第25話
「王妃様、分かりました。私も精一杯生きていこうと思います」
クーガはゆりの手を握りしめて力強く言った。
「本当ですか？ よかった」
ゆりは心底喜んだ。
よかったよかった。バンザーイ！
ゆりははっと目が覚めた。
「夢……やっぱり夢かあ。夢の中でどうやって説得したんだろう？」
ゆりはもう一度目を閉じてみたが、夢を巻き戻して見ることはできなかった。
「同じ城にクーガ様がいるなんてなあ、まだ信じられないわ」
「ゆり、くれぐれも接近しすぎないように」
「わかってます」
ゆりはラクシュミにまたもや念押しされてしまった。
さて、思いもかけず他国で過ごすことになったクーガは、朝食を持ってきたメイドと一緒にピンクの動物が部屋に入ってきたので驚いていた。
「この子は、ブタラですか？」
「はい、そうなんです。ブタラのモモちゃんっていうんですが、城の中を勝手に移動していいことになってまして……」
「蛇の国の城にブタラがいるなんて面白いですね。蛇に食べられたりしないんですか？ さすがにこれだけ大きいと無理かな？」
かわいいスカートをはいたモモは、クーガの足下までやってきた。
「今の所蛇に襲われたりはしてないようです。クーガ様の朝食は、普通のパンなどでよろしいんでしょうか。何かあれば言ってください」
「はい、なんでもいいですよ。ありがとうございます」
メイドは出て行ったがモモはそのまま部屋にとどまっていた。
「人なつっこいブタラですね」
クーガがモモの頭をなでると、モモはうれしそうな顔付きになった。
「ふふっかわいい。さて、とりあえず朝は掃除をしないと落ち着かないな。朝食を食べたら、教会の掃除をさせてもらおう」
モモはクーガが朝食を食べている間寄り添って座っていた。寂しいだろうと思って側にいてくれたのかどうかは謎である。
「つくづくかわったブタラだ」
クーガは朝食後、メイドに言付けてから街の教会に移動してみた。教会にはすんなり移動できた。もしかしたら、と聖地に帰ろうとしてみたが、そちらはできなかった。やはり聖地への道は閉ざされているようである。
クーガは教会にいた牧師に掃除をさせてほしいと言ってみたが、「滅相もないです！」と断られてしまった。
「実は、掃除は私の毎日の日課でして、やらないと落ち着かないのですよ。どこでもいいですから」
「そ、そんな、聖地の神官様に掃除をしていただくなんて。それよりもどうか、今日は信者達に神様のお話でもしていただけませんか？」
牧師の方も必死である。
「それはいいですが、その前にちょっと掃除を」
「それだけはどうか！」
などと牧師との長いやりとりの末、どうにか教会の裏の庭を掃除させてもらえるようになった。
「掃除をするのも大変だ。まあ気持ちはわからないではないが……」
教会の裏庭はたいして汚れてはいなかった。木の葉が落ちている程度である。クーガがほうきで庭を掃いていると、前方に大きな蛇がくるりと回転し、腹を上に向けていた。
クーガがその蛇をよけると、蛇はクーガの前方に移動してきた。
「？」
「ほうきでなでると喜ぶよ」
石垣の上から声がした。見ると子供が上に乗り、こちらにひょいと降りてきた。
「怒らないかな？」
「喜ぶよ。やってみて」
クーガがほうきで蛇の腹をなでると、蛇はじーとのびていた。確かに喜んでいるふうでもある。
「ねえ、お兄さん聖地からきた神官様でしょう？ さすがすごいね。お願い、サインちょうだい、いやサインをください！」
やってきた子供はミルキダスの子供ゼッドだった。
「サイン？」
クーガはちょっと躊躇しているようなので、ゼッドは不思議そうな顔をした。
神官の世界では常識なのだが、自分の名前を署名したものを魔法の道具に使われることがあるので、おいそれと署名はしないのである。
ゼッドは、「僕みんなのサインを集めてるんだよ」と言っていろいろな人のサインを見せてくれた。
（まあいいか。相手は子供だし）
「いいですよ」
「やったあ」
「あなたのお名前は？」
「ゼッドです！」
クーガは白い紙にペンでさらさらっと名前を書いた。そしてその横に小さく何かの記号を書いた。
「これなあに？」
「万が一の保険ですよ。はい、どうぞ」
「？ ありがとう」
ゼッドはサインを眺めた。クーガという名前の横に丸い円が描かれてその中にはちょっと複雑な印か文字のようなものが描かれていた。
「私は後で教会でお話をすることになりました。よかったら来てください。あ、学校だったかな？」
「僕来るよ。お母さん達と来るからね。どうもありがとう」
「では後でね」
ゼッドは大きく手を振って去って行った。
