第32話
来年の赤い月の間聖地に行く話がドルイドの耳に入ってきた。シスがカレンの屋敷にやってきて話したのである。
「僕の代わりに行ってほしいんだ。ムサカ様だけじゃあの二人の世話は大変だから」
シスはこんな感じで頼み、ドルイドは思いがけない話にかなり戸惑っていた。
「いいなあ。私も聖地に行ってみたい」
ドルイドの横で聞いていたハインリヒが言った。
「瞬間移動で聖地に行けるなんて、夢みたいな話だよな」
クーガは簡単に聖地とここを瞬間移動しているので忘れがちだが、それだけの瞬間移動ができるのは、世界で一人か二人だけである。普通は馬車の旅である。行って帰ってくるだけで、一月以上はつぶれてしまう。大陸を西に向かう道には８本足の早馬という馬が走っているのだが、早いかわりに体にかなりの重圧がかかる。慣れない者が乗ると、酔って大変なことになるのである。かといって普通の馬車で行こうとすると、かなりの長旅になってしまう。早馬と普通の馬をうまく交互に使って普通の人達は巡礼に出かけている。ちなみに、よく聖地に贈り物が届けられるが、それは早馬が使われている。早馬の荷台には魔法がかけられて、どんな衝撃が起こっても商品が破損することはないのだった。そのかわり送り賃もかなりかかってしまうのだが。
聖地から遠い国々の人々はどうやったって巡礼に行くことはできないことになるが、それらの国々にはノイトラールへの魔法陣が配備されていた。蛇の国と虎の国にある魔法陣のようなものであろう。その魔法陣はここらにはない。しかも一年間で渡れる人数も限られているため、外部の者が使うことはできなかった。
普通の者はノイトラールから船で聖地に渡るのである。瞬間移動で聖地に入ることができるのは、神官のみである。ゆりはそれを許されたのだから、どれほどアシュランがゆりを気に入り厚遇していたかがわかるというものである。ゆりが聖地に行ったときに案内したビスコーの緊張も相当なものだったろう。「さすがアシュラン様の招待客でした」などと今も言っているに違いない。
「僕が行ってもいいんでしょうかね」
ドルイドが言った。
「母様がドルイドを推してるから、いいんじゃない？ 詳しいことは何も決まってないけど、一応心の準備をしておいてよ」
「はい」
「行きたいんだろ？」
ハインリヒが聞いた。
「僕は、蛇の国から外に出たことがないから、外に出るって事が考えられなくて」
「海はすごいよ。僕、海を見て感動したよ。チャンスを与えられたならば、行くべきだよ。ドルイド」
「はい」
「ドルイドは転生後を満喫してるな。いいなあ。そうだ、洗濯のやり方も覚えておいた方がいいんじゃないか？ ムサカ様はそういう知識は皆無なはずだからな」
ハインリヒが言った。十日の滞在なら、洗濯は欠かせない。
「ホテルに洗濯のサービスがあるんじゃないかって母様は言ってたけどね」
「一応覚えておいた方がいい」
「わかった」
ドルイドは聖地行きを心に決めたようである。
城に戻ったシスは、ゆりに、「ドルイド喜んでいたよ」と伝えていた。
「そう。よかった」
「考えてみたら、聖地に瞬間移動するってすごいことだよね。それを許された母様は、すごいよ」
「はっはっは」
瞬間移動で部屋にレーヌとミシェイラがやってきた。
「ねえ、マー、トウメイ君がね、夜良いところにつれてってやるっていうんだけど、行ってもいい？」
「え？ トウメイ君？」
「母様にはまだ言ってなかったっけ。この二人、妖精みたいな男の子と知り合ったみたい。友達になったんだって」
シスが説明した。
「へーそうなの？」
「マーとトーがいいっていったら行くって言ったの」
ミシェイラが言った。
「そうなの。トウメイ君って面白い名前ね」
「姿がトウメイなの。だからトウメイ君よ」
ミシェイラが説明した。
「僕らあんまり気にしてなかったけど、トウメイ君って妖精だと思う？ 彼は、母様が良いことをしたから友達になってやるって言ったんだって」
「へーあ、そういうことかあ……これは王様にあの話をしなきゃだめだな。私が王様に聞いてみるから、二人は遊んでていいわよ」
「わかった」
二人は出て行った。
「シスも聞いとく？ ラギは今研究室にいるんだっけ。じゃ、ラギとナナミにだけはシスから話してもいいわ。ちょっと来て」
「うん」
