第４２話
スペードは自分のベッドで目を覚ましていた。目覚めるなりがばっと体を起こして口元に手をあてている。
「やばい。つい耳をかんでしまった……しかもお返しまでさせてしまった」
（彼女は普通の挨拶だと思ってくれていたが……挨拶は挨拶でも、あれは赤い月前の男女がする挨拶なんだが……もし彼女が他の豹の男にあの挨拶をしたらどうしよう。かなりやばい。だが彼女は豹の男に会うのは
オレが初めてだと言ってたし、会わないかな？ 大丈夫か？ そうだ。こういうときこそ手紙を書いたらいいじゃないか」
スペードは上半身裸のまま机に向かい、ペンを持っていた。
13の月、聖地の朝は結構寒い。
スペードは便せんを一枚出して何か書こうとしたが、なんと書けばいいかが分からない。
（あの挨拶は意味深なので他の男性にはしないでくださいと？ 意味深って何ですかと返答が来たらなんて答えりゃいいんだ？ 体を重ねたいという意思表示で……とか）
「そんなこと書けるか！」
スペードはかなり困っていた。
（大体彼女はかなりおかしい。なんであんなにおいしそうな匂いがするんだ？ つい、ついあんなことをしてしまった。聖地でも良い匂いだとは思ったが、昨晩はかなり強烈だったな。彼女がもし今朝ここに来ていたら、
やばかったかもしれない）
スペードはいろいろ考えながらも自分の手首をじっと見ていた。そこに花のつぼみやらがあるはずなのだが、スペードには見えない。
「これのことも聞きそびれてしまった。これは、彼女の魔法なのだろうか？」
（それなら彼女はわざとオレの夢に来ていることになるが、だが、偶然来てしまったって感じだったが、芝居か？ いや、そんな風には見えなかったし、それに、大体オレを落として何になる？
いくらカードのスペードが好きだからといっても……夢で遊びたいとか？ 酔狂すぎるだろう。それなら手形が欲しいとか文通したいとか言い出さないよな……）
「さっぱりわからん」
スペードは結局ゆりに手紙を書くことはできなかった。
聖地は島であるが、港は島の東中央部１カ所だけである。船の往来も対岸の大きな港町ノイトラール１カ所のみで、陸地を通る物も人も、すべてこの港町を通ってくる。
蛇の国がいつも送る酒も、ここを通っている。
ノイトラールは商人の街とも呼ばれている。ここで住む者達は生粋の一族の者ではない混血児達がほとんである。街の統括は聖地ではなく、どの一族でもない。
この世界では珍しく、この街の統治者は8年に一度の選挙で決まるのである。街の統治者も生粋の一族の者はなれない決まりであるが、このノイトラールの周りで幅をきかせているのは狼、豹、虎、そしてノイトラールの南にある
大河の南に位置する雷獣の一族の者達であり、この街の警備を彼らは共同でやっており、統治者も、自分達の血が濃く入った者を推し、選挙が近くなると結構小競り合いも多くなってくる。
様々な者達が暮らすこの街の様子は、他の国では見られない光景である。
このノイトラールには大きな歓楽街があり、娼館などもそこにある。聖地にはこのような場所がないため、聖地の神官がここに来ることも珍しくはない。
さて、昼間の歓楽街は人通りもまばらであるが、酒場も娼館も朝から晩まで店は開いている。その娼館の一つにやってきた男がいた。
受付にいた若い男がその男に気がついて、「あれ、お久しぶりですねえ」と言った。
「やあ、ギニックさんはいるかい？」
「おりますよ。ちょっと待っててください」
裏から背が高く、口ひげをはやした中年の男が出て来た。頭の上には獣の耳がある。犬と狼の一族の混血児だが、国を出てこの街で娼館の主人をしている変わった男である。
「おや、スペード様じゃねえっすか。久しぶりですねえ。この時間女の子少ねえんですけど、スペード様の好みなら、だれがいいかな」
