第36話
スペードの家でゆりを見たクーガは無表情になりそのまま固まってしまった。まったく動かなくなってしまったのでゆりは椅子を立ち上がり、
「あのークーガ様……」
とうかがうように言った。
「…………」
クーガはまだ固まっている。
「あのー……」
ここでクーガはきっとスペードを睨んだ。
「あなた、一体彼女に何をしたんですか！」
「え？」
「いえ、違うんです。スペード様は何もしてないですよ」
「あなたは黙りなさい」
クーガは怖い顔でゆりに言ったので、ゆりはつい「はい」と返事をしてしまった。
「一体どういうつもりなんですか」
クーガはスペードに詰問している。
どういうつもりだ、と問われても、スペードにはどういうつもりもなかったので、答えようもなかった。
「あの、クーガ様、スペード様は本当に何もしてないんです。私が、起きたらなぜか、ここにきちゃってたんです」
ゆりはスペードに申し訳なかったので、あせって弁明していた。
「そんなことがあるわけないでしょう！」
「それがあったんです」
「あなたはここにどうやって移動したんですか！」
「夢をつたって？」
「はあ？」
「スペード様と夢で会って、それで気がついたらここにいたんです」
「夢で一体何をしていたんです！」
「何って、お話しかしてないですよ。それより、お願いします。城に連れて行ってください。早く帰らないとやばいんです！」
ゆりは両手を合わせて頼んだ。
「この通り。おねがいします！！」
「嫌です」
クーガはつんと横を向いていた。
「クーガ様、お願いしますよ」
「今日は忙しいんで、夕方には返してあげますよ」
クーガは意地悪げに言った。
「夕方！？」
そんなに長い間ゆり不在がばれないわけがない。
「クーガさまぁ」
ゆりの目はうるうるしている。クーガは横を向いていた。
そんな様子を見ていたスペードは、「忙しいのなら仕方ないですね。なら夕方まで、ここで、私と一緒に待ってますか」とゆりに言った。
「え」
とゆり。
クーガはじろりとスペードをにらみ、ゆりの腕をむんずとつかんで消えてしまった。
『貴様、覚えてろ』
とクーガの目は言っているかのようだった。
「こわっしかし、わかりやすかったなあ。あの人、彼女に好意があるのか」
スペードはそういうことには疎かったが、さすがにクーガのゆりに対する気持ちに気がついたようだ。
「だからあの時もなんかピリピリしてたのか」
ゆりが旅行に来ていた最中クーガがいる間、スペードはなんだか変な気を感じていたのだった。
（もしかして並の好意じゃない？）
スペードは、ゆりの子供達の話を思い出していた。
蛇の国の王妃様は、恋人がいればいるほど尊敬されるらしい。
（まさかクーガ様も彼女の恋人？ いや、まさかあの人が人妻を相手にするかねえ。謎すぎる）
スペードは、クーガが、恋人が大勢いる女を自分の恋人にするということがイメージできなかった。人妻などもっての他、というほうがクーガらしいような気がする。
（まあ彼女にも、そういうイメージがまるでもてないが……）
スペードは、ゆりが男を毎晩取っ替えているイメージはもてなかったし、男を手玉にとっているイメージももてなかった。ゆりに対しては、どこまでも明るい朗らかなイメージしかもてない。
大体裏ではドロドロの愛憎劇を繰り広げているような女性を、神であるサラディンやオルガが出迎えたりするだろうか。
（みんなで和気藹々と楽しくしてるとか、それって、ガーベラ様のイメージ？ だからクーリーフン様とも親しいのかも？）
スペードはそこまで想像したのだった。ちなみに、ゆりを見たハロルドの神官達は、「あの女性はガーベラ様ですよ」といまだに思っている。
スペードはゆりと一緒にいたラギのことを思い出していた。もう一人の子供シスとは、本当に楽しそうに聖地を回っていた。二人は対等な関係だった。仲が良い兄弟に見えた。
