
「男が一人で儀式ができたなんてみんなに知られたくなくて……」
「ハロルド様が相手ってすごいですよ」
とハインリヒ。
「一族の男じゃなくてもできるんですね。これは歴史書に記してもらわないと」
ジュノーの言葉に、「やめてー！」とゆりは叫んでいた。
「そんなの残さないで」
「いやー。歴史に残してもいいですよ」
「ハロルド様と儀式なんて……すごいな。王妃、サラディン様とも親しくなってくださいよ」
イシュタールはそっちを希望していた。
「すごい蛇が来たのかな？」
「女蛇もそりゃ驚いただろうなあ……」
「でも王妃はすごい」
「さすが王妃です」
「さすが我らの王妃」
男達は嫉妬するよりも、一様に感嘆しているようだ。
「今度ハロルド様をみかけたらお礼を言わないと」
ジュノーが笑いながら言い、「それだけはやめて！ お願いだからやめて！」とゆりはあわてていた。
「王妃、みんなでおしかけてすいませんでした。私は仕事に行きますので」
「私も失礼します」
シャナーンとミルキダス、フリットは消えて、ハインリヒは「神様が儀式の相手なんて……王妃には脱帽しましたよ」と言って去って行った。
ミカエルは、「せめて神殿に酒を送らなきゃ」とそちらの用意をしに出て行った。
ジュノーとヴィラだけになった。
ゆりは居づらそうに頭をかいている。
「考えたら、王妃の長い髪をまじまじとみたことなかったかもなあ。かわいいですよ」
ジュノーが言っていた。
「邪魔だからもう切りたい」
「ついにハロルド様と最後までしたんですね」
ヴィラが言った。
「いや、してないよ。妊娠中はできないのって前に言っちゃったし」
「え」
「みんなとする儀式と同じよ」
ゆりは当然とばかりに言っていたが、二人は「「えー」」と頬を引きつらせていた。
「ハロルド様、気の毒に……」
「王妃は相手がだれでもぶれない所がすごいな……」
「実は、相手はハロルドじゃない。ラーズなの」
ゆりはもう黙っているのが辛くなったので暴露していた。
「え……えー！？ ラーズ様？」
「本当ですか？ ラーズ様も王妃を狙ってたんですか？」
二人は驚きまくっている。
「だからみんなに訂正しておいてー」
「はー……」
ヴィラは男達にゆりの言葉を伝えた。みんな「はあ？」と驚いた様子である。
聖地にあるハロルドの神殿に酒を送ろうとしていたミカエルは、「ハロルド様にはお世話になってるし、まあいいか、ラーズ様の神殿にも送ろう」と二つの神殿に送ることにした。
「ハロルド様が相手ならわかるんですが、なぜラーズ様なんですか？ 夜にいらしたんですか？」
ジュノーが聞いた。
「そう、ちょっと通りすがって寄ってくれたの」
「虹の神様ですよ。夜に通りすがらないでしょ。わざわざ来てくれたんでしょ」
ヴィラはずばっと指摘している。
「う……まあそうだけど……」
「ハロルド様的にはどうなんだ？ やばいんじゃないか？」
ジュノーがヴィラに聞いた。
「やばいですよ。ラーズ様の前に、ハロルド様を優先しないと。嫉妬に狂われたらどうするんですか？」
「いや、でも……」
「この際、内緒にしてハロルド様をメロメロにしてしまうんですよ。こっちの姿で」
「えーやだあ」
「やだあじゃないですよ。ハロルド様の気持ちを無視しないでください。さすがに気の毒ですよ」
ヴィラは大真面目である。
「そ、そうかな」
「確かに気の毒ですよ」
ラクシュミに続いて男二人にも言われてしまった。
「神様のランクからいっても、ラーズ様よりもハロルド様の方がかなり上なんですから」
「別に無視してるわけじゃないんだけど……ラーズとは狙って儀式をしたわけじゃないし、つい女蛇がきちゃったのよう」
「じゃあハロルド様ともしてください」
「ええー？」
「とりあえず神の国に行ったらハロルド様と仲良くしてください。いいですね」
「絶対ですよ」
男二人は念を押して去って行った。二人がいなくなった後ゆりは、「ラーズと約束しちゃったんだけど……」とぼそっと言っていた。
庭園に移動したヴィラとジュノーは、「王妃のすごさには限界がないな」「全くだ……」と話していた。二人は恋人というよりも、今はゆりの父親的心境である。
「嫉妬したハロルド様に王妃が何かされそうな気がする」
ジュノーが言った。
「動物に変えられてるうちはまだいいが……本気で怒られたら怖いな」
「そうだよな」
「王妃はいまいち、ハロルド様のすごさをわかってないからなあ」
二人はハロルドを恐れつつ去って行った。
「まあ、しばらくは神の国に行かなくてもいいかな。ほとぼりが冷めたころにハロルドに会いに行けばいいや」
ゆりはそう思っていたのだが、その晩神の国に行ってしまった。