ギニックは女の子達の出席表を調べていた。
「いや、いいんだ。ちょっと話がしたくて来ただけなんだ。ちょっといいかい？」
スペードが言った。
「いいですよ」
ギニックは小部屋にスペードを案内して酒の用意をしていた。
「スペード様は変わらないですね」
「まあね」
「最近は豹の連中が幅を利かせてますからね。しばらく来なかったのはそれが原因ですかい？」
今の統治者は２回連続豹の混血児である。
「別にそういうわけじゃない。ギニックさんはいろんな一族の女性について詳しいだろ？ 蛇の一族の女性に会ったことはあるかい？」
スペードはギニックが椅子に座った所で聞いた。
「蛇ですかい？ ないですねえ。あの一族は女はすごく少ないでしょう。ほとんど国の外には出ないって話ですよ」
「やっぱりそうか」
「性欲も薄い一族って話ですよ。だから人口も少ねえんですよ。一時期危なかったみたいですが、最近盛り返してますね。あそこの王妃は結構な懸賞金がかかってるんですけど、まだ元気みたいなんでよかったですよ。全く女を殺すなんてありえねえ」
ギミックは言いながら酒を飲んでいる。
「ん？ その話もうちょっと詳しく教えてくれるか？」
スペードはちょっと前のめりになっていた。
「蛇の王妃の話ですか？ あそこの一族ものすごく出産率が悪いんですけど、今の王妃は結構な孕み腹で、もう王の子供を７人とか８人とか産んでるんですよ。それでずっと前から裏じゃ王妃に懸賞金がかけられてるんですよ。
もちろんかけてるのは龍ですよ。でも王妃はほとんど城から出ないし、街に行くこともめったにないですからね。商人に化けて暗殺を試みた者もいたみたいですが、失敗してる。
そりゃ、あっちも気をつけてるでしょうからね。懸賞金だけどんどんあがっちゃって」
「あれ？ 王族への暗殺とかしてもいいのか？」
「暗殺が成功するようじゃ、その王族もたいしたことはないってことになるんじゃないんですか？ さすがに金目の国王への暗殺は無理なんで、懸賞金なんてかからないですけど、あの王妃は金目じゃないんで、もしやれたらラッキーくらいなんでしょう」
「そうか」
「それでね、面白い話があるんですよ。魔術で暗殺するすご腕の暗殺者ってのがいるんですけど、そいつが王妃の暗殺を請け負ったらしいんですよね」
「え？」
「それが、請け負った翌日に、やっぱりやれねえって前金をそっくり返したらしいですよ。それ以来そいつ足洗っちゃったみたいでね、一体何があったんだろうって商人達が噂してたのを聞きましたよ」
「へー……そりゃ、よかった」
スペードはちょっとほっとしていた。
「女を殺そうとするやつなんざ、バチが当たっちまえばいいんだ。それで、何の話でしたっけ？」
「えーと、そう、実は蛇の女性と会う機会があったんだが、その女性がすごく良い匂いだったもんで不思議に思って。獣系の女性にそう思うなら納得するんだが、蛇だと、全く系統が違うだろう？」
「全く違うと思いますよ」
「ものすごく良い匂いだったんだ。種族を超えて興奮する匂いなんてあるのかな。そういう香水とかあるか？」
「香水ねえ。どの程度ムラムラしたんです？」
「もうやりたいって感じだった」
「いくら香水でもねえ、元が獣系じゃないんじゃ、そんなにムラムラしないとおもいますけどねえ。本能に訴えてくる匂いなんてのは、同じ一族の女の匂いだけでしょう。
種族を超越して興奮した匂いを発する女は、オレが知る限り一人だけですよ」
「だれだ？」
「ガーベラ様ですよ。愛欲の女神様」
「ガーベラ様？」
「ガーベラ様は、見つめられるだけで、もう興奮しちまう。匂いなんてなくても興奮する」
ギニックは突然めろーんと鼻の下をのばしていた。
「ギニックさんはガーベラ様に会ったことがあるのか？」
