第２０話
神の国である。犬たちが草原を走り回り、犬たちを追うように翼がある大きな猫のような奇妙な獣が走っていた。犬を追いかけていたのは尻尾に蛇がいる神獣「ハンター」である。
犬たちは必死で逃げているようではなく、距離を取ってはハンターに近づき、また逃げていた。遊んでいるようにも見える。体の大きさは、ハンターが一回り大きい。
「ハンター、かんじゃだめよー」
と声をかけたのはキュリアだった。
「ワンワン」
「ガウ」
「いぬっち、ちっち、みっち、あれ？ いぬちっちは？」
キュリアの弟、力の神バリアスが聞いた。
走り回っていた犬は三頭、いぬっちといぬっちの子供が２頭である。子供達は一頭はいぬっち寄りの姿、もう一頭は母親寄りで耳もぴんと立ち、銀色の毛並みである。
母親は狼だった。いぬっちはいつの間にか森で狼と仲良くなって子供を産んでもらっていたのである。
子供達は犬と狼のハーフということになる。
「いぬちっちは任務で違う場所に行っちゃった」
キュリアが寂しそうに言った。
「え？ 任務？」
「危険な任務じゃないといいんだけどなあ」
ハンターがいぬっちの子供に近づいて口を開けていたので、いぬっちはハンターに突進していた。
「ガウ」
「ワン！」
いぬっちの体が突然大きくなったので、ハンターはびっくりして後ずさっていた。
「どんな任務についたんだろう？」
バリアスが聞いた。特別な力を持ったのは「いぬっち」だけである。
「さあ、わからない。女の子の護衛につかせるって言ってた。当分会えないかも。危険がないといいんだけどなあ」
キュリアは心配顔で言っていたのであった。
人間界で任務（？）についたいぬっちの子供は、「ジロウ」と別の名前を与えられて、蛇の国の城で暮らしている。見かけは犬だったので、ゆりは犬だと思い込んでいた。なにせ、ジロウの
姿からは、野生の狼の雰囲気はまるで感じられない。
城のみんなも「ジロウ君」「ジロウさん」と呼んで可愛がっている。
「王妃はすっかりワンちゃんに夢中ですよ」
王の間でミカエルが言った。
「男に夢中よりいいじゃないか」
とラクシュミ。
「まあそうですが……オスですがね」
ラクシュミは鼻で笑っていた。
そのジロウは、今ハザークの部屋に連れて来られていた。ミシェイラとレーヌが連れてきたのである。ピンクのブタラも一緒である。蛇以外の生きた動物がこれだけそろうことは
珍しい。ブタラのモモはジロウを見て鼻をヒクヒクさせていたが、脅える様子もなく、ジロウの横に座っていた。ジロウの方はモモをたいして気にしたない様子である。
「うーん、これは本当に犬なのか？ 別の生き物という気がするが」
ハザークが言った。
「犬だってマーがいってたよ」
とミシェイラ。
「そうか。しかしおとなしく座ってるな。かまれないように気をつけるんだぞ」
「かまないよ。ジロウ君は賢いもん」
「ならいいが」
ハザークはジロウを観察していたが、ジロウはずっとおとなしくして子供達の横で座っていた。この世界では犬の一族があるせいか、そのほかの者達が犬を愛玩物として飼うことは
あまりなかった。牧場で番犬のように犬を使う者もいるかもしれないが、この世界の犬は、犬の一族以外の人間の言うことはあまり聞かない。
気性が荒く、しつけることが難しいとされているのである。
ハザークが目の前の犬を見て不思議がるのも無理はない。ジロウからは野性味が感じられないのだ。
（子供をかまないならまあいいが……犬はうまそうには見えないな。やっぱりこっちはうまそうだが……）
ハザークはブタラのモモに目を向けた。ハザークにはいまだにうまそうに見えているようである。
（ブタラに飽きていなくなってもいいと思わないかなあ）
ハザークはそれをひそかに期待していたのだった。
過去の時代である。
アナスターシャは忙しく日々を送り、王子アゼルはアナスターシャとの毎日にドキドキの日々である。
魔法の完成度などはアゼルの方が上なので、アゼルがアナスターシャと一緒に特訓を受けなくてもいいのだが、アゼルはアナスターシャといたいがためか、一緒に特訓を
受けたがった。
「アゼル君はアゼル君の訓練を受けた方がいいよ。私の方が覚えるの遅いし、つきあわなくていいよー」
アナスターシャ自らもそう言っているほどである。
