第４９話
「くうーん、くうーん」
ぺろぺろと頬をなめられて、ようやくゆりは目を覚ました。
「くうーん」
横を見ると、犬のジロウがベッドの上に両足を乗せている。
「ジロウ君」
辺りは薄暗かった。
「おなかすいた」
ジロウはベッドから降りて「ワンワン」吠えていた。その声で、ミラがやってきた。
「王妃様、お目覚めですか」
「うん。おなかすいちゃって。私一日寝てた？」
「はい、今何かお持ちしますね」
体はひどくだるかった。特に下半身がだるい。ゆりは赤い月が終わったんだ、とそれで理解した。
（トイレにいきたい……）
ゆりはベッドから降りて、よろよろと歩いている。ジロウがワンワン吠えて、ミカエルがやってきた。
「王妃、大丈夫ですか？」
「ごめん、トイレに連れて行って」
「いいですよ」
ミカエルはゆりを抱き上げて移動した。ゆりの部屋にはラクシュミからお説教をくらった５人が集まっていた。ゆりの話を聞くまでは安心して眠るどころではないようだ。
ゆりはトイレから帰ってきてみんながいたので驚いていた。
「どうしたの？」
「王妃に会いたくて待っていたんですよ」
ヴィラが言った。食事の用意をしてミラは出て行った。
ゆりは椅子に座ってパンやスープなどを食べた。ジロウはゆりの横で座っている。
男達は周りに座ったりソファに座っていたが、なんだか男達の様子が変だ、とゆりも気がついた。
「今年の王様よかったですか？」などと聞いても来ないし、みんな何も話さない。
そこにシスがやってきた。
「もう一人のお母さん」
シスはゆりに話しかけて、左目が違うゆりが出て来た。
「それじゃ」
シスはそれだけのために呼ばれたようである。すぐに去って行った。
蛇の目のゆりは出て来ても、もくもくと食事を食べている。
「あのー王妃……我々に秘密にしていることがありますよね？」
ジュノーが聞いた。
「どれのことかなあ」
「いっぱいあります？」
「どうしたの？ 何かあったの？」
蛇の目のゆりが聞いた。
「我らはあの時の王にお説教されたんです。王妃が他の男を好きになったのは、我らの怠慢のせいだと」
「え？ へー」
「王妃、どの男のことなのか教えてくれませんかねえ。我らはさっぱりわからないんですから」
ミカエルが言った。
「その人とはもう終わったんだけどねえ。あっちがマジでタイプだったみたいで、やばかったからもう会わないことにしたの。ま、長い人生たまにはそういうこともあるでしょ。しょうがないって」
蛇の目のゆりは重めに言っても仕方なかったので、あえて軽く言っていた。
「一族外の男でしょ。神とかそっちですか？」
「まあ、そう」
「ハロルド様やラーズ様よりも魅力的な神様ってことですか？」
ヴィラが聞いた。
「実はスペードさんだよ。元豹らしくて、獣系のフェロモンにやられたっぽい。面白いね。フェロモンって。蛇の男って匂いがないでしょ。だから性欲が薄いんだろうね」
「それは前々から言われてることです」
ヴィラは頭に手を乗せていた。
「王妃、なぜ邪魔しなかったんですか？ あまりに危険じゃないですか」
ジュノーが言った。
「そう言われてもさーどう邪魔するのよ。出会っちゃったのはしょうがないじゃない。それにもう会わないんだし。赤い月も無事終わったから、頭も切り替えてると思うよ。そのことはもうそっとしておいてよ」
蛇の目のゆりは、微妙な視線を送る男達を見ながら言った。
「王妃、我らは悲しいですよ。王妃が他の男に取られたのが」
フリットが言った。
「取られたって言っても、そんな深い関係じゃなかったわよ。抱っことちゅーしかしてないし」
抱き合ったのは夢の中だけなので、ゆりはあえてそういうことにしておいた。
「あのー、そのことはもうそっとしておきましょう。王妃が無事でよかったじゃないですか」
ミルキダスが言った。
「王妃に何かないか、本気で心配していたんですよ」
とヴィラ。
「抱っこだけで赤い月の王が怒るほど好きにならないでしょう。我らはこんなに長い間王妃を愛してきたのに」
ミカエルが寂しそうに言った。
