第３３話

聖地に夕闇が迫っていた。各神殿は信者達の巡礼が終わり、閉める支度をする時刻である。夜の神殿や月の神殿などはこれからが本番だが、祭りの日でもない限り、夜やってくる信者は稀である。


そんな頃、ハロルド神殿から少し離れた場所では、神官達があっと驚くような戦いが行われようとしていた。

神官戦士同士の戦いである。かたや父親であるアシュランの血のせいで長生きを余儀なくされている男、かたや自ら妖精になることを選んだ男、二人の生き様は対照的であるともいえる。

二人とも神官戦士だが、スペードは妖精のため、いろいろ制約がある。国中を飛び回って戦う他の神官戦士とは違う。またクーガも、よっぽどの事がない限りは戦いに借り出されたりはしなかった。

ゆりの事件の際も、ハロルドは個人的感情もかなり含んでいたために、クーガの手を借りるなど考えなかった。その後クーガが蛇の国に行ったのは、その時の判断がアシュランの神官長の判断だったからである。

アシュランの神官は他の神官達にとってはちょっと別の存在であり、気軽に飲みに行ったりするような間柄にはなかった。彼らには最高神の神官というプライドがあるのである。

そのため、アシュランの神官達がこの稽古の場にやってきて一緒に稽古をするようなことも、あまりないのである。


草地の真ん中に移動したスペードとクーガは、向かい合った。

「ではこちらから行きます」

スペードの方が先に動いた。まずはほんの小手調べ、とばかりに、スペードは剣の打ち合いを挑んだ。スペードはハロルドの加護がついているからとはいえ、相手がハロルドではない限り最初からパワー全開で戦ったりはしない。

クーガはスペードの剣の威力を片手で受け止めきれないと思ったのかすぐに両手で剣を持ち、刀身で受け止めていた。刀身同士がぶつかる金属音が辺りに響いた。

スペードが上から振り下ろした刀身がクーガに受け止められるやいなや、スペードは刀身をずらしてまっすぐクーガを突こうとしていたが、クーガはそれもかわしていた。

（この人本当に習ってたんだな）

スペードはクーガとちょっとやりあっただけで理解した。しかも、結構な使い手がクーガに教えていたのではないかと思われた。

クーガは後ろに下がり、スペードと間合いを取った。左手を剣から離して握りしめる。その瞬間、クーガの左腕が光り輝き、丸い光りの盾が出現した。

「おー」

と傍らにいた神官達が声をあげている。

今度はクーガの方がスペードに向かって行った。


所変わって雲の上の神殿である。

「おい、グレンちょっとこい」

裏にひかえていたグレンは、アシュランに呼ばれたので広間に入っていった。

「なんでしょうか」

「これを見てみろ。おもしろいぞ」

アシュランの椅子の前の床に、地上の様子が映し出されている。グレンはそれに近づいて映像を眺め、金髪の男を見て目を見開いていた。

「クーガ様！」

クーガが誰かと戦っているようだ。

「ここはどこですか？」

「聖地だぞ」

「聖地ですか」

「いやー楽しそうにやってるじゃないか。彼女に会わせてよかった」

アシュランは笑っている。

「彼女とは？」

グレンが聞いた。

「あっちのガーベラだ。最近クーガの恋人になったんだぞ」

「え……ええ！？」

グレンはものすごく驚いていた。

「ハロルドには秘密だぞ」

「いつの間にそんなことになっていたんですか？」

「最近だ。おかげであいつもここのところ充実してる。いいことじゃないか」

アシュランはすごく機嫌がよさそうである。

グレンはいつの間にかゆりとクーガがひっついていた、ということにまだ信じられない面持ちでいた。

グレンはクーガが戦っている相手の男を見た。

（あれ？　彼はあの時彼女と一緒にいた妖精だ。もしかして、彼女を取り合って喧嘩してる？）

グレンはそこまで妄想してドキドキしていた。

誰かが広間に入ってきた。アシュランははっとしたが、相手がアリアスだったので、床の映像はそのままにしておいた。アリアスはこちらに近づいてきて床に目を向け、クーガがいたのでかっと目を見開いた。

