第24話
ハインリヒの目の前にいたのは、肩までの軽くうねった銀髪の男だった。年は200は軽く超えているだろうが、老人ではない。ムサカが普段着ているようなローブ姿である。
ハインリヒは一瞬頭の中が真っ白になり、部屋の中をきょろきょろ見回した。部屋の中にいたのはこの男性一人である。
「あのー……」
その時ナナミが瞬間移動で入って来た。
「あ、やっぱり、ムサカ様若くなってる〜」
「え！？」
ハインリヒが素っ頓狂な声をあげた。
「ムサカ様、ベツベツマーの方の母様と握手したら若くなっちゃったの」
「はあ？」
ハインリヒの驚きっぷりがよっぽどすごかったのか、困った顔付きのムサカは、ついにはぷっと笑っていた。
「やれやれ。実は、これがわしの本当の姿だ」
「は？」
「えーじゃあどうして老人でいるんですか？」
ナナミが目をまん丸くして聞いた。
「趣味で……趣味で老人の姿に化けているんですよ」
「趣味なんですか。変わった趣味ですね」
ナナミはなんとなく納得していたが、当然ハインリヒは納得しなかった。
「ちょ、ちょっと待ってください。ムサカ様は、ずっと前から変身してたってことなんですか？」
「そうじゃ」
「えー？ えー！ えええー！」
「ま、そういうことじゃ」
ムサカは扉を開けてハインリヒを外に促してる。
「そういうことじゃ、じゃないですよ。今まで我々をだましていたんですか？ みんなだまされていたんですか？」
「別にだましてはいない。それにわしがどっちでもそなたらにはたいした差はないであろう」
「や……まあ、でも……」
「その姿で父様に会ったら、王様を代わってくださいって言われますね」
二人はムサカの部屋から外にでた。
「魔法……魔法であんなに長い間老人に？ そんなことができるのか？」
「すごい趣味だよね」
「趣味じゃないでしょう。普通は若返りたくなるもんですよ」
「じゃあどうして老人になってるの？」
「さあ」
ハインリヒはショックを受けたまま、すぐにドルイドに思念で話をしていた。ドルイドも驚いていた。
「まさかあんなに髪がふさふさなんて……驚くのはそこじゃないが、だからあんなに気力が強いのか。そこは納得だが……まさかあんな子供の頃からだまされていたなんてー」
ハインリヒはそこにショックを受けていたのだった。
夕方にはゆりは人間界に戻ってきていた。ハロルドと仲良くなっていたために、キラキラでスカートの中からひらひらピンクの花びらが落ちていた。
「ベツベツマーがきたよー」
子供達が教えてくれた。
「そうなの。歌は歌ってくれた？」
「うん。上手だった。マーとは大違い！」
とレーヌが言った。
「あ、そう」
「花びらだー」
ミシェイラが床に落ちている花びらに気づいて、レーヌと一緒に拾い出した。
そこにナナミがやってきた。
「母様知ってる？ ムサカ様、趣味で老人になってるんだよ。さっき若返ったからびっくりしちゃった」
「えー？ 若い姿を見たの？」
「うん。ハインリヒもびっくりしてたよ」
「ハインリヒも見たんだ。ハインリヒは今どこにいるかな？」
「聞いてあげる」
ハインリヒはドルイドがいる屋敷にいるようだ。
「後でくるって」
「ありがとう。それで、ムサカ様は今どうなってるの？」
「老人に戻っちゃったみたい」
「そうなの。残念ー」
「母様知ってたの？」
「実は一度若い姿を見ちゃったの」
「そうなんだ。ムサカ様、ベツマーのタイプかもねー」
「え？」
ナナミはうふふと笑っていた。
その後ハインリヒがゆりの部屋にやってきた。ハインリヒは複雑な表情である。
「王妃はムサカ様のこと知ってたんですか？ まさか王妃以外のことでこんなに驚くことがあるなんて……ところで王妃キラキラしてますね」
ハインリヒはゆりをまじまじと見て言っていた。
「また神の国で遊んできたんでしょ」
「それはともかく、ハインリヒが驚く所がみたかったなあ。どうして老人になってるか話してくれた？」
「いいえ。趣味って、そんな趣味ないでしょ。全く……」
ノックの音がしてミカエルがやってきた。
「王妃、今日ムラムラしてたんですって？ あ、キラキラしてる！ ムラムラ解消にわざわざ神の国に行ったんですか？」
「え？ そんなわけじゃ……」
「せっかくだから今から仲良くしましょう」
ハインリヒが言った。
「もうご飯の時間ー」
「じゃあとっととすませましょう」
ミカエルとハインリヒは、ゆりを別室に連れて行った。