「それが一度だけあるんですよ。もう100年くらい前かなあ。当時乱暴な客が数人いましてねえ。最初は追い出していたんだが、どうにかなんねえものかと思って、聖地のガーベラ神殿に行った時に、神官に軽くその話をしたんですよ。
そしたら後日、ガーベラ様が会ってくださるって神官に呼ばれて、冗談だろって思ったんですが、本人だったんですよ。鏡越しで匂いはかげてねえんですけど、いやーすごい美女でしたねえ。
見つめられるだけで、股間がもうやばくて、女神様の前で失礼はならねえと、必死で耐えましたわ」
ギニックは懐かしげに話していた。
「それでガーベラ様が、乱暴な男をおとなしくさせる香油をくださったんですよ。それ以来、女の子に暴力を振るう男もいなくなって、女の子も喜んでますよ。今では定期的に神殿から香油を仕入れてるんですよ。
他の店も同じみたいですよ。いつもは普通の香油を焚いてるんですが乱暴なやつが来ると、その香油を一滴垂らすんです。するとどんな乱暴なヤツも、その匂いをかぐとおとなしくなっちゃうんですよねえ。不思議ですよ」
「へー……」
「スペード様は神の国に行くこともあるんでしょう？ ガーベラ様にお会いしたことあります？」
「あ、ああ。すごい美女だった」
「ですよね。オレはあれ以来ガーベラ様のファンでさー年に一度は神殿に行ってるんですよ」
「そりゃ知らなかった」
「神殿に行くとガーベラ様に似た匂いがするでしょう。あれは良い匂いですよねえ」
ドアをノックする音が聞こえて、ギミックがドアを開けた。
「ギミックさん、ガーベラ様の神官様がいらしてます」
「おお、スペード様、今話してたやつですよ。それじゃちょっと失礼します」
ギミックは出て行き、スペードはそっと受付の方をのぞいてみた。すると、ギミックと話していた神官は、ゆりが聖地に来たときに博物館で出会っていた神官だった。つまり、中身はクーリーフンである。
ギミックは神官から香油のようなものを受け取り、何度も頭を下げて代金のようなものを払っていた。神官は代金を受け取ると店を出て行った。スペードはあわてて受付に行き、ギミックに「今日はこれで」と言って店を出た。
通りをキョロキョロ見渡すと、右に歩いている神官を見つけ、スペードは近づいて行った。
「すいません。神官さん」
人に化けていたクーリーフンは、スペードを見た。
「あ、違います。今日はその用でここに来たんじゃないですよ」
娼館通りだったので、スペードはあわてて弁解していた。
「私に何か用ですか？」
「話を聞いてほしいんですが、一緒に船で聖地に帰りませんか？」
「……船代を出してくださるならいいですよ」
「もちろんいいですよ」
二人は港まで歩くことになった。
「自分で香油を売って歩いてるんですか？ 神官に任せればいいと思いますが」
スペードはまずそれを聞いていた。
「さっきのは特別だったのでね。もちろん毎回私が来てるわけじゃないですよ。あなたはここらに何の用できたんですか？」
クーリーフンが逆に聞いていた。
「店の主人と話がしたくて来ただけですよ」
クーリーフンはスペードの右手をじっとみている。
「あなたにも見えますか？ 花のつぼみが」
「つぼみ？ 少し開いてますね」
「え？」
スペードはどきっとした。
（クーリーフン様なら、これのことをご存じかもしれない）
スペードは、船に乗るのを待つことにした。
聖地へ行く船は、大きな船から小さな船まであるが、ちょうど20人乗りの中型の船が出る所だったので、二人はそれに乗った。風は冷たく、甲板にはだれもいない。皆船の中に入っている。
妖精であるスペードは温度に対する感覚は鈍くなっている。それはクーリーフンも同じのようなので、二人はだれもいない甲板にいた。
「前に、聖地で私が一緒だった王妃様、クーリーフン様は彼女のことよくご存じですよね？ 彼女が私にこれをつけたようなんですが、これ、何かご存じですか？ 彼女には見えてないようなんです」
