第67話 聖地からの帰還
神々の生は長い。人間よりも退屈しにくいとはいっても、変化がない毎日が永遠に続いたならば、つまらない、と感じる時だってあるだろう。
海側の神々はほとんどが海に関する神だった。そのため生きていることがつまらなくなるとしばらく眠りにつき、心をリフレッシュするということも可能だった。
マリナールの孫であるセスティナもしばらく眠りについていた。セスティナの心には、マリナールや他の者に対する疑心があり、だれが何を言っても納得しなかったのだ。セスティナと人間の男との恋がうまくいかなかったのもセスティナは周りが邪魔をしたせいだと思っていた。毎日が言い争いの日々だった。双方の意見は食い違ったままで、セスティナは「もういい」と言ってしばらく眠りについたのだ。周りは正直ほっとした。しばらくは、言い争いもなくなるだろうと。だが、周りだってセスティナの事を憎んでいたわけではない。愛があっても相手にその心が通じないというのも悲しいことである。セスティナが目覚めた後も、セスティナと周りの者との関係はなかなか良好にはならなかった。長い間、家族はもやもやした気持ちをかかえていた。
「それでね、その子ったらおっかしいのよ。その子の国の周りには海がないのに、その子の国の人々は、おじいさまのたくましさを尊敬してるんですって。たくましさの恩恵を授かりたいって、男達がおじいさまのことを拝んでるらしいわよ。面白いでしょ？ 普通拝むならハロルドじゃない？ おじいさまに拝んでもたくましさなんて与えられないのにね」
そのセスティナが、今はマリナールに楽しそうに話しまくっていた。ルチアが海に来るようになってからというもの、セスティナはルチアの遊び相手に引っ張り回されるようになり、表情にも変化が現われた。セスティナの鬱屈という感情をルチアが取り除いてくれたかのようである。セスティナと周りの者との関係も改善していた。こうしてマリナールにいろいろ話してくれるようにもなった。マリナールは昔の孫の顔を思い出し、ちょっとうるっとしている。
「それでね、聖なるイカもきたのよ。その子大きなイカを見て驚いてたわ。あの子将来はいい男になりそうなのよね。大人になったらまた会ってみたいわ」
セスティナが人間の男にいまだ興味を失っていないのも困ったものではあるが。
母親達はやんわりとセスティナにお見合いを勧めたが、セスティナのお眼鏡にかなう神がいなかった。
「強引に結婚させるわけにもいかんし、ルチアとしばらくは遊んでりゃいい」
とマリナールは言っている。マリナールはルチアのことをかなり気に入っていた。今後もしょっちゅう海に遊びに来て欲しいと思っている。マリナールだけの意見ではなく、海の神全体の意思といってもいいほどだった。海側のだれもが、ルチアのことが大好きなのである。
（もっと具体的にガーベラに感謝すべきだのう……）
マリナールはガーベラと和解したことは人間達にそれとなく伝えてはいたが、海に近い人間達が、今ガーベラを崇めているかといえば、そういうわけでもなかった。マリナールを崇める人間達にとっては、ガーベラは遠い女神なのである。
マリナールは伝令神ワイアットにそのことを相談してみた。
「ガーベラ様のことはおいといて、マリナール様がルチア様のことを可愛がっていることを人間達に知らせたらどうですか？ ルチア様は新しい女神ですから信仰しやすいと思いますし、ルチア様はガーベラ様の御力とは関係ないとはいえ、ガーベラ様の御子様ですから、ルチア様の信仰が上がればガーベラ様も喜ばれるかと思います」
ワイアットはそう進言した。
「なるほど、それはいいかもしれんな。ワイアット、人間達にうまく伝えてくれ」
「かしこまりました」
ワイアットは海に囲まれた島に暮らす人間達に、最近生まれたルチアという女神のことを伝えた。
海の女神にも負けないほど泳ぎが達者で、女神では一番の怪力でタフな女神。この子供の女神のことをマリナールもエヴァもとてもかわいがっていると。
人間達は、
「海の女神様と張り合うほど泳ぎが達者な女神様がいらっしゃるとは」
「マリナール様は完全にガーベラ様と和解されたのだな。ガーベラ様の子供をかわいがっているなんて」
「泳ぎが達者で怪力ってのが良いな」
「どんな女神様か気になるなあ」
