第5話
「……ベラ……ガーベラ……」
「うーん……」
ぐっすり眠っていたゆりは、口の中に甘い液体か何かが入ってくるのを感じて、口を動かしていた。
甘い……寝ながらこんな甘い物を食べたら虫歯になっちゃう……
などと、寝ぼけたように思っていると、
「起きてガーベラ」
と優しい男の声が聞こえてきた。
ガーベラ……ガーベラ？！
「あれ？ 神の国に来てる？」
目を開けると、色彩鮮やかでキラキラ輝くラーズが見えた。
「あ、ラーズだ」
「ガーベラ、せっかく来たのに寝ちゃわないで。愛しあおう」
「ラーズ」
ゆりはふんわりした気分でラーズに抱きついた。
「ラーズ今日もいい匂い。毎回いい匂い」
今日はラーズの体からはうっすらとラベンダーのような匂いが漂っていた。
「ガーベラも良い匂いだよ」
ゆりはさっさと裸にされてラーズに愛されたのだった。
明くる朝、ゆりは目覚めたもののぼんやりと寝転んでいた。
久々にラーズとしちゃった。ハロルドと約束してたけど、目の前にラーズがいたし、どうかばれないように……
などと思いつつ、ゆりは自分の体に違和感を感じた。
ん？ ショーツをはいてない？
寝間着は着ていたが、ショーツははいていない。その上、体、特に下半身がどこか変なような気がする。
「あれ？ 昨日は神の国でラーズとしたよねえ」
ゆりはシーツの匂いをかいでみた。かすかにラベンダーのような香りがする。
「……え？ ラーズがここに来たの？ えー私、ガーベラだと勘違いしてそのまましちゃったのかも？ 恥ずかしい！」
ラーズとは初めてではなかったのでそこまで驚きはしなかったが、ゆりはしばらく真っ赤になっていた。
今日は6の月15日である。
天気は快晴、今日は今年の一族の妊娠状況が城にもたらされていた。
「えーユリウスが妊娠したの？ 本当？」
王の間でゆりはラクシュミに聞いてびっくりしていた。
「本当らしいぞ。それからフリットとミルキダスの彼女が妊娠したらしい。フリットは３人目だがミルキダスはなんと４人目だ。なんともすごいじゃないか。ゆり、お前は本当に幸運の王妃だぞ」
ラクシュミはご機嫌でゆりをヨイショしていた。
ゆりの左目が蛇の目になっていた。
「ミルキダスは４人目かあ。感慨深いなあ……」
「カーラも元気そうだし、よかったよかった」
ラクシュミは超ご機嫌だった。カーラは妊娠二年目に突入である。
「ところで、今日は１５日だぞ。何時に神官が来てもいいように準備をしておくように」
「あ、それがあったっけ。私達に説教なんて必要ないのになあ。なんで来るのかしらねえ」
「光栄なことじゃないか」
「ベッドで説教してくれるんなら楽しそうだけど」
「こらこら。そんなこと言うんじゃないぞ」
「冗談よ」
蛇の目のゆりはおちゃらけて答えていた。
蛇の目のゆりは引っ込み、黒目のゆりは王の間を出て、フリットに出会った。
「フリット、彼女が妊娠したんだって？ おめでとう」
「ありがとうございます」
フリットはうれしそうだった。
「ミカエルに続けてうれしいですよ」
「ミルキダスは４人目だから、まだがんばって」
「そうですね」
フリットはゆりのすぐ側まで来て耳元でぼそっとささやいた。
「昨日誰かと仲良くなったでしょう」
「え？」
「ほんとわかりやすいですね」
フリットはゆりの耳を軽く引っ張っている。
「え？ ピンクになってる？」
ゆりは朝しっかり体を洗っていたのだった。気持ちもすっかり切り替えたと思っていた。
「妊娠のお祝いに今度あっちに行きましょうね。ゆりちゃん♪」
フリットはにやりとして言うと、ゆりから離れて王の間に入って行った。
「え？ ゆりちゃん？」
今のフリット蛇さん？ それよりもピンクになってるかどうかが問題だわ
