第４７話
1の月も最終日である。今日は朝から雪が降り、５センチほど雪が積もっていた。蛇達も寒いから部屋の中で丸くなっている。最近寒いのでゆりも暖かい格好で部屋でじっとしていたが、最近どうにも困ったことになっていた。
スペードと過ごした夜からずっと、どうにもあのことが頭から離れないのである。
「だめだ。ちょっと散歩してこよう。ジロウ君、一緒に散歩しよう」
「わん」
ゆりは犬のジロウと城の中を歩き回り、一階の王の間の前を歩いていた所で、目の前にひげがある男がいたのでびっくりして思わず
「ぎゃー！」
と叫んでいた。ジロウはその声にびっくりして耳をぴょんと動かしている。その場にはフリットとシスもいたので二人も驚いていた。
「母様どうしたの？」
「王妃？」
「え、あれ？」
よく見ると、二人と一緒にいたのは、茶色い髪、茶色いひげがはえた男である。ゆりはその男に見覚えがあった。
「えーと、狼の……」
「ヴァレリオさんだよ。ちょっと遊びにきたんだよ」
とシス。
「すいません。大声出しちゃって」
ゆりは頭を下げて謝った。
「いえいえ、いいんですよ。突然他の一族の男がいたんでびっくりしたんでしょう。王妃様が元気そうでよかったですよ」
ヴァレリオは微笑んでいた。
狼の一族のヴァレリオは虎の国から魔方陣でここにやってきたのだった。虎の国に来たついでに、こっちの酒が飲みたくなってやってきたらしい。今晩は城で泊まって男達と語らうようである。
ヴァレリオは子供達にも人気である。シスとラギ、ロイはさっそくカードゲームに誘ったようだった。
（やばい。ひげがあるだけしか接点がないのに、スペード様がいるかと思っちゃった。私、重症だ……）
ゆりはヴァレリオをスペードと間違えたことにかなりのショックを受けて部屋に戻ったのだった。
夜、客間では、ヴァレリオ、ハインリヒ、ミカエル、フリットがいて、酒を飲みながらカードゲームをしていた。ヴァレリオがもたらす他国の話に３人は興味津々である。
「あ、この話知ってます？ 王妃様を狙った暗殺者の話、凄腕が引き受けたんですが、次の日にはできないってやめて足洗ったそうなんですよね。ノイトラールじゃ一時期結構な噂になってましたよ」
ヴァレリオが酒を飲みながら言った。
「へー、王妃の懸賞金、今いくらなんだろう」
ハインリヒが言った。
「去年は450万バル、だったから、500万バルくらいになってるかも？」
とミカエル。バルは龍の国のお金の通貨である。この国の価値に直しても、かなりの金額である。大きな城を建てて10年は遊んで暮らせる額だ。
「その凄腕の暗殺者って、どう凄腕だったんですか？」
フリットが聞いた。
「魔術師ですよ。あまり表には出て来ないヤツだったみたいなんですけどね、もうお前しかいない、みたいな感じで頼まれたんじゃないんですか？ ここには王様の結界が張ってあるでしょ？ 外から魔術を使うには、
手引きをする者が絶対必要なんですよね。ここは一族以外の者も結構出入りしてますから、簡単にできそうだとでも思ったんでしょう。それが、急に心変わりしたって。よくわからんですがね」
「へー、うちの王妃、この前聖地に巡礼に行ってましたよ」
ハインリヒの言葉に、ヴァレリオは口を開けていた。
「よく外に出しましたねえ」
「すごい方の招待でしたからねえ。聖地で危険もないだろうってことで」
「聖地にはいろいろな人間が出入りしてますからね。危ないですよ」
とヴァレリオ。
「凄腕の妖精さんの護衛付きでしたからね。ヴァレリオさんは聖地に行ったりするんですか？」
フリットが聞いた。
「たまに行きますよ。去年はノイトラールにいたんですよ。あそこはいろんな人種がいて結構楽しいですよ。毎晩喧嘩でね」