とルチアのことを噂しだした。
神への信仰は、まずは人々が神の名を話すことから始まるのである。こうして、ルチアという女神はマリナールを深く信仰する人間達にも知られることになった。
ラギ達の聖地滞在は、とうとう最後の日になった。ロイが最後にハロルド神殿でみんなに挨拶をしてくる、というので、他の三人もついて行くことにした。ムサカはロイの保護者としてスペードや他の神官達にお礼を述べて、ハロルド神殿でお参りをして、四人はハロルド神殿を後にした。
「今日、マリカさんがお別れにきてくれるって言ってたよ」
ラギがロイに言った。昨日アシュランの神殿に行った時にマリカと話したのである。
「マリカとまた競争がしたかったけどね、できなくて残念だったな」
「今のロイなら勝てるかもね」
「帰ったらジロウ君と競争しよう。ふふふ」
四人が宿に戻ると、宿の前にマリカがいた。
「マリカ！」
「ロイ様、聖地は楽しかったですか？」
「うん。とっても楽しかったよ！」
「そうですか。よかったです」
「お昼を食べてから帰ろうと思ってるんだ。マリカも一緒にどう？」
ラギが聞いた。
「一緒に食べよう！」
ロイがマリカの手を引っ張り、マリカも昼食を一緒に食べることになった。
ラギは魔法クモの糸で編まれた腹巻きをお土産に買った話をマリカにした。マリカはその工房に行ってみたことはないようだった。神官の服を作っているのは別の工房らしい。
「聖地にも鉱山があるんだね。いろいろな石がある工房にも行ってみたんだよ」
「聖地にしかない石が採れることもあるようで、盗賊が多く狙ってる場所でもありますよ。毎年何人も捕まってます」
「そうなんだ。聖地で盗みをするバカがいるんだ」
ラギが笑いながら言った。
「どこにでもいますよ」
「そうだ。うちの国にある博物館、今結構聖地でも有名なんだよ。知ってる？」
ラギが聞いた。
「神様の手が一杯飾られている所でしょう？ 噂を聞きましたよ。私も一度行ってみたいです」
「お母さんが考えたんだよ。神様が自分で手形をもって来てくれたりするんだよ。すごいでしょ」
「すごいです。さすが王妃様です」
ほのぼのと昼食を食べて後、四人は荷物と土産を宿の前までもってきた。お土産も結構な量である。
「じゃあね、マリカ」
「さようなら。この巡礼がこれからの人生の良き糧となるように祈ってます」
「ありがとうございます」
「さようなら」
四人は荷物とお土産を抱えてひっつき、マリカの前から姿を消したのだった。
ゆりの部屋ではそわそわして女の子達とシスが待っていた。突然四人がわっと現われた。
「ニー達だ！」
「おかえりー」
「おかえりなさい」
ゆりが言った。
「ただいまー」
「ただいま」
「あれ？ ロイ何かあった？」
シスが一番にロイの異変に気がついた。
「ハロルド様の加護が復活したんだよ」
「えーそうなの？ ライオネル様が封印をといてくださったの？」
「それがねー」
「四人ともその前に王様に会ってこなきゃ」
「そうですね。行きましょう。それでは王妃様後で」
「うん」
ムサカは三人を連れて移動した。ミシェイラとレーヌは大量の荷物を眺めている。本が１０冊ほど束になっていた。
「これはラギのお土産ね。楽しんだみたいでよかったわ」
ラクシュミに挨拶をした四人が戻ってきた。
「ドルイド、お母さん達も待ってるだろうし、屋敷にすぐ行ってあげなさいな」
ゆりがドルイドに言った。
「ありがとうございます。とても素晴らしい巡礼の旅でした。本当に楽しかったです。後でまたお礼にきますね」
「またね」
ドルイドは荷物を持って去って行った。
ラクシュミもみんなのお土産を見にやってきた。
「では私も部屋に戻りますね。また後できます」
ムサカも自分の部屋に戻った。ラギはみんなへのお土産を出して並べていた。
「これがミシェイラに、クーリーフン様の本だよ」
「クーの本？ ありがとー」
薄い本だったが、クーリーフンだけの本のようだ。ミシェイラは喜んでいる。
「レーヌには動物図鑑、シス兄さんの部屋に動物セットをおいておくから、二人も後で見てね」
「わかったー」
「お父さんには一番すごいよ。じゃーん、魔法の腹巻き」
シスは紙の包みを開けて白い腹巻きを出した。
皆目をまん丸にしている。
「魔法の腹巻き？」
