第55話
王の間でフリットがラクシュミに様々な報告をしていたのだが、ラクシュミはどこか上の空だった。
「王、どうかしましたか？ ……王」
「……ん？ なんだ？」
ラクシュミはようやくフリットに視線を向けていた。
「何か気になることでも？」
「いや、ちょっと昔のことを思い出していた。ラギが生まれてまもなくのことだ。よく私に泣いていたなあと思って」
ラギが生まれてしばらく、ラクシュミが抱っこするとラギは泣きわめいていたのだった。
「ああ、そうでしたね。なぜ急に突然そんなことを思い出したのですか？」
「なんとなくな。ラギは今年27歳になるんだもんな。早いものだなあ」
「そうですね」
ラクシュミは男達やシスの後ろに隠れてこちらを見ている小さいラギを思い出していた。しばらくは自ら自分に近づいてくることはなかった。
（この子が一体どんな風に成長するのか。さぞかし肩身が狭い思いをするだろう。かわいそうに）と当時は思っていたが、全くそんなことはなく、他の子供達とも対等に暮らしている。
蛇の国の王族の中では稀なことではないだろうか。
（ラギも私になれたし、まああの子も、そのうち私になれるとは思うが……赤い月の私、ミカエル達が怖かったほどだからよっぽど怖かったんだろうな。かわいそうなことをしてしまったな）
ラクシュミはクロスに申し訳なかったな、と思っていた。
（そんなに怒らなくてもよかっただろうに。愛情が増している分歯止めがきかなかったんだろうが、次からはもっと落ち着いてくれ。頼むから）
ラクシュミはもう一人の自分にそう言いたい気分だった。
15日の昼間のことである。ゆりはラギの部屋にきていた。ラギの部屋には大きな本棚があるのだが、入りきらない本が山積みになっている。
「これ全部読んだの？」
「読んでない本もあるよ」
ゆりは本を一冊取ってぺらぺらめくってみた。植物の本である。様々な植物の絵が載っていた。ラギは植物の研究をしているようで、たまに山に植物採集に行っている。虎の国とは頻繁に手紙のやりとりをしているようだ。アヤコからラギあての手紙もよく届いている。
「ねえ、龍の国の本とかある？ 龍の国にはハロルドのサンダルが一杯あるみたいなの。知ってる？」
「知ってるよ。結構有名な話だよ。他の国にもあるみたいだよ」
ラギはなんでもないことのように言った。
「そうなの？」
「麒麟の国とかにもあるみたいだよ。一番いっぱいあるのは龍の国だろうけど」
「ハロルドったらあちこちで脱いでるのね。お母さんハロルド様のサンダルもらってきてよ、とか普通なら言いそうじゃない？ サンダルには興味ないの？」
ラギなら絶対言いそうだ、とゆりは思った。
「お母さんはもらわない方がいいよ。もしかしてハロルド様にサンダルちょうだいなんて言ってないよね。だめだよ。言っちゃ」
「なんで？」
「ハロルド様はサンダルを渡した女性とは二度と会わなかったらしいよ。だから龍の国では、いつの間にかサンダルを渡さなかったらまた来るって意味だってことになって、巫女は逆に喜んだらしいよ。
ちなみに、龍の国の巫女の記録では、最大7回ハロルド様の訪問があった巫女がいたんだって。その巫女はずっとサンダルをもらえなくて、彼女が死んだ時に、いつの間にか彼女の遺体の側にサンダルが置いてあったんだって。
その巫女は国一番の美女として今でも讃えられてるらしいよ」
「え、何その話、なんだか泣けるじゃない」
ゆりは想像したらうるるんとしてしまった。ハロルドはよっぽどその巫女のことを気に入っていたに違いない。
「お母さんも、サンダルをもらえるとしたら死んだ後だね」
「死んだ後……」
「きっと世界で一番神様の弔問が多い女性として、歴史に残るね」
