第36話

　今まで、三人の娘がダーナの元からいなくなっていた。二人は消滅し、一人は闇の世界へと旅立った。闇の世界へと旅立った妖精については、この真相を知るのはアリアスやオルガ、ウィル、ジュライ、ヒルデリアだけである。ダーナは三人目も消滅したと思っている。

ダーナは三度ともひどく悲しんだ。ダーナは慈愛の女神、人間達にも大きな影響を与える女神である。ダーナの悲しみは人間達へも影響を与えてしまう。人間達が負の感情に傾きやすくなってしまうのである。

ビアンナはダーナを悲しませたくなかった。ダーナやアリアス、そして姉たちや弟達、みな、ビアンナがいなくなればひどく悲しむだろう。

一人崖の上の花畑で座り込んでいるビアンナの元に、風に乗り、風の神ウィルがやってきた。

「あ、いたいた。一人でこんなところで何をしてるんだ？　ダーナが探してたぞ」

ウィルはビアンナの近くにやってきて聞いた。

「別にー、一人になりたいんです。ほっといてください」

ビアンナはふてくされた顔で言った。ビアンナは三日ほどダーナの神殿には行ってない。そのせいだろう。

「なんだよ。ダーナと喧嘩でもしたのか？」

「違いますよ」

「じゃあアリアスと喧嘩したのか？」

「ほっといてください。あっちに行って」

「んー？」

ウィルの顔色がさっと変わった。ビアンナの体から、神気が離れているのが見えたのである。

「ビアンナ……」

気づかれたと思ったビアンナは、たっと走って行った。

「ビアンナ！」

ウィルはビアンナを追いかけて、体を捕まえた。

「雲の上に行こう！」

「離してください。エッチ、妖精さらい！」

ウィルは暴れるビアンナを捕まえて、雲の上の神殿に連れて行ったのだった。


ビアンナを見たアシュランは、すぐにビアンナの神気が薄くなっていることに気がついた。

「ビアンナ、いつからなんだ？」

「さー、三日、四日前でしょうか」

ビアンナは仕方なしにウィルの横に立っている。

「アシュラン、どうにかしてくれ」

ウィルが悲痛な表情で頼んだ。アシュランはビアンナに近づいて、ビアンナの腕に触れて、自分の神気で包んでみた。

だが、神気がビアンナの体から出ていくのを止めることはできなかった。妖精の死は、アシュランでさえどうにもできないのである。

「アシュラン様、お願いがあります。もし私が消滅したら、みんなから私の記憶を消してください」

ビアンナの言葉に、ウィルは驚愕していた。

「一体何を言い出すんだ。そんなことだめだ」

「だって、お母さんが一年も二年も悲しんだら、人間達にも影響が出ますよ。私は、だれにも悲しんでほしくない」

「だからって記憶を消すなんて絶対だめだ」

「これが一番いい方法なんです。私、人間界も大好きだから」

アシュランはちょっと目を閉じていたが、目を開いて言った。

「ビアンナ、お前はダーナとアリアスにとっては大事なかわいい娘なんだ。思い出をすべて消すなんて、私にはできない」

「じゃあ人間界に影響が出てもいいんですか？」

「だとしても、お前がいなかったことにはしたくないんだ」

アシュランは最近では、大勢の神の記憶からティカのことを消した。ティカはいろいろな神と交流があったわけではないが、記憶を消すということはアシュランにとっては、辛いことでもある。

「ダーナから楽しい思い出を奪うことはできない。ビアンナ、ダーナとアリアスの元で過ごすんだ」

「ビアンナ、行こう」

ウィルは目に涙をためたまま、ビアンナを促し、二人は出て行った。


「いろいろ先回りして準備していてもこんなことが起こる。くそっ」

アシュランは自分の椅子を拳でたたいていたのだった。


ビアンナが消滅するかもしれない。

ウィルからこんな話を聞いたダーナや妖精達は、当然のことながら大号泣だった。

「嘘でしょう？　どうして……」

「そんなばかな……」

「いやだー！」

虹の妖精達も泣きだしてしまった。

「何かの間違いよ。だって、あなたは娘達の中で一番若いのに」

ダーナはビアンナを抱きしめた。確かにビアンナの神気は薄くなっている。ダーナの脳裏に、二人の娘が消滅した時の記憶がよみがえってきた。どうにかして助けたいと思っても、あの時もどうにもできなかった。