ゆりはきょろきょろして王の間の扉の側に立っている番兵と目があった。しかし番兵に『私の気ピンク？』とも聞けない。
ゆりはささっと小走りで自分の部屋に戻った。部屋にはミルキダスが来ていた。
「あ、ミルキダス、私の気ってピンクになっちゃってる？」
ゆりはミルキダスに聞いた。
「え？ いえ、なってないですよ」
ミルキダスはゆりに挨拶をする暇もなかった。
「ほんと？ よかった。あ、ミルキダス、おめでとう！」
ゆりはミルキダスの両手を握りしめた。
「今回はジェシカができたの？」
「はい、そうなんです」
「賑やかになるね。よかったね」
ゆりはミルキダスの両手を横にふっていた。ミルキダスはうれしそうに頬をちょっと赤く染めている。
「子供達は３人とも元気？」
「はい、元気です」
「彼女が二人ずつ子供を産むってすごいよね。みんなの子供もいっぱいでうれしいなあ」
本音は少々複雑なのだが、赤い月のことは飛ばして、恋人達の子供が増えるのはめでたいことである。しかもこの国では、一人の女性が二人子供を産むというのはなかなかないことなのだ。
そういう意味でも素晴らしいことだ。
「……あの……王妃、ピンクではないですが、少々どきっとするような感じではありますよ」
ミルキダスは頬を染めたまま言った。
「え？ どきっ？」
「はあ、何がどう違うとは説明できないですが、どきっとします」
「そうなの？ なぜだろう」
昨晩のラーズとの夜が原因だろうとは思うが、ゆりはわからないふりをしていた。
蛇の目のゆりが出てきた。
「ミルキダス、おめでとう。今度おめでとういちゃいちゃしようね」
「王妃……なんだか夢のようですよ。こんなに子供ができるなんて……」
「私もうれしいよ」
「王妃」
ミルキダスは蛇の目のゆりを抱きしめた。ミルキダスはうるっときている。
「……ねえ、赤い月の時って、ミルキダスの蛇さんは出てきたりしたの？」
蛇の目のゆりが聞いた。
「え、さあ……出てるような、出てないような、多分少しは出てるんじゃないでしょうか」
「途中記憶がないってことはないんだ？」
「それはないですよ」
ミルキダスはゆりの頬をなでなでした。
「口づけてもいいですか？」
「うん」
ミルキダスは身をかがめて、ゆりにちゅっとキスしていた。
「今日ハンサムな神官がいらっしゃるんでしょう？ なんか有名な方らしいですね」
「うん。すごくハンサムだったわよ。あんな牧師さんが教会にいたら、女性が毎日詰めかけちゃうだろうね」
ゆりは笑っていた。説教を受けるのは自分ではないが、黒目のゆりは突然交代しようとする時があるので油断はならない。
「がんばってくださいね」
「うん」
ミルキダスは去って行った。
「４人目かあ。まさかミルキダスが一番の子だくさんになるとはねえ。あの二人とも長いこと続いてるし、よかったな」
蛇の目のゆりは素直に喜んでいた。
黒目のゆりは、今になって神話の本をめくったりもしていたが、何も頭に入っていかなかった。
ゆりの部屋は侍女達が掃除中なので、ゆりは今違う部屋でルーといる。
「大体私は品行方正に生きてるんだから神官の説教なんていらないと思う。そう思わない？」
ゆりは床にいた蛇のルーに聞いていた。
「ルーもそう思うでしょ？」
ルーは同意してくれたのか舌を出していた。
「前回あんなに恥ずかしい思いをしたのに会わなきゃならないなんて……まさか今日は竪琴を奏でてくれ、なんて言われないよね」
ゆりは半泣きで竪琴を奏でたことを思い出して、ちょっとぞっとしていた。
午後二時ごろになり、神官がやってきた。ラギとシスもゆりの部屋に集まっている。他の子供達は神官の話に興味はないようだ。
侍女はあわててティーセットの準備をして部屋から去って行った。
「こんにちは、クーガ様」
ゆりと子供達がそろって挨拶をした。