「死んだ後まで歴史に残ってもうれしくないわよ。そっかーサンダルにはそういう意味があるんだ。それなら私は、死んでからもいらないかなあ。絶対やらんって言われたし」
「よかったね」
「そうね」
ゆりの左目が蛇の目になった。
「やっぱり私の読みはずばり的中ね。手切れ金ならぬ手切れサンダルだったか。ただの巫女への褒美ならくれてもいいもんね。くれないのはなんか意味があると思った」
「ねえ、さっきさ、クロスが出てきたんだけど、お父さんが来たら隠れちゃったんだよ。どうしたんだろう？」
ラギは蛇の目のゆりに聞いた。
「え？ そうなの？ 私も知らなかった」
「お父さんが怖くなっちゃったのかな」
「そうかもね。でも、そのうちに優しいパパだってわかるわよ。ラギは、生まれてすぐの頃は王様に泣きわめいてたけど、さすがに覚えてないでしょ」
「覚えてないよ」
ラギは照れたように言っていた。
「でも、お父さんは今でも怖いよ。 多分、一族の長に対する畏怖の感情のようなものなのかな。ミルキダスに抱きつけてもお父さんにはできないみたいな」
「そう。そういや、ラギは王様に抱きついたりってしないもんね。たまには抱きついたら？ 喜ぶよ」
「ミルキダスに抱きつくほうがいいよ。あ、そうだ。昨日面白い本を手に入れたんだ。読んだら回してあげるよ」
「そう、ありがと」
（多分読まないけど）と思いつつ、蛇の目のゆりはラギの部屋を出た。
今日は4の月15日、クーガに会える日である。前回は黒目のゆりはその気にならなかったので、蛇の目のゆりだけ会っていた。クーガもかなりそのことを気にしていたが、ゆりはスペードともめたとは言わなかった。クーガも盛り上がりに欠ける感じだった。
（あっちも普通に戻ったから、今日は大丈夫かな。今日は熱々になれるといいなあ）
そして夜、黒目のゆりが意を決して寝転ぶと、「リーン」と鈴の音のようなものが聞こえてきた。
鈴の音きたー！！
ゆりの体は即すっ飛んで、ガーベラになっていた。ゆりは横を見てぎょぎょっとしていた。ベッドに座っているクーガはすでに上半身裸である。
「あの、こんばんは」
ゆりはおずおずと起き上がり、ベッドに座ってから言った。
「こんばんは」
クーガはそれだけ言うと顔を寄せて女神の顔をじーと観察するように見ている。
「？？」
ゆりが目をぱちくりさせていると、クーガはゆりに口づけて、そのまま押し倒していた。
（速攻ー！）
「あの」
「話は後にしましょう」
「はあ」
クーガはさっさとゆりを裸にして愛撫もそこそこに抱いていた。どうにも待ちきれなかったようだ。
（潔いくらいにわかりやすい。最初にあのことを聞かれると思ったんだけどなあ）
最初にルチアが産まれた時のことを聞かれるだろうとゆりは思っていたのだった。
（クーガ様のお母さんってどこの国の人なんだろう。肉食獣系じゃないのかなあ。やっぱりアシュラン様の血の方かな）
「余計なことは考えないでください」
（え？ ばれた）
「集中してください」
（そう言われてもーいきなりすぎて、とりあえずクーガ様の美貌を堪能してから、とかそういう間がほしい）
しばらくしてクーガは達していたがゆりの方は快楽の絶頂というわけでもなく、クーガは体を離しながらゆりを上からじーと見下ろしていた。
（なんかこわっ！）
クーガの目つきがちょっと怖かったのでゆりはびびっていた。部屋の中はベッドの周りにランプの灯りが３つもあったので、クーガの顔もよく見えた。
「あのー恋人にする目つきじゃないですよ」
「すいません。あなたが全く集中してくれないもので」
クーガは気持ち微笑んでいた。
「だって、来てすぐなんですから。もうちょっと、会いたかった。私もよ。とか、そういうやりとりがあってもいいと思います」
「会いたかったです」