「でもー僕は、姉様と一緒がいいんです。それに誰か相手がいた方が」
とアゼルは離れたがらない。そこにやってきた子供がいた。
「殿下、姫様の相手は僕に任せてください」
「あ、お、お前は！」
そこにいたのは黒髪にところどころ赤い髪が混じった男の子である。ツンツンヘアでやんちゃそうな顔付きだが、すでに腕や足には筋肉がついていた。
黒い瞳はランランと輝いている。
「アダム！」
「姫様、僕アダムです。これから仲良くしてください。僕未来に行った時、姫様に会ったんですよ。覚えてますか？」
アダムはアナスターシャに近づいて聞いた。
「え？ えー未来？ ……未来って戦の時？ ルークが背負ってた赤ちゃん？！」
「あたりです」
「えーあの赤ちゃん？ 大きくなったねえ」
アナスターシャは戦の時のことを思い出していた。ルークだけは赤ちゃんを背負ってきていたのである。
「はい、二度も会えるなんて、感激です」
「あの時のこと覚えてないんでしょ？」
「父から聞きました。前にも姫様に会ったんだよって。殿下、ご自分の訓練にどうぞ」
アダムはにこにこして言った。アゼルは苦い表情である。
「姫様にべったりだとまずいですよ。ご自分の訓練もしながらじゃないと」
アダムは小声でアゼルに言っている。
「なんでそんなことお前に言われなくちゃいけないんだ」
「殿下は未来の王様ですからー」
「ふんだ。姉様、後でまた会いましょう」
「うん。がんばってね」
「はい、姉様も」
アゼルはいやいやながら消えた。
「アダムは何歳になったの？」
「12歳ですよ」
「１２歳？ もっと上に見えるね」
アダムはアナスターシャよりも背は低いし、まだ幼い子供の部類に入るはずなのだが、言動もしっかりしているし、なんだかたのもしい。
「僕も今いろいろがんばってます。一緒にがんばりましょう」
「うん。よろしく」
二人は手を握り合った。
本日の教官ジルベールがやってきた。ジルベールは年配の前騎士で、今は騎士見習い達の指導役である。青い長髪を三つ編みにしているので、アナスターシャは「三つ編み先生」と
本人がいないところで呼んでいる。
「姫様、今日はこのアダムと追いかけっこをしましょう」
「はーい」
アナスターシャの訓練が始まった。
「くっそ面白くない！」
別の場所では剣の稽古が終わり、王子はこんな言葉を吐いていた。
「殿下、そんな汚い言葉を使ってはいけませんよ」
とたしなめたのは、剣の教官バッカスである。バッカスは剣の腕が高いためにアゼルの指導についている。年は200そこそこ。150で騎士は引退している。
「殿下がそんな言葉をご存じとは」
バッカスは苦笑していた。以前のアゼルならば考えられない。
「未来の姫様の影響ですかあ？」
バッカスが聞くと、アゼルはじろりとバッカスを睨んでいた。
「おお、こりゃまじで怒ってますね。今のは冗談ですよ。今の殿下の方が人間味があふれていていいですよ。以前はいい子ちゃん過ぎましたからね」
「そう、僕はもういい子ちゃんはやめたんだ。今までは理想の王子様でいなきゃって思っていたんだけど、姉様といると、なんかばからしく思えてきた。姉様はいつも自然体で、
ウソがなくて、そこがステキなんだ。僕もこれからはそうしたい」
「姫様にのめり込むと後が辛くなりますよ。相手はいずれ帰ってしまうんですから」
「わかってるよ。いいじゃないか。たった10年くらいの間なんだから」
「殿下にとっては大事な10年ですよ。自分の好きなことがしたいならば、周りが納得するほどの成果を出すしかないでしょう。それが上に立つ者の努めです。いい子ちゃんでいなくても
いいですが、姫様のせいで殿下が訓練を真面目にしなくなったと言われたくなければ、それなりのことはしてください」
「わかってるよ。アダムが姉様と楽しく遊んでる、と思うと悔しいだけだよ」
アゼルは頬を膨らませている。最近のアゼルは表情が豊かである。
「楽しく遊んではいないと思いますが……さて、続きをしましょう」
バッカスは剣を構えるようにアゼルを促した。
そのアナスターシャだが、もちろん楽しく遊んではいなかった。アダムとの城の外での追いかけっこだが、逃げればすぐつかまり、追えば逃げまくられてなかなか捕まらない。
（あの時赤ちゃんだったアダムにも全然勝てない！）