（げげっガーベラ様、そんなにサービスしてくれなくていいんだけど……）
しかもこの場所は雲の上の神殿、女神達のサロンである。笛を吹いている女神がいる。
（約束だし、とりあえずラーズに会いたい）
ゆりは移動しようとしたが移動できなかった。
（あれ？ ラーズ、神の国にはいないのかも？）
「ガーベラ、次はあなたよ」
女神に言われたゆりは、「ごめんなさい。私もういかなきゃ、また今度」とさっさとサロンを出て行った。
どうしよう……ハロルドの所に行くべきか行かないべきか、でも会ったら余計なことをいいそうな気がする！
ゆりはラクシュミとヴィラ、ジュノーの顔を思い浮かべていた。
ハロルドと儀式はやだけど、でも考えてみたら、ハロルドだったらどうだろう？ 儀式はしてくれなかったかも？
そーだ、ハロルドが断れば、ばれても怒られない。だって断ったんだもん。よし、話すだけ話してみようかなあ
ゆりはそういう気になった。
神殿の入り口まで来た時、ちょうど雲の上をこちらに歩いてくるたくましい神に出くわした。ハロルドである。
もう会っちゃった……
ゆりはびびっている。
「どうかしたのか？」
ゆりがわかりやすくびびっていたので、ハロルドは怪訝な目を向けていた。
「え？ 彫像が歩いてきたって思ったらハロルドだったからびっくりして、さすが今日もステキ♪」
ゆりはわざとらしくヨイショしている。
「は？ 何か悪いことでもしたのか？」
ゆりはぎくりとしながらも笑っていた。
「何もしてないわよ。あの、ちょっとお話があるんだけど……」
「話？ この後用があるんだが、すぐ終わるか？」
「すぐ終わるから」
「わかった」
ハロルドはゆりを促して神殿の中に入り、その奥の部屋の一室にゆりと入ってカーテンを閉めた。
「話ってなんだ？」
「ここ、誰かに聞かれない？」
ハロルドは結界を張った。
「これで大丈夫だ」
「ありがとう。あっちの私のことなんだけど、私は王妃様として、ずっと前からある儀式をしてたの。その儀式ってのは妊娠中にするもので、
儀式では女の蛇の霊が降りてきて、私が興奮したら蛇の霊を呼んでくれるの、その蛇の霊を入れたら、赤ちゃんの力があがるの」
「…………」
ハロルドは首をかしげていた。いまいち理解できていないようだ。
「私はその儀式を恋人達としてたんだけど、ハロルドともしたいなって思って……」
ゆりはおずおずと言ってみた。
「はあ？ お前、妊娠中は男と交わらないんだろ？」
「儀式では交わらないの。男が私に愛撫だけするの」
「なんだそりゃ、それを私にしろってのか？」
「嫌？」
「嫌にきまってるだろ。なんでそんなことしなきゃならないんだ。抱けるってのならともかく」
「そうよね。愛撫だけなんて嫌よね。これで話はおしまい。聞いてくれてありがとう」
ゆりはにこやかに言っている。
「お前の男と一緒にするな」
「そうよね。誘ってごめんね。じゃあさよならー」
ゆりは逃げるように部屋を出て行った。
やったー！ 断られたー！ これでばれても怒られないわ。考えてもプライドが高い神があんなことするわけないわ。ラーズは優しいからやっぱり特別なのね
これでほっとしたわ！
ゆりは心底ほっとして、ラーズの顔を再び思い浮かべてみたものの、やはり行けなかった。
「そーだ、ルティアナと温泉に入ろう」
ゆりはサラディンの元に移動して、ルティアナをお風呂に誘った。するとルティアナはサラディンも誘い、三人で入ることになった。
久しぶりの三人風呂である。久しぶりにサラディンの肌を見たが、それなりに体格もよいし、素敵な神である。
「ねえ、サラディン、アシュランのお風呂に入ったことある？」
「アシュランの風呂？ ああ、なにやら作ったらしいというのは聞いた。入ったのか？ どういう風呂だ？」
「ここよりも広くてね、ハーブのようなものが入ってたの。天井が開いてるから、夜空を見ながらお風呂に入ったらきっとステキよ」
「ふーん、あいつ熱い風呂なんて入れたのかな？」
「あれ？ ルティアナは？」
いつの間にかルティアナは消えていた。
「今度ルティアナとあそこに行きたいって思ってるの。その時はサラディンも一緒に来てくれる？」
「まあ一度くらいなら」
「うん、今度ね」
ゆりはにこにこしながらサラディンとお風呂を楽しみ、その後火の神殿の一室で体のほてりを冷ましている内に人間界に戻った。
神の国では夕方、ハロルドが自分の神殿に戻ると、ランスロットを抱っこしたラーズに出くわした。
「やあ、ランス連れてくよ」
「ああ、……ちょっと待て」
ハロルドは去って行こうとしたラーズを呼び止めた。
「話がある」
ハロルドは、奥の部屋にラーズを促していた。