大蛇はものたりなさそうにまだ腹を上にあげている。
「まだですか。はいはい」
クーガはほうきで蛇の腹をなでてやった。
一方教会の外ではミルキダスがやってきてゼッドとはちあわせていた。
「あ、やっぱりここにいたのか」
「へへー見て見て、クーガ様にもサインもらったんだよ！」
ゼッドはうれしそうにミルキダスにサインを見せていた。
「恥ずかしいことをするなって言ってるだろう。全く」
ミルキダスは真っ赤になっている。
「恥ずかしくないよ。後でお話を聞かせてくれるんだって。お母さん達とくるんだ」
「今日は学校だろう？」
「学校よりもクーガ様のお話の方が貴重だよ。でしょ？」
「ん？ まあ確かに」
ミルキダスは否定もできなかった。学校も大事だが、教会に来るのも大事なことである。
「早く家に帰ってお母さん達に見せよう！」
ゼッドは瞬間移動した。ミルキダスはクーガにお礼を言おうかどうか考えていたが、ふと視線を感じてそちらに目を向けた。通りの向こうからであるが、そちらに移動してみたがだれもいなかった。
「？ まあいいか。クーガ様のお話かあ。私も聞きたいな。だが仕事だし、また機会があるかな。とりあえず、挨拶だけしておこう」
ミルキダスはまだクーガに出会ったことがなかったので、挨拶をして先ほどのゼッドのことを謝り、去って行ったのだった。
聖地の神官クーガの話が聞ける、というので、今日は今までにないくらいの人々が教会に詰めかけていた。
「中に入れるかしらねえ」
ゼッドに誘われてやってきたキャシーとジェシカは、あまりの人の多さに驚いている。
「お母さん達こっちだよー」
列の前の方にすでにゼッドがいた。ゼッドは屋敷に帰ってからすでに並びに来たのである。
「こういうときは頼りになるわね」
「ほんとうね」
教会の扉が開くと同時に人々が中になだれこんだ。今日は立ち見も大勢いそうである。
「お話までしていただいてすいません」
教会の中の部屋では、フリットがやってきてクーガに謝っていた。
「いえいえ、何か仕事をしていないと落ち着かないんですよ。午後にはお城の方に戻ろうと思います」
「そうですか」
クーガが壇上に出て行くと、人々の感嘆の声があがった。
「皆さんおはようございます」
「「おはようございます」」
人々が挨拶を返した。
「聖地で神官をしていますクーガと申します。縁があって一月ほどこちらにとどまることになりました。今日はこちらの牧師様に頼まれて私がお話をすることになりました。どうかお付き合いください」
女性達から「ひゃー」というような悲鳴のような声があがっていた。
「では本日はまずはアシュラン様のお話から……」
フリットはクーガの話を牧師とともにフリットも裏で聞いていた。牧師は涙を流さんばかりである。
（しかし、クーガ様は良い声をしてるな）
さすが多数に話をすることになれているせいか、とても聞きやすいし、説得力がある。話が一つ終わった時には大拍手が起こっていた。
「ああ、感動だ。とても感動する。さすが聖地の神官様のお話はすごい。ところで、クーガ様はどうして一月もこの地に滞在なさるのですか？」
牧師はフリットに聞いた。
「さあ、私もそこはわからないのですよ」
実際フリットも理由は良く知らない。
「そうですか。ありがたいことです。本当に。神様のような方だ」
牧師は感動しまくっていた。
クーガの話が終わり、人々は教会から去って行った。
「ゼッド、私達はこれから買い物をするから、あなたは学校に行きなさいね」
「はーい」
ゼッドは母親達と別れて、学校に行く振りをして遊びに行くことにした。
「学校はもう休みでいいよ。さて、どこに遊びに行こうかなあ。そうだ。森に大蛇の卵でも探しに行くか。緑の卵がレアだ。どこの森にしようかな。よーし、西」
ゼッドが移動しようとしたとき、「ちょっとそこの君」と声をかけられた。
「ん？」
「そこの賢そうな坊や、君だよ」
声をかけてきたのは中年の男である。男はちょっとくたびれた感じの茶色い短髪の男だった。
「ちょっとおじさんの話を聞いてくれないかい？」
「えー？」
「お願いだよ。この通り、ここは人が多いからちょっとこっちに来ておくれ」
人々はまだ教会から外に出て歩いてきているところである。
（いかにも怪しい男だ）
とゼッドは思ったが、好奇心が旺盛な男の子である。
「遠くまではいかないよ」
「近くでいいよ。こっち」
男はちょいちょい手招きをして、路地裏にゼッドをつれて行った。
「あのさ、朝、ここを通ってて聞こえたんだけど、君、クーガ様のサインをもらったって本当かい？」