「あ、クーガ、おい、やめさせろ。クーガの顔に傷がついたらどうする！」

アリアスがあわてて言っていた。地上の二人は真剣で戦っているのである。

「クーガはいい年をした立派な大人だぞ」

「私はあいつのあの顔を愛しているんだぞ！」

とアリアス。

「過保護はいかんぞ」

「あいつはああいう戦い向きじゃないだろう」

「そんなことはない。ちゃんと剣の指導だって受けた。クーガは剣聖ブロンの弟子だぞ」

「900年も前の話だろ！　あの時もいっぱい傷ができて、私がどれだけハラハラしたと思ってる」

「まあまあ、もうちょっと見ていよう」

アシュランは興奮するアリアスを制している。


地上では、クーガの攻撃をスペードは難なくかわし反撃していたが、いまだ半分の力も出していないかのようだった。クーガは光の盾でスペードの攻撃をかわしている。

クーガが反撃し、振り下ろした刀身をスペードは両手で握った剣で受けた。スペードはすぐに間合いを詰めて右手を剣から離すや、クーガの肩に手をあててそのまま押し倒していた。クーガの体が背中から地面についた。

「結構腕力があるんですね。驚きました」

クーガを地面に押さえつけたまま、上からのぞき込むようにスペードが言った。クーガにとっては屈辱的行為である。

スペードはそこから離れて間合いを取った。クーガは立ち上がると、剣の刀身を下に向けた。

空気が揺れる気配があった。

（魔法が来る）

スペードはそう予感した。

クーガは刀身を上に振り上げた。と同時に突風が起こり、スペードに向かって行った。

スペードは防御魔法をすでに発動させている。

「風はその魔法ではしのげないぞ」

クーガが声をかけた。

「あ、そうか」

スペードはすぐに横に動いてよけたが、風は近づいてくるや大きくなり、スペードの腕を切っていた。

「あ！　スペード様！」

スペードの左腕は切れていたが、血がダボダボ流れ落ちるほどではなかった。

「間合いをつめたほうがよさそうだ！」

スペードはクーガに近づいて行った。


風魔法が使われたことで風の妖精達が近づいてきた。

（珍しい。クーガ様が戦ってるわ）

（がんばれ〜）

妖精達は隠れて応援している。


再び剣の打ち合いになるかと思われたが、スペードはクーガの頭上に光りの短剣が三本浮いているのに気づいた。

「おっと」

スペードが足を止めた。

その短剣がスペードめがけて猛スピードでヒュンヒュン飛んできて、スペードは後ろに飛んで間一髪でそれを避けていた。

「容赦なく魔法を使ってきますね」

「あなた死なないでしょ？」

「さっきので完全に怒っちゃったみたいですね」

クーガの頭上に今度は１０本もの光の短剣が並んでいる。クーガが剣を動かすのと同時に短剣が２本ずつ、スペードの元に飛んで行った。

「やばい」

しかも光の剣は２本が同じ方向に飛んでくるわけではなく、別方向に飛んできた。スペードは下がったり飛び上がったりして短剣を避けた。

接近戦に持ち込まないとスペードの方が不利のようだ。

スペードは10本目の短剣を避けるとすぐにペースをあげて、一気に間合いを詰めた。

「速い」

スペードは一気にクーガのすぐ前にまでやってきていた。スペードは横から切りつけ、クーガは光の盾で防いだ。

スペードの速さが格段にあがり、クーガは剣を受け止めるのが遅れ気味になってきた。ついにはスペードの剣先がクーガの右腕を切っていた。

「ぎゃークーガ様！」

神官達が悲鳴をあげている。

「これでおあいこですね」

スペードが言った。

それには反応しなかったクーガだが、スペードから少し離れて何やら呪文を唱えていた。

「お？」

今度はクーガが素早く間合いをつめた。クーガの速さも上がっている。

「素早くなる魔法か何かですか？　クーガ様は負けず嫌いなんですね」

スペードはそれをかわしながら言っていたが、スピードだけではなく、力も上がっているようだ。

「こりゃすごい」

スペードはさらにスピードをあげてクーガの後ろに回り込み、後ろから肘でクーガの背中をつこうとしたが、クーガは反転してそれをかわし、さらにスペードの背中にけりを入れていた。