「あっちの私だってあなたたちをずっと愛してるじゃない。あの儀式なんて究極の愛情だと私は思うけどなあ。私にはできない。あんなばからしいこと。あなたたちは知らないだろうけど、儀式の最中、女蛇の性の渇望って
ものすごいんだからね。それに耐えて、しかも女蛇の意識に打ち勝ってるんだよ。昔の巫女は、男達に愛情なんて持ってなかったと思う。女蛇が選んだ男と儀式で寝ただけだよ。
それとも寝ないのは本気で好きじゃないからだって、そう思ってるの？ 本気で落とされて赤い月に女が抱けなくなってもいいの？ いずれしようって言ってたじゃない。あれ本気で言ってるんだからさ。
それまであなたたちと本気で付き合うつもりなんだよ。こんなに恋人を愛してる王妃が他にいる？ いないと思うけどね」
男達は一様に下を向いていた。ミルキダスは目を潤ませている。
「王妃、我らだって、王妃の気持ちが全くわかってないわけじゃないですよ。ただ、今後どう王妃に接して行けばいいのか迷っているだけです」
フリットが言った。
「普通に優しく側にいればいいんじゃない？ 来年からは大丈夫だよ」
「わかりました」
男達は言葉少なめに去って行った。
「くうーん、くうーん」
ゆりはジロウの頭をなでた。
（あっちは真面目だからなあ。今回のことで、もう神様ともクーガ様とも別れるとかいいかねないな。そうなったらつまらないなあ。どうやったら説得できるかなあ）
ジロウはゆりの袖を引っ張っている。
「もう寝ろって？ 犬にも弱ってみえてるんだ？ はいはい。あ、歯磨かなきゃ。虫歯ができたらそれこそ王様に嫌われちゃうからね」
ゆりは歯磨きをしてベッドに寝転んだ。
さて、夢の中、再び二人のゆりは深刻な表情で座っている。
「……ごめんね」
黒目のゆりが謝っていた。
「別にいいよ。いつも私が謝ってるし」
と蛇の目のゆり。
「一族の女になってたでしょ。あれって、ガーベラ様が助けてくれたんだよね」
「うん。そうだろうね」
「あれのおかげでスイッチが切り替わるみたいに王様を受け入れることができたの。ガーベラ様に感謝しなきゃね」
（元々スペードさんとあんなに仲良くなったのはガーベラ様のせいだからねえ。助けてくれなきゃ逆に困るわ）
と蛇の目のゆりは思っていた。夢で会わなかったならば、普通に「スペード様いい男だった」で終わっていたはずだ。
「私、決めた」
「何を決めたの」
蛇の目のゆりはびびって聞いた。
「今後はもっとうまくスイッチが切り替わるようにする。王様に、もうあんな思いは絶対させない」
「それってどういうこと？ 今まで通りってこと？」
「だって、私ハロルドには『ガーベラの恋人で一番幸せにする』って言ったし、クーガ様には一年は付き合うって言ったし、ようは、切り替えなんだよ。完全に切り替えて引きずらない。それが大事なんだと思う」
「意外。てっきり別れるって言うかと思ったわ」
蛇の目のゆりは本当に驚いていた。
「神様とのことは自分ではじめたんだから、クーガ様はアシュラン様に強引にはじめさせられたけど、今ではもう好きになっちゃったし、勝手に抜けるのはずるいよ。でも一番は王妃としての自分だから」
「スペードさんとは会わないんでしょ？」
「スペード様は会わないよ。でも、そうだなあ。私がおばさんになって、恋愛とか関係なくなってから、聖地に行くんならいいかな。スペード様は年を取らないから、その時は、ちょっと話をして、昔を懐かしむくらいしてもいいかな」
「強い」
「ははは、歴代最強の巫女だからそれくらいしないと」
黒目のゆりはわざと明るく言っていた。
そこにとことこ黒豹がやってきた。
「あ、スペードさんだー」
ゆりは立つ元気がなかったので、そのまま黒豹が来るのを待っていた。黒豹は黒目のゆりの近くにやってきて、ゆりの腕に頬をすりすりしていた。
「今日もかわいい〜」
蛇の目のゆりは黒豹の頬を両手ではさんできつめになでていた。
（君のせいで大変だったんだよ。もう）
とちょっと手に恨みがこもっている。黒豹は嫌がって顔を離していた。
「こうやって見るとさ、黒って綺麗な色だよね」
黒目のゆりが黒豹の背中をなでながら言った。
「そうだね。黒豹の毛皮とか欲しいね」
「何言ってるの。ひどい」
「冗談よ。冗談」