「うん、本当だよ」
「すごいじゃないか。この通り、おじさんにそのサイン、譲ってほしいんだ。タダでとはいわない。君のいい値で買うから」
「えー？」
「この通り」
男は手を合わせている。
「実はおじさんには年老いたお母さんがいてねえ。死ぬ前に聖地に行きたいと言っているんだけど、もう無理だし、神官様のサインでも見ることができれば、元気になると思うんだよ」
「ふーん」
「人助けだと思って頼むよ」
「やだよ。自分で頼めばいいじゃない」
「神官はね、大人にはサインしてくれないだよ」
「どうして？」
「そういうものなんだ。それともなにかい、本当はサインしてくれなかったんじゃないの？ えらい神官様が、子供の望みを聞くわけないもんなあ」
男は急に疑いだした。
「そんなことないよ。してくれたよ」
「じゃあ見せておくれよ」
「いいよ」
ゼッドはショルダーバッグを開けてサインの束を取り出して、クーガのところを男に見せた。
「ほら、本当だろ？」
「本当だ。でも、ははは、こりゃひどいな。クーガ様、こりゃないよなあ」
男はなぜか笑い出した。
「？ 何が？」
「君は気づかなかったのか。このマーク、こりゃ『まぬけ』って意味だよ。クーガ様は君をまぬけ呼ばわりしてるじゃないか」
「はあ？」
ゼッドはサインの横にあるマークをしげしげと眺めた。
「なんて大人げないんだろうなあ。子供にこんな冗談じみた暗号を描くなんてさ、こりゃいけないな。君はこれだけ馬鹿にされてもまだ大事にこのサインをもっているのかな」
「？？？」
ゼッドは混乱中である。
「えらい神官なんてこんなものだ。君が気づかないと思って馬鹿にしたマークを描いて、裏で笑ってるのさ。性格悪いよなあ。なんだかがっかりだな。神官様に対する尊敬の念も薄れるな。こりゃ」
「ふーん、僕にはそんな風には見えないけどねえ」
「本人に聞いてみたらいい。きっとしらばっくれると思うけどね」
「うーん、なんだかおじさんの言ってることが正しい気がしてきた。このサイン、捨てようかな」
「そうしたほうがいい。それか、そのまぬけマークのところだけ切り取って保管していればいい。それは高く売れるからね。売っちゃえばいいんだよ」
「おじさん、あげようか？」
「クーガ様は君をばかにしたんだから、そんな神官様のサインなんてほしくないな。でも、棄てるのももったいない。買い取ってあげるよ。そうすれば君も得だろ？ そのまぬけマークは邪魔だから切り取って売っておくれ」
「そうだね。そうしよう」
ゼッドはうなずいた。
「それがいい。それが賢い選択だ」
男が満足そうにうなずいた時、ゼッドは素早く前に移動して男の腕をつかんだ。
「！？」
そして瞬間移動をした。移動先は教会の中である。教会の中では、牧師と、信者が出て行った後の掃除をしたいクーガのやりとりの最中だった。そこにゼッドが男を連れてやってきたのだった。
「ゼッド君、どうしたのかね？」
牧師が聞いた。
「クーガ様、あのね、この人が、クーガ様が僕をまぬけ呼ばわりしてるっていうんだけど。だからこのサイン捨てたほうがいいっていうんだ」
「え？」
クーガは目をぱちくりさせている。男はちょっとあわてていた。
「こら、君、さっきのは冗談だよ。冗談、じゃあね」
男はすばやく教会を去って行こうとしていた。のだが、足は同じ場所を動いているだけでまったく進んではいない。
「くそっ！」
「すいません、ちょっと裏に行っててもらえますか。私は彼と話がありますので」
クーガはにこやかに牧師達に伝えた。
「はい、ゼッド君も行きましょう」
「うん。僕、クーガ様の方を信じてるからねー」
「ありがとう」
ゼッドは牧師と裏に引っ込んだ。この場には、男とクーガの二人だけである。クーガの雰囲気ががらりと変わった。温和な風貌が冷ややかなものへと。
「やれやれ。なんと抜け目のないことだ」
「なんのことかわかりませんねえ。オレはあの子に冗談を言っていただけで、離してくださいよ」
男の足はいまだ空回りである。
「いーや離さないね。異教徒には死を、だが、ここで殺しはまずいな。人気のないところに移動しようか」
クーガが冷ややかに言った。
「異教徒じゃないですよ。オレはアシュラン様が好きさ、石像に口づけしたっていいくらいだ。のわー！」
男の体が宙に浮き、クーガは共に人気がない森の中へと移動した。
「神官様は気がみじけえなあ！ 異教徒が教会に入れないでしょうが！」
男は必死になって叫んでいる。
「だが、異教徒に通じている者だろ？ 私のサインをどうするつもりだったんだ？ 大方異教徒に高値で売る気だったんだろ？ そういうやつらもひっくるめて異教徒だ」