（お国柄なのだろうか？ 赤い月以外にできた魔力をもたない子供が、あのように他の兄弟と親しくなれるなんて）
王族ともなれば魔力がものをいう。魔力を持たない子供は、たとえ王族であってもはみ出し者である。格は、魔力がある家臣達の下である。
スペードは人間の頃、周りに散々「かわいそう」だの「不憫」だの言われてきた。母親は自分のことを「魔力がない子に産んでしまってごめんなさい」といつも謝っていた。
父親は、自分を作ったことを「失敗した」と思っていた。
魔力がなかったスペードにとっては、剣の道を究めるしかなかった。だが、いくら剣技にすぐれていようが、それがどうした、というのが周りの反応でもあった。
魔力がなければ、戦いではたいした役にはたたないじゃないか、と。
必死になればなるほど滑稽な気がしてきた。半ば自暴自棄になっていたとき、「お前、聖地に来ないか？」と声をかけてきた者がいた。
「聖地？」
その頃、スペードは自分が国を出るなど考えたこともなかった。
「ここでくさっているよりずっといいぞ。聖地に来い。そしてもっと自分を磨け。剣聖バミューが弟子を欲している。バミューがお前を認めるかどうかはお前次第。どうだ？」
「聖地で剣の修行ができるんですか？」
「ああ。できるとも。今のお前じゃ弱すぎる」
「行きたいです」
スペードは考える間もなく答えていた。この国には、自分の居場所などなかったのだ。
「王には私から話をつける」
その者は消えて、翌日、城の方に聖地から書簡が届いた。「長男を聖地で引き取りたい」とそこには書いてあった。王は喜んだ。次の王は次男が継ぐことに決まっている。長男は、この国では使い道がないのだから。
こうして王族の長男に産まれながらも魔力がなかったスペードは聖地に行き、そのかわりに、国には素晴らしい剣が届けられた。その剣がいまだに使われているのかどうか、それはスペードにはわからない。
スペードは一族を棄てた。
「お前は神官になるんだ。ただの神官になるか、すごい神官になるか、私も楽しみにしているぞ」
スペードを聖地に誘ったのはアシュランだった。神々の長が自分を聖地に誘ってくれた、ということが、スペードにとってはとてもうれしいことだった。しかも、「自分の成長を楽しみしている」と言ってくれたのだ。
この時のアシュランの言葉は、スペードの心を大きく動かした。スペードは師匠である剣聖バミューが舌を巻くほどに成長し、アシュランから神官として必要な魔力を、ハロルドからは加護を与えられて、神官戦士になった。
そして老齢にさしかかったとき、「我らと同じ時を生きないか？」とアシュランから妖精への打診があったのだ。スペードはその申し出を受けて妖精になったというわけだった。
故郷には全く未練はないが、故郷のあの風景を、スペードは今も覚えている。
『スペード様も、他に秀でてるところがいっぱいありそうですね』
（あんなことを言われたのは初めてだ。母親があんな風に明るいから、子供達も明るく育ったんだろうな）
スペードはラギの聖地での様子を思い出し、微笑んでいた。
「しかし、どうして彼女がここに来たんだろう？」
それだけはどう考えてもスペードにはさっぱりわからなかった。
一方ゆりは、クーガから部屋に連れてきてもらえるのかと思ったのだが、部屋には連れてきてもらえなかった。ひとっ飛びしてきたのは北の街の教会である。ちょうど礼拝堂にはだれもいなかった。
「城への瞬間移動は無理です。王様に気づかれますから」
「ありがとうございます。本当に感謝します！」
ゆりは心底感謝してお礼を言った。クーガは不機嫌そうにゆりを見ている。
「あのー本当に何もしてないですよ？」
「でも、彼に会いたいとか考えていたんじゃないですか？」
それがまったくないとはゆりも断言できなかった。
「いや……その……」
「しばらく自重してください」
「はい」
ゆりは素直に返事をして、クーガは姿を消した。ゆりは蛇の目のゆりにチェンジをして、城に戻ったのだった。