などと言っていたら、辺りがぱっとまぶしくなった。金色の輝きが側に現われている。
「あ」
やってきたのは最高神アシュランだった。
「アシュラン様、すいません、体が辛くてこの格好で許してください」
黒目のゆりが言った。蛇の目のゆりは黒豹の反応を見ている。黒豹はアシュランを見て平伏していた。アシュランはちょっと近づいてきた。
「かなり体が痛んでるじゃないか。そりゃ辛いだろう。えーと……これがいいか」
アシュランはぱっと右手に草の束のようなものを出していた。
「これをやる」
アシュランはその草の束を黒目のゆりに渡している。太めの茎にヨモギのような形の葉っぱが一杯ついていた。匂いは、ちょっとすっとする匂いである。
「これはなんですか？」
「薬草だ。飲むんじゃなくて、あそこにいれるんだぞ」
「あそこ？ あそこって、あそこですか？ どうやっていれるんですか？」
黒目のゆりは真面目に聞いていた。
「それを私に聞くか？」
アシュランは苦笑している。
「だって、私知らないですし……」
（アシュラン様となんつー会話してるんだ。受ける！ そしてスペード君、ちょっと困った顔してる。笑える！）
蛇の目のゆりは一人で笑いそうになるのを堪えている。
「犬の国では有名なんだが、お前の国には生えてないのかな。知らんが。生で使うんだ。ま、適当に試してみろ」
「わかりました。今日はどうしたんですか？」
「赤い月もあったし、ちょっと気になったんでな。ところで、その黒豹はどうしたんだ？」
アシュランはやはり気になったようだ。アシュランはでかい椅子を出し、座っていた。
「恋人の黒豹君です」
黒目のゆりが紹介していた。
「恋人？ 最近獣にも手を出してるのか？ なんなら、ハンサムな虎と狼を紹介するが」
「え？ なつきますかねえ」
黒目のゆりはくいついていた。
「ああ、なつくぞ」
「会ってみたいかなあ」
背中をぱしっと何かでたたかれた。豹の尻尾でたたかれたようである。黒目のゆりが黒豹を見ると、黒豹はつんと横を向いている。
「彼がだめだっていうんで諦めます」
「そうか。そりゃ残念だ」
アシュランは笑っていた。
「あ、そうだ。クーガ様のことなんですけど、いきなりびゅっと飛ばすのやめてほしいんですけど、心臓に悪いですし。何か合図をください」
「合図？ 何がいい？」
「うーん、鈴の音とか？ 」
「ふうん、わかった」
「どうして私達にしたんですか？ せっかくだから、もっと素敵な女の子を紹介してあげたらよかったのに」
「散々紹介した。一時は嫌がられて口も利いてくれなかったくらいだ」
アシュランは足を組んで言った。
「でも、側でしょっちゅう愛し合える女の子の方がいいと思うんですけど、あんなにすごいんですから」
黒目のゆりは真面目な顔で言っている。
「そんなすごいのか？」
アシュランが聞いた。
「すごいです。さすがアシュラン様の息子って感じです」
「そうか。そりゃ知らなかった」
蛇の目のゆりは黒豹の反応を見ていた。黒豹はもはや、無心、という顔付きで目を細めている。
（ぶぶっだめだ。笑っちゃう）
「まあ、しばらくはいいんじゃないか？ 女が欲しけりゃ作るだろうし」
「はあ、私らってそれまでのつなぎ？ それはそれで辛いんですけど」
「お前達ほど興味深い女が現われりゃいいけどな」
「あ、そうだ。神の国に行った後、神気が人間の私につくんですけど、それ、どうにかなりませんか。神気がつかないようにしてほしいんですけど」
黒目のゆりははっと思いついて言った。
「神気なくしちゃうの？」
蛇の目のゆりが聞いた。
「だって、神の国で遊んだのがまるわかりだし、なくていいんじゃない？」
「うーん、そうかなあ。ま、そうかも」
クーガはキラキラが好きそうだが、クーガと寝ている間に神の国で神様と遊ぶという状況にはもうなりそうもない。
「神気があったほうがいいんだがな。いろいろと。定着するかと思ったが、しなかったか」
アシュランが言った。
「神気がつくとキラキラで魅力的になっちゃうみたいなんで、それはそれでいいんですけど、神の国で遊んだのがすぐわかっちゃうので……」