「…………」
ゆりが沈黙していると、クーガがまたじろりとゆりを見ていた。美しい顔でそんなに睨まないでほしいとゆりは思っていた。
「だって、私もっていうと、すぐ2回目に行っちゃいそうじゃないです？」
クーガはゆりの横に座っていた。ゆりも座って胸まで布団で隠した。
「なんだかちょっと違いますね」
「え？」
「神気が昇ってる感じではなく、あなたの気に神気が混じってる感じです」
「え？ 本当ですか？」
「昨日神様と仲良くしました？」
「はい、実はしました」
ゆりは肩をすくめて言った。
「数日前にもしました？」
「え……は……あ……」
「また鐘の音が鳴り響いてましたよ。私はまたあなたかなと思って、その夜のあなたはさぞかし綺麗だったんだろうなと思っていたんです」
「そ、そうですか。実は、そういうキラキラはもう出ないようにしてもらったんです。すごくわかりやすすぎるんで」
「そうなんですか？ 残念ですね。でもまあ、そのキラキラも、私はもう見ることもできないでしょうけど」
「もし、もっと早くに出ないようにしてもらっていたら、クーガ様とこうはなってなかったのかな」
ゆりはふと思った。この関係があの夜の神気が原因だったのなら、あれがなければあのまま何もなかったのではないかと。クーガにとってはどちらがよかったのか、ゆりには分からなかった。
「さあ、どうでしょうね。でも私は、女性と添い寝をしたのもあの時が初めてで、不思議なものでここで一人で寝ていると、時折その時のことが恋しくなったりもするんですよ。誰かに添い寝してもらおうかと思ったりもして」
クーガは横を向きながらぼそっといっていた。
「え？ ええ？ 今何か、聞き捨てならないことを聞いたような気がしますが」
ゆりは正座をして身を乗り出していた。
「なんですか？」
クーガはゆりを見て微笑んだ。
「なんですかじゃないです。あのー話は変わりますけど、赤い月とか、どうしてました？ 一人でここにいました？」
「はい」
「本当ですか？」
「あ、そういえば、女性が夜に訪ねてきましたよ。どうしてもしてほしいって」
「はあ？」
ゆりは目をまん丸くしている。
「どこまで訪ねてきたんです？」
「そこまでです」
クーガはベッドの横を指していた。
「この部屋って鍵ないんですか？ 鍵って大切ですよ？」
ゆりはいつぞやのように言っていた。
「夜は鍵必須ですよ。クーガ様の場合は絶対に！」
大体美しすぎるのが悪い。そこらを歩いているだけで女達はぽっとなってしまうのだ。ゆりも今ならクーガの魅力がよくわかるが、クーガは女性を寄せ付けないような感じでありながらも、どこか色気があるのだ。それも、実は女性経験があった、というところから来ているのかもしれないが。もし「誰か添い寝してください」などとクーガが言おうものなら、女性が100人ほどは列を為すに違いない。
「それでその女性どうしました？ 追い返しました？」
「うーん覚えてないですね」
「覚えてないことないでしょ」
ゆりは早口で言っていた。
「あ、そうだ。この前の美容液、まだあるんですよ。飲んでください」
クーガが突然話題を変えた。
「飲みませんよ。一体どれだけもらったんです」
「5本です。あと3本あります」
「なんでそんなにもらったんです？」
「知りませんがもらってしまったもので……腐っちゃうともったいないですよ。あなたが大好きなガーベラ様が作ったんですから」
「ぐ……」
クーガはベッドから身を乗り出して、ベッドサイドにある棚の引き出しを開けて小瓶を出していた。
「あなたが嫌なら私が飲みます」
「え？ だめだめ。だめですって」
ゆりは小瓶をひったくって取ろうとしたが、クーガは素早く蓋を取って口に入れていた。
