第１９話
目の前に黄金の巻き毛の光り輝く女神がいた。
「ガーベラ、女に戻ったんだな。よかった」
ガーベラを見たオルガは喜んでいる。
二人は両手を握り合った。
「オルガ、ここで問題よ。今の私の中身はガーベラでしょうか。それとも人間でしょうか？」
「え？」
「どっちだ〜」
ガーベラはにこにこしながらオルガに聞いている。
「ガーベラだろう」
「本当にそうかしら」
「ガーベラ……じゃないのか？」
「どっちだーどっちだー」
（人間がこんなに堂々と神のフリができるものだろうか）
とオルガは思ったが、今まで全く気がつかなかったのだから、自信がない。
「うーん、うーん、もしかして、人間……いや、やっぱり本物のガーベラだと思うが……だが万が一ということも……うーんうーん」
オルガはどちらの確信ももてなかった。
「はっ！」
オルガは目を開いていた。どうやら夢をみたようである。長年の恋人であるガーベラは、時々人間の女性に体を貸していたというのである。しかも、オルガはそのことに全く気がつかなかった。
話によれば、そのガーベラはオルガとはあまり接触していなかったようであるから、きっとそのせいだろう。
人間のガーベラには、ハロルドやラーズ、グレンまで好意を持っている。
「人間の分際で神のふりをしていたなんて！」と怒る者はいなかったようだ。ハロルドに至っては子供を産んでくれたのが彼女の時らしいので、好意を持ってしまうのも無理はない。
（私は彼女がガーベラの時、何度くらい会ったんだろう。うーん……そして女に戻ったガーベラは、私との会話を覚えているのだろうか？）
ガーベラにまた聞くのも怖い気がするので、聞いてはいなかった。
いろいろ考えていると眠れなかったオルガは、かなり早かったが起きることにした。
神の国は夕方である。
「サラディンにでも会いに行くか」
オルガは神殿を出て行った。
火の神殿の前には荷馬車が止まっていた。真っ黒なたてがみの馬が二頭つながっている。荷馬車に座っているのはアマンザだった。
「オルガ様こんにちは」
「やあ、酒でも持ってきたのか？」
「そうですよ。お父さんも中にいますよ」
「そうか」
オルガは火の神殿の中に入っていった。
広間にはサラディンの他にジンラもいた。
「お、今日は早いじゃないか。ちょうどいい所にきたな。乾杯しよう」
サラディンがオルガの顔を見て言った。良いことでもあった顔付きである。
「何に乾杯だ？」
「もちろん、ガーベラが元に戻った乾杯だ」
サラディンが杯に酒を注ぎつつ言った。
「ガーベラが元に戻ったのはもう３日も前だが」
「いいじゃないか。男のままだったらどうしようと本気で心配していたんだ」
サラディンはオルガに杯を渡して、３人は杯を軽く合わせて乾杯したのだった。
「本当によかった」
サラディンは心底喜んでいるようだ。
「クーリーフンが元に戻って、アマンザがすごくほっとしている。ガーベラの妖精、シャリィも男になってたようだからな。ラメーンもほっとしているんだろうな」
ジンラが言った。
「サラディンは男のガーベラに会ったのか？」
オルガがサラディンに聞いた。
「会った。驚いたが、ルティアナが騒ぎまくってうるさかった。女達はがっかりしてるんじゃないか？」
「がっかりしてるだろうなあ」
「まあ、元に戻っただけだ」
「そうだな」
３人はしみじみとした面持ちで酒を飲んだのだった。ジンラが「それじゃあ」と行こうとしたので、オルガも一緒に出て行くことにした。
「用があってここに来たんじゃないのか？」
ジンラが聞いた。
「早い時間に目覚めてしまったのでちょっとよってみただけだ。実はジンラに聞きたい事があって……」
「じゃあ神殿に来るか？」
「ああ」
ジンラはアマンザはそのまま荷馬車で帰らせて、そのままオルガと共にジンラの神殿へと移動した。ジンラは各神殿を移動する力がある。
ジンラの神殿について後、「酒ごと移動すればいいんじゃないか？」とオルガがジンラに聞いた。