ゆりの部屋ではジロウが寝室を心配そうにうろうろ歩き回っていた。ゆりを見るやいなや、「ワンワン」と尻尾を振って近づいてきた。
「もーどこに行ってたんだよう」とでも言っているかのようである。侍女が騒いでいる様子はなかったので、ゆりはほっとした。王様と一緒ね、とでも思われたのかもしれない。
「ごめんね。心配したよね」
蛇の目のゆりはジロウの頭をなでた。
「いやーしっかし驚いたわ。夢をつたって聖地って、そんなのあり？ 私達の新しい特殊能力？ それとも男ガーベラ様があの時何かしたとか？ さっぱりわからない」
こちらのゆりにもそのからくりは、さっぱり分からなかった。
「ゆり」
「うわっ」
突然ラクシュミの声が聞こえて、蛇の目のゆりは転びそうになるほど驚いた。振り向くと、後ろにラクシュミが立っていた。
「お前、城から出ていなかったか？」
「え？ ばれちゃった？ 少しだけ出てました。ごめんなさい」
「……まったく」
ラクシュミは深く詮索せずに消えたので、ゆりはほっと胸をなでおろした。
「心臓にわるー」
どちらのゆりにとっても疲れる朝だった。
この日は、ラギとシス、ナナミはムサカと一緒に戦士達の演習を見に行くとうれしそうだった。ゆりも見たかったが、これ以上何かしでかすとシャレにならないので、自分の部屋でおとなしくいることにした。
黒目のゆりは、なぜ自分がスペードの部屋にいたのかを部屋でゆっくり考えてみた。散々神様を呼び寄せてきたが、まさか自分が向こうに行くはめになるとは思わなかった。
（神の国で、私がひっついてた男の人は、私が目覚めるとこっちにきちゃう。昨晩は、最後にスペード様とひっついちゃったからあっちに行っちゃった？ ってことは、あの夢はスペード様の夢ってことよね）
「うーん……」
なぜスペードの夢に行ってしまったのか、ゆりにはそこが分からなかった。
（私がスペード様を慕うあまりに？ 私そこまで慕ってるのかな。そうだ。スペード様は結婚しないんだった。それはよかった。その上、裸のスペード様に抱きついてしまった。想像通りのしなやかな筋肉、そして、うっすら胸毛が
あったー！ 獣系ワイルド！）
ゆりは朝のことを思い出してつい一人で興奮していた。
さて、昨日と同じ平野では、戦士達の合同練習が行われて、その合間に、ムサカが手作りの魔法石を皆に披露していた。
少し離れた所にはハインリヒが立ち、ムサカが魔法石を発動させた。大きな竜巻が突然発生してハインリヒに向かって行った。
「げ」
それが思ったより大きかったので、ハインリヒは魔法を受けるどころか瞬間移動で逃げてしまった。
「ハインリヒ、魔法を受けねばテストにならんだろうが」
ムサカが言っている。
「無茶言わないでくださいよ。風魔法は防御が難しいんですから」
「わかった。では次は火の魔法だから、受けよ」
「はい」
ムサカが次の石を出した。
ムサカが呪文を唱えると、大きな炎が宙に浮かび、ハインリヒめがけてものすごい速さで落下した。ハインリヒは条件反射的にそれも逃げてしまった。
「ハインリヒ！」
「あれは逃げるよな」
とそれを見ていただれもが思い、子供達と一緒に見ていたドルイドは、（相変わらず無茶な人だ）とムサカのことを思っていた。
ムサカは、カーライルや他の者達に、魔法石の説明をした。魔法石は魔力の結晶である。作るのはなかなか難しいようである。
「実は私、ムサカ様に教えてもらって作ってみたんですが、途中で壊れてしまったんです。作るには結構コツがいるようです」
カールが言った。
「少ない魔力で使えるのなら、戦の前にいくつか用意しておけば、本番は楽になりますね。本来ならば、こういうことはあまりしたくないですが」
とハインリヒ。
「まあのう。反則だからの。だが、戦は今や国の滅亡がかかったものとなってしまっておるのだから、四の五のいってはおられんだろう」
ムサカが言った。