「あー！！！ もう。それ以上興奮してどうするんですか」
クーガはゆりの体を抱きしめて唇を覆った。ゆりの口の中に甘い液体が流れ込んできた。
（えーーーくっ口移し！！！ うそー！！！）
こういう展開は想像してなかったので意表をつかれたゆりは、そのまま液体を飲み込んでしまった。
「甘いですね。あ、そうだ。愛してます」
ゆりは真っ赤な顔をしていたが、やがて、体がぞわざわしてきた。
「霊体の方は素のあなたを抱けていいですね。ガーベラ様の体もいいですが、あっちのあなたの体も好きなんですよ。あなたの肌はなんともいえないいい肌触りなんですよね。なめらかで、どうしました？」
ゆりはすっかり黙りこくってしまった。ゆりの霊体はすっかり良い気分になっているようだ。ゆりの体にまで影響が出て来た。
「ほしくなってきました？」
「赤い月の話を聞くまでは、しませんもん」
「何もしてないですよ」
「今度でかい南京錠を贈ります」
「邪魔だからいりません」
「ちゃんと鍵をしないと……また誰か来ちゃうかも」
クーガが顔を近づけてくると、ゆりはキスしたくてたまらなくなっていた。
「鍵をしても瞬間移動で入ってくる人もいるんですよ」
「結界でもはってください」
「寝る時は普通に寝たいんです」
ゆりがキスしようとすると、クーガはふっと顔をそらして逃げた。
「ひどい」
「あなたに妬かれるのは気分がいいですね」
「クーガ様、私を怒らせると怖いですからね」
「どう怖いんですか？」
クーガは面白そうに聞いた。
「しばらく女を見るのも嫌ってくらいに精力完全にゼロにします」
ゆりは目を据えて言った。クーガはぷっと笑っている。
「それは楽しそうだな」
「私は蛇の国の歴史上最強の巫女ですからね。それくらい可能です」
「じゃ、お願いします」
（くー悔しい。悔しいけど、クーガ様を他の女に渡したくない）
ゆりはクーガに抱きついた。
ゆりはクーガの精力を奪う勢いで迫ったのだが、逆にクーガの方にしてやられていた。
（体で男を籠絡するってのは、私には無理かもしれない）
クーガに抱きつきながらも、そう思ったゆりだった。
クーガと散々熱々になってゆりは翌朝自分のベッドに戻ってきた。
（クーガ様、夜はなんであんなエロくなっちゃうんだ。あのエロさを察して女が寄ってくるのかも。ありえる）
そんなことを思いつつも、クーガと熱々になった割には今は気持ち的には綺麗さっぱりしているというのが不思議だった。スペードとの時はかなり引きずっていたが、クーガが相手だとそうでもない。神様やハザークと熱々になった後と同じような感覚である。
「不思議だ。スペード様はタイプ過ぎてだめなのかな。スペード様は私にとっては地雷なのかもしれない。踏んだらだめなやつだったか」
ゆりはコウモリのぬいぐるみを抱きしめて目を閉じた。
（クーガ様は今日はちゃんと仕事をするのかな？ それとも休み？ まだあの薬二つも残ってるのか。次も飲まされそう。クーガ様が喜んでるのならいいかな、とか思っちゃう。
でも、素直になりなさい、みたいなところがちょっと困るな）
などと思いつつ、ゆりは眠ったのだった。
その頃クーガは、ゆりの相手を散々しまくったので爆睡中である。すっかり偶数月の16日は休み、ということになっていたのだった。
昼過ぎになりようやくゆりは起きて、自分の部屋で食事を食べていた。何か用事がない限り、ゆりの侍女もゆりを起こさない。
ラギが部屋にやってきた。
「随分遅かったね」
「うん。つい寝ちゃってた」
「これ、面白いからあげるよ。お母さんきっとこういうの好きだよ」
ラギはゆりに一冊の本を渡した。
「そう？ ありがとう」
「じゃあねー」
ラギは去って行った。ゆりは食事が終わってから本の表紙を見た。本はかなり薄い本である。