３人は笑っていた。
一方、夢の中で、二人のゆりは正座をして膝をつき合わせて座っていた。二人とも真面目な雰囲気である。
「ねえ、来月から２の月だよ」
蛇の目のゆりが言った。
「うん」
「このままじゃやばいよ？」
「うん……」
蛇の目のゆりはため息をついた。
「なんでよークーガ様にもそんなにならないのに、なんでスペードさんにそんなにはまっちゃったのよー」
「うーん、考えたんだけど、ツボ？ ツボにはまっちゃったのかも？」
黒目のゆりが言った。
「ハロルド様とかラーズ様の方がすごいのにーわけわからない」
蛇の目のゆりは頭に手を当てている。
「うーん、不思議だねえ」
「あなたって、器用なんだか不器用なんだかさっぱりわからんわ。神様としてもけろっとしてるくせにさー。普通は違うよ？ 神様としたら、もう普通の男となんてやれない、とか、そういうのならわかるけどさ」
「やっぱりツボにはまっちゃったんだよ」
「はあ……」
蛇の目のゆりにもあおった責任はあるのだが、まさかこんなに黒目のゆりがスペードにはまるとは思ってもいなかった。こんな気持ちで赤い月を迎えるのは危険すぎる。
「スペードさんのどこにそんなにはまっちゃった？」
「うーん、男らしい匂いとか、体温とか、なんかいろいろ」
「あなたは元々蛇じゃないからね。虎の男の匂いにもむらむらきてたからねえ、それで、どうする？」
「う……もう、スペード様には、会わない方がいいかな。やっぱり」
「そうだね」
「……はあ……人妻に言い寄られて気色悪かっただろうなあ……」
「いやいや、むっちゃ喜んでたと思うよ。あの夢でなんて、理性飛んでたじゃない」
黒目のゆりは、目をうるうるさせていた。
「いっそのことさ、ガーベラでの恋人にしようよ。二人が一緒なら、そんなはまらないって。いつもは私が暴走してもあなたが止めてるけど、今度は逆になればいいじゃない。ね」
「ハロルドにはだめって言われたし、それに、ガーベラ様の恋人を大事にしなきゃだめだよ。いつも行ってるわけじゃないんだから」
「うーん……」
「問題は夢だよ。スペード様の夢に行っちゃったらどうしよう」
「それはガーベラ様がなんとかするでしょ。ねえ、聞いてるんでしょ。ガーベラ様、出て来てくださいよ」
蛇の目のゆりが宙を見上げて言った。
「え？ どこにいるの？」
黒目のゆりはきょろきょろしている。二人の横に幻の男ガーベラが本当に出て来た。
「え？ いつもどこにいるんですか？」
黒目のゆりが驚いて聞いた。
「君らといるよ。だって、あっちにいてもつまらないし、君らの恋人がどこまで増えるのか、見てる方が楽しいでしょ」
男ガーベラは微笑んでその場に座っていた。
「はあ？」
「ガーベラ様がスペードさんに会えるようにしたんでしょ？ もう会えないようにしてくださいよ。このままじゃ、赤い月が明けたら足ちょん切られてる可能性高いよ」
蛇の目のゆりが言った。
「冗談じゃなくて真面目だから。あの時の王様、激甘だけど、ものすごく嫉妬深いからね」
男ガーベラに会えてうれしい二人だったが、今は深刻だったので、喜んでる余裕はなかった。
「そうか。わかったよ。じゃあもう夢で会えないようにするよ」
男ガーベラが言って立ち上がった。
「あの、ごめんなさいって伝えてください」
黒目のゆりが言った。
「君が謝ることなんてないよ。君に言い寄られて不幸になる男なんていやしないよ。じゃあ行ってくるよ」
男ガーベラは消えた。
「さよならも言えなかったなあ……」
黒目のゆりはひざを抱えてしょんぼりしている。
（元々の分類が、猛獣よりなのかもしれないなあ……）
と蛇の目のゆりは思った。