「おっと」

スペードは踏ん張って転びそうになるのを耐えている。クーガはさらに肘を入れながら突進し、ついにスペードは地面に手をついたのだった。

「これで……おあいこですね」

クーガは肘で上からスペードの背中をぐりぐり押しながら言った。クーガの息はあがっていた。

「いや、ここまでついてきてくださるとはうれしい」

スペードは体を回転させてクーガの体に足をかけ、そのまま押さえ込んだ。クーガの体がそのまま倒れた。

「ぐっ！」

剣を離したクーガは手に何かを握りしめてスペードの腕に突き刺そうとし、スペードは「うわっ」と言いながら避けていた。よくみるとクーガの手に光の杭のようなものが握られている。

「あぶねっ！」

スペードはクーガから離れた。


雲の上の神殿では先ほどからアリアスの悲鳴があがっている。

「アシュラン、いい加減にしろ。お前が止めないなら私が止める。相手の男にはヤキを入れる」

アリアスの右手が光り輝いている。

「やめろ。せっかく相手をしてくれたんだから。わかったわかった」


地上ではクーガが光の杭を握ったままスペードに向かっていき、スペードも素手で応戦していた。二人の側に、空から金色の細い矢が飛んできて地上に刺さった。

「あ、アシュラン様の仲裁だ！」

「え？　もしかしてご覧になってた？」

「ひえええ」

神官達は空を見上げている。


光の矢に気がつくと、クーガとスペードは離れた。

クーガは光の杭を消して、ローブについた草を払っていた。スペードも息を吐いている。

「クーガ様、楽しかったですよ。今度はもっと動きやすい服で来てください」

スペードがにこやかに言った。クーガはじろりとスペードを睨むと、「ふん」と言って姿を消したのだった。

「スペード様、どうするんですか。アシュラン様に怒られますよ」

神官達は恐れおののいている。

「怒らないだろう。さっきのは友達同士の喧嘩だと思ってくださるって」

スペードは気楽に言っていた。

「友達同士はあんな喧嘩はしません！！」

３人は口をそろえて言ったのだった。


雲の上の神殿では、

「アリアスがうるさかった。まったく見せるんじゃなかった」

とアシュランはアリアスに見せたことを後悔していた。もうすでにアリアスはここにはいない。

「あのー先ほどのことなのですが……あちらのガーベラ様を、一体どうなさるおつもりなんですか？」

グレンは恐る恐る聞いた。もしや、強引にゆりを離婚させるつもりではないかと思ったのである。

「別にどうもしない。私だって、今まで散々いろんな女をあいつに引っ付けようとしたんだ。でもだめだった。他にあれほど強烈な女がいないんだからしょうがない。中身も強烈だから、お前だって心惹かれてるんだろ？」

「は、はい」

グレンは素直に返事をした。

「異性に心がときめくなんていいことじゃないか。まさに生きてる証だ。私ももっとときめきたい」

最高神は最後にはこんなことを言っていたのだった。


聖地では、クーガが私室に戻るとアリアスが待っていたのでクーガが驚いていた。

「アリアス様」

「怪我はどうだ？　ちゃんと手当をしたか？」

アリアスは心配そうな顔でクーガに近づいた。

「はい、え？　見ていたんですか？」

クーガはすでに腕の手当をしてもらい、服も着替えている。

「心配したぞ」

「大丈夫ですよ。たいしたことはありません」

「珍しいな。お前が異教徒以外とあのように戦うなんて」

「そうですか？」

「ま、お前の顔が無事でよかった」

アリアスはじろじろクーガの顔を眺めていた。

アシュランの子供の中でも、このアリアスが一番クーガのことを気にかけている。同じ腹違い同士だし、クーガのことを不憫に思っていた。アシュラン以上に過保護である。

千年経ったいまでも、アリアスの中では、クーガはかわいい子供のイメージなのかもしれない。アリアスは今まで何度も「神の国に来い」とクーガを誘っていたが、クーガは首を縦に振ることはなかった。