クーリーフンはきょとんとした顔付きだった。
「これを彼女が？」
「そうです。これのせいか、彼女は私の夢に何度かやってくるようになったんですよ。知り合いの神官がこれのせいだと言ってたんで、多分そうだと思うんです」
「へー」
クーリーフンはスペードの手を持ってしげしげと手首を眺めている。
「それで、あなたは迷惑なんですか？」
「迷惑というか、一緒にいたらなんか変な気になっちゃいそうなので、困ってるんです。私も男なもので」
「彼女にそういう気を感じるんですか」
「彼女の匂いがすごく良い匂いなもので……彼女の理想の男をずっと演じてあげたいですが、できなかったらまずいでしょう」
「別に彼女は処女でもないし、大人の女性なので、いいんじゃないですか？」
クーリーフンはスペードの手を離して気楽に言っていた。
「いやいや、だめでしょ。彼女は大神の知り合いですよ」
「あなたに犯されたってアシュラン様に泣きついたりしませんよ」
「そういう問題じゃないですよ」
スペードは小声で言っていた。
「それに彼女はあなたの知り合いでしょう。私みたいな男に何かされたら大変だ、とか思いません？」
「別に思いません。ははーん、あなた、あっちは結構乱暴なんですか？ まさか最中に女性を殴ったりとかするんですか？」
「まさか！」
スペードはつい大きな声を出して口に手を当てていた。
「そんなことはしませんが、根本的にどこかおかしいですよ。彼女は夫がいるんですし」
「彼女には恋人も結構いますよ。しかも、恋人になりたい男が他にいるんで、なるなら早くなった方が良いですよ」
「え……」
「彼女に会いたくても会えない男もいるんで、夢で会えるなんていいじゃないですか。彼女は話をするだけでも面白いでしょ？」
「…………」
「あなたが一途な女じゃなきゃいやって言うなら仕方ないですが」
「あなたにも、これを取ることができますか？」
スペードは右手をあげていた。
「それは、僕には無理だなあ。それをつけたのは、僕より力が強い者ですよ。彼女じゃない」
「じゃあだれです？ 知り合いの神官は取れるって言ってたんですが」
「神官には無理ですよ。取る方法は一つだけですよ。あなたが彼女に、「もう会いたくない」と言えばいい。そうすれば、彼女はあなたを諦めざるをえないでしょうからその花も多分取れますよ」
「はあ……悪者にならなきゃ無理ですか」
「彼女のためを思うなら、恋人の一人になっちゃえばいい」
「私は妖精ですよ」
「だから？ 娼館で欲望を解消するよりも、よっぽどいいじゃないですか。ああ、アシュラン様の知り合いの女を欲望のはけ口のように抱くのは悪いってそう思ってるんですね。あなたが彼女を愛すれば、万事解決ですよ」
クーリーフンはスペードの肩をぽんぽんとたたいていた。
「だから、夫がいる女をそんなに好きになっちゃってどうするんですか」
「彼女は人間版ガーベラなんで、一人の男のものになるのは無理なんですよ。グレンだって彼女にぞっこんだ。彼女が来た時、グレンが会いに行ったでしょ」
「グレン様、なんか変だと思ってましたが……やっぱりそうなんですか？ てっきり別人かと思ってましたよ」
「グレンは彼女を大好きですよ。あなたが夢で会ってるなんて知ったら、うらやましがると思いますよ」
「はあ……」
「彼女と楽しい時を過ごせばいいじゃないですか」
「でも、夢で彼女をつい抱き寄せたら、目覚めた時彼女が私の部屋に来ちゃったんですが」
「えー？ それでどうやって蛇の国まで帰ったんですか？」
クーリーフンは本気で驚いていた。
「クーガ様に頼みました。クーガ様も、なんか彼女が好きみたいなんです」
「すごいね。彼女と知り合って幸せな気分になれるならいいことだ。でも、いきなりそっちに行っちゃうなんてなあ」