「馬車も好きだ。ゆっくり地上を移動するのもいいものだ」
「そうか」
「それで聞きたいこととはなんだ？」
ジンラは部屋に入って後、再び酒を杯に注いでいた。
「実は、ガーベラのことなんだが……最近、ちょっとおかしい感じはなかったか？」
「おかしな感じ？ 男になってた以外でか？」
「そう、それ以外にだ。変なことを聞いてすまんな。気にしないでくれ」
（ジンラならば人間が入ったガーベラと何度か会ったかもしれない）
オルガはそう思ったのだった。ジンラはガーベラの中身が違うことに違和感を抱いたのかどうか。
「もしかして、別ガーベラのことを言ってるのか？」
「え？ 別ガーベラ？」
オルガは目をぱちくりさせていた。
「たまにガーベラの人格がちょっと変わったような気がすることを言ってるんだろ？」
「そ、それ、それだ」
やはりジンラは気づいていたらしいとオルガはどきっとしていた。
「かわいいだろ。別ガーベラ」
「かわいい？ ジンラはそっちのガーベラも好きか」
「好きだ。オルガは別ガーベラと仲良くなったのか？」
「え、いや……なんで人格がちょっと変わるんだ？ とはガーベラに聞いたか？」
オルガはおそるおそる聞いた。
「いや、ガーベラには聞いていない。アマンザはたいしたことじゃないと言うし、まあ、たいしたことじゃないのかも。ガーベラが時々新鮮になるくらいだし」
「アマンザも知ってるのか」
「アマンザが産まれた時のガーベラは別のガーベラだったんだ。その時はさっぱり気づかなかったが。ライラが産まれた時もそうだ。だから私にすれば、別のガーベラは
ありがたいガーベラなのかもな」
「そうか……」
ジンラはガーベラの中身が人間だったとまでは気づいてはいないようだったので、オルガはほっとしたような、拍子抜けしたような、奇妙な感覚を味わっていたのだった。
「ガーベラが女に戻ったからまた会えるかな？」
ジンラは別のガーベラに会いたそうである。
（もし中身が彼女だと知ったらどうなるんだろう？）
オルガは想像してみた。
（ジンラもあっちに会いに行ったりして。そして私は、彼女がガーベラになってやってきたとき、彼女のことをどう思うんだろう。なんだか怖くなってきた）
自分も別のガーベラが好きになったら一体どうなるのか、ラーズのように人間の彼女も好きになってしまうのか、ならないのか、などと想像し、（あそこにどれだけ神が集まるんだ？）
とひそかに苦笑したりもしたのだった。
さて、神の国違う場所では、黄金の毛並みの犬がクーリーフンの元にやってきていた。
「ワンワン！」
「すっかり大きくなったね」
クーリーフンが犬の頭をなでなですると、犬は気持ち良さそうに目を細めていた。ここは虹の神殿である。犬はクーリーフンを探してここまで来たようだ。
「ラーズ、犬が喜ぶ食べもの、何か持ってない？」
クーリーフンは、犬の首にまかれている布を外した。布にくるまれていたのは巻き貝である。
「ないなあ」
神殿にいたラーズが言った。
「ごめんね。何もないや」
犬はたっと走って行ってしまった。
「だれからの伝言だ？」
ラーズが聞いた。
「ハロルドの予感……」
クーリーフンは耳に巻き貝をあてた。やはり声の主はハロルドである。
「蛇の国の王妃様の子供に顔を見せてやってほしいって。この前約束したらしいよ。あ、そういえば、最近ここに来たんだよね。僕は女だったから、会わなかったんだ」
「そんなことがあったのか。知らなかった」
「ハロルドが遊んであげたらしいよ。意外だよね」
「彼女の気を引くためだろーあ、そうだ。数日前、彼女のところでグレンに会ってさ、おまけにオルガまでやってきて、ついにオルガにもばれたよ」
ラーズがさらっと言い、クーリーフンは目をまん丸くしていた。
「オルガにばれたの？」
「そう。一晩に３人の神が集合だよ。あの場所すごいよな」
「それでオルガの反応は？」