ダーナの神殿にアリアスがあわててやってきた。

「ビアンナ、嘘だろう？　ビアンナ……」

みんな大号泣していたので、逆にビアンナは冷静になってきた。

「みんなよく聞いて、もしかしたら、ナーティーみたいに私も転生できるかもしれないんだから、私がいなくなってもずっと泣いたりしないでね。そんなの、私が一番辛いから」

「ビアンナ……」

「ビアンナー」

「母様もお願いだから、ずっと悲しんだりしないで。綺麗な母様は私の自慢なんだから。父様も。私はすごく幸せだったよ。そうだ。シャナーンからもらった髪飾りをつけよう」

ビアンナは、シャナーンとのデートで買った髪飾りをなくさないようにしまっていたのだった。銀の花がついたヘアピンである。ビアンナはそれを両方の耳の横に止めた。

「そうだ。母様、演奏会を開きましょうよ」

娘の一人が言った。ずっと悲しんでいるよりは、ビアンナに思い出を作ってあげたかったのだ。

「それいいね。そうして」

とビアンナ。

「わかったわ。演奏会をしましょう」

ダーナもうなずいた。

「いろんな神様に飛び入りで参加してもらおうね」

「ステキね！」

こんなわけで、急遽ダーナの神殿で演奏会が行われることになった。


「え？　本当なの？」

ガーベラの神殿に、その話をラーズが伝えに来た。ガーベラもクーリーフンも驚いている。

「ビアンナは末娘なのに」

「クーリーフン、演奏会に参加してくれよ」

「もちろんいいよ」

ガーベラとクーリーフンがダーナの神殿に行った時には、すでにダーナの神殿は大勢やってきていた。ラメーンとダーナの演奏が行われ、アリアスの神獣達も部屋のあちこちにいて、ビアンナはその一匹を抱っこして座っていた。二人の演奏が終わり、ビアンナがクーリーフンに手を振っていた。

「クーリーフン様、横に座ってください。今日は私が主役なので、どんな我がままいってもいいって」

ビアンナはあえて明るくしているようだ。離れた椅子にいたアリアスなどは、目元はうるうるである。

クーリーフンはビアンナの横に座り、ガーベラはダーナの背中をなでていた。ガーベラはダーナになんと声をかけたらいいのかわからなかった。

「次は、ガーベラ様と、ジュライ様で演奏お願いします」

ビアンナが言った。

「今日はビアンナが演者を選べるの。よろしく」

ダーナが言って、ガーベラは「わかったわ」と楽器を選びに行った。

「私はこれで行く。じゃあな。ビアンナ」

ラメーンはビアンナに挨拶して去って行った。

「ちょっとあなたたちそろって泣いてちゃだめでしょ。次は、七人で歌を歌ってもらうからね」

ビアンナは後ろで座って泣いている七人の虹の妖精達に言った。

「だってさー」

「ビアンナー」

「明るい歌をよろしく」

ビアンナの明るさにつられて、場の雰囲気も時々明るいものになっていたが、ビアンナの神気はその間にもどんどん薄くなっていた。夕方、アリアスはふらふらしながら馬車に乗るために出て行った。

妖精コンビ、ライラとリーフが、ダーナの神殿で、スライムのような生き物リーベに野菜をあげていた。二人ともしんみりした表情である。様々な神がビアンナに会いに来た。カサンドラやサントス、ハロルド親子もやってきた。

日が暮れて演奏会は終わった。クーリーフンはビアンナの希望で、ビアンナを抱っこして空の散歩をすることにした。ガーベラはラーズに神殿に送ってもらった。

「別れって本当に辛いわね。私達って不老不死だから、つい忘れがちだけど、愛する子にもう二度と会えないなんて」

ガーベラはティカの顔を思い出していた。ティカはゆりではなくガーベラ自身が産んだ子供だった。別れは突然だった。ガーベラはもう、ティカを抱きしめることはできないのだ。