（やっぱりフェロモンか何か？ 神様やクーガ様を凌駕してるんだからすごいわ。かわいそうだけど、もう無理だわ。あのまま純な関係の方がよかったのかなあ。でも、いずれはああなってたのかもしれないし、はあ……）
スペードを恋人の一人として見ることもできないなら、会わない方が自分達のためである。赤い月には完全に一人の男だけを愛さなければならないのだから。
一方スペードは、いつもと同じ夢の中にいた。
（次はいつ来るだろう……）
などとゆりの事を考えていると、側に男が一人現われた。目が奪われるほどの美男、長い金色の髪を後ろに縛っていたがかすかに金色のオーラがみえる。男は白いローブ状の服に金色の刺繍が入った腰帯をしていた。
「やあ」
男は片手を挙げた。
スペードはすぐに立ち上がっていた。
「あなた様は？」
「僕はガーベラ。ガーベラの男版ね。花の回収にきたんだよ」
「え？」
「この花を植えたの僕なんだ」
ガーベラは地面に生えている花のつぼみを抜いた。花は半分ほど開いて青い花の色が見えていた。
「そちらも」
ガーベラはスペードに手を出した。
「……あなたがしたってどういうことですか？」
スペードはまだ手を出さなかった。
「君を彼女の信者にしようとしたんだけどね、今回は失敗したんだよ。彼女の方が君に参っちゃって、もう会えないって」
「え？」
「まさかこうなるとは僕も思わなかったけど、まあしょうがないね」
ガーベラはスペードに近づいて右手に触れていた。
「前回何かありましたっけ？」
スペードには何の覚えもなかったようだ。
「猫だよ」
「ねこ？」
「かわいい猫と会ったろ？」
「ねこ！？ まさか！」
スペードの顔がさっと青くなっていた。
「あれはただの夢だと思ってましたが……」
「夢だけど夢じゃなかったんだよね。それは僕がしたんじゃない。君のお友達だよ」
「友達？ ねぼすけですか？」
「うん」
スペードの顔色はかなり悪くなっていた。
「ひどいことをしてしまった。彼女脅えていたでしょう」
「いや、あれが良すぎてもう会えないってさ。彼女は誰かを好きになっても夫以上に好きになることはなかったんだけど、君に何度も会うと、危ないかもしれないって」
「…………」
スペードは口元に手を当てている。
「君が気に病むことはないよ。あんなにかわいい猫がいたら、僕だって食べたくなるさ。じゃ、そういうことで」
ガーベラはスペードに背中を向けた。
「待ってください」
スペードはガーベラを呼び止めていた。
二人のゆりは、暗い雰囲気の中座っていた。
そこにガーベラが戻ってきた。
「やあ、縁を切ってきたよ」
「スペード様と話しました？ 怒ってなかったですか？」
黒目のゆりがすぐに聞いた。
「怒るわけないよ。猫の君と会ったことは単なる夢だと思っていたから、そのままにしておいたよ。君と会えなくなるのを残念がってた。せめて手紙を書いて欲しいって言ってたよ。返事を出すからって」
「そうですか。よかった」
黒目のゆりはほっとしていた。
「じゃあ、本当に文通だけはしちゃおうかな」
黒目のゆりはちょっとうれしそうだった。
「それからさ、この黒豹君が君の恋人になりたいって言ってるんだけど、どうする？」
「え？」
ガーベラの後ろからでかい黒豹がひょいっと現われた。二人のゆりは目をまん丸くしている。黒豹は二人のゆりをちらちらと見て、黒目のゆりの側に行き、横に座ってゆりの頬をべろっとなめていた。
「え？ あの時私の上に乗ってきた黒豹？ ガーベラ様、豹の言葉がわかるんですか？」
黒目のゆりは、豹の背中をなでながら聞いていた。
「僕は恋する者の味方だからね。わかるよ」
ガーベラは微笑んでいる。
「黒豹君、そんなに私のこと好きなの？」
黒豹はべろっとゆりの耳をなめていた。
「恋人にしてあげる。スペードさんって呼ぼう」
黒目のゆりは黒豹をだっこしていた。