「驚いていたが、怒るとかは別に。オルガはあまり彼女に会ってなかったようだし」
「そうだね。とうとう半分以上にばれちゃったか。これで知らないのはサントスにラクアにサラディンだけだ。ジンラは、中身が彼女とまでは知らないか」
「ラクアにばれたらやばいと思う」
「ま、最終的には大丈夫なんじゃない？ 一時怒ったって、彼女は人間だからいずれいなくなってしまう。神の長い生では、短い間の出来事だよ。それにラクアが溺愛する子供達だって、
彼女の時にできたんだし」
「ニイニもそうだよな。ま、最終的には大丈夫かな。しかし後２００年も彼女はいないのか。それを考えるとせつないねえ。彼女はおばあちゃんになってもガーベラになれるのかなあ。
そして私は、おばあちゃんの彼女も好きって言えるのか。神の愛が試される瞬間が来るな」
ラーズは一人でぶつぶつ言っている。
「気楽に考えればいいんじゃない？ じゃあ僕は人間界に行こうかな。神殿にも顔を出さなきゃ。じゃあね」
クーリーフンは去って行った。
人間界では、ゆりは数日ぼんやりしている。
男のガーベラがかなりの衝撃だったようだ。
グレンからの贈り物のおかげで、ゆりの体調は結構回復していた。ラギはその液体の残りをなめてみたが、中身が何かはわからなかった。苦い味がしたので薬草か何かを配合した
ようである。聖地で売っているもののようだが、結構高かったのかもしれない。
「僕らもグレン様にまた会いたかったよ」
ラギとシスはグレンに会えなくて残念がっていた。その上ラーズにオルガまで来たとはゆりも言ってない。
「それで、なんでグレン様が回復薬をくれたの？ 自分でわざわざ持ってくるなんて」
「そうだよね。グレン様も母様のことがすごく好きになったんじゃない？」
「神様３人目か。すごいね」
「そのうち神様数人で儀式ができるね」
ナナミはこんなことまで言っていた。
神様数人で儀式、考えただけでぞっとする話である。
「神様に愛されまくった女として歴史に残るね」
ラギが言った。
「だから歴史に残りたくないって」
「いろいろ歴史を更新できてすごいなあ」
シスはゆりに感心していた。
「そろそろジンラ様も登場させてよ」
「そうだよね。酒の国なんだからジンラ様が来ないとねえ」
「五人目はサラディン様でいいから」
子供達は言いたい放題だった。
（グレンの贈り物もうれしかったし、あの夜はオルガにばれたりしてドキドキだったけど、極めつけがあのガーベラ様！ 胸キュンキュンしまくりのすごい神様だったわー
チューされただけで幸せだわ！）
一番印象深かったのは男のガーベラである。それを思い出すとゆりは興奮したりぼんやりしたりである。
（会いに来てくれたことがうれしい！）
夕食後部屋でぼんやりしていたらぬっと壁をすり抜けてクーリーフンがやってきたのでゆりは驚いた。
「わっクーリーフン、男に戻ったのね、ってことは、ガーベラ様も女に戻っちゃったのかあ。残念」
「男のお母さんに会ったの？」
「うん！！ 会いに来てくれたの！」
ゆりはうれしそうに言った。
「そう。よかったね。君の子供達に顔を見せにきたんだ。聖地に行ってたらこんな時間になっちゃった。ちょっと竪琴を貸してくれる？」
「うん。竪琴弾くの？ 私も聞きたい！ みんなに聞かせてあげて」
「いいよー」
ゆりが子供達に知らせると、子供達はすっ飛んできた。
「クーだあ！！」
「クーだ！」
ミシェイラとレーヌはクーリーフンの顔を見て大喜びした。
「やあかわいい僕の信者さん、この前来てくれたのに会えなかったから来たんだよ」
クーリーフンはミシェイラの頭をなでなでした。
「ハロ様に言われてきたんじゃないの？」
「ん？ まあそうだよ」
「ハロ様約束を守ってくれたんだ」
「ハロ様……」
「二人ともハロルドの信者になったんだって」
ゆりが言った。
「そうなんだ」
「でも一番はクーの信者よ」
とミシェイラは胸を張っている。