「こんにちは。今日こちらはいい天気ですね。聖地は雨でして、朝からどしゃぶりなんですよ」
神官は穏やかな口調で言った。ゆりは前回は突然で、しかも竪琴のことで気が動転していたのでじっくりと神官の顔を見てはいなかった。
今日は余裕があるのでじっくり顔を眺めている。
背は高く、なかなかハンサム、まるで女性のような綺麗な顔の男である。金色の髪は指通りもなめらかそうで肩に流れている。瞳は今日の空のように青かった。
白に金色の模様が入ったローブ姿がよく似合っている。真面目で清廉なイメージである。
ゆりもぼーとしてクーガを見ていたが、クーガもしばしゆりを見つめていた。
「どうぞ座ってください」
「ありがとうございます」
クーガは座ってから少し微笑んでいたが、どうもゆりが気になるらしい。ゆりの横にはシスとラギは並んで座っていた。ラギは聞きたいことがありすぎるのか、口元をうずうずさせている。
「あの、どうかしましたか？」
ゆりはクーガに見つめられているのが気になって聞いた。
「いえ、前回は、すいませんでした。突然竪琴が聴きたいなどと言ってしまって」
「こちらこそすいませんでした。変なのを聴かせてしまって」
「いえ、そんなことはないですよ。一生懸命に弾いていただたので」
「それであの、月に一度も来ていただけるって本当なんですか？ クーガ様は忙しい方なんでしょう？ 私ごときにそんな手間を取らせるわけにはいかないと思うんですが」
ゆりは今日だけでこの勉強会を終えたいと思っているようだ。遠慮がちに言っていた。
「確かに、私はこうして個人と向かい会って話すことはあまりないんですが、悩める方を導くのも私の仕事のようなものでして。せっかくですので、数回はここに来るつもりです」
「そうですか」
「あの、クーガ様はアシュラン様にお会いしたことはあるんですか？」
ラギが聞いた。
「ありますよ」
「すごいなあ。どんな方ですか？」
ラギは目をキラキラさせて聞いている。
（いいぞ。普通の子供っぽい）
ゆりは子供達に、神様がここに来たことがあるなんてことは絶対秘密にすること、と念を押していた。
「綺麗な方ですよ。大変素晴らしい方だ、といいたいところですが、茶目っ気がありすぎるのが困ったところでもあります。とても長生きされているので、普通に椅子に座っているだけというのも退屈なのでし
ょう。また女性が好き過ぎて、そこも困ったところです。神話の本にも神のそういうところが書かれてますが、重要なことは、大神アシュランはこの世界にとっては光の大きな柱。
人々の信仰はその柱を支える力になるということなんです。人々の信仰が薄れれば神の力も薄れます。神の力が弱くなれば世界のバランスが崩れ、それは災いとなって人間に降りかかります。
ですから信仰は大事なのです。どうかそのことを忘れないでください」
３人とも「はい」と返事をしていた。
「神々は大昔からこの世に存在していますが、それぞれが光の柱を支える役割を担っています。人々の祈りはそれを支える力になります。個々の力は小さいものでも、それが集まれば、
神々の力が増すほどの力になるのですよ。この国ではジンラ様が身近な神様でしょうから、お酒を飲む時にでも、ジンラ様に祈りを捧げてみてください」
「はい！」
３人とも元気よく返事をした。
「今日は神話の本を持ってきました。神話の本は多数出ていますが、この本が一番単純でわかりやすいですから」
クーガは金の装丁がついた本をテーブルに置いた。
「ありがとうございます」
「ここに来る前、この国の教会に寄ってきたんですよ。王妃様は大変国民に愛されている方だと伺いました。いつも国民のために努力している方だと。以前、女神が体を借りられたそうですね。