「ふーん、そうか、まあ、わかった。それじゃ」
アシュランは立ち上がっていた。
「ちょっと待ってください。クーガ様のこと、王様にばれないようにしてくれてますよね？ なんかそういう感じなんですが」
蛇の目のゆりがあわてて聞いた。
「ああ、してる」
「やっぱりそうですか」
ラクシュミがクーガのことはまるで聞いてこないので、蛇の目のゆりもおかしいな、とは思っていた。
「じゃあな」
アシュランは消えて、アシュランが座っていた椅子も消えた。
黒目のゆりはもらった草の束を握りしめて眺めている。
「おきたらさっそく使ってみよう」
蛇の目のゆりは黒豹を見ていた。黒豹は目を閉じて尻尾をゆらゆらゆらしていた。いろいろなことを知ってしまったスペードは何を思ったのか聞いてみたいくらいだ。
「アシュラン様にまさかそれの使い方聞くのは笑っちゃったわ」
蛇の目のゆりが笑いながら言った。
「だって、聞かないとわからないし」
黒目のゆりは今頃になって頬を赤くしている。
「あなたはおとなしかったね」
（スペードさんの反応を見るのが面白くて）
とは言えない蛇の目のゆりだった。
目覚めた時、ゆりは草の束を握っていた。医師のフレイが早くにやってきたので、ゆりは草を見せて説明した。アシュランにもらったとは言わず、クーリーフンにもらったと言った。
「犬の国で有名な薬草、ナキリ草ですかね。この国では生はなかなか手に入らないんですよ。この軟膏より効くかもしれませんな。使ってみましょう」
ゆりの侍女がやってきて、草をもみ、体の中に入れてもらった。昨日はゆりが寝ている間に侍女が軟膏をぬっていたようだ。
「夕方まで様子を見てみましょう」
「はーい」
フレイは去って行った。
ジロウはベッドの上に乗り、ゆりの相手をしてくれた。
「ありがとう。ジロウ君がいてくれると退屈しなくていいわ」
「くーん」
ジロウはゆりの指をぺろぺろなめている。子供達はゆりの部屋に来なかった。きっと来ないように言われているのだろう。
夕方になると、体が少し軽くなってきた。
「わっ効いたかも。薬草すごい！」
残りの薬草は花瓶に入っていた。
「明日も使おう」
ゆりはベッドの上で食事を食べてから寝転んでいた。
するとラクシュミが寝室にやってきた。
ゆりはラクシュミを見ると、ぼろぼろ涙を流していた。
「ゆり、ばかだな。お前、どうしてこんなになるまで相手をしたんだ？」
ラクシュミは優しく聞いた。ゆりは口を開けていたが言葉が出て来なかった。
「お前の体の中、かなり腫れていてひどい状態だったんだぞ。あの朝私が治そうとしたんだが、うまく治せなかった。私は、あの時の私が怖かった。妊娠中のお前にあんな無茶をさせるなんて」
「私が望んだんだからあの時の王様は悪くないよ」
「やりすぎにもほどがあるだろう。怖かっただろう」
「怖くないよ」
「あの時の私は、なぜお前を治していかなかったんだ。今までこんなことはなかったのに」
「王様、ごめんね」
ラクシュミは布団の中に手を入れてゆりの下腹部をなでた。
「まったく……なにか、怒らせたんだろう？ 他の男の名前でも言ったのか？」
「そんな感じ」
「次からは気をつけろ。またあんなことがあったら、お前が何と言おうと妊娠中は１０日寝てもらうことにするぞ」
「もう大丈夫だから。絶対に」
「絶対だからな」
ゆりはうなずき、ラクシュミはゆりの頬をなでていた。
「しばらくゆっくり休め」
「あ、歯磨きしてない」
「そりゃしなきゃだめだな」
ラクシュミは侍女を呼びに行った。
（王様、ごめんなさい。もう二度とあんな思いはさせないから。完全に気持ちを切り替える。それができないならもう、ガーベラになる資格もない）
ゆりはそれだけの覚悟だった。
ジロウがベッドの上に乗り、ゆりの頬をぺろぺろなめていた。ジロウはゆりが心配でならないようだ。
「ジロウ君、ジロウ君も私の恋人になる？」
「わん！」
「黒豹君には内緒でね」
「くーん」
ジロウは尻尾をふりながらゆりの頬をぺろぺろなめていたのだった。
つづく
１２部
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