「ありがとう」
「あ、クーリーフンだ。どうしたの？」
他の子供達もやってきた。
「ミーに会いに来てくれたの！」
「クーリーフンが竪琴を弾いてくれるんだって」
「わーい！」
子供達の他に、侍女達もゆりの部屋に集まってきた。子供達は初めてクーリーフンの竪琴を聴いて感動していた。侍女達もみんな頬は真っ赤っかである。
３曲ほど奏でて、クーリーフンは子供達の頭をなでて去って行った。
「やっぱりクーが一番ステキ！」
「レーちゃんは、トーの信者で、クーの信者で、ハロ様の信者」
レーヌもうれしそうである。
（ハロルドが３番目になってる！）
ゆりはついぷっと笑っていた。
「それにしても、お母さんが奏でる竪琴と同じとはとうてい思えないなあ。弾く人によってこんなに違うなんて」
ラギは竪琴を眺めて言っている。
「別の楽器みたいだよね」
「うん」
ナナミとロイも賛同していた。
「相手は神様だから気にしないもんねー」
ゆりは開き直っている。
「幸せですわーありがとうございます」
侍女達は、ゆりにお礼を言って去って行った。
「お母さん、今晩は他に誰か来る予定ある？」
ラギがゆりに聞いた。
「ないわよ」
「来るなら教えてよね。僕もいろんな神様に会いたい」
「そうそう来ないから大丈夫よ」
「どうだかねえ」
ラギは怪しんでいる。
ミシェイラとレーヌは大興奮したまま、ラクシュミに報告していた。ラクシュミは「よかったな」と返している。
「今度ハロ様に会ったらお礼いおうね」
「いおうね」
といいつつ二人は去って行った。
夜が更けて、その日、ゆりは久しぶりにガーベラになることができた。目の前には水色の髪の男が寝ていて、ゆりはびっくり仰天した。
ラクアである。
ゆりが急に動いたのでラクアが目を開けていた。
「あの、私そろそろ行こうかな」
「行くの？ じゃあね」
ラクアはゆりの頬にちゅっとキスした。熱烈タイムは終わっていたようである。
「じゃあまたね」
ゆりはいそいそと服を着て、神殿を出た。神の国は夜である。神殿の外にある湖には、上が欠けた三日月が映っていた。
「すてきな夜ね。約束だから、やっぱりオルガかな。それにしても……この姿がああなったなんて想像できないわ」
ゆりはガーベラの胸を見て、ちょっと残念そうに思っていた。あのガーベラ様には二度と会えないかも知れない。
「まあ、しょうがないか。オルガはいるかなあ。空を飛んでないといいけれど」
ゆりはオルガの元に飛んだ。
その頃オルガは目を覚ましていたが、ベッドで寝転んでいた。そこに女神ガーベラがひょっこりやってきたのだった。
「よかった。オルガ、まだ神殿にいたのね」
「ああ、ガーベラ」
オルガは体を起こした。
「今日は出かける気になれなくてな」
「そうなの」
ガーベラはちょっと近づいてきて、オルガの様子をうかがうように見ている。
「どうしたんだ？」
「えーと……あの、私、約束したから来ました」
「ん？」
「オルガ様……」
「え？ あ……もしかして……」
「はい、そうです」
オルガは口をぽかんと開けていた。
「さっぱり分からなかった」
「ごめんなさい。いろいろと」
「まあ、こっちに座ってくれ」
「はい」
ゆりはオルガの横にかしこまって座っていた。
オルガはじーとゆりを眺めている。ゆりの方は、ちょっと気まずそうな顔付きだったが微笑んでいた。
「うーん、さっぱりわからない。たいしたものだな」
「すいません」
「いつもはガーベラになりきってるんだろう？」
「そうです。私はガーベラだという気持ちです」
「じゃあ、このままずっと君といると、私も人間界に行ってしまうのか？」
「そうですねえ。ひっついていると行ってしまいますね。きっと」
（試しててみたい気がする）
オルガはそう思ってしまいはっとした。
（何を言ってるんだ私は。だが本当に飛ぶのか試してみたい）
その好奇心が抑えきれない。
「行ってみたい」
オルガはついに言った。