王妃様の魂が清いから、女神も体を借りたいと思ったのでしょうね」
「いえ、私はそんなに清くはないですが……」
見るからに清らかそうな男の人にそう言われるのも微妙である。
「クーガ様は教会では普段どんな話をされてるんですか？」
ラギが聞いた。
「いろいろな話をしますよ。かしこまった話ばかりでは退屈ですからね。普段神に会えない方達に、神が身近に感じるような話をしています。どんな神の話を聞きたいですか？」
「え、と……だれがいいかな？」
ラギがシスに聞いた。
「うーん、迷うね」
「ではハロルド様の面白い話でもしましょうか」
ゆりはつい目を見開いていた。
「これはかなり昔のお話ですが、ある日のこと、ハロルド様が人間界にやってきた時のことです。その日、人間界の綺麗な泉を見たハロルド様は、つい水浴したくなりまして、泉に入りました。
水浴中はもちろん裸だったわけですが、泉からあがろうとして、あることに気づいたのです。何に気づいたのだと思いますか？」
「体を拭くタオルがなかった？」
ゆりが聞いた。
「そうですね。タオルの準備もなかったかもしれませんが」
クーガは少し笑っている。
「はい！ 服が消えていた」
ラギが手をあげて言った。
「そうなんです。服が一式消えていたのです。周りを探したハロルド様は、少し離れた所にいた女性が自分の服を持っているのに気づいて近づいていきました。ハロルド様が『服を返せ』
というと、その女性は『返してほしかったら結婚してください』と言ったんです。その女性、ハロルド様を見て好意を持ってしまったんです。ハロルド様は、『私は神だから人間とは結婚できない』
とおっしゃったんですが、彼女はあきらめません。ハロルド様は強引に服を奪うこともできたのでしょうが、裸のまま神の国に帰って行きました」
裸のままー！
ゆりは想像してつい、笑いそうになっていた。
「彼女はその後恋人を作ってそのハロルド様の服を恋人に贈ったのです。するとその恋人は、その服を着ている時だけ力があがりました。きっとハロルド様が着ていた影響なのでしょう。
やがてその彼は、その力を自分の力のように錯覚してしまうようになり、なんということか、彼女を捨てて、もっと強い女性に乗り換えたのです。そこにハロルド様が現れました。ハロルド様は
『男に贈った服を燃やせば、男の力は元に戻るだろう』と彼女に言います。彼女は迷いますが、結局男の服を燃やすことはしませんでした。彼女は、『ハロルド様の服を燃やすなんてできない』
そう思ったんです。服を盗んでおきながらおかしな話ですがね。ハロルド様は自分で男から服を奪い返し、男の力は元に戻りました。彼女は男と再び恋人になることはありませんでしたが、
ハロルド様にあの時服を盗んでしまったことを謝り、ハロルド様は彼女の謝罪を受け入れて、彼女が将来産むであろう子供に贈り物をすると約束し、去って行きました。彼女は数年後に
子供を産み、ハロルド様は約束を守って彼女の子供に何かしらの力を与えたとのことです」
黙って聞いていたゆりと子供達だったが、やがてシスが口を開いた。
「ハロルド様、服を盗られても怒らなかったんですね。優しい神様なんですね」
「そうね。彼女も神様の服を盗っても燃やすことはしなかったんだ。彼女も悪い人じゃなかったのよね。神様はそれに気づいたのね」
「そうです」
「いい話ですね」
「そうですね」
今日の話はこれくらいで終わりのようだった。神様のこういう話なら楽しそうだ、とゆりも子供達も思った。
「では賛美歌第３番を歌いましょう」
「はい」
シスとラギは返事をしている。
ゆりは賛美歌は聴いたことがあるが歌ったことはなかったので３人の歌を聴いていた。神々をたたえる歌である。クーガはなかなか良い声だった。