アナスターシャはショックを受けている。
―姫様、目で追おうとしてはいけません。相手の居場所を感じるんです。アダムの気を追うんですよ！
教官からはアナスターシャに思念が飛んでいる。
「わかってるんだけど、アダムの気をあちこちに感じるのはなんで？」
―それはアダムが細かく瞬間移動を繰り返しているからです
「アダムはやっ！ まだ12歳なのにはやっ！」
「姫様ーこっちですよー」
アダムがアナスターシャのすぐ近くに現れた。今二人は街の中である。大きな噴水が中央にある綺麗な街の中で、二人は追いかけっこをしている。この街では、ほとんどが蛇の一族の
住人である。アダムの気を追うのはさらに難しいことだった。
アナスターシャはすぐに移動した。が、すんでの所で逃げられた。
「くそーあっいたっ！」
アナスターシャはどこかに移動して捕まえた。
「タッチ……あれ？」
アナスターシャが抱きついていたのは、背が高い大人だった。
「え？ アナスターシャ様！？」
「あれ？ ルーク！」
場所は事務所のようなところである。アナスターシャは立っていたルークに背中から抱きついていたのだった。
「アダムこなかった？」
「アダムですか？ あー近くにいるのはさっき感じましたよ。今日はアダムと訓練でしたね。アダムすごく喜んでましたよ」
「そうなの。アダム、すばしっこすぎる！」
部屋には他の者もいて、皆ぽかんとした顔でアナスターシャを眺めている。
「あの、姫様、背中から降りてほしいんですが……」
アナスターシャはルークに抱きついたままだった。
「アダムの好物を教えなさい。そしたら降りる」
「アダムの好物？ リンゴですかねえ」
ルークが悩みながら言った。
「リンゴ？ わかった」
アナスターシャはルークの背中から降りた。
「リンゴを買ってくる」
「え？」
（もしかして、アダムをリンゴでおびき寄せようとしている？）
部屋にいただれもが思っていた。まさかそんな手にアダムがひっかかるとは思えないが。大人達はアナスターシャの行動が気になって仕事どころじゃなかったので、ちょっと
休憩することにした。
アナスターシャはザルにリンゴを並べて、周りを気にしつつ、街の外を出て、人気がない林の中にリンゴを置いていた。
（やっぱりアダムをおびき寄せようとしている）
（でもなんか行動がかわいい）
（アダムがまだ素直な子供だと思ってるんだよ。きっと）
（確かに１２歳ったらまだ素直な子供だよな。普通は）
（アダムは普通じゃないからな）
アナスターシャの行動を離れて見ていた大人達は、アナスターシャがきっと無邪気な性格をしているんだろうとそう思っていた。
リンゴを置いたアナスターシャは離れた所に隠れていた。だが気力はそのままだったのでばればれである。
―姫様、気も隠さないとだめですよ
みかねてルークが思念を送っていた。
―あ、そうか。隠れた？
アナスターシャは自分の気力を抑えようとしていたが、抑え切れていない。
―オレ、隠してあげてくる
大人の一人がさっと移動してアナスターシャに魔法をかけてきた。アナスターシャの気力はぐんと抑えられた。
「ありがとう」
「いいえ」
こうして３０分ほどアナスターシャは隠れていたが、アダムは現れない。
―アダム、ひっかっかってやれよー
―そうだよ。姫様がかわいそうだろ
―早くこい！
とうとう大人達からはアダムに思念が飛び始めた。
仕方なしといった様子でアダムはやってきた。そしてリンゴを手に取ったとき、アナスターシャがすっ飛んできてアダムをぎゅっと抱きしめていたのだった。
「つかまえたー！」
「あーまいったー！」
アダムはわざとらしく言っていた。離れた所から「よかったよかった」と拍手が飛んでいる。大人達は安心して仕事に戻り、教官ジルベールは顔に手を当てていた。
「姫様、アダムが本当にりんごにひっかかると思っていたんですか？」
教官はあきれ顔でアナスターシャに聞いた。
「ひっかかったよ」
「わざとですよー」
「わざとでもきたよー」
「そりゃそうですけど……こういう訓練じゃないんですが……」
「わかってるけど捕まらないのが悔しくて。私が困ってたらルークが助けてくれそうだったし」
「やれやれ」
「まあいいじゃないですか。僕を追うのは30歳でも難しいんですから。何度でもしましょう。追いかけっこ」