「え……でも、あっちに行くということはですね、また私は寝起きの素顔を見られるということなんで、あまり連れて行きたくないです」
ゆりは尻込みしている。
「かまわない。今更」
「今更といわれましても……」
「調子が狂うからガーベラらしく話していい」
「そうですかあ？ なるべくあっちには連れて行きたくないの。それに、まだ時間はかなりあるから」
「本当に、私とはあまり接触してないのか？ 愛し合ったリってことはなかったのか？」
「え？ そこまではないわよ」
「全然ないのか？」
「そりゃちょっとはあるわよ。私恋人全員に会ってるから。ガーベラは恋人全員愛してるでしょ。愛が偏ってはいけないと思って、私もいろんな恋人に会ってたし、でも
全員といちゃいちゃしまくってはないの。最初の頃は、神の国を歩き回ったりして遊んでたから。ラーズと仲良くなったのもしばらくたってからだし、グレンはつい最近だし」
「ジンラは？」
「ジンラは最初の頃成り行きでそうなったんだけど、しばらくは何もなくて、また最近仲良くなっちゃった」
「サラディンは？」
「サラディンは、最近、子供が産まれそうな兆候を感じて、そうなったの。それまでは火の神殿のお風呂が大好きで、お風呂に入りに行ってたの」
「お風呂……なるほど……」
熱い風呂が好きなのはこちらのガーベラだったようだ、とオルガは納得した。
「オルガは本当に怒ってない？」
「私と何もしてないんじゃ怒りようもない。それにみんな子供が産まれて喜んでるくらいだしな」
「実は……オルガとちょっとだけ何かあったの」
ゆりが遠慮がちに言った。
「ちょっと？」
「ガーベラの神殿でオルガに会って、オルガに誘われたんだけど、その時はまだガーベラに悪いと思っていたから、それとなくやりすごしたの。その、口づけしまくって」
「そうなのか」
オルガは普通の意味にとっていた。
「うん。それくらいかな。オルガは、そんなに私のこと気にしなくてもいいと思う」
「そう言われても知ってしまった以上は気になる。それにどうしても人間界に飛んでみたい」
「どうしても？」
「どうしても」
「じゃあ、手をつないで寝る？」
ゆりは手を出した。
二人は手をつないで寝ることにした。人間界でゆりが目覚めるまで。
「オルガの歌が聴きたいな。とっても良い声なんだもの」
「私はガーベラにもあまり歌ったことはない。子供にしか」
「巻き貝をありがとう。レーヌとっても喜んでた」
「レーヌは何度か私に会いに来たんで、私も困ったぞ」
「そうなの？」
「それで巻き貝を渡すことにしたんだ。あの子は特殊な環境で育ったせいか、道を見つけるのがうまい」
「道？」
「そういう力を持った子供がたまにいる。大人になると消えて行く力だが、こちらが導かずとも、自分で道を探して来てしまうんだ。ちゃんと帰ることができるならいいんだが。
神の国には無垢な子供しか入り込めないようになっている。大人になると邪気が多いからな。その意味で、ガーベラの行動に疑問を持ったんだが、横にいる君は自然に
ガーベラのようにも見える。神が数人気に入るだけあって特殊な人間だ」
「ガーベラと同じで愛が多いんです。だからそのせいですよ」
「愛が多い……か」
オルガはふと、ゆりの夫のことを思った。最初の頃の自分のように、愛が多い妻に苦悩したのだろうか、と。
（相手に神まででてきたんじゃ、もう笑うしかない状況かもしれないが……）
「ま、争っていないのならよかった。普通は愛憎劇があるもんだが。それがないからガーベラになれてるのかもな」
オルガがゆりを見ると、ゆりは目を閉じていた。なんと寝てしまったようである。やはり並の精神力ではない。
「ふったいした人だ」
オルガは手を握ったまま笑っていた。
人間界では早朝、シスの部屋にラギがやってきた。
ラギはシスを起こしている。
「もう朝？」
「まだ早いんだけど、お母さんのところに行かない？」
