第36話

夜である。星は瞬き、上弦の月が浮かんでいる。街の酒場では酒を飲む人々で盛り上がる時刻、フリットの屋敷の酒飲の間にはイシュタールとミカエルがやってきている。

「いい夜だな」

イシュタールが酒を飲んでつぶやいた。今宵「一緒に酒を飲もう」と誘ったのはイシュタールである。今夜はたいして事件も起きていないので、平和でいい夜だといえる。

「そうだな」

とフリットが返した。

二人はちょっとぼんやりした様子である。

「それで、話があるんじゃなかったか？」

ミカエルがイシュタールに聞いた。

「夕方ジュノーに会ったんだが、王妃の蛇が動いて、ミルキダスの蛇と仲良くなったらしい。この話聞いたか？」

イシュタールの言葉にミカエルは目を丸くしていた。

「え？　本当か？」

「そうらしい」

「えー、ミルキダス？　じゃあハインリヒもとっくに？」

「それは知らんが」

「この時代でもそういうことができるのか？」

「王妃の力があがってるし、ミルキダスの蛇が濃くなってるのと関係があるのかもな」

「へー、いいなあ。じゃあ私はどうなるんだ？　まだ蛇は出てきてないから、無理なのか？」

ミカエルは興奮した様子である。

「さあ」

ミカエルは無言のままのフリットを見た。

「どうしたんだ？　驚いて声も出ないのか？」

「実は、知らない間に王妃と一晩過ごしたという事件があった」

フリットがぼそっと言った。

「え？」

「事件？」

「数日前、朝起きたら、王妃と別室にいたんだ。それで王妃はぷんぷん怒ってた」

イシュタールもミカエルもぽかんとしている。

「どうも私の蛇が出てきて王妃を誘ったらしい」

ミカエルとイシュタールはフリットを見て、次に二人で目を合わせていた。

「それで、王妃に強引にしちゃったとか？　そういう話なのか？」

「わからん」

「マジか」

「王妃は別に、そういうショックを受けた感じはないようだが？　何もなかったんじゃないのか？」

イシュタールが言った。イシュタールは今日も城で子供達に会っている。ゆりがショックを受けて部屋にこもっているとかいう話は聞いていなかった。

「王もこれといって王妃のことは言ってなかったぞ」

とミカエル。

「でもまあ、王妃も十年前とは違う。今なら、強引にされてもそこまでショックを受けないかも知れないけどな」

とミカエルは続けた。

「ミカエル、強引にしちゃだめだぞ」

とイシュタール。

「今はフリットの話だろ？」

「私の蛇は一体何を考えているんだろう、とか、気になるんだ。王妃に会いに行きにくいんで、明日、王妃に何があったか詳しく聞いてくれないか？」

フリットはイシュタールに頼んでいた。

「わかった」

「……ミルキダスの蛇は王妃の蛇と仲良くなったって言ったな。ミルキダスだけなのか？」

ミカエルは疑問に思った。

「さあ、今晩ジュノーとヴィラが試してみるって言ってたぞ」

「ハインリヒが何もしてないわけない。聞いてみよう」

ミカエルがハインリヒに思念で聞いてみたところ、ハインリヒから返事があった。

「ハインリヒも飲みに来るって」

「そうなのか？」


30分ほどして、ハインリヒがやってきた。

「やあ、高い酒を飲ませてくれよ。フリット」

こうして珍しく、酒飲の間に四人が集うことになった。


「ハインリヒ、儀式の後、王妃と仲良くなったんだろ？　蛇同士も仲良くしたのか？」

ミカエルがハインリヒにズバリ聞いた。

「した。ミルキダスと一緒だった」

「そうなのか。じゃあその時、突然王妃の金蛇が動き出したのか？　儀式の時は全く動いてなかったな？」

ミカエルが残り二人に聞いた。

「そうだな。全く動いてなかったような気がする」

イシュタールが答えた。

「じゃあハインリヒが最初か」

「残念ながら最初じゃない」

とハインリヒ。

「え？　じゃあだれだ？　ミルキダスが最初？」

「ち、が、う」

ハインリヒはむすっとしながらもフリットをじろっと見ている。視線を感じたフリットは「？」といった表情だ。ミカエルもイシュタールも首をかしげている。

「もしかして、フリットが最初なのか？」