ゆりはラクシュミを休憩室に呼び出して、ゆりがサミュエルから聞いた壮大な話を二人に聞かせたのだった。ラクシュミはぽかーんとしていたが、シスは泣いていた。
「すごいよ。あの子がそんなにすごい存在だなんて。涙が止まらないよ」
「……それ、お前の妄想じゃないのか？ 本当にそんなすごいことがあったって言うのか？」
「そうよ。エスメラルダちゃん、抱っこしたでしょ？ ミシェイラとレーヌがお友達になったのは、多分精霊さんだと思う。どこに連れて行ってくれるかわからないけど、普通の人じゃいけないような所に連れて行ってくれるんじゃない？ きっと」
「普通じゃいけないような所って……ちゃんと帰って来られるのか？」
「大丈夫でしょう。今夜私が一緒にいて話を聞いてみるわ。それでよさげならいい？」
「まあ、ちゃんと帰ってくるのなら」
話が壮大すぎて、ラクシュミもあまり考えられなかった。そして、シスは涙が止まらなかった。
「シスったら泣きすぎ」
ゆりはシスの背中をなでている。
「だって、感動しちゃって。母様はすごいよ！」
「すごいのは、私に優しくしてくれたラーズよ」
「僕の母様は世界一だよ！」
シスは誇らしげに言いながら泣いていた。
夕方、ゆりはミシェイラの部屋に来て、ベッドの上にミシェイラとレーヌを座らせた。
「王様は行ってもいいって」
「やった！」
「やった！」
二人は喜んで両手をあげていた。
「二人とも、向こうでよくしてもらったら、ちゃーんとお礼を言うのよ。言える？」
「ありがとうございましたっていう」
「ありがとうございました」
「そうよ。ちゃんと感謝の言葉を伝えるのよ。そうしたら、みんな可愛がってくれるからね。いつでも感謝の言葉を忘れちゃだめよ」
「うん」
「わかった！」
それから一時間ほどして、部屋の中を風が起こった。窓が閉まっているのにである。
「トウメイ君だ！」
レーヌが言った。確かに空間がゆらめいて、うっすらと少年らしき姿が見えた。
「初めましてトウメイ君」
ゆりが挨拶した。
「やあ、母なる者よ。今日はこの子達をつれて行っていいかな」
「いいけど、ちゃんと明日の朝には返してくれる？ このままの姿で」
「わかってるわかってる。向こうは時間の流れが違うから、それに左右されないような道具も持って来た」
トウメイ君は木の丸い輪っかを二つだして、子供達に渡した。
「それを手にはめて」
「うん」
二人はそれを手首にはめた。
「それからはいよ」
トウメイ君は１０センチくらいの革袋をゆりに渡した。
「開けてもいいんですか？」
「うん」
革袋の中には、透明な宝石のようなものが２０個ほど入っていた。
「我々の涙の結晶さ。今回我々は泣きまくったからね。いっぱいできた。泣かせたのは君だから君にやってもいいってさ。そちらでいう魔石の一種でさ、体力が著しく低下したときには、それをつけていると一度だけ体力が元に戻るという効果がある」
「すごいですね」
「それをどう使うかは、あなたが決めて。じゃあ行こう」
「マーばいばい」
「ばいばい」
風が起こり、二人は消えた。
「すごい物をもらったなあ……」
ゆりは皮袋に入っていた宝石を手に持ってみた。形や大きさはばらばらである。
―王様も喜ぶね
との声が聞こえた。
「……実は気になってることがあるの。イシュタールのこと。もし、神の国で何か大変なことが起こるのなら、これはイシュタールと仲間達に渡したい。だって、神の国が平和じゃないと、人間界も平和にはならないじゃない」
―そりゃそうだけど
「イシュタールだけに渡すってわけにもいかないでしょ？ 今度神の国に行ったときに、踏み込んだことを聞いてみよう。王様には、これのことはまだ黙っておこう」
―イシュタールだけなら、受け取らないかもね。そういう性格だもんね。やっぱり何かあるのかな？ スペードさんもねぼすけさんも、なんかありそうなこと言ってたもんね
「うん」
―ロイ用に一個だけもらっとかない？
「……一個くらいならいいか。ロイ、将来的にいろいろありそうだもんね。どっちみちあのことは私だけの手柄ってわけじゃないもんね。ラーズやガーベラも関わってるんだし、私だけが独り占めするのも、ちょっと違うよね。とりあえず、神の国で話を聞いてからだね」
―そうだね
ゆりは、これのことはまだラクシュミに内緒にしておくことにした。