「これを着ると、魔法を使う量を少なくできるそうだよ。お父さん、明日からしてみてね」
「魔法の腹巻き……」
ラクシュミは手に取っている。
（王様が腹巻き？）
ゆりは笑いそうになるのを堪えていた。
「魔法の腹巻きなんてすごいね」
シスは普通に感心している。
「お母さんとハザーク様にはお茶セットを買ってきた。いろいろな色のお茶だよ」
「ありがとう」
「侍女達にもお茶を大量に買ってきた。休憩室においてもらおうと思って」
「ありがとう。侍女達も喜ぶわね」
「ナナミには僕が買ったよ。はい、ライオネル様の人形」
ロイはナナミに獣姿のライオネル人形を渡していた。布でできた人形で、たてがみには毛糸が使われている。
「……ありがとう」
ナナミの反応は微妙だった。
「父様聞いて、僕ね、ライオネル様に会ったんだよ！」
ロイが興奮して話し出した。
「それで封印をといてくださったんだな」
ラクシュミもロイの様子が違うのに気がついたようだ。
「そうじゃないよ。封印をといたのはなぜかハロルド様だよ」
「ハロルド様？ 今回もいろいろな神様に会えたのか？」
「えーと、ライオネル様に、ラーズ様に、ハロルド様！ それからラメーン様。ジュリアン様も」
「すごいじゃないか」
ラクシュミが言った。
「ラーズ様はすごい虹を見せてくれたんだよ。ジュリアン様はかわいくて綺麗な神様だった。動物たちがいっぱいよってきてたよ」
「ジュリアンにまで会えるなんてすごいじゃない」
（ラーズも優しい）
ゆりもうれしそうだ。
「ジェラルド様の神殿がすごかったよ。ムサカさんはアシュラン様の神殿が気に入って何度も行ってたよ」
ラギが言った。
「僕はねえ、修行もしたんだよ。それでね、みんな聞いて、前にジー様が来てくださったでしょ？ ジー様はジェイク様だったんだよ。聖地で僕に会いに来てくれたんだよ！」
ロイが大興奮で言っていた。
「ジー様？ だれだっけ？」
ナナミが首をかしげている。
「イシュタールの事件の時に来てくださった神官だよ」
ロイが言って、ナナミは「ああ！」と思い出していた。
「神様だったんだよ。僕びっくりしたよ。それでね、ヴォルフ兄とジェイク様が戦う所を見せてくれたんだよ。もう超すごかったよ。二人ともすげえかっこよくて、僕感動したんだよ！」
ロイは両手を握りしめて目を輝かせている。
「そりゃすごいね。ラギも見たの？」
シスがラギに聞いた。
「ううん、僕達は別行動していたんだ。ロイはヴォルフ様につれられて海の神様達の海にまで遊びに行ったんだよ。すごいよ」
「ええ！？」
これにはゆりが反応していた。
「海の神々の世界に行ったの？」
「うん、僕だけ行ったんだ。海の女神様にも会ったよ。でかいイカもみたよ。良いイカなんだって言ってた。ルチア様とジェイク様もいたよ。マチルダ様も」
「へージェイクも海で一緒に遊んでるのかしら。ロイはすごい体験をしたわね」
「超すごかったよ！」
「ラギ、スタンプラリーは制覇できた？」
シスが聞いた。
「もちろんだよ。神殿は22個行ったよ」
「聖地満喫って感じね。よかったね」
ゆりが言った。
「本当に楽しかったよ。これもお母さんのおかげだよ」
ミシェイラとレーヌは、動物セットをここで出してみていた。ナナミも眺めている。
「一番でかいのが龍よね？ やっぱりすべての動物で一番でかいのね」
「これヌエだよ。この前会ったもんね」
「会ったよね」
ミシェイラとレーヌはヌエの横に虎を並べていた。並べて見ると違いがよくわかる。ヌエの方が小さく、優しい顔つきをしていた。
「キリンもかっこいいね」
「雷獣の方がかっこいいよ」
女の子達は動物を並べて比べていた。
「ジュラルド様の神殿には等身大の龍の作り物があったんだよ。すごい迫力だったよ。今回の旅では、ジェラルド様のすごさを再認識したよ」
ラギが言った。
「へー私はジェラルド様の神殿は行かなかったからなあ。よかったわね」
「うん、すっごくよかった！」
聖地報告が一通り終わった所でラクシュミは腹巻きを持って去って行った。
「お父さんがうれしそうでよかったな」
「腹巻きしかなかったの？」
ゆりが聞いた。
「服は十年待たなきゃいけなかったんだ。腹巻きはすぐ買えたから」
「そうなの。効果があるといいわね」
「うん。それからお父さんに見せられないお土産があったんだ。これ」