ミカエルの指摘にフリットが驚いていた。

「そうだ。王妃には言うなと言われたが、言わずにおれるか。フリットに出し抜かれたんだ」

ハインリヒは悔しそうだった。

「フリットの蛇が誘ったのは王妃の蛇だったのか」

イシュタールが言うと、フリットは頭に手をあてていた。

「全然覚えてない」

ミカエルはハインリヒの杯に酒を注いでいた。

「ま、いいじゃないか。10何年も前に、ハインリヒは王妃の蛇といい仲になったんだから。私達がどれだけうらやましいと思ったか。それでどうして王妃が怒ったんだ？」

「さあ」

フリットはさっぱりわからないようだ。

「あ、フリットの蛇は、王妃狙いじゃなくて王妃の蛇狙いだったから、王妃が怒ったんじゃないか？」

イシュタールはそう推理していた。

「どっちみち、安全なお兄さんは返上だな」

ミカエルは笑っている。

「二人とも、のほほんとしすぎじゃないか？　特にミカエル、嫉妬に狂ってフリットを怒るとかないのか？」

ハインリヒが意外そうに言った。

「別に。むしろよくやったと言いたいところだが。過去もここでも最初がハインリヒじゃ面白くないだろ」

ミカエルは結構平常心のようだ。

「確かに」

イシュタールも同意していた。

「それに蛇のことになるとまだあまり現実味がないし」

「まあ、いいじゃないかハインリヒ、私とミカエルより先なんだし」

「そうだ。うらやましいな。私も王妃の蛇と交わりたい」

イシュタールもミカエルもうらやましげに言っていたが、蛇が覚醒するほどでもないようだ。

「どうなってんだ。一番ミカエルがそういう思いが強いやつだと思っていたが……」

「強く思ってるぞ。思ってるが、現実味がないせいかフリットに嫉妬するって気にもならない」

「記憶がないのが怖い。どうやって王妃に迫ったんだろう」

フリットは悩み顔である。

「本人にじかに聞いてみるか」

ハインリヒの右手が突然光り輝いた。

「げ」

ミカエルとイシュタールがのけぞり、フリットの体にはバリヤが張られていた。

ハインリヒの手から輝きが消えている。

「おい、ここを壊すんじゃない。ロアンナさんに怒られる」

ミカエルはあわてて言っていた。

「ここよりもフリットの心配をしろ」

イシュタールが突っ込んでいる。

「やっと出てきたな」

ハインリヒが憎々しげに言っていた。

「嫉妬は見苦しいぞ」

とフリット。

「喧嘩は外でやれ。外で」

ここはフリットの家なのだが、ミカエルはここが壊れる方を心配しているようだ。

「よし、外に出ろ」

ハインリヒが立ち上がった。

「私は喧嘩なんかする気はないぞ」

とフリット。

「たまにはいいだろ。いつも仲良くじゃつまらん。ここからなら、学校の校庭でいいか。来い」

ハインリヒは消えた。

「全く……二人とも、劣勢になったら私に加勢しろよ」

フリットは立ち上がりながら言った。フリットも消えて、ミカエルとイシュタールはきょとんとした様子である。

「今の、フリットの蛇さんか？」

「みたいだなあ、面白いことになったな。行こう」

ミカエルは酒瓶を持って移動していた。


二人が行くと、校庭の4隅に光りの玉が上がり、校庭は明るくなっていた。

「しかし、ハインリヒがフリットとやりあうって、すごくないか？」

ミカエルとイシュタールは校庭の隅で並んでいる。

「考えられない組み合わせだ。ミカエルとハインリヒならやりそうだが」

「私は平和主義だ」

「ミカエルは腹が立ったら、相手の仕事を増やして嫌がらせをするくらいだもんな」

「うるさい。おっ」

ハインリヒから光りの玉がフリットめがけて飛んでいる。フリットはそれを避けていた。

「まじでやりあってるじゃないか。フリットがんばれ」

ミカエルは静かに応援しながら酒を飲んでいる。


「一体何を怒ってるんだ？　謝ればいいのか？　先に金蛇と仲良くなりすぎた。悪かったな」

フリットはむしろ偉そうに言っていた。

「お前ほんとにむかつくな」

ハインリヒは光の剣のようなものを出してフリットに向かっていた。フリットの方も似たようなものを出して応戦している。