夕食の時間、子供達はそろっていたが、ゆりは来なかった。
「マーが3人いたらいいのになあ。一緒に3人と会いたいなあ」
ミシェイラが言った。
「３人かあ……いたらおもしろいね」
とシス。
「僕ベツベツマーには会えなかったなあ」
ロイは残念そうだった。
「今度いつくるの？」
「さあ」
「僕も会いたいな」
シスとラギはナナミにムサカのことを口止めしていたので、ナナミはとっても話したかったが、我慢していた。
ゆりはあっちでもこっちでも男といちゃいちゃし、最後にラクシュミとラブラブして終わったのだった。ラクシュミはガーベラに会えたのでうれしそうだった。
そして夜、ムサカの部屋に、ハインリヒがやってきた。ドルイドとカールも一緒である。
ハインリヒはムサカに酒を渡し、「今日は飲みましょう。そして秘密を話してください」と言った。
「いやじゃ」
即答である。
「わしはもう寝る時間じゃ」
「だめです。今夜は付き合ってもらいます。ずっと秘密にしてるなんてずるいですよ」
ハインリヒはずかずか部屋に入り込んでいた。戸惑った表情のカールとドルイドが後から入って来た。
「結局ムサカ様は何歳なんですか？」
ドルイドが聞いた。
「さあ」
「ショックです。か弱い老人だと思っていろいろ我慢してたのに」
ハインリヒの言葉に、
「ほー何を？」
とムサカが聞いた。
「いろいろと。カールも知ってたんだろ？ 理由は知ってるのか？」
「いえ、理由は知りません。まあ、人それぞれ事情が……」
「わしの外見がどうでも何も変わらんだろう」
「とりあえず、若いムサカ様がみたいんですが」
とドルイド。
「私も見たいです」
カールが手をあげていた。
「見せん」
「じゃあ姿を変える魔法を教えてください」
「教えん」
「ずるいですよ。女王陛下はもちろんご存じなんでしょうね」
「もちろんじゃ」
「こんなに長い間だまされていたなんてなあ」
「わしはもう眠い。帰れ帰れ」
３人は部屋から追い出されたのだった。
「ムサカ様、どんな風貌でした？」
カールがハインリヒに聞いた。
「髪があった。いっぱい」
「もしかして、女性に追いかけられるのがいやで老人になってるんじゃないでしょうか？」
カールが閃いて言った。
「女嫌いでー？ ムサカ様って若い時恋人はいたのかな？ 知ってるか？」
ハインリヒが二人に聞いた。
「知らない」
とドルイド。
「若い時は当然もてていらっしゃったと思いますよ。でも、子供はいらっしゃらないですよね」
とカール。
「王族は子孫必須ってのは今も昔も変わらないはずだが……」
３人は首をかしげていた。ムサカが魔法で姿を変えているとしたら、１００年以上も続けて魔法を使っていることになる。男盛をあえて老人ですごすなんて、３人には考えられないことだった。
「まあいいか。３人で飲むか？」
「私は今日は遠慮します。それでは」
カールは去って行った。
「ドルイド、パパと飲むか？」
ハインリヒがドルイドに聞くと、「いい」とドルイドは言ってつれなく去って行った。
「冷たい奴らめ」
ハインリヒは一人部屋に戻ったのだった。
その頃ムサカは部屋で一人大きなため息をついている。
「二度と王妃様に触らないようにしなければ。それにしても今日の王妃様、一体なんだったんだろう？」
子供達は「ベツベツマーよ」とムサカに説明していたが、その正体は、ムサカにはまだ謎なのだった。
９の月１５日になった。今日はクーガが来る日である。
ゆりはもうクーガの説得をしなくてよくなったので気楽な気分だった。
（説得しなくていいってことは、もうクーガ様がここに来る必要もないってことか。もうすぐ会えなくなるのかも）
そう思うと寂しいが、クーガはこの国の人間ではないので仕方のないことである。
「お母さん、竪琴はばっちり？」
朝食の時間、ラギがゆりに聞いた。
「ばっちり」
「今日はどんなお話をしてくださるんだろう。楽しみだなあ。ナナミも一緒に聞こうよ」
シスがナナミを誘った。
「えー難しいお話なんでしょう？」
「そんなことないよ。楽しいお話をしてくださるよ」
「僕、ライオネル様の話なら聞きたいな」
ロイが言った。
「ナナミとロイも一緒に聞きましょうよ」
ゆりも二人を誘い、今日は子供達は４人一緒にいることになった。
午後になり、クーガがやってきた。今日はシミ一つない白いローブ姿である。クーガの長い金髪がよく映えている。
「こんにちは」
「こんにちは」