一方、ミシェイラとレーヌが連れてきてもらったのは、神の国ではない感じだった。森やお花畑、木でてきた家などがあったが、目を引くのはなんとも巨大な木である。その大木のあちらこちらに窓のようなものがついていた。
そして、トウメイ君の姿も変わっていた。
「トウメイじゃなくなっちゃった」
ミシェイラが言った。トウメイ君は、逆立った水色の髪の少年だった。やんちゃそうな顔をしている。背は二人よりかなり高かった。
「ここでは僕はこうなんだ。じゃあお城に案内しよう」
トウメイ君は二人と手をつないで大木の方に歩いて行った。
「あれはおうちなの？」
「お城だよ。木のお城だ」
「すごいね」
「大きな木だね。あれ？」
大木の入り口には大きな扉があったが、その前でこちらに手を振っている者がいた。赤い髪の男である。
「イシュタールだ！」
「イシュー！」
「ミシェイラ様、レーヌ様！」
二人はイシュタールの元に走って行き、抱きついていた。イシュタールは二人を抱きしめている。
「ここで何してるの？」
ミシェイラが聞いた。
「火の精霊さんに連れてこられたんですよ」
「会えてうれしい！」
「みんな会いたがってたよ！」
「お二人に会えてうれしいです」
「じゃあ中にどうぞ。ここに入る人間は、君達が初めてなんだよ」
トウメイ君が言いながら扉を開けた。
「私も入っていいんでしょうか？」
イシュタールが聞いた。
「いいよ」
木の中は不思議なほど明るく広かった。なぜこんなに明るいのかとイシュタールは中を見回した。至る所に光の球のようなものが浮いている。真ん中には曲がりくねった木の階段があり、上の方まで続いていた。
各階にいろいろな部屋がありそうである。
「こっちに来て」
トウメイ君が手招きして、一階にある部屋に通された。そこには様々な糸が天井から吊されており、その糸を組み合わせて作られていたのはパンツだった。
「パンツ？」
「男の子のパンツ？」
ミシェイラとレーヌが聞いた。
大人の男がはくブリーフのようなものである。黄色い布地に、でかいピンクのハートマークがついていた。横の部屋から背が低い黄色い髪のばあさまがやってきた。
「おお、よく来たね。かわいいね」
「こんばんは。ミシェイラです」
「こんばんは。レーヌです」
二人はちゃんと挨拶をしていた。
「私はイシュタールです」
イシュタールもつられて挨拶していた。
「すまんの。お主のパンツも作ってあげたかったが、これは難儀な代物でのう。量産ができないんじゃ」
ばあさまは残念そうに言った。
「いえ、お気持ちだけで、はい」
イシュタールは遠慮がちに言っていた。
「二人にはこれをあげよう」
ばあさまはふわふわした真っ白な毛が密集したマフラーを二人の首にかけた。
「今年の冬は寒いからね。風邪を引かないようにね」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
「良い子だねえ。うんうん」
ばあさまは二人の頭をなでなでしていた。
「あったかいね」
「うん」
二人はマフラーが気に入ったようである。
「じゃあ次行こう」
トウメイ君がうながした。
「またね」
「さようなら」
「さようなら」
二人はばあさまに手を振っていた。
「あのーどうして我々を案内してくださっているんですか？」
イシュタールは不思議そうに聞いた。
「あれ？ 君もしかして肝心なこと何も聞いてない？」
とトウメイ君。
「何も聞いてません」
大きなウサギがぴょんぴょんはねていて、子供達はウサギを目で追っていた。
「実は、この子達のお母さんがとんでもなくすごいことをしてくれたんだ。そのお礼だよ」
「王妃が一体何をしたんでしょう？」
トウメイ君は二人を呼びながら階段を上がっていった。
「ガーベラの時に、転生した我らが女王を産んでくれたんだよ」
「おお、王妃が！」
「人の世で二万年、長い月日だったよ。我らはもう女王に会うのは諦めかけていたんだ。それが、女神として転生した。みんな喜びまくっているんだ」
「そうなんですか。王妃が……なんて誇らしいんだ」
イシュタールは軽く聞いただけなのに泣いていた。
次につれて行かれた部屋では、子供達の服を用意しているというので、子供達は着替えることにした。その着替えた服は長袖のワンピースだったが、裾には様々な花の刺繍がついていて、なんともかわいらしい服だった。