アリアスとしては、美しい弟にいつまでもこのままでいてほしいと思っているのだが、クーガは妖精になる気もないし、アリアスのことを「お兄様」とも「お兄ちゃん」とも呼ばないので、アリアスははがゆく思っている。

アリアスはクーガの左胸に目を留めた。小さい青い花がそこに咲いている。

「それはなんだ？」

「ああ、キレイでしょう？」

アリアスはじーと花を眺めている。花はキラキラ輝いていて、まがまがしい感じはなかったので、アリアスはさほど気にしなかった。

「何か、困ったことはないか？　なんでもいいんだぞ」

「別にありません」

「そうなのか？」

アリアスは残念そうである。

「あ、そうだ。私の誕生日の願いは、もうすでに大神に伝えました」

「ええ！？」

「それでかなえていただきました」

アリアスはショックを受けたように後ずさっていた。

「そんな……じゃあお前は誕生日が来ると人間になってしまうのか？」

アリアスはクーガの誕生日のお願いのことも、アシュランがそれで悩んでいる事も知っていた。

「クーガ……」

アリアスはとても悲しそうだったので、クーガは少し笑っていた。

「お願いはそれじゃないですよ。もうしばらくはこのままです」

「え！？　本当か？」

「はい」

「妖精になる気になったか？」

アリアスは目を輝かせて聞いた。

「それはなってません」

「なんだ……じゃあ何を願ったんだ？」

「私がいるこの世界を、いつまでも守ってくださいとお願いしました」

「え？　それは別に願わなくても当然のことだろ？　私もお前に誕生日の贈り物をしたい。何かねだれ。な」

「では考えておきます」

「ああ。じゃあな。体に気をつけるんだぞ」

アリアスはクーガの肩に手を当てて、部屋を出て行った。

クーガは頭を下げて太陽の神を見送った。太陽の神が去ると、部屋の中に春の日だまりのような暖かい空気が残った。

クーガはしばらく、その暖かさを感じていた。その暖かさは、アリアスの心そのものだ、とクーガは感じている。

昔、聖地に流感が流行り、大勢の人が亡くなったことがあった。まだ若かったクーガは、大勢人が亡くなるのが辛いあまりに、アシュランになんとかしてくれと頼んだのだ。

しかし、願いは聞き届けられず、クーガは、日頃からクーガに目をかけていたアリアスにも頼んだのだった。

その時アリアスは、「私にも人の運命を変えることはできない。だが、せめて私が看取ってやろう」と、熱にうなされた人々の手を握り、優しく看取ってくれたのだった。

太陽の神に看取られた人々は、安らかな気持ちで息を引き取ったに違いない。その日の日の入りと翌日の日の出、太陽の馬車にはアリアスに代わり、春の女神である３姉妹が乗っていた。

後にも先にも、アリアスが太陽の馬車を他人に頼んだのはその二回だけである。それがアシュランに咎められたのか、次に太陽の馬車が空を駆ける時刻になると、ダーナが聖地に現れていた。

アリアスがきっとダーナに頼んだのだろう。流感のピークが過ぎるまで、アリアスは聖地にやってきてくれた。

クーガはその時のことを未だに深く感謝している。


クーガは傷ができた左腕をなでた。たいした傷ではなかったのだが、体に傷をつけたのは久しぶりである。

「つい挑発に乗ってしまったが、確かにらしくなかったかな。それはあの男もそうだったが」

スペードの機嫌もかなり悪そうだったから、今回のことにつながったのだろう。平常だったならば、クーガをあのように挑発しなかったかもしれない。またクーガも、ゆりのことがなければスペードの挑発に乗ることはなかっただろう。

「上にも見られていたとは……まったく悪趣味な……」

クーガは、一緒に見ていただろうアシュランの事を思い、口をへの字にしていたのだった。


つづく

１２部

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