ゆりと子供達は笑顔でクーガを出迎えた。最初に賛美歌を歌い、ゆりは竪琴の練習の成果を発揮した。
「クーガ様、僕ライオネル様のお話が聞きたいです！」
というロイのリクエストがあり、クーガはライオネルの話を聞かせてくれた。
ライオネルが産まれた時、赤ちゃんは毛むくじゃらの獣だったので、ライオネルを産んだ直後、ヒルデリアは失神してしまったそうだ。
この変わり者の神は外見の割りには人に親切で愛嬌もある。人間がわりと好きなので人間にも好かれている神である。ところが獣にもかなり好かれている。
人間界に降りると、虎や豹、狼など、メスの獣はライオネルに求婚してしまうそうだ。
「ライオネル様は人間界の祭りが好きなようで、人の姿で参加していることがよくあるそうですよ。この国の祭りにもいらしてくださったことがあるかもしれませんね」
ロイは自分がライオネルに出会った時の話をクーガに聞かせて、クーガもロイの言葉に耳を傾けていた。
「ロイ様は幸運でしたね」
「うん。僕ライオネル様が今でも大好きなんだ！」
目を輝かせて言うロイに、クーガは微笑んでいた。
「ライオネル様の神殿に行ってみたいなあ。どんな神殿ですか？」
「黄色い石でできた神殿の正面には巨大なライオネル様の石像がありまして、たまに獣たちも神殿を出入りしています。神殿に入るだけでもライオネル様の力強さを感じることができますよ」
「いつか行ってみたいな」
「是非」
この日はほぼライオネルの話を聞いて２時間ほどで終わったのだった。
「クーガ様の話面白かった。来月も聞こうかなあ」
クーガが去った後、ナナミが言った。
「そうしたら。そして絶対余計なことは言わないでね」
「言わないよーここにしょっちゅういろんな神様が来てることなんて言わないよー」
「しー」
それから30分ほどして、ラギとシスがゆりの部屋にやってきた。
「お母さん、ちょっと大変なことが……」
「ん？」
「クーガ様が、聖地に帰れなくなったって」
「へ？」
クーガは王の間にいるらしい。ゆりは二人と一緒に王の間に移動した。確かに、クーガは王の間にいた。
「クーガ様、どうかされたんですか？」
「実は瞬間移動ができなくなってしまったんです」
「ええ？」
「こんなことは初めてなので、自分でも戸惑っているんですが……」
クーガは困った表情をしていた。
「魔力が足りないとか？」
「そんなことはないんですが……」
「とりあえず、一時間ほどしてまた試してみたらどうですか？ 客間でゆっくり休んでください」
ラクシュミが言った。
「はあ、すいません」
「僕達が案内しますね」
ラギとシスがクーガを客間に連れて行った。
「クーガ様、どうしたんだろうね？」
「さあな。まあ、そのうち帰れるだろう」
「そうよね」
そこに番兵がやってきた。
「王様、聖地より、手紙が届きました」
番兵はラクシュミに封筒を渡した。聖地の印が押されている正式なものである。こういう手紙は魔法で届くのだ。
「手紙、なんだろうな」
ラクシュミは封筒を開いて、中に入っている手紙を読んだ。
「…………」
ラクシュミはその手紙をゆりに渡した。
「読んでみろ」
「はい」
ゆりは手紙を読んだ。
「親愛なる蛇の国の国王陛下へ
聖地の神官クーガが蛇の国を訪れていると思いますが、今日より休暇を与えたく、つきましては一月ほど蛇の国で預かっていただきたい。急なことで申し訳ありませんが、よろしくお願いします。
神官長 ヴァルミー。……え？ 一月滞在？」
ゆりは手紙を読んで目を見開いている。
「じゃあ、瞬間移動は故意にできなくなってるってこと？ どうやったんだろう？」
「どうやったんだろうな。ところでどうして一月ここにいることになったんだ？」
「さあ？ 私は何も……あ……」
そこで思い当たることが一つ浮かんだ。
え……もしかして、アシュラン様の仕業じゃないでしょうね。月に一回会うだけじゃ説得なんて無理って言ったから……まさか……
ゆりの顔が青ざめていた。
「なんだ？ 何かあるのか？」
「えー……その、あ、後で話します」
「ゆり、神官殿は他国の人間だ。恋人にするのはだめだからな」
ラクシュミはぐさっと釘を刺し、ゆりは「まさかまさか」とあわてていた。
「何を言ってるのよ。そんな気はこれっぽっちもないわよ」
「ならいいが。神とは訳が違うからな」
「クーガ様にこれを見せる？」
「見せた方がいいだろう」
ゆりは手紙を持ったままとぼとぼと王の間を出て行き、途中で蛇の目のゆりが表に出ていた。黒目のゆりはショックすぎて引っ込んでしまったのだ。