「そうだ、来月はせっかくだから王妃様に竪琴で伴奏していただききましょう。賛美歌４番をお願いします」
「は、はい」
別れ際、クーガはゆりに、
「ではまた来ます」
と言って去って行った。結局部屋にいたのは一時間ほどだった。
（意外に楽しい話だったけど、あれだけのために聖地から来ていただいていいのかしら？）
とゆりは思った。いくら瞬間移動ができるとはいえ、それなりの魔力も使うだろうにと思ったのだ。
（第一、私の竪琴の話なんてだれに聞いたんだろう？）
そこはまだ謎のままだった。
「楽しいお話だったね」
シスが言った。
「お母さんだったら、ハロルド様の服、燃やしちゃう？」
ラギがゆりに聞いた。ゆりは、
「私だったら？ ……第一服は盗まないと思う。神様の水浴みて、『あーいい体を見られてわー』って喜んで終わりかな。そこで裸の男に結婚を迫るってのもすごい。せめてズボンは返そうよ」
などと言っていた。
「ところで、賛美歌４番ってどんな歌？」
「お母さん賛美歌全然知らないんだね」
先ほどゆりは全く歌ってなかったので、ラギはそう気づいたようだ。
「だって、あれって教会で歌う歌でしょ？ 私はあんまり教会にいけないもん。４番歌ってみて。ほら」
ゆりは指揮者が棒を振るように指で仕草をし、ラギとシスが歌い出した。
「太陽が昇り、一日が始まる 光に満ちた世界に感謝しよう
農作物はすくすくと育ち、豊かな水は我らを潤す 神々の恵みは我らを生かす
さあ、今日もまっすぐ前を向き、最初の一歩を踏み出そう〜♪」
「案外短いのね。よかった。これならなんとか弾けそう」
ゆりはほっとしていた。
「ちなみにいろんな神々を讃える歌ってのもあるよ。酒場ではよくジンラ様を讃える歌が歌われてるみたいだよ」
ラギが言った。
「歌ってみて」
「今日も飲める、飲める飲める、酒が飲めるぞ。兄弟達よ、乾杯しよう。酒の神に祈りを捧げよう！ 仕事でどんなに疲れても、酒があれば疲れもふっとぶ〜乾杯♪」
二人は乾杯の仕草をしていた。
「いいわね。楽しそう」
ゆりの部屋にはその後ミカエルやヴィラがやってきて、「神官に怒られなかったですか？」と聞かれた。
「なぜみんな私が怒られると思うの？」
「王妃は神様と一番接しているくせにいまいちよくわかっていないことがありますからね」
とヴィラ。
「怒られてないわよーだ」
「ムラムラもしてないでしょうね」
とミカエル。
「しません」
続いてハインリヒもやってきた。ドルイドのことがあってから、ゆりはどうもハインリヒの顔を見るのが気まずい。
「遺跡の跡、ちゃくちゃくと綺麗になってますよ。王妃は夢でアナスターシャ様に会った時、遺跡のことは何も聞いてないんですよね？」
「ごめんなさい。すっかり忘れてました」
「ディランがあの手紙を見てから、何か進展はあったのかなあ？」
ハインリヒは首をかしげている。
「過去で謎がとけていたら、今あの遺跡には何もないんじゃないのか？」
ミカエルが聞いた。
「それはまあ、そうなんですがねえ」
「そうだ。せっかくだから３人でジンラ様を讃える歌を歌ってみて。酒が飲めるぞーってやつ」
「今日も飲める、飲める飲める、酒が飲めるぞ。兄弟達よ、乾杯しよう。酒の神に祈りを捧げよう！ 仕事でどんなに疲れても、酒があれば疲れもふっとぶ〜乾杯♪」
３人そろって歌っていた。やはりポピュラーな歌らしい。
「さっき神官さんが賛美歌を歌ってくれたの。私はこの世界に来て長いのに全然聞いたことなかった」
「主に教会で歌う歌ですからね。私も教会以外ではあまり聞いたことがないですよ」
とミカエル。
「賛美歌は全世界共通の物と、その国独自のものがあるんですよ。ちなみに龍の国では、ハロルド様を讃える歌は１００番くらいあるらしいですよ」