「どうして？」
「今日は誰か神が来ている気がする」
「ほんと？」
シスは目をぱっちり開けた。
「僕の予感。神が一人くると、続けてもう一人くること、今まであったじゃない」
「あったっけ？」
「とにかくこっそり行こうよ」
「恋人がだれかいるかもよ」
「いたらすぐ帰ればいいじゃない。お願い一緒に来て」
「ま、いいけど」
二人はこっそりゆりの寝室に行くことにした。ゆりの寝室では、ゆりが寝ているだけだった。
―ちょっと待ってみよう
―うん
二人は寝室の隅っこに座り込み、待ってみることにしたのだった。
それから一時間、二人が座り込んだままうとうとしはじめた時、ゆりの横に黒い塊が現れた。ラギはそれに気づいてぎょっとし、シスを小突いた。
「あっ」
シスはあわてて口を閉ざした。
―オルガ様？
―オルガ様だ！
二人は座り込んだままドキドキしながらベッドを見つめている。
やがてゆりが目を覚ました。
「わっ」
寝起きのゆりも驚いている。ゆりの声でオルガが目を覚ました。
「すごいな。本当に来てしまうとは……」
オルガはゆりを見て、ベッドの向こうに座り込んでいる子供達に目を向けた。ゆりもオルガの視線をたどり、「げっ」と声をあげていた。
「なんでいるの？」
「予感があたったね」
「僕達どうしても神様に会いたくて、おはようございます。オルガ様」
「おはようございます」
二人は立ち上がり、オルガに挨拶をしていた。
「おはよう」
オルガは仕方なしといった感じに挨拶を返している。
「それじゃ、騒ぎにならないうちに帰る」
「レーヌには会わないんですか？」
ラギが聞いた。
「今日はいい。それじゃ」
「さようなら」
「さようなら」
ゆりと子供達は別れの挨拶をし、オルガは黒衣を翻し、壁をすり抜けて行ってしまった。
「ちょ、ちょっと、なんでいたの！」
ゆりはオルガが去るとくるりと向きを変えた。
「神様が来るような予感がして」
とラギが答えた。
「やっぱり、神様が一人来ると、二人目も来る法則があるんだ」
「そんな法則ないわよ！」
ゆりは命いっぱい否定していた。
「オルガ様とも仲良くなったの？」
シスがキラキラした目を向けてきた。
「なってない。人間界に飛んでみたいって言われて、実験してみただけよ」
「そうなんだ」
「ジンラ様を飛ばさないでよ。この国は酒の国なんだから、ジンラ様をもっと優先してよ」
とラギ。
「うるさい！ オルガが来たことは内緒よ。レーヌにも内緒。いいわね！」
「わかった」
「わかったよ」
ゆりは子供達を寝室から追い出した。
「あーびっくりしたーでも、穏便にすんでよかったー」
ゆりは胸をなでおろしたのだった。
一方、神の国に帰ったオルガは、本当に人間界に飛んだことにまだ驚いている。
（事情を知らないサラディンは、さらにびっくりしただろうなあ）
などと思いながら。
神の国は朝日が昇る頃だった。
オルガは気が向いたのか、ハロルドの神殿へ向かい、ハロルドを起こしていた。
「なんだ？ 事件か？」
ハロルドは、突然オルガが来たのでそう思ったようだ。
「実は、ガーベラの秘密を完全に知ってしまった」
「え？」
「いやー驚いた。まさか本当に人間界に移動してしまうなんて」
「お、おい……」
ハロルドはこわばった表情で起き上がっている。
「オルガは気にしなくていいと言っただろ」
「気になってしまったんだからしょうがない。ま、私はお前とラーズ達のやりとりに加わる気はないが、今の所は」
「今の所は？」
「機会があれば」
「なくていい」
ハロルドが真剣にオルガを関わらせまいとしていたので、オルガはそれがおかしかったのか笑っていた。
「何もおかしくないだろ。オルガまで出てくるな。ただでさえ、そんなにこっちにこないんだからな」
「それだけ子供がいればもう十分だろ」
「そういう問題じゃないんだ。これ以上話をややこしくするな」
「自分からは積極的にはいかない。機会があれば」
「なくていい」