「各一族の恋愛行動に対する考察？ 何それ。ちょっと面白そう」
ゆりは表紙をめくって目次を見た。いろいろな一族の名前がある。
「蛇もあるじゃない」
ゆりは蛇のページを読んだ。
「蛇の一族は、すべての一族の中でもかなり性欲が薄い一族である。え？ やっぱりそんな薄いんだ。全部の一族の中でも下なんだ。なになに？」
本には、蛇の一族の男女は赤い月以外で交わることは珍しい。ここ千年でかなり性欲的に減退し、それが人口減少に拍車をかけているのではないか。というようなことが書かれていた。
異性を誘う時には、蛇の一族特有のこととしてあげられるのは、肌の蛇を見せるという行為がある。蛇の一族の力が強い男女の肌には絵を描いたように蛇がいて、異性はそれを見ると性的衝動にかられるのである。
争いは少なく、異性の取り合いも他の一族に比べてかなり少ない。女性を他の男と共有することもあれば、逆もある。一族同士の結束が強いせいだろう。そのほかは、蛇の一族の男女は夫婦制度はない、ようなことが書いてあった。
「なるほど、他を見てみよう」
目次を見ると豹の項目があったので、ゆりはつい豹のページを開いていた。
「豹の一族は、各一族の中でも性欲は強い。虎、熊についで強いといえよう。普段の恋人と赤い月の恋人は別というケースも多いことから、赤い月では恋愛感情よりも本能が勝っていることがうかがえる。へー豹すごいな。
普段と赤い月の恋人が別なんて。強い男に女が群がることが多いが、その順番は女達の決闘によって決まる。一番に勝った女は、3日はその男を独占する権利を得るのだ。豹の恋愛行動としてあげられるのは、耳を甘噛みするなどの行為で。ん？ 耳を甘噛み？」
ゆりはその言葉を何度も読み返していた。
「赤い月前の男女がよくする行為である。え……また、男が女を誘った場合、女は男に戦いを挑むことがある。戦いに男が勝てば相手に応じるというもので、平和的に足の速さを競うということもよくある。
平和的に足の速さを競う？ えー……男が女を捕まえれば、女は赤い月に男と過ごすというもので……」
ゆりはそのページを眺めたまましばらく動かなかった。
えーと……どーいうことかな？ 耳を甘噛み……あれって、ただの挨拶じゃなかった！？
ゆりは今になって知り、かなりショックを受けていた。
……でも最初はスペード様からされたような？ あの時すでに誘われて？ いや、まさかな。あの時は豹をどけようとして口があたっただけだったのかも？ それを私が勘違いして……しかもうれしげに私からしちゃってたし。
もしかしたら、真実を言ったら私が恥をかくと思って、わざと隠してくれたのかも？ とにかく一つ言えることは、追いかけっこした時点で私が誘ってるって勘違いしても仕方ないってことだ
「文化の違い、こわっ！ 恥ずかしすぎる。穴があったら入りたい。無知でごめんなさい」
ゆりは真っ赤な顔でスペードに謝っていた。
さてそのスペードだが、妖精なので赤い月は関係ないのだが、赤い月の間、今年はどうも体がざわついていた。
赤い月の間聖地に巡礼客は少ない。賑わっているのはガーベラとヒルデリアの神殿くらいで他の神殿は、神官が一人二人いるくらいである。神官達は10日の間は休暇となり、恋人がいる者は恋人と過ごしたり、いない者は適当に過ごしている。
スペードはどうにも衝動が抑えられなかったので、対岸の街にある娼館に行って女性を抱いていた。つい猫の一族の女性を指名して抱いたのだが、あの時ほど心と体が昂ぶることもなかった。
（うーん。参ったな）
しかも他の女性を抱くと、あの時の肌の感触や、交わったときの事が思い出される。何もかもが違い過ぎて体も心も急速に冷えてしまった。二度目をしたいと思えない。