「かわいい。スペードさーん」
黒豹はゴロゴロのどを鳴らしている。
その様子をみていた蛇の目のゆりは、「あれってさ……」と何かを言おうとしていたが、男ガーベラは蛇の目のゆりを見て、口元に指を当てていた。
（え？ 嘘でしょ？ あれって、スペードさん本人じゃないの？）
男ガーベラの様子からして、どうにもそうとしか思えない。
（ええー？ スペードさんも彼女に会いたくて来たんだ？ 何もできないのに？ なんだそれ。何その純愛。ばかじゃないの？）
蛇の目のゆりは目元を潤ませていた。
「もういっそのこと、豹になってこの子とやっちゃえばいい。もういいよ。許す」
蛇の目のゆりは泣きながら言っていた。
「何ばかなこと言ってるの？ なんで泣いてるの？」
黒目のゆりは笑って聞いた。
「別に」
蛇の目のゆりは鼻をすすっている。
「その豹時々来るかも知れないけど、来たらそうやって可愛がってあげてよ」
「はーい」
黒目のゆりは、黒豹のおかげで、ちょっと元気になったようだ。
「君はなんで泣いてるんだい？」
ガーベラは蛇の目のゆりに聞いた。
「だって、純すぎて……」
「まあ、本人達が喜んでるからいいじゃないか。じゃあね」
男ガーベラは姿を消した。
こうしてゆりは、スペードにはもう会わないことにしたのだが、代わりに夢に時々黒豹がやってくることになったのだった。
暦は２の月に入った。月の半ばになると、ゆりもスペードのことに区切りがついて、たまにスペードの手形を見て楽しむくらいの余裕も出て来た。
そして１５日、ゆりはクーガの元に飛んでいたのだが、クーガはすぐにゆりがおかしいと気がついていた。ガーベラ姿の左目が、蛇の目のゆりになっていたのである。
「何かあったんですか？」
クーガはすぐに聞いていた。
「え？ 何がですか？」
「左目が違いますよ」
「え？ ほんと？」
ゆりは自分では見えないので分からなかったようだ。
「実は、ちょっと前にあっちの私が男ともめちゃって、今精神的に沈んでるので、今日は私だけってことになったんです」
「え？ 大丈夫ですか？」
「大丈夫ですよ。今は結構元気になってますから、次には一緒に来ますから」
「そうですか。元気になったのならよかった」
クーガはゆりの頬をなでていた。
「あなたは大丈夫なんですか？」
「私は別にもめてませんから。クーガ様にとっても会いたかったですよ」
蛇の目のゆりはクーガに抱きついていた。
その翌日、クーガはゆりの言葉がどうにも気になって、そういえばスペードの手首の花はどうなっただろうと久しぶりに気にしていた。昼過ぎ、ハロルドの神殿に行ってみたがスペードは不在で、
外で神官達に稽古をつけていると聞いたので、そちらに行ってみた。クーガが来ているのに気づいたスペードが側にやってきた。
「こんにちは、クーガ様、1000歳の誕生日だったんですってね。おめでとうございます」
スペードは今頃誕生日のお祝いを言っていた。
クーガはスペードの右手を見た。そこには、花の蔓も何もない。
「彼女と何かありました？」
クーガが聞いた。
「彼女？」
「…………」
「ああ、猫ですか。かわいい猫だったんですがね、捕まえられない所に行ってしまいましたよ」
スペードは残念そうに言って自分の首筋をなでていた。
「猫の話はしてないですが」
「久々にやりましょうよ」
「いやです」
クーガは去って行った。
「…………」
スペードはちょっと苦笑して、皆がいる場所に戻って行った。
（今夜あたり、また行けるかな？）
スペードの首の付け根には、青い花のあざができていたのだった。
つづく
１２部
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