「そうですね。私にも作れますか？」
ハインリヒが聞いた。
「ハインリヒに作れないようでは、他に作れる者はいないだろうのう」
とムサカ。
「そりゃそうだな」
みんなの意見を代返して、カーライルが言っていた。
ハインリヒは、魔法石を作ってみることにした。
12の月に入り、ゆりが頼んでいたグレンの絵画が届いた。しかも、いつも聖地からの書簡が届く、聖地の魔法鳥が運んで来たのである。アシュランの大事な客の希望だとでも言ったのかもしれない。すぐに届けなければと思ったのだろう。
「やったあ。これで絵がそろうわ」
ゆりは喜んでその絵を受け取った。シスとラギも話を聞いてゆりの部屋にやってきた。ゆりは「ジャーン」といいながら、丸まっていた絵を開いてみたのだった。
「おー」
「いいねえ」
その絵は、グレンが空を飛んでいる絵だった。
「ステキ」
顔のアップではないのが残念だが、なかなかいい絵である。
「お母さんでもこれ……」
「グレンかっこいいよねー」
「なんかでかくない？」
「え？」
ゆりはグレンの絵を眺めながら他の絵を見た。確かにラギが言う通り、絵がでかい気がする。
ゆりは棚の額縁を持ってきて絵を合わせてみた。
「ギリで入るんじゃない？」
「入るかなあ」
ゆりは額の裏板を外して絵を入れてみたが、ちょっとだけ入らない。やはり一回りでかいようだ。
「えー嘘！ どうしよう」
「ちょっと切ったら入りそうだね」
シスが言った。
「切る？ えー？ 構図が変になっちゃうわよ」
「逆に、額を大きくすればいいじゃない」
ラギが言った。
「そうね、でも……」
ゆりはちらりと壁に並んでいる絵を見た。グレンの絵だけ一回り大きいってのは問題ではないだろうか。いや、ここが普通の家ならば、そういうのもありだが。
「額を大きくしてここに飾るのはやめたほうがいいよね」
シスが言った。
「そうだね。ハロルド様がそれを見たら、グレン様の絵にパンチするかもしれないからね」
とラギまで言っている。確かにあり得る、というより、絶対そうなりそうだ。ハロルドだけではなく、ラーズやオルガに見られても、微妙な空気になりそうである。
「じゃあ、この絵は別のところに飾ろうかなあ。寝室は……余計まずいか。儀式部屋とかもあれだし、うーん」
グレンの絵は、無難に食堂に飾られることになった。グレンの絵を食堂で見たミシェイラは、「クーの絵にしてよ」とゆりに言っていた。
「クーの絵はいっぱいミシェイラの部屋にあるからいいじゃないの」
「ブー」
「母様グレン様と仲良くなったらいいと思う」
ナナミが言った。
「あら、ナナミはグレン様タイプ？」
「グレン様、神様の裏情報一杯知ってるんだよ。だからそれを聞いて私に教えて。将来本を出して売るから。絶対売れると思う。神話並に売れると思う」
「絶対教えない」
とゆりは言ったのだった。
さて、その夜のこと、ゆりはまた夢で草原に来ていた。草原にまた豹の姿が見えたので、ゆりは「やばい展開だ」と言っていた。
近くにあの夢でみた大きな木も見える。
（まさかまたスペード様がいたりして……そして今日も私はすっぴん。だって寝てるんだからしょうがないじゃない）
ゆりは豹のようにそろそろっと歩いて大木の所まで行き、木の向こう側をのぞいてみた。スペードはまた寝そべっている。そしてゆりに気がつくや、「わっ！」と飛び起きていた。
「また来てしまってすいません」
ゆりはつい謝っていた。
「いえ……あの、この前大丈夫でした？ 無事すぐに帰れましたか？」
「はい。大丈夫でした。迷惑をかけてすいませんでした」
ゆりはスペードからちょっと離れて座っていた。
「いえ、私はいいんですが……」
ゆりはスペードの側に花のつぼみが一輪だけあるのに気づいた。他には同じつぼみは見当たらないようだ。つぼみの周りはちょっとキラキラ輝いて見える。
「なんだろう。なんだか気になる花ですね」
ゆりが言った。