ヴィラの言葉にゆりは「げっ１００番？ すごい」と言っていた。
「ハロルド様の筋肉を讃える歌とかありそう」
「ところで王妃、昨日も神様が来たでしょ」
ミカエルが突然指摘してきて、ゆりは「え？」と驚いていた。
「な、なんでそう思うの？」
ゆりはそれとなくヴィラの後ろに隠れながら聞いた。
「王妃の寝室、すごくいい匂いだってミシェイラ様が言ってましたよ。もー王妃のエッチ」
「えー」
朝、ゆりがベッドでぼーとしていると、ミシェイラとレーヌがやってきたのだった。ミシェイラは「いい匂いがする」と確かに言っていた。
「いい匂いってことはラーズ様か。どれだけ王妃が好きなんだか」
ハインリヒはあきれ顔である。すっかりラーズはいい匂いという印象が定着しているようだ。
「神様とばっかり遊んでたらいじけますからね」
ミカエルは横目で言っていた。
「ごめんなさい。つい出来心で」
ゆりはヴィラの後ろで謝っていた。
「ってことは、続いてハロルド様もやってきそうだな。せっかくだからハロルド様の筋肉を讃える歌を王妃が作って歌ってあげたらどうですか？」
ハインリヒが言った。
「いや、遠慮します。そんなに怒らないでよ。みんなのことも好きなんだからー……あ、やばい。眠い」
ゆりはふらふらっとしてきたので、ヴィラがあわててゆりを抱っこしていた。
「おっと。相変わらずいきなり寝ますね」
ヴィラがゆりを寝室に連れて行こうとした時、ゆりの背中から下にもやっとしたものが出て、床に降りた。
「あ」
「おっ」
「おー！」
それは子供の形をしていたので、男達は声をあげていた。
「赤ちゃんだ」
「かわいいですねえ」
ヴィラはゆりを寝室のベッドで寝かせて、男達と一緒に赤ん坊を観察した。
―トートー
「トーって呼んでくれた。うれしい！」
ミカエルは喜んで赤ちゃんと手をつないでいる。
―トーダッコ
「よしよし」
ミカエルは赤ちゃんをだっこし、ハインリヒが手を出してきたので次にハインリヒがだっこした。
―トースキ
「私も好きですよ。王妃の代わりにフォローしに出てきたのかな？ できた赤ちゃんだな」
ハインリヒは笑っている。
赤ちゃんはヴィラの腕に移った。
「シス様達も呼んであげよう」
ヴィラはシス達に思念をまわしている。
赤ん坊は男達と手をつないでみたり、くるくるまわしてもらったりしてうれしそうだった。
「実体はないが、変な感じだな。手をつないでいるような、つないでいないような」
白いもやっぽい赤ちゃんは、なんだか変な感触である。
ナナミ、シス、ラギ、ロイと一緒にカールがやってきた。
「私もいいですか？」
カールが遠慮がちに聞いた。
「わあ、赤ちゃんだ。かわいい！」
ナナミが声をあげた。
「おいでー弟よ」
ロイが赤ちゃんをダッコした。
「妹かもしれないでしょ」
とナナミ。
「妹はもう二人もいるんだよ。弟に決まってるよ」
「まだ決まってないもんね」
二人が言い合っている間に、赤ちゃんはシスとラギの腕を巡っていた。
「かわいいね」
「さっきトーって言ってくれたんですよ」
ミカエルがうれしそうに言った。
「僕はニーだよ。ニー」
―ニー
「やった！」
「私もいいですかあ？」
カールが聞いた。
「いいよー」
ラギはカールに赤ちゃんを渡した。
「うわあ。不思議な感触だ」
―トー？
「ん？」
「赤ちゃん、カールはトーじゃないんですよー」
やばいと思ったのか、ミカエルは即座に言って赤ちゃんを受け取った。
「さ、帰りましょう帰りましょう」
ミカエルはさっさと赤ちゃんを寝室に連れて行った。
「カール、何か困ってることはないか？」
ハインリヒがカールに聞いた。
「いえ、特にはないですよ。楽しくやってます」
「そうかい？ 何かあったら言って」
「はい」
「お母さんが、カールの顔見ないって言ってたよ」