「そうだな。辛いな。ビアンナは姉妹の中で一番明るい子だったからな」

ラーズも悲しそうだった。


ビアンナを連れて飛んでいたクーリーフンがあわててダーナの神殿に戻ってきた。ビアンナの様子が急に悪くなったからだ。ビアンナの体が崩れはじめていた。

「ダーナ！」

クーリーフンはソファの上にビアンナを降ろした。

「ビアンナ！」

ダーナの神殿にいた一同がビアンナを取り囲んでいた。

「ビアンナ！」

「ビアンナしっかりして！」

神殿にアリアスが戻ってきた。

「ビアンナ！」

「約束……まもってね……」

ビアンナは消え入るような声で言って、目を閉じた。

ビアンナの腕や足に穴があき、そこから光が外にもれていた。

「ビアンナ」

「ビアンナ！」

もはや周りにいる者たちは、泣きながらビアンナの名前を呼ぶことしかできなかった。

周りいた者達の中に、翼がないクーリーフンの姿をしたリーベもいた。ビアンナを見下ろしていたリーベは、「わかったぞ」と言った。

「これが僕の役割だったんだ！」

リーベはそういうと姿を崩し、スライム状になりビアンナの上に覆い被さった。

「リーベ！？」

「何をするの？」

「待って、彼に触らないで」

クーリーフンが皆を制していた。

リーベの体が強烈な光を放った。


『わかったぞ。僕の役割は……あなたを悲しませないことだったんだ……』


リーベの体から徐々に輝きが失われて行った。そして、その体が徐々に干からびている。

「あ！　ビアンナが！」

ビアンナの体に開いた穴が塞がっていた。さらにビアンナは目を開けた。

「ビアンナ！」

「ビアンナ！」

皆が次々にビアンナの名前を呼んでいた。ビアンナの体に神気が戻っている。

「リーベの正体がわかったよ。彼は、ダーナ、君に対する愛だ」

クーリーフンが言った。

「愛？　リーベ、あなたは私のために、ビアンナを助けてくれたのね」

ダーナは泣きながら言っていた。

ビアンナは体を起こした。リーベの体はもはや干からびて、ばらばらになっている。

「私、消滅してないの？」

ビアンナは自分の手足を見ている。

「ビアンナ、よかった」

アリアスは喜びのあまり泣いていた。

ライラとリーフが、干からびたリーベを集めていた。

「死んじゃだめ」

「リーベ」

「あ、そうだ。今度は私達がリーベに神気をあげてみたらどう？」

「そうね。やれるだけやってみましょう」

「お父さんも来て！」

「あ、ああ」

皆で干からびたリーベに触れていた。

「リーベ生き返って」

「がんばって！」

みなでそう声をかけながら。


翌日、ガーベラがダーナの神殿にやってきた。

「よかったわ。こんなことがあるなんて、私も感動したわ」

ガーベラはクーリーフンから話を聞いて、感動して泣いたのだった。まさかリーベがそんなことをするなんて思わなかったのだ。

ダーナの膝の上には、直径十センチほどの、ぽよんとした薄い青い物が乗っていた。干からびたリーベは、みんなの神気でなんとか回復した。だが、小さすぎて人にはなれそうにない。

「どれくらいで元に戻るかしらね」

ガーベラが聞いた。

「かなり時間がかかるかもってアシュランが言ってたわ。でも、生きているんだから。ね」

「そうね。生きているんだからね」

ガーベラがリーベをなでると、リーベはわずかに輝いていた。

「アシュランも、えらいってリーベをほめてたわ」

「そりゃそうよ。愛の生き物かあ」

「きっとガーベラが私を守ってくれたんだわ」

「そうかもね」


その頃ビアンナはアリアスの神殿にいたのだが、ちょっと悩んでいた。

「私、シャナーンにしばらく会えないって言っちゃった。どうしよう」

「会えるようになったって言えばいいんじゃない？」

他の妖精が言った。

「お父さん、生き返ったことだし、またシャナーンとデートしていい？」

ビアンナは明るく聞いていた。

「デートでもなんでもすればいい。ただし、みんなで様子を見てるからな」

アリアスが答えた。

「う……監視付きかあ。でもああ言った手前、すぐ会うのも恥ずかしいような。そうだ。伝言貝を渡そう」

神殿に伝言貝がなかったので、ビアンナはアリアスの神殿を出て行った。入れ違いにハロルドがやってきた。

「よかったな」

「ああ。リーベのおかげだ。リーベのことを変なやつ、と思って悪かった」

「奇跡だってアシュランも言ってたぞ」

「本当にな」

今日ばかりはダーナの神殿も、アリアスの神殿も、「よかった」と言いながら訪問する者が後を絶たなかった。


後日、シャナーンの屋敷に小包が届けられた。シャナーンが開けてみると、中には城で見たことがあるような大きな巻き貝が入っていた。シャナーンは巻き貝を耳にあててみた。

「シャナーン、私ビアンナよ。問題が解決したから、また行けるようになったの。じゃあ、またね」

伝言を聞いたシャナーンは、「よかった」と微笑んでいたのだった。


つづく

14部

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