「あ、はい。そうなんですよ。この花は、ずっと咲かないんです」
「そうなんですか？」
「どんな花なのか気になってるんですが……それよりも、明日の朝も起きたらゆり様がいる、なんてことにならないでしょうか」
スペードはそっちの方が気になっていた。
「大丈夫です。前回はなぜああなったのか私考えました。最後にスペード様にひっついていたからです。ひっつかなければ大丈夫です」
ゆりは自信満々に言った。
「本当ですか？」
「はい」
「ならいいですが……」
「私もクーガ様にまた頼むなんて怖くてできません」
ゆりは苦笑いである。
「そうですね。あのう、ゆり様は、私に好意がありますよね？」
スペードはおずおずと聞いた。
「え？ はい」
今まで散々好意を示してきたので、違うとは言えない。
「私は、あなたの恋人にはなれません。すいませんが」
「はい、わかってます」
どうやら先に牽制されたようだ、とゆりは思った。
「ですが、ここでこうして会っているのも、スペード様とは何らかの縁があると思うんですよ。運命を感じるんです」
「運命？」
ちなみに、ゆりが運命を感じている相手はたくさんいるが、そんなことは今は関係ないようだ。
「ですので、お願いします。私と文通してください」
「……え？ 文通？」
スペードは目をぱちくりさせていた。
「はい、私の文通相手になってください」
ゆりは真面目に頼み込んでいる。
「……あの、私は文は苦手でして……」
スペードは頭に手を当てている。
「長文なんて書かなくていいです。ただ、『私の手紙を読みました』とだけ書いていただければ満足です」
「いや、それも……」
「それも面倒でしたら、あ、そうだ。手形を送ってください」
「手形？」
「はい。読んだ印に手形が欲しいです」
「読んだ印にて、手形？」
「はい！」
「ぷ……ぷぷぷ……くくく……」
スペードは自分が手形を押す所を想像したのか、ついに笑っていた。
「手形……手形……」
どうやらツボにはまったのか、腹をかかえて笑っている。
「そんなにおかしいですか？」
「おかしいですよ。なんで私の手形なんて欲しいんですか」
「何も返信がないと、私の手紙を読んでいただけたかどうかわかりませんし、私も文字を書くのは苦手なんですけど、がんばって書きますから」
「はあ……くくく……」
スペードはまだ笑っていた。
景色が白くなってきた。
「あ、まずいわ。スペード様、それじゃまた」
ゆりは立ち上がると走って逃げて行った。
「あ」
世界は白くなり、夢は消えた。
スペードは目が覚めてはっとしたが、ゆりがいなかったのでほっとしていた。
「手形……ぶっ」
スペードは夢でのことを思い出してつい吹き出していた。スペードも長いこと生きてるが、自分の手形をあれほどほしがった女など、いなかったに違いない。
「やばいな。彼女とまた話がしてみたいような気になってしまった。また夢に来るのかな？」
スペードは思い出し笑いをしながら、ついそう思ってしまったのだった。
さて、ゆりの方は、今回は移動しなかったので「よかった」とほっとしていた。やはり最後に接触すると行ってしまうのかもしれない。
「さっそく今日手紙を書いてみようかな」
ゆりはベッドの上で言っていた。
―まだるっこしいのが好きねえ。それよりも迫った方が楽なのにい
声が聞こえて来た。
「いいの。じわじわ攻める。そして私の手紙を10年も読む頃には、きっと私のことが好きになってるはず」
ゆりがにやけながら言った。
―１０年もかかるの！？
「夢で何度か会えたらもっと短いかも？ まあそのまま終わっても、それはそれで楽しいじゃない。スペード様の手形がもらえるし」
相手は送るとは言ってはいないのだが、ゆりはもうくれるもんだと思っているようだ。
「手形を集めて楽しもう」
しかも、何度もくれるもんだと思い込んでいる。
―せっかくだから、クーガ様にも手紙をだそうよ。喜ぶよ