ラギがぬいぐるみを出した。
「あ、前にマーが変身したやつだ！」
ミシェイラが一番に声をあげた。それは布で作られたペンギンのぬいぐるみだった。
「ラクア様の神殿で売ってたんだ。考えたら、お父さんに見せちゃまずいよね」
「見せちゃだめよ。思い出しちゃうから」
「ミーほしいよ！」
「じゃああげる。お父さんが部屋に来たら隠すように」
「わかったあ！」
ミシェイラはペンギンのぬいぐるみを抱きしめた。
「トーはだめでもパパはいいよね？」
「いいよ」
「パパに見せる！ いこっ」
「うん」
ミシェイラとレーヌは本とぬいぐるみを持って消えた。
「聖地で何か困ったことはなかった？」
ゆりがラギに聞いた。
「特になかったよ。聖地から船に乗ってノイトラールにも行ったんだよ。ムサカさんがいるから、だれも何もしてこなかったよ」
「そうなんだ。船にも乗ったのね」
「あ、そうだ。ジロウ君、競争しよう！」
ロイははっと思い立ち、ゆりの横に座っていたジロウに近づいた。
「ワン？」
ロイは素早くジロウを連れて移動してしまった。
「ロイは元気いっぱいね」
「半分以上はスペードさんに稽古してもらってたよ。ロイはみんなに可愛がられてすごいよ」
「ありがたいわね。それで、クララとリリーには何のお土産を買ったの？」
ゆりが突然にやにやして聞いていた。
「え？ 別にいいでしょ」
ラギの頬がぽっと赤くなった。
「教えてよー飾り物？ いつ渡すの？」
「秘密。そうだ、クロスの顔を見てこよっと」
ラギは逃げるように去って行った。クロスはこの時間お昼寝中である。
「かーわいいわねー」
「シスにーロイを見に行こうよ」
「行く？ いいよ」
シスはナナミと移動して、ゆりだけになった。部屋にはラギのお土産は置かれたままで、木彫りの動物たちも出されたままだった。
ゆりはラギからもらった紅茶セットを眺めた。いろいろな色のお茶らしく、お茶の袋にちょっと色がついていた。その中には緑色がついているお茶がある。
「緑……もしかして緑茶だったらびっくりだけど……」
部屋がノックされて、出るとやってきたのはムサカだった。
「王妃様にお土産です」
ムサカが渡してくれたのは、干した貝にほたて、魚などだった。さらに妊婦が飲むのに良いお茶もあった。
「こちらのお茶には妊婦が必要な栄養分が入ってるそうです。ヒルデリア様の神殿で買いました」
「わーありがとうございます！ うれしいです」
「聖地は本当に楽しかったです。ありがとうございます」
「楽しめてよかったです。ラギのお守りは大変じゃなかったですか？」
「全然、ラギ様がいろいろしてくださったんで助かりました」
「そうですか」
ゆりの左目が蛇の目になった。ゆりはお土産をテーブルにおいて、ムサカに抱きついていた。
「ムー様おかえりなさい」
「赤い月の間大丈夫でしたか？」
「平和でしたよ。王様も怒ってなかったし」
「そうですか。よかったです」
「神様に会えてよかったですね」
「はい、本当に貴重な体験でした」
「お帰りのチューをしましょう」
二人はちゅっとキスしあった。
そして闘技場では、ロイが猛烈に走りまくり、その横をジロウも走っていたのだが、闘技場内を五週ほど走った所でジロウの方が離脱していた。
「やった！ ジロウ君に勝った！！」
喜ぶロイを眺めながら、ナナミはぼそっと「体力バカ」とつぶやき、シスは「頼もしいじゃない」と笑っていた。
城では再びドルイドがやってきてゆりにお土産を渡していた。平べったい板のようなもので、緑色をしていた。
「昆布じゃない！ ありがとう」
「すごく楽しかったです。本当にすべてが貴重な体験でした」
「よかったね。今日はよーく休んでね」
「はい」
ドルイドは再び笑顔で去って行った。ゆりは昆布を眺めた。聖地では昆布を見た記憶がない、あれば買ったはずである。ノイトラールでは、昆布を使った料理もあるのかもしれない。
「昆布を見たら猛烈にうどんが食べたくなってきた。明日作ろうかな。魚くさくても平気だしー、今日も明日も海産物だーやっほい！」
翌日、城の厨房では王妃様が必死になってうどんを作っていたそうである。
つづく
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