第79話 お願い
「うーん、むずい」
「難しいね……」
神の国である。ハロルドとガーベラの子供達、キュリアとジェイクがジェラルド工房にやってきていた。鎧や兜を前にああでもないこうでもないと言っている。工房の外ではでかい黒い猫、クロが寝そべっている。
以前ゆりがハロルドに精霊の涙を渡したときのこと、ハロルドは、神々の力でもそういうものができないかと考えて、キュリアとジェイクにいろいろ試させた。二人は宝石などに守りの力をつけることができないか、それこそ神の国にある様々な宝石を集めて実験してみたが、うまくいかなかった。今は、防具に神の力を付けることができないか試している。
「やっぱり当日じゃないと無理なのかな」
「そうねえ」
キュリアは癒やしの神、ジェイクは守りの神である。うまくいけば、防具の防御力があがったり、体力が減っても回復するような、そんな効果がつけられるのではないかと思ったが、物相手ではうまくいかないようだ。戦には二人は参加して神の力も使うのだが、神の力にも限界がある。そういう道具があらかじめあって効果がずっと続くならば、みんな助かるだろう。
二人が工房の外に出ると、クロの上にメリーアンがひっついていた。
「アンちゃん、寝間着ありがとう。よく眠れるよ」
「うん。ぼくもすっごく気に入ってるよ」
二人がメリーアンにお礼を言った。
「ふふふ、聞いて、なんとまたレベルがあがったのよ。青い糸も作れるようになったの」
メリーアンはにんまり笑って言った。メリーアンは成長する妖精らしい。
「えー、今度ぼくに青い寝間着をつくってよ！」
ジェイクが目を輝かせている。メリーアンの糸は、白か薄いピンクだけだった。それに青が加わったようだ。
多くの神々が着ている黄色っぽい布は、ジェラルドのクモの糸そのものの色