ラギがカールに言った。
「王妃様に会うのが恥ずかしくて……それでは私はこれで」
カールは去って行った。
「カールの蛇って、やっぱりへびっちに似てるよね」
シスがラギに言った。
「そうだね。そういや、へびっちはどうしてるんだろう？」
とラギ。
「ジュノーの体でたまに動いてるみたいですよ。ジュノーの夢でたまに出てくるみたいですよ」
ヴィラが言った。
「そうなんだ。早く人になったへびっちに会いたいなあ」
「そうだね」
「あー王妃がカールに手を出すんじゃないかと心配だー」
寝室から戻ってきたミカエルは苦い表情である。
「ただでさえ恋人関係が複雑になってるのに」
「いいじゃん。お母さんのお気に入りはミカエルだし」
ラギが笑っている。
「あ、そうだ。最近フリットが不気味で怖いんだけど、何かあった？」
ロイが聞いた。
その夜のことである。
眠っていたカールは、微香で鼻がむずむずして目を覚ました。
いい匂いがする、と思ったら、横にだれがが寝ている。
（え？！ いつの間に！？）
目の前に見えたのは黒髪だった。
（え？ えーーーーー？）
横にいつの間にか黒髪の女性が背中を向けて眠っている。カールは体を起こして、そろそろとその女性の顔を見た。ゆりである。
（やっぱり王妃様だ！ どうしてここで寝ているんだろう？）
カールにはさっぱりわからない。すると、何かが膝にのってきて、カールは「うわっ！」とのけぞっていた。膝に乗っているのは子供の形をした白いもやである。
「王妃様の赤ちゃんじゃないですか」
カールはゆりが寝ていたので小さい声で言った。
―トートー
「えーと……なんて返したらいいんだろう。トーってお父さんってことですよね」
―トーイッパイ、ヘビイッパイ
「はあ」
―トーニナリナサイ
（なんか命令された。なんて答えればいいんだろう？）
「えーえーっと……」
カールが戸惑っていると、赤ちゃんは両手をばたばたさせていた。
―トーニナルノ！ マーニヒッツキヘビイッパイヘビイッパイ！ ワカッタ？
「えーと、わ、わかりました」
カールはよくわかっていなかったが、とりあえずそう答えた。
赤ちゃんは満足したのか消えてしまった。
「……これからどうしよう」
カールは正座をしてゆりを見下ろしていた。ゆりはぐっすり寝たままである。
（気づかなかったふりをしてこのまま横で寝るか、いや、眠れるわけないし、私が他の場所で寝るか？ うーん……そうだ。王妃様を寝室に運ぶ手もあるか。そうしようかな？）
どうもゆりは自分の意思というよりは、無意識にここに来てしまっているようなので、そっと寝室に返す方法もありかと思ったのだった。
（もしかしたら、赤ちゃんが王妃様をここに連れてきたのかも？ よくわからないが……）
カールは寝間着姿だったが、そのままゆりを抱き上げて、ゆりを寝室に連れて行ってベッドで寝かせて、ちゃんと首まで布団をかけてから去って行った。
次の日の朝、ゆりは知らない間にカールの部屋に移動していたことなどまるで気づかなかった。
「今日は竪琴の練習をしよう。侍女さん、賛美歌は知ってるかなあ？」
などと、来月のことに気を取られていた。
そしてドキドキの夜を過ごしたカールは、ハインリヒの部屋を訪ねていた。ハインリヒは食事を食べて支度をしていたところだった。
「あの、おはようございます。ちょっと相談があるんですが」
「いいよ。どうぞ」
ハインリヒはカールを部屋に入れた。
「あのー、王妃様の赤ちゃんのトーになるにはどうしたらいいでしょうか？」
カールは真面目な顔でそう聞いて、
「は……は？」
ハインリヒを唖然とさせたのだった。
つづく
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