アダムは笑っている。
「ありがとう。先生、他人の気を追うコツと自分の気の隠し方を教えてください」
アナスターシャが教官に言った。
「では一旦城に戻りましょう」
「はい」
３人は城に戻り、アダムはリンゴをもらってアナスターシャと別れたのだった。
「女王様も子供の頃、追いかけっこをしたのかな？」
アナスターシャが教官に聞いた。
「陛下もなんでもしましたよ。すべての下地がなければ、上には進めません。陛下のようになる必要はないですが、少しでも陛下に近づくようにがんばりましょう。
きっと姫様の弟や妹君達も、ムサカ様に鍛えられているはずですよ。力には成長期もあれば停滞期もありますから、あせらずやりましょう」
「はい。でも、正直、もっと力がほしいです！」
アナスターシャは心の内の叫びをつい声に出していたのだった。
時代は変わり未来である。
蛇の目のゆりは、夕方ハザークの部屋に遊びに来て、別室に移動していた。そこでハザークと仲良くなったのだが、興奮のさなかゆりの体に変化が訪れた。蛇紋はでなかったのだが、
そのかわりに右胸の上に青い花の模様が浮かんだのである。
「ん？ なんだこれ」
ハザークがそれに気づいて、ゆりも自分の胸を見た。
「え？ 何？ 青い……花？」
ハザークはやがてうっとりとした表情をしてゆりを眺めていた。
「ああ王妃、なんてかわいいんだろう。もう一生顔をみていられるくらいだ」
「はあ？」
「かわいい」
ハザークはゆりに頬擦りしている。
「ハザーク様、なんか変？」
「王妃のすべてが愛おしい。好きだ。全部」
「はあ……」
驚いたゆりの胸から青い花の模様が消えると、ハザークははっと正気に戻っていた。
「今、我は何を言ったんだ？」
「覚えてないんですか？」
「うっすらと覚えているが、なんだか恥ずかしいな」
ハザークは正気に戻ったかと思ったが、ゆりの体をぎゅっと抱きしめている。
「王妃はいつもいい匂いだなあ」
「なんか匂います？」
「とりあえずもう一度しよう」
ハザークはゆりの上に乗った。するとまたゆりは興奮し、胸の上に青い花の模様が浮かび、ハザークがゆりに甘い言葉をいいまくったのだった。
（青い花……もしかして、男ガーベラ様のせいかな？ とにかく、今夜は王様で試してみよう！）
ゆりはるんるんだった。
その夜、蛇の目のゆりは、犬のジロウに、「今夜は王様のところで寝るから、心配しないでね」と話しかけていた。
「クウン」
「ジロウ君はここにいてね」
「ワン」
「おりこうさん」
ゆりはジロウの頭をなでなでし、びゅっと移動した。と思ったのだが……
―どっちがいい？
と声が聞こえた。
「え？ 何が？」
―若いのとおじーちゃん、どっち？
「え？ なんの話？」
―トーのはなしだよ
「トーはいっぱいいるでしょ？」
―まだいる
「はあ？」
―どっちどっち、はやく決めて
「えーじゃあ、ハインリヒに会おうか」
蛇の目のゆりは困って言ったが、びゅんと飛んだ先はどこかの部屋である。ベッドの上にゆりはどさっと落ちて、寝ていたムサカは「わっ！」と驚いていた。
「わっムサカさん！」
「王妃様、ど、どうしました？」
「赤ちゃんが勝手に移動しちゃって！」
「え？」
―ごめん、赤ちゃんがムサカさんをトーにしようとしている！
蛇の目のゆりはそう伝えて消えた。
「え。ええええええー」
ベッドの上で黒目のゆりは絶叫し、あわてて降りていた。
「ご、ごめんなさい」
「大丈夫ですか？」
「はい、大丈夫です。帰ります。ごめんなさい」
ゆりは頭を下げてあわてて部屋を出て行こうとしたが、ドアノブが回らない。
「なんで？ 鍵かかってる？」
鍵をまわしてもドアは開かなかった。
「こりゃすごいですな。魔法ですぞ」
ムサカがやってきた。
「えー？ 魔法？」
「クロス様はもうすでにこんな力がおありになるのですなあ。いやはや」
ムサカは頭をなでていた。
「瞬間移動で外に出ましょう」
「また戻される可能性がありますが」
「クロス、よく聞いて。ムサカさんは迷惑なのよ。もうやめなさい」
ゆりはお腹の赤ちゃんに怒っている。
「儀式はもう十分やったでしょ」
―ぐすんぐすん。じゃあ若いの
「えーちょっ！」
「あっ！」
ゆりは飛んでしまった。