「なあ、あっちのガーベラに、儀式とやらの話、聞いたか？」
「え？」
「儀式の相手をしてほしいとかなんとか言われなかったか？」
「ああ、なんだハロルドには内緒かと思ってた。したよ。儀式」
「はあ？ した？」
「人間界では昨日かな、一昨日かな？ わからんけど」
「誘いに乗ったのか？ お前には神のプライドってものはないのか？」
ハロルドはかなり驚いた様子である。ちなみにこの二人の背はそう変わらない。視線はちょうど同じ高さにある。
「プライド？」
「あいつの人間の男達と同列に見られて嫌じゃないのか？」
「言ってることがわからないな」
「人間の儀式だぞ？ しかも愛撫だけしろだなんてふざけたものを、本当にしたのか？」
「ぷっ、神は人間には奉仕されるべき者なのか？ ハロルドらしいな」
ラーズは笑っていた。
「嫌ならあっちの彼女にはもう手を出すなよ。ハロルド」
「なんでお前にそんなこと言われにゃならんのだ」
「恋人に神のプライドなんていらないだろ？ あんなことになって驚いたけど、私はすごく面白かったけどなあ」
「ん？ お前、誘われて行ったんだろ？」
「いや、あっちの彼女はそんなに積極的じゃないだろ。私から押そうと思ったら、蛇の霊とやらが降りてきて、儀式とやらになったんだ。興奮した彼女はすごくかわいかったよ」
「だが交わってないんだろ？」
「そこまではしてないけど、互いに愛撫しあうって抱くまでの課程だろ。それが嫌なんておかしいじゃないか」
「……嫌ってわけじゃない。抱かない女にいろいろしてやるだけなんて、あほらしいだろう」
「いずれ抱くからいいよ別に。それにこっちではするし」
ラーズはあっさりと言い切っている。
「……ん？ 愛撫しあうって言ったか？ さっき」
「彼女もお返しとばかりにいろいろしてくれたよ。まさかハロルドはいつも挿入するだけじゃないだろうな。ガーベラの体は大丈夫でも、他の女にはきついぞ。
奉仕だけさせたいなら、ハロルドを崇拝する巫女にでも手をだせばいいだろ？ じゃあな」
ラーズは去って行った。
「……なんだか混乱してきた」
ハロルドは頭に手をあてている。
（ラーズと儀式とやらをもうしたってのも驚いたが……やっぱりあいつ、あっちに手を出す気満々じゃないか。そんなことよりもあいつとやった後に私に話をもってくるってのに腹が立ってきた……
ラーズと愛撫しあったってわけか？ くそっ）
ハロルドは翌日、カサンドラの神殿に行っていた。カサンドラに、蛇の国の儀式の話を聞きにきたのである。
「蛇の国の儀式？ ああ、知ってるぞ。王の子供に加護の力を与える儀式のことだろう？ 蛇の国に限らず、いろいろな国にそういう儀式は存在しているぞ。蛇の国の場合は、大昔の
蛇の霊を赤ん坊に取り憑かせるんだ。蛇の霊が多ければ多いほど、赤ん坊の力があがるらしい」
カサンドラはその儀式のことも知っていた。
（なるほど、儀式をするだけなら神の力は全く関係ないな。私が加担していることにもならないな）
ハロルドは立場上、一つの国にだけ肩入れするわけにはいかないのだった。
ラーズと儀式をした5日後の朝である。ゆりは昨晩はジュノーとヴィラと一緒に儀式部屋で寝ていた。ただ話をしながら寝ただけなので三人とも服を着ている。
「悪いけど起きてー」
そこに訪問者がいた。目を開けたヴィラとジュノーはぎょっと体を起こしていた。
「うわあ、クーリーフンだ！」
その声でゆりは目を覚ました。目を開けると、ベッドの横に確かにクーリーフンがいる。
「あれ？」
「はい、これ」
クーリーフンはゆりに巻き貝を渡していた。
「え？ ラーズから？」
「いや、違うよ。ハロルド」
「え？ ハロルドが何？」
「僕は行くよ。お邪魔しましたー」
クーリーフンは去って行った。
「すげー朝からクーリーフンだ……一気に目が覚めた」
ジュノーは目をぱちぱちさせている。ゆりは巻き貝を手にもったまましばらく眺めていた。
「王妃、ハロルド様の件は解決したんでしょう？」
ヴィラが聞いた。ゆりはそのことを二人に昨晩話していた。
「うん。ハロルドは儀式なんてやらないって言ってたから、ばっちり解決したはずよ。なんの伝言だろう？」
ゆりは巻き貝を耳にあてた。
『気が変わった。恋人の頼みは聞かなきゃな。お前の儀式とやらの相手をしてやろうじゃないか。ラーズの次ってのも癪に触るんだが、それについてもじっくり話がしたい
今晩行くからな。かわいい格好をして待ってろ』
偉そうな男の声が聞こえてきて、ゆりの手から巻き貝がぽろりと落ちたのだった。
つづく
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