「あのーラクア様やサラディン様、オルガ様も彼女と何か関係あります？」
スペードはこの際と思って聞いてみた。
「うーん、まだ今は、単なるお知り合いって感じだよ。ラーズは彼女のこと好きだよ」
「えー！」
「妖精とか神とか、彼女には関係ないんだ。じゃあまあそういうことで、がんばって」
汽笛が鳴っている。船は聖地についていたので、クーリーフンは陸地に上がっていた。クーリーフンは、（ハロルドもだと言ったら、多分逃げるだろうな。ばれなきゃいいけどなあ……）とそう思っていた。
一方スペードは、ゆりにたいしてどう接すればいいのか、もうさっぱりわけがわからなくなっていた。あまりのことに、甲板でしばらくぼんやりしてしまっている。
（ねぼすけは取れるって言ってたんだが、無理なのか。彼女にまた会って、変な気になったらどうしよう。むしろそれで嫌われるかも？ 想像と違うって思われて彼女に嫌われるってこともあるかもな。それはそれでいいのか？
しかし、彼女の理想の男を演じてあげたい気も……演じてどうするんだ？ 他に男がいるんだからオレが何かしなくてもいいと思うが………神様二人にクーガ様まで彼女を好きって、やっぱり彼女の匂いは種族を超えてる。いや、超えすぎのような気がする）
「あのー降りないんですか？」
ぼんやりしていたら船員に声をかけられた。
「降ります」
スペードはようやく船を下りたのだった。
さてゆりは自分のことでスペードが悩みまくっているなど全く知らず、その日の夕方になり、イシュタールがゆりの部屋にやってきた。
「王妃、帰ってきましたよ！」
「会いたかったー！」
ゆりはイシュタールに抱きついた。イシュタールもゆりを抱きしめている。
「私も会いたかったですよ。これ、スペード様からの返信ですよ」
イシュタールはスペードからの手紙を渡してくれた。
「返信書いてくださったんだ。うれしいなあ」
「サラディン様も、王妃からの手紙を喜んでましたよ」
「本当？」
「はい、とても」
「そう。今回も楽しかった？」
「はい。そうだ。オルガ様に一度お会いしましたよ。それで王妃の良い所をいっぱい伝えておきました。オルガ様、すごく興味津々で聞いてましたよ」
「そ、そう……」
「王妃が動物が好きって話の流れで、オルガ様が、『私があげられる動物といったらオオコウモリとかオオガラスとかなんだが、あまり喜ばないかなあ』とかおっしゃってたんで、オオコウモリはさすがにもらっても
飼うの大変かなと思って、珍しい食べ物とかも好きですよ、と言っておきましたが、オオコウモリ、欲しかったですか？」
「オオコウモリ？」
ゆりは自分の部屋に大きなコウモリがぶら下がってるところを想像していた。
「いやー食べ物の方がいいかな。王様に怒られそうだし」
「コウモリの国のオオコウモリは、かなりでかいですからね。この部屋の天井くらいまでありますよ。部屋じゃ飼えないし、一匹だけ飼うのもかわいそうだし」
「だよね。オオコウモリが来なくてよかったかな」
ゆりは頬をかいている。
「欲しくなったら言ってくださいね。訂正しておきますから」
「いや、いい。ラギは喜びそうだけど、この部屋では飼えないだろうから」
「そうですか。王妃、私明日からはうんと働きますからね」
イシュタールはゆりの唇にちゅっとキスして去って行った。
「あーいちゃいちゃは当分無理っぽいなあ。まあしょうがないか。オオコウモリ……ぶっ」
ゆりはそこらを飛んでいる小さなコウモリしか見たことがなかったので、一度間近でオオコウモリを見てみたいとは思っていたが、飼うとなると話は別である。
「この部屋の天井より高いのか。飼うの無理だわー」
ゆりはスペードからの返信を開けてみた。折りたたんだ紙に黒い手形がついていた。