アシュラン様、強引すぎー
ゆりはクーガがいる客間の扉をノックして、中に入った。ラギとシスもいて一緒に紅茶を飲んでいた。
「えーと、クーガ様、聖地からお手紙が届きましたよ」
ゆりは手紙をクーガに渡した。
「私あての手紙ですか？」
「王様あてなんですけどクーガ様に関係があることなので……」
「ありがとうございます」
クーガは封筒を開いて手紙を読んだ。ラギとシスもクーガに注目している。クーガの眉がひそまっていた。
「休暇？ 一体どういうことだろう」
「どういう内容だったの？」
ラギがゆりに聞いた。
「クーガ様に休暇をあげたいから一月ほどここで預かってほしいって」
「えー？」
「じゃあ、瞬間移動ができないのはそのせいなんですか？」
「まさか……」
「もしかして、クーガ様働きづめなんじゃないですか？ それでちょっと休暇をあげなきゃって思われたんですよ。きっと」
ゆりは微笑んで言った。
「それにしては強引すぎますが……それに、一体どのように私の力を制御したのか、さっぱり……」
（それはあなたのパパのせいでしょ）と蛇の目のゆりは思ったが、口に出せるわけなかった。
「じゃあ一月は瞬間移動できないってことなんですかね？」
シスが聞いた。
「そうかもしれません」
「そうだわ。一月いらっしゃるなら、服とか下着とか身の周りの物を用意しなければ。お店に買いに行きましょう。誰かに案内させますからね。だれがいいかしら。フリットがいいかな。呼んで」
「わかった」
シスがフリットを呼び、フリットが街にクーガを連れて行ったのだった。
「ねえ、一体どういうことなのかな。急に休暇なんて、強引すぎない？」
ラギがゆりに聞いた。
「さー」
「僕はうれしいなあ。クーガ様と毎日会えるなんて」
とシスはうれしそうだ。
「それはうれしいけどねえ。クーガ様、突然過ぎてかわいそうな気もする。クーガ様は城に泊まるのかしら」
「そうじゃない？」
２時間ほどしてクーガはフリットと一緒に城に戻ってきた。その頃には客室の準備ができていたので、そこで滞在してもらうことになった。
「あの、私はできれば寝泊まりは教会がいいんですが」
「突然で教会の方でも準備が大変だと思いますので、そのうちに教会がよければそちらに移ってください」
ゆりが言うと、「わかりました」とクーガは了承していた。
突然の高貴な客に侍女たちもウキウキである。
「クーガ様って素敵ですねえ」
ゆりの侍女のミラも言っていた。
「王妃様、夜お一人でクーガ様の部屋に行っちゃだめですよ」
「行かないわよー王様にも言われちゃったし。恋人にするなよって。できるわけないでしょ」
「王妃様はもしもがありますからねえ」
「クーガ様大丈夫かしらねえ。子供達が遊びに行ってるだろうから大丈夫かな」
突然一月もの休暇をもらってしまったクーガは、子供達が去って行き一人になったところで、「一体どういうことなんだ」と声に出していた。
突然の休暇なんて強引すぎるし、クーガの力を制御したのは、神官長ではない。クーガの父がやったとしか考えられない。
「もしかして、王妃様が危ない状態なのだろうか。だから私にここにいろと？」
クーガにはそのようなことしか思いつかなかった。
「今日は何も感じなかったが……そういれば、左目が途中で変わっていたのはなぜだろう。そういうことならここで寝泊まりした方がいいのかな。事前に言ってくださればいいのに」
心の準備くらいさせてほしいものである。
「みんなは私のことは、知ってるんだろうな。きっと」
帰ってこないから心配される、ということは多分ないだろう。
クーガはこうなっては仕方がないので、夕飯を食べておとなしく眠ったのだった。
そして王の寝室では、黒目のゆりがクーガのことをラクシュミに話していた。アシュランに説得を頼まれたことも。
「お前にそういう説得ができるのか？」
「わからない。もうやだよー王様助けてー」
ゆりはラクシュミの腕を引っ張っている。
「期待されてるんだな。がんばれ」
「やだあ」
「ハザークに会わせてみたらどうだ？ あいつに説得はできそうにないが。逆に千年ごときで？ とか言うかもしれん」
「うーん……はあ……一月で……あー考えるだけでぐったり」
「説得はいいが、仲良くなりすぎないように」
「わかってますよー」
ゆりは口をとがらせている。
どうやらゆりにとっては頭が痛い日々が続きそうである。
つづく
１２部
目次