「違うって。確かに、あの子からサインを買い取る気でいたけどね、売る相手は敬虔な金持ちの信者だよ。あんた達はめったにサインなんてしないだろう？ だからねえ許してくださいよ。この通りだよ」
男は泣き顔である。クーガは眉をひそめていたが、ようやく男を解放した。
「まったくあっぶねえ神官様だよ。わかってくれたかい？ 誰しも出来心ってあるだろう？ 許してくださいよ」
「いいだろう。ただし、審判は受けてもらう。これが平気だったなら、逃がそう」
クーガは男の額に手を当てた。
「な、何を？」
男の額に光りの輪が浮かんだ。
「この光の輪、普通の者にはなんてことはないが、異教徒にはきつい。そういう魔法だ」
「うっうへっ！ 違うっていってんだろ。ちくしょう！」
男の額が黒ずんできた。
光の輪は男の額をこがしだしたのだ。男は両手にナイフを取り出して素早くクーガに投げた。ナイフはクーガの手前で壁に当たったように落ちた。
「畜生ー！！！」
光の輪はさらに男の額に食い込んで、男はその場に倒れてしまった。
「やはり異教徒じゃないか。さっそくにこれか。はて、もしかして、また大勢この国にこいつらがやってきているのかも？ それで私にとどまれと？」
クーガはそういう可能性もあるのかと思い出していた。
クーガが教会に戻ってきた。
「おお、ご無事でしたか」
牧師は喜んでいる。
「はい、先ほどの男は異教徒でして、森で処分してしまいました。戦士の方に伝えてほしいのですが」
「わかりました」
「ゼッド君、さっきのサイン、君に渡さない方がよさそうだ。またああいうやつがからんできちゃいけない。返してくれるかな？」
クーガは温和な表情に戻り、ゼッドに言った。
「教会で保管しましょう。秘密裏に私の私室に置いておきますから」
牧師が言い出した。
「しかし」
「クーガ様、この模様のようなものはなんですか？」
ゼッドが聞いた。
「これは、異教徒が手に取ると焼ける模様だよ」
「だからここを切り取ったほうがいいとか言ってたんだ」
ゼッドは納得した。
「じゃあ、僕は返したことにして、牧師様の部屋に飾りましょう。せっかくだし」
「そうしましょう！」
「大丈夫ですかねえ」
「私の私室ならめったにだれも入らないので大丈夫ですよ」
「それならば。ゼッド君、サインは魔法で悪用されることもある。他の人のサインもね。気をつけるんだよ」
「わかりました。持ち歩かないようにします」
ゼッドは素直に返事をし、「代わりに握手してください」と握手をせがみ、教会を去って行ったのだった。
午前中だけで様々なことがあり、クーガは城に戻ってきた。
「お帰りなさい。皆さん喜んだでしょう」
ゆりがクーガに言った。
「はい、とても」
クーガは穏やかそのものだったので、とても一悶着あった後だとは思えなかった。
「僕達も行きたかったね」
「うん。クーガ様のお話は面白いものねえ」
ラギとシスが言った。
「あの、できたら、あの教会だけではなく、この国の他の街の様々な教会にも行ってみたいのですが、どなたか案内していただけないでしょうか」
クーガがゆりに頼んだ。
「そうですか。誰かに案内するように頼みますね。あちこちの牧師様が大喜びしますね」
こうして、午後はフリットがやってきた。二人はこの国の地図を見ながら、どこらの教会に行くか思案した。
「とりあえず、南の方に行きますか」
「お願いします」
二人は出かけていき、夕方まで戻らなかった。
そしてクーガが処分した異教徒の回収に行ったヴィラがラクシュミに報告していた。
「来た早々すごいな」
ラクシュミも感心している。
「すごいですね。クーガ様は異教徒退治にとどまってるんですか？」
ヴィラが聞いた。
「え？ いや、そういうわけではないと思うが……書簡には休暇とあったがな」
「全然休む気はないようですが」
「急に休めと言われても休めないだろうなあ」
ラクシュミも苦笑していた。
そしてミルキダスの屋敷では、ゼッドが「クーガ様かっこいいよねえ。僕ファンになっちゃったよ」などと言っていた。
「弟子にしてほしいくらいだよ」
「頼むからあまり近づくんじゃない。邪魔だから」
とミルキダス。
「邪魔じゃないよ。今日すっかり仲良くなったんだから。握手もしてもらったし」
「それはクーガ様が優しいからだ。邪魔をするんじゃないぞ」
「邪魔じゃないってのに。しばらく学校休んでクーガ様に付き添おうかな」
「絶対だめ！」
などと二人のやりとりが続き、姉や母親達は横で笑っていたのだった。
つづく
一二部
戻る