「やった、手形送ってくれたんだ！ うれしい！」
短い手紙もあった。「手紙ありがとうございます。スペード」とだけ書かれていた。どうやら本当に手紙は苦手らしいので、これだけでもゆりはうれしかった。一緒に花のしおりが入っていた。
聖地にだけ咲いている赤、青、黄色の三色のかわいい花で、土産物屋でゆりは見かけたのを思い出していた。聖地では、６の月に、この花が一杯咲くらしい。
「うれしいなあ。大事にしよう。返信はどうしようかなあ。すぐ書いたらまたあっちが返さなきゃって迷惑？ でも今後は陸地だから、そんなに早くは着かないよね。文通のタイミングって難しいなあ」
などとゆりは思っていた。
夜になり、聖地にいるスペードは、また夢にゆりがすごい匂いで来たらどうしよう、などと思っていたが、夢に来たのはゆりではなかった。ねぼすけである。ねぼすけは大木の近くにあった花のつぼみが少し開いているのにすぐ気づいていた。
「おっ人妻に何かしたろ」
「別に何もしてない」
スペードは素知らぬ顔で返した。
「じゃあなんで花のつぼみがちょっと開いてるんだ？」
「さあ。あ、ところで、今日クーリーフン様に聞いたんだが、この花、ねぼすけには取れないって言ってたぞ」
「え？ ほんと？ 試してみよう」
ねぼすけはすぐにスペードの手首をつかみ、何かを引きちぎろうとしていた。
「くっ……ほんとだ。だめだ。その人妻、魔力ものすごいの？」
「いや、彼女がやったんじゃないとか言ってた。そこらがどうにもよくわからない」
「ふーん」
ねぼすけはスペードの手を離し、座ってあぐらをかいていた。スペードはねぼすけの気配に神々しいものを感じた。
「今日神の国に行ってたか？」
「行ってたよ。っていうか、今もいる。オルガ様の神殿で寝ちゃってる。ははは」
「お前ってやつは……」
スペードは呆れ顔である。
「神殿の周りに生えてる草が欲しかったんだ。それでオルガ様と話をしてたら眠くなっちゃって。オルガ様に「人間の女の子に贈り物がしたいんだが何がいいだろう」って聞かれたから、『ぬいぐるみ』って言っておいた。
「何のぬいぐるみがいいか」って聞かれたからそりゃオルガ様が贈るなら『ヨンヨンちゃん』のぬいぐるみしかないですよって言ったんだよ。そしたらさ、「ぬいぐるみよりも本物の方がいいんじゃないか？」なんて
言うんだぜー笑っちゃうよね。本物って、本物は２メートルものオオコウモリだよ。それもらって喜ぶのはコウモリの一族の女くらいですよって言ったんだよ。そしたら「そうかな？」だって。神様の感覚ってずれてるよね。ははは」
ねぼすけは大笑いしていたが、スペードは笑うに笑えなかった。「ヨンヨンちゃん」とはねぼすけが勝手に名付けているオルガの聖獣のコウモリのことである。産まれた時は小さなコウモリだったが今やかなりでかいコウモリにまで成長し、子供もいっぱいいる。
「お前、オルガ様になんて口の利き方を……」
「大丈夫だよ。オルガ様は僕のこと子供のように可愛がってるから、今更怒りゃしないよ。それにお使い頼まれちゃったよ。ぬいぐるみを買ってこいって。めんどくさい。僕が持ってるのあげようかな」
「ちゃんと新しいの買ってこいよ」
「コウモリまで行かなきゃいけないんだよ。他じゃ売ってないんだからさ。しかしどこの女の子にあげるんだろう。聞いても教えてくれないんだぜー。多分10歳くらいの子だと思うんだけど」
ねぼすけは子供をイメージしているようだ。スペードは（もしや）とは思っていたが黙っていた。
「やっぱ行かなきゃだめか。面倒くさいけどなあ」
「行かなきゃだめだろうな」
ねぼすけは大木に寄りかかり、そのまま目を閉じて寝てしまった。
「夢の中でも寝るのか」
スペードはねぼすけに呆れつつも、（昨日ねぼすけが来なくてよかった）と心底思っていたのだった。
つづく
１２部
目次