「クーガ様は後数日で移動するからいいんじゃない？ あ、私、あの時のお礼状とか出した方がよかったのかな。しまった。出せばよかった」
ゆりは今頃気づいていた。このまま１５日にクーガに会うと、大変なことになりそうである。
「今日出したら間に合うかな。無理か」
今日は雨だった。これから梅雨の季節になると、手紙が国外に届くのはもっと遅くなるのである。
―王様に魔法鳥を飛ばしてもらったら？
「え？ あれって緊急な用件なんでしょ？」
―これも緊急よ
「まあ、私達にとってはそうかも」
ゆりは朝食後、速攻でクーガに手紙を書いて、ラクシュミに、「聖地のクーガ様に魔法で手紙を送りたいです」と頼んでみた。
「聖地に手紙？ 魔法鳥は緊急な用件でしか送らないんだぞ」
「私にとっては緊急なの。クーガ様に、『神様を讃える詩を書いてください』って頼まれたの。もう、すぐにでもクーガ様に見せたい。今すぐに見せたい」
「詩？ それは緊急な用件なのか？」
「はい」
ゆりは大きくうなずいていた。
「どう考えても違うだろう」
「お願いします。本当にお願いします」
ゆりは必死である。
「ゆり、魔法鳥をしょうもないことに使ったら、向こうから怒られるんだからな」
「本当にお願いします」
ゆりは頼みながらも、（嘘をついてごめんなさい）とラクシュミに謝っていた。
ゆりがあまりにしつこく頼むので、ラクシュミは仕方なくその手紙を送ってくれたのだった。
一方聖地である。聖地も今日は雨だった。各国からの魔法鳥が聖地に来る場所は決まっている。アシュラン神殿の中にある、金色に輝く石がおいてある魔法の部屋である。魔法鳥を飛ばすのもここからである。
各国からここに送る場合、この金色の石のおかげで、少ない魔力で送ることができるのである。
ゆりあてのグレンの絵も、ここから送られたのだ。ラクシュミが送った手紙は、２時間ほどでここに届けられ、係の者がアシュランの神官長に届け、神官長がクーガを呼んだ。
手紙は封筒に入っていて、封筒には「クーガ様に緊急な用件です」と書かれていた。
神官長は老齢にさしかかった男で、この聖地では一番地位が高い。ちなみにクーガは神官長になってほしいとずっと前から言われているが、それだけはごめんだとずっと断っている。
クーガがやってきた。
「私あての手紙なのですか？」
「そうですよ。緊急な用件と書かれていますが、王からの書簡ではありませんな」
神官長は手紙をクーガに渡した。王からの正式な書簡は、見ただけでわかる。このような小さい封筒に入ってくることはないのだ。
「なんだろう」
クーガはすぐに封筒を開いて手紙を読んだ。
「…………」
「クーガ様、重要な用件でしたかな？」
神官長が聞いた。神官長は、地位は自分の方が高いが、クーガのことを敬って「様」づけで呼んでいる。
「あ、これは……私にとっては重要な用件ですが、危機が迫った重要な用件ではないので、大丈夫です。失礼します」
クーガは手紙を持ったまま消えた。
「そうですか。それはよかった」
神官長は、さっさと消えてしまったクーガに言っていた。
クーガは自分の私室に移動して手紙を読み直している。手紙はゆりからで、
「親愛なるクーガ様へ
この間はありがとうございました。あの時のクーガ様は、まさに私にとっては天の助けでした。クーガ様がいらっしゃらなかったら、私はどうなっていたやら、想像するだけで怖いです。
今はクーガ様に出会えたことをアシュラン様に感謝しまくってます。次にクーガ様に会えるのを楽しみにしています。 ゆり」
と書かれていた。「ゆり」の後に、意味深にハートマークが二つ並んでいる。
「今頃こんな手紙をよこすなんて、遅いでしょう」
クーガはそう思ったが、最後のハートマークを見て、（もういい、許します）などと思っていたのだった。
どうやらうれしかったようである。
つづく
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