「かわいい！ ハザーク様もきっと感激するでしょう」
イシュタールは拍手している。
「かわいいね」
「かわいい！」
部屋の外には見知った動物もいれば、見たことがない動物もいた。
「小さい虎がいる」
虎というには小さい生き物がのっそり歩いて来た。
「ヌエだよ」
「かわいいね」
ヌエが声を発した。
「こんばんは」
「こんばんは」
「トウメイ君、蛇はいる？」
「いるよ。あそこに」
トウメイ君は階段の手すりを指した。半透明の虹色に輝く蛇が確かにいる。
「綺麗！」
「綺麗だね」
「じゃあ一番上に行こう。階段だと大変だからこっちに来て」
トウメイ君は３人を小さい部屋に案内した。扉が閉まりしばらくすると、扉が開いた。光景が変わっていた。ゆりがいたならば、「エレベーター！？」と驚いたに違いない。
一番上の部屋はすごく明るかった。きらびやかな調度品があり、天井から吊されたハンモックには、赤ちゃんがいた。
「あ、エスメラルダちゃんだ」
レーヌがその赤ちゃんに気がついた。
「ほんとだね」
「よく来たね」
優しげな声が聞こえて来た。腰までの輝く金髪、麗しい顔の男がそこに立っていて、イシュタールは思わず膝を突いた。男は白地に金の刺繍がされたきらびやかなローブを着ていた。
「こんばんは。綺麗な人ですね」
ミシェイラが言った。
「こんばんは。ほんとに綺麗だね」
とレーヌ。
「ありがとう。私の名前はサミュエル。君達に会えてうれしいよ。君は、火の精霊が巻き込んでしまってすまなかったね」
男は子供達の次はイシュタールを見ていた。
「いえ、お役に立てるなら、こんなにうれしいことはありません」
イシュタールが答えた。
「今回は、我々もできるだけ手助けをしたいと考えている」
「ありがとうございます」
サミュエルの横に金色の獣がやってきた。
「あ、えーときつね？」
ミシェイラが聞いて、獣はずりっと肩を下げていた。
「ミシェイラ様、雷獣ですよ」
イシュタールが言った。
「らいじゅう？ 尻尾がいっぱいあるね」
「ほんとだ。３つもある」
子供達は珍しげに雷獣の尻尾を眺めている。
「すいません。うちの国に雷獣はいないもので」
「いいですよ。私も母なる者に会ってみたいですね」
「是非いらしてください」
イシュタールが言った。
「マー喜ぶよ」
「喜ぶね」
「今日は君達に友達をもう一人紹介しよう。ジャッツー」
男の呼びかけで、隣の部屋から床を這ってきた者がいた。全長三メートルはありそうな蛇であるが、頭が二つある蛇だった。体の色は緑系統の綺麗な蛇である。
「双頭の蛇」
イシュタールが言った。
「この者はジャッツーという。君達が死を迎えるその日まで、この蛇は君達のお友達だ」
「ほんと？」
「ステキ！」
二人は喜んでいる。
「まじかよ」
「やっぱまじっぽい」
蛇達はグチグチ言っていた。
「話してる！」
「すごいね！」
「俺様達がなんでこんなガキの世話を……」
「そーだそーだ」
「お前達いつも暇だ暇だと言ってるじゃないか」
「そうよ。いいじゃないの。あなたの博識を役立ててあげなさい」
サミュエルに続いてトルメンタが言った。
「この子達に肩入れしていいの？」
「敵が攻めてきたらこっちの味方をするってことだよ？」
と蛇達。
「いいよ。神ならばひいきはだめだろうが、私は神じゃない。だれが文句言おうが知ったこっちゃない」
サミュエルははっきり言った。
「今が幸せいっぱいだから仕方ねーな」
「そーだな」
蛇達は諦めた顔付きである。
「ははは」
トルメンタとトウメイ君は笑っていた。
「その代わり、俺達はふっかふかのベッドじゃなきゃ寝ないからな」
「シーツは毎日取り替えてくれ」
「ミーわかんない。トーに言ってね」
ミシェイラは蛇達に言った。
「ではそろそろ返そう。君は神の国へ」
とサミュエル。
「ありがとうございます」
イシュタールが頭を下げた。
「おい、トルメンタ、死ぬなよ」
「死ぬなよ」
蛇達がトルメンタに言った。
「ありがとう。また会いましょう」
サミュエルが両手を広げ、子供達と蛇、イシュタールの姿は消えた。
早朝ゆりがミシェイラの寝室に来てみると、ミシェイラ、レーヌ、そして、緑系の綺麗で、頭が二つある蛇がベッドで寝ていたのだった。
つづく
１４部
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