「フリットの力、普段よりもあがってないか？」

「あがってるかもな」

イシュタールとミカエルはのんきに観戦している。


「おい！　親友だろ！？　加勢しろ」

フリットは二人に言っていた。


「大丈夫だろう。ハインリヒもそうばかじゃない」

とミカエル。

「喧嘩は一対一が鉄則だしなあ。交代ならしたいが」

とイシュタール。

どちらもその場から動く気はないようだ。


実際、ハインリヒの方は力の加減をしているようだ。二人とも戦のために長丁場戦える訓練をしている。相手が傷つかない限り、力のやりとりは続きそうだった。


「おい、今も完全にお前が出てるのか？」

しばらく経ってから、ハインリヒがフリット蛇に聞いていた。

「今は半々だ」

「王妃と仲良くなった時はお前が完全に出てただろ」

「あの時だけだ。あの時は理性が邪魔だったからな。どうしても王妃があの状態の間にああなりたかった。お前にはわからんだろう。王妃の蛇紋が、他の男達と交わったと

知った時の悔しさが」

「ふん」

ハインリヒの手から力が消えて、フリットもようやくガードを解いた。

ミカエルは「もっとやれ」だの言っている。

「せっかくだからあいつらの蛇も引っ張り出してやれ」

フリットがミカエル達を指している。見てるだけの二人に腹が立ってきたらしい。

「そうだなあ」

ハインリヒは光の筋を二人めがけてなげた。

「うわっ！」

二人はあわててよけている。

「いきなり何をするんだ！」

とミカエル。

「見てるだけじゃつまらんだろう。来いよ」

「いやだ」

「一対一ならやりたい」

イシュタールはわくわく顔で近づいて行った。


「ミカエル、相手をしてやるから来い」

フリットがミカエルに声をかけている。

「なんで相手が私になってるんだ？」

ミカエルはさっぱり分かってなかったが、フリットが瞬間移動でミカエルのすぐ側まで来て攻撃してきたので、ミカエルはあわてて防いでいた。

「やる気はないと言ってるのに」

「お前も蛇を出せ。話についてこれないだろ！」

「出せといわれて出るくらいなら、とっくに出てるだろ」

ミカエルがフリットの力を受け流したとき、校舎のガラスに力があたり、ガラスがばりっと割れていた。

「あ、やばい。フリット弁償しろよ」

「もっと強くなりたいだろ？」

「蛇が暴走したらどうするんだ？　お前暴走しすぎ」

ミカエルは瞬間移動でフリットから離れたが、フリットはミカエルを追っていた。

「しつこいっての！」


一方、ハインリヒの相手をしていたイシュタールだが、ハインリヒに「出ろ出ろ」言われ続けたせいか、変化が現れていた。肌に赤い蛇の鱗が浮かんできたのである。

「あ、ようやく覚醒したか」

ハインリヒが攻撃をやめた。

「全く、へびっちは過去で大変だってのに、よくこんなくだらないことができるな」

イシュタール蛇はぶつぶつ言っていた。

「我々はこんな風に表に出るべきじゃない」

「ごたくはいいからさっさと来い」

ハインリヒは再び攻撃を開始している。


その頃寮で寝ていたエルバートは、友人に起こされていた。

「エルバート、起きろ。学校の校庭で、ミカエル様達が喧嘩してるらしいぞ。見に行こう」

「え？　何？」

「喧嘩だ。喧嘩。ミカエル様が喧嘩、すごいらしいぞ！」

「喧嘩。相手はだれだろう？　まさかシャナーン？　ありえる」

エルバートは急いで着替えて外に出た。

エルバートが友人達と校庭に来てみると、校舎のガラスは何カ所か割れているし、校庭にも穴があちこちあいていた。

「シャナーンはいない。フリット様に、ミカエル様、ハインリヒ様にイシュタール様！？」

「なんかしらんがすげえ！」

「すごい！」

「どういう状況なんだ？」

「なんだ？　特別稽古でもつけてほいしのか？」

ハインリヒがエルバート達の方に光りの玉を降らせていたので、エルバート達はあわててバリヤを張ったり逃げていた。

「ひええええ！　怖い、けどみたい！　怖いけどみたいーーーー！」

友人は叫びながら逃げている。

「逃げるだけじゃなくて攻撃してこいよ」

ハインリヒは無茶なことを言っていた。