（夢での出来事なのにこんなにも体に余韻が残ってしまうなんて、今までこんなことあったかな）
スペードは自分の自宅に帰ってから、今までの女性達との記憶を掘り起こしていた。
スペードは聖地に来てからは、女性とそんなには関係していない。たまに娼館に行ったくらいである。自分の国にいた頃、自暴自棄になっていた頃などは若かったし、それこそ娼館に入り浸っていた。
そこにいた女性達は、豹の一族でも魔力がない女性だったり、豹と猫の混血児だったり、猫の女性だったりした。仲良くなった女性もいたが、そこでだけの関係だった。
大体女性に愛などという感情自体、もてなくなっていた。それも、それ以前に女にこっぴどく裏切られたことに起因している。
当時、スペードは一族の女性と恋仲になったことがあった。彼女は一族の中でも魔力がそこそこあった女性で、何度か会って話をする内に、「あなたが好きです」と告白されて、スペードもその気になり、女性と愛し合った。
その時は（魔力がない俺をこんなにも想ってくれる女がいたなんて）と純粋にうれしかった。
『ブラント様、あの女はあなたを裏切ります。会うのはやめた方がいい』
その時他の女にそう忠告された。（ブラントはスペードの当時の名前）
『裏切られたってかまわない。彼女が好きだ』
スペードはその時そう返した。
『傷つくのはあなたですよ？』
スペードも、こんなにも愛し合っている女性が自分を裏切るとは、まさかその時は思ってもいなかったのだが、実はそれは弟の差し金だった。弟は次の国王である。
弟は彼女に、「兄に楽しい思いをさせてやってくれ、成功したら一日赤い月を過ごしてやる」とそう言われて、彼女は弟と赤い月を一日過ごしたいがために、スペードに迫ったというわけだった。
そうでなければ、他の女達に割って入ることはできないと思ったのだろう。
真相を知った時、スペードの彼女に対する愛はガラガラと音を立てて崩壊した。
（ベッドの上で、あんなにも平気で嘘がつけるなんて）
スペードは彼女を怒る気にもなれず弟に怒りをぶつけたが、弟は「兄さんを楽しませてあげたかったんですよ。楽しかったでしょう？」と事もなげに言ったのだった。
「赤い月の9日は彼女と過ごせばいいじゃないですか」
「冗談じゃない！」
全部嘘だったのだ。もう、彼女を抱きたい気持ちになれるはずもなかった。
それ以来、スペードはベッドの上での女の言葉など到底信じることができなくなっていた。
（まあ、その時楽しめればそれでいい）
その後娼館に入り浸ったというわけである。
女に裏切られたのもスペードにすれば遙か昔の話である。未だに女性不信だとかいうことはないのだが、純粋に女性の好意を信じて愛し合うということも、それ以後はなかった。
それだけに、あの夢でのゆりがスペードにとっては純粋すぎた。何度か会って（無邪気すぎる）とは思っていたが。
赤い月後半、
（彼女を抱きたい。豹のままでしか、もう会えないんだろうな）
などと思いながら寝ていたら、トントンと肩をたたかれた。はっと目を開けると、暗い部屋に麗しい男が立っている。
「わっびっくりした」
スペードはあわてて飛び起きていた。
「やあ」
そこにいたのは男版ガーベラである。
「ど、どうしたんですか？」
スペードはドキドキしていた。
「君がもんもんとしてるかなと思ってさ、半分は僕のせいでもあるから気になって」
「はあ……」
「彼女、良い体してただろ？ 僕がついちゃったから、さらにそうなっちゃったんだよね。しばらくは、他の女を抱いても味気ないだろう」
「あのーなぜあなたが彼女についてるんですか？」
スペードは疑問に思って聞いた。
「彼女が好きだから」
「あなたは神ですよね？」