ハロルドはすっぱり言い切り、
「そんなに邪険にしなくてもいいだろ」
とオルガは返していた。
「夜ふらふらあそこらをうろつくなよ」
オルガはふっと笑って去って行った。
「こらー絶対うろつくなよー」
というハロルドの声を聞きながら。
オルガが自分の神殿に戻ると、ベッドにガーベラがいた。
「どこに行っていたの？」
「ちょっと散歩していたんだ。今日も綺麗だな。ガーベラ」
「ありがとう」
ガーベラはオルガに抱きついていた。
「ガーベラは、男だった時の記憶、何かあるのか？」
オルガはガーベラをなでながら聞いた。
「最初の頃のだけ。後は全然ない。ディアメラに何をしたのか、記憶を思い出すのが怖い」
「ぷっ……」
「私のこと嫌いじゃなくなったのはいいけどね。こういう展開は予想してなかったなあ」
「世の中何があるかわからないものだな」
「本当にね」
二人はそれぞれ別のことを思いつつも、笑っていたのだった。
人間界では9の月に入り、城の庭園に珍客が現れた。
「ワンワン！」
「あ、なんかいる。獣がいる！」
と驚いたのはロイである。その獣は庭園でお座りしていた。
「ワンワン！」
ロイに呼ばれて飛んできたシスとラギは、その獣を見て「犬だ」と言った。
「これ犬だよ」
「犬？ 街にはこんなのいないよ」
「綺麗な犬だね」
「ワンワン！」
その犬は金色の長めの毛並みで、耳は寝ていた。鼻は高く、尻尾を激しくふりふりしている。優しそうな顔立ちの犬である。
「それに結構大きいね。狼みたいに大きいけど、顔は全然違うね」
「母様への贈り物じゃない？」
ここいらにはいない犬なので、そうに違いないとシスは思った。
「母様またせがんだのかな？」
犬は勝手にたっと走って行き、城の中に入ってしまった。
「あ、ちょっと……いいのかな」
「凶暴そうじゃないからいんじゃないかな？」
子供達は犬の後を追いかけた。犬は城の中に入ると階段を上がっていった。
通りすがりの侍女達は犬を見て驚いている。
犬は３階にあるゆりの部屋に入っていった。ゆりは突然犬を見てびっくりである。
「え？ わんちゃんだ！ どうしたの？」
ゆりが犬の頭をなでると、犬は激しく尻尾をふりふりしていた。
「かわいいーハロルドのわんちゃんぽいけど、違う子かな？」
犬はぺろぺろゆりの頬をなでている。
「お母さん、犬を頼んだの？」
シス、ラギ、ロイがやってきた。
「頼んでないよ。お使いできたの？」
「ワン」
犬は何も首に巻いていなかった。
「それともずっとここにいるの？」
「ワンワン！」
「犬飼いたい〜絶対飼いたい〜」
ゆりは念願の毛が生えたかわいい動物を見て、うれしそうである。
「犬がいたら蛇は逃げないのかな？」
ラギは疑問に思ったが、ルーは部屋にとどまったままだった。
「まあいいか」
話を聞いた侍女がやってきた。
「お犬様の寝床はどうしますか？」
「お犬様？ そうだ。名前をつけよう。うーんと、タロウはタロウさんがいるから、ジロウにしよう。よろしくジロウ君」
「わん！」
犬のジロウはゆりから離れてゆりの寝室に行き、寝室の隅に座っていた。
「寝床はここがいいみたいだね」
ラギが言った。
「ワンワン」
「外に立派な犬小屋作ってあげるよ？」
「クウーン」
「嫌なの？ ここがいいの？」
「ワン！」
「賢い犬だねえ」
シスは感心している。こうして犬の寝床がゆりの寝室に設置されることになった。どうみてもそこらにいない犬なので、だれも外に追い出すことはできなかったようだ。
「ジロウ君、王様に挨拶にいきましょうね」
「ワン」
ジロウはゆりの後をついて行った。
「プリモにモモにジロウかあ。そういやプリモは元気にしてるのかなあ」
ラギは過去に飛んだプリモを懐かしく思っていた。
王の間にいたラクシュミは目の前で犬を見て、目を丸くしている。この城に野犬以外の犬が来たのは初めてなのだ。ラクシュミは犬に触ったこともなかった。