「こんなに言っても出てこないとは」

フリットはミカエルにぶつくさ言っている。

「私の蛇はきっと奥ゆかしいんだ」

「臆病者め」

「怒らせようったって無駄だ」

「むー」

「しかし、ハインリヒもむしゃくしゃしすぎだろ」

ハインリヒは逃げ惑う戦士達に攻撃を加えまくっている。しまいにはイシュタールもフリットもミカエルも、やれやれといった様子でそれを眺めていた。


一方、儀式部屋でゆりとヴィラ、ジュノーがいたが、ヴィラとジュノーがどれほどゆりを愛撫しても、ゆりの金蛇はぴくりとも動かなかった。

「もしかしたら、昼間動きまくったせいで疲れて寝てるのかも」

とゆり。

「えー」

「ごめんね。ものすごく動いてたから……」

ゆりは申し訳なさそうである。

「残念なような、ほっとしたような……」

緊張しまくっていたヴィラは、そう言っていた。

「ミルキダスには動いたのに、どうしてー」

ジュノーはゆりの金蛇をちょいちょい触っているが、やはり動かない。

「ほんとごめんね」

「ねえ王妃、ハインリヒ殿とミルキダスよりも先に仲良くなったのはだれなんですか？」

ヴィラが聞いた。

「え」

「あれ？　ミルキダス達が最初じゃないんですか？」

「うん、実はフリット。でもフリット本人は知らないの。蛇様の方にいいよられて……」

「えー！？」

二人とも驚いている。

「フリット殿、ミルキダスみたいな状態になったんですか？」

「そうなるのかな？　朝には元に戻ってたけど、本人に言っていいのかどうかわからなくて」

「フリット殿の蛇様、情熱的なんですね」

ヴィラが言った。


陽が昇る前には、ジュノーとヴィラは城を離れて自分の屋敷に帰っていた。

ヴィラが朝食堂で朝食を食べていると、息子のヴィンセントが興奮した様子でやってきた。

「おはようお父さん。校庭で昨晩、ミカエル様達が喧嘩したんだよ。知ってる？」

「え？　ミカエル殿が喧嘩？　相手は？」

「ミカエル様、ハインリヒ様、フリット様、イシュタール様で喧嘩したんだって、僕もさっき聞いたんだけど、この四人で喧嘩ってすごいよね」

「嘘だろう」

「本当らしいよ」


支度をしたヴィラが校庭に行ってみると、結構な人が作業中だった。校庭にできた穴ぼこをでかいスコップで埋めている。その中にフリットもいたので、ヴィラはフリットに近づいた。

「一体何があったんですか？」

「聞かないでくれ」

フリットは恥ずかしげである。

「気になるじゃないですか」

「四人でちょっと遊んでしまった」

「はあ」

ヴィラはスコップで地面をならしているミカエルに寄っていった。

「本当に喧嘩したんですか？」

「首謀者は私じゃないからな」

とミカエル。

「ところで、昨晩は王妃と成功したのか？」

ミカエルが逆に聞いた。

「失敗しました」

「そうか。ははは」

ミカエルは笑っている。

「私もそのうちためそう」

ヴィラは校舎の割れた窓ガラスにも目を向けていた。

校庭にジュノーもやってきた。

「ミカエル殿、喧嘩したって本当ですか？」

ジュノーがあたりを見回しながら聞いた。

「私がしたんじゃない。ハインリヒとフリットがしたんだ」

「ええ！」

ジュノーとヴィラは目を合わせている。

「昨晩は成功したのか？」

スコップを持ったハインリヒが側にやってきた。

「失敗しました」

ヴィラが答えた。

「そうか。毎回成功しないのか」

ハインリヒはちょっとうれしそうである。

「ところで、フリット殿と喧嘩したの本当なんですか？」

ジュノーがハインリヒに聞いた。

「ちょっと遊んだだけだ。たまには羽目も外さないとな」

「はあ」

一体何があったのか気になったが、四人とも詳しく話してはくれなかった。



その後四人は王の間に呼ばれて、「いい年して何やってるんだ？」とラクシュミに笑いながら言われてしまった。

さらに「上級戦士四人が校庭で喧嘩？」と次の日の新聞の見出しも飾ってしまったのだった。



つづく

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