「そうだけど、今の僕は主体ではないのでね。このままじゃ君がかわいそうだから、はい」
ベッドの横にゆりが立っていたので、スペードはびっくりして腰を浮かしていた。しかもゆりは裸である。
「本物ってわけにはいかないけど」
ゆりがベッドにあがってきたのでスペードは恐る恐るゆりの頬に触ってみた。
「感触がある」
「全く幻じゃ抱けないでしょ」
「え、だ、抱いても？」
「うん」
腕に触れると、ちゃんと体温もあった。
「まあ、声が聞きたくなったら会いに行けばいい。それじゃね」
美しい男は消えた。ゆりの幻はそのままである。スペードはゆりを抱き寄せてみた。ゆりはにこにこして寄り添っている。
（抱いて良いといわれてもなあ……いざこうなると、なんだか悪いな）
スペードはその夜は幻のゆりをただ抱きしめていただけだった。
その後豹になってゆりに会いに行くと、なんとアシュランは出てくるし、衝撃の事実も聞いてしまった。
（俺だってばれた）
アシュランはすぐ気がついている風だった。
（いきさつを聞かれたらなんて答えよう）
スペードはかなりドキドキしている。
（彼女はクーガ様とも付き合ってるようだ。どうやって会ってるんだろう）
そこはさっぱりわからない。
後日、ゆりに会いたいと思っていたら、また幻が現われた。
「クーガ様といつから付き合ってるんですか？」
スペードはそう聞いたが、ゆりは何も答えずに、スペードに抱きついてきた。
「アシュラン様に取り持たれた感じなのかな。女は一杯いるってのに」
幻のゆりに触れていたら抱きたくなり、スペードはついに幻のゆりを抱いてしまった。幻は声を出さないので残念だが、体はちゃんと感触があるし、ちゃんと反応もある。
「またゴロニャンが聞きたい。今抱いてはっきりわかったことがある。彼女と俺の体の相性は良すぎるのかもしれない。あなたは蛇の一族なのになぜなんだ」
系統は全く違うというのに、なぜ相性がいいのか、さっぱりわからない。
（彼女もそう思ったのだろうか。彼女はたまにクーガ様に会ってるとしたら、俺はクーガ様に勝った？）
などと思ったスペードだったが、この場合勝ってもあまりうれしくない。スペードはゆりとの事に関しては、いまいち確信がとれないことがあった。
あの夜、欲望にまかせて抱いてしまった記憶がスペードにはあったのだが、ゆりが本当はどう思っていたのかということである。
（しかも言葉で攻め立てて逃がさないにしてしまった。今思えばなんとも大人げない）
「あの時はやりすぎてしまったから、本当は怒ってるんじゃないんですか？」
スペードは幻のゆりに聞いたが、幻は微笑んだだけだった。黒豹で会ってもその時の話題は出ないので、スペードもしかとは分からない。
（彼女は優しいから怒ってるのを隠していただけなのかどうか、あの神も『良すぎて会えない』ようなことを言っていたが、本当にそうなのか？ 彼女にもう会わないにしても、そこだけは知りたい。
そうだ。目が違うあっちに手紙は出せないものか。あっちならずばり教えてくれそうだし）
スペードはそう思ったが、どうやって目が違うゆりに手紙を出せばいいのかわからない。
（クーガ様に聞いてみようかな。でも絶対教えてくれないような気がするし、猫のことを言ったら光の杭をぶっさされそうだ）
「うーん」
とうなっていたら、幻のゆりがつんつんスペードの腕に触れていた。
スペードはゆりの頬をなでた。
「あなたは猫じゃなくてもかわいいですね。そういや、神の国で遊んでるとか言ってたな。何をして遊んでるんですか？」
スペードはそう聞いてみたが、やはり幻のゆりは何も答えなかったのだった。
つづく
12部
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