「綺麗な犬だな。本当にこれは犬なのか？」
「ワンって言ってるから犬よ。いつまでいるのかしらないけど、しばらくはいるみたいよ」
ゆりは適当に言った。
「そうか。かんだりは、しないみたいだが……」
犬はおとなしくラクシュミの前で座っている。
「大丈夫だよね。子供はかまないよね？」
「わん」
当然とばかりに犬はほえて胸をはっていた。
「そうか。ま、好きにしろ」
「うん。ジロウ君、ミシェイラ達にも会おうね。おいで」
「ワン」
ジロウはゆりの後をついて王の間を出て行った。
ミシェイラとレーヌも犬を見て喜び、一緒に遊びたがった。犬はゆりの部屋から出て行くことはあったが、夜には部屋に戻ってきた。そして寝室に置かれた犬用の寝床に丸くなっている。
「まさか犬を飼える日が来るなんて思わなかったなあ。うれしいなあ」
ゆりは心底喜んでいた。
その夜、何かの気配で犬のジロウは目を覚まし、耳を動かしていた。
「今夜こそは愛し合おう」
と寝室にやってきたのはラーズである。ゆりが目覚める前に、ジロウはゆりのベッドにあがり、「ワン」と吠えていた。
「え？ なんで犬がいるんだ？ しかもお前は」
「わん」
「ジロウ君どうしたの？ え？ ラーズ？」
寝起きのゆりは驚いている。
「なんで犬がいるんだい？」
「今日庭園にいたの。なぜか」
「なぜか？ なぜに？」
ジロウは明らかにゆりの前に座ってラーズがゆりの側によるのを阻止していた。
「ジロウ君、どうしたの？」
「おい、どけ、どけ」
ラーズが下に行けと仕草をしたが、犬は無視している。
「あ、もしや、ハロルドの陰謀か？ あのやろー！」
「え？ 陰謀？」
「ゆりちゃん、この犬ハロルドに返して」
「えーでもー」
「やつの陰謀だよ。君を他の男にひっつけない気だ」
「えー？ そうなの？」
「クウーン」
「違うって」
「絶対そうだろ。ほら、どけ」
ラーズは両手で犬をがしっとつかんで下におろそうとしたが、犬はふんばり、石の塊のように動かなかった。
「こいつめ。ゆりちゃん、絶対犬を返して」
「でも、こんなにかわいいし、今はたまたまかもよ？」
「私と犬と、どっちが好きなの？」
「え……ラーズのことは好きだけど、わんちゃんと離れたくない」
「えー」
結局、犬はてこでも動かなかった。
「ごめんね。ラーズ」
「くそーあいつに文句を言ってやる！」
ラーズはふてくされて去って行った。
「ジロウ君ってば、ハロルドに頼まれたの？」
「くうん」
ジロウはゆりの手に頬を寄せている。
「こんなかわいい犬を返せないー」
ゆりはどうしても犬を返すことはできなかった。
神の国では、今度はラーズがハロルドを起こしていた。
「こら、彼女に犬を贈ったのは他の男を近づけないためだろ」
「犬？ ああ、なんだあっちに行ったのか？」
ハロルドはあくびをしながら聞いた。
「戦いの神が卑怯な手を使ってもいいのか？」
「何が卑怯なものか。女に犬を贈っただけだ」
「男を阻止しろと命じただろ？ それが卑怯だと言うんだ。そのうちに邪魔にされるからな」
「どーだかな」
ハロルドはにやっとしていた。
次の日、ゆりは部屋に犬を見に来たミルキダスに、「ちょっと私を抱きしめて」と頼んでみた。
「はい？ はい」
ミルキダスはゆりを抱きしめた。ゆりが犬をみると、犬はおとなしく座っている。
「ありがとう」
「？ はい」
念のため他の男で試しても同じだった。人間の男がゆりの側によっても犬は何も反応しなかった。
（この犬は、ラーズよけ？ それとも神様よけなのかも？）
それは謎だが、人間の男は大丈夫なら、ゆりにすればかなり困ったことにはならなかった。
（ま、次に誰か来たときに考えよう）
「ジロウ君、外に遊びにいこう」
「わん」
ゆりは犬を返す気はゼロのまま、犬と遊びに行ったのだった。
つづく
一二部
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