ゆりが飛んだのは寮にあるカールの部屋だった。今から寝ようと思っていたカールは、突然現れた寝間着姿のゆりにびっくり仰天である。目を大きく見開いている。
「ゆり様！？」
「ごめん。カール、突然きちゃって」
「今ムサカ様から思念が来ましたよ。赤ちゃんの意思だって」
「そうなの。困っちゃうわよね。赤ちゃんったらわがままで。その、城に戻してくれる？」
「こんな格好で城に行ってもいいでしょうか」
カールもラフな服装だった。
「いい、いい」
カールはゆりに触れて城に飛んだ。城に戻ったと思ったが、自分の寝室ではないようだ。
「ん？ ここはどこかしら？」
「王妃様の部屋ではないですね。ハートマークの布団カバーがかかってます」
「げえ！」
ゆりはつい汚い悲鳴をあげていた。ハートといえば儀式部屋である。
「王妃様の部屋に飛んだんですが、軌道を変えられました」
カールは本気で驚いている。
「クロス、いい加減にしないとマー怒るよ。トーはもう十分いるし、あなたには良い蛇だって入ったでしょう？」
「王妃様、赤ちゃんを怒らないでください。赤ちゃんはきっと、強くなりたいだけなんですよね」
―うん
「まだ産まれてもいないのに立派ですよ」
カールは目を細めている。
「いや、そんなこと言われても……」
「トーが一杯いれば、強くなれると思ってるんですね」
―うん
ゆりの顔は引きつっている。
カールはそっとゆりの手を取った。
「私でもお役に立てるなら、お手伝いさせてください」
「え？」
「皆様やハインリヒ様に遠慮してましたが、私がトーになって赤ちゃんの力が変わるのならば、悩んでいる場合ではないと思うのです」
「え、そのー……私は、お互いに好きな人じゃないと、トーにできないし」
「私は王妃様にずっと憧れていました。今も、胸がどきどきしています」
「ええー！？」
ゆりはのけぞっている。
「わっわわ、私がカールに手を出すわけにはいかないでしょ。大事なお客様なんだし、カールは大人になったばかりだし、若い子とひっついた方がいいと思うし。ナナミの相手だっていける
かもしれないし」
「ナナミ様はまだ１８歳ですよ」
「あと30年たってもカールは１００歳にもならないじゃない」
「ですが今はそういうことではなくて……ねえ、クロス様」
―んだんだ。セマレ！
「こらー」
「今はクロス様のことですよ。先ほどもいいましたが、クロス様の力があがるのならば、お役に立ちたいです。儀式ができるのは、お腹の中にいる間だけですから」
カールは真剣である。
「うう、私だって、クロスの力を上げてあげたいと思ってるけど……けど……」
―マーがんばれ！
「この子には良い蛇だって入ってるんだよ。これ以上となると難しいと思うよ」
「何事も、やってみなければわからないですよ」
「そーだけど」
「王妃様はどうなんですか？ 私に好意はないんですか？」
カールはじっとゆりを見ている。ゆりはカールの顔の蛇にも見られている気分だった。
「え……ないことはないよ。だって、恋愛対象にしてなかったから……」
「私は恋愛対象になれるでしょうか」
「え……はあ……」
ゆりは真っ赤な顔で頬をかいている。
「じゃあ、その、気をもらうところから始めようかな。明日来てくれる？」
ゆりは恥ずかしそうに言った。
「はい」
「赤ちゃん、トーになるには順序を踏まないとね。とりあえずお互いをわかり合ってからじゃないと」
ゆりは赤ちゃんをなだめるために言った。
「わかった？」
―うん
「じゃあもう移動はなしよ。いいわね」
―うん
「ありがとうカール。もう大丈夫みたい」
「わかりました。では、明日時間を作ってきますね」
カールは礼をして去って行った。
ゆりは脱力してベッドに座っていた。
「あー疲れた。赤ちゃん強引すぎる！ なんでこんな急展開になるんだー！」
ゆりは疲れたのでそのまま儀式部屋のベッドで横になった。
「クロス、あなたもう十分強いと思うけど？」
それについての返答はなかった。
あーカールもーどうしよう！ もし儀式をして、あの真面目そうなカールの性癖がゆがんだらどうしよう！
ゆりはシャナーンの時と同じように、そっちを気にして心の中で絶叫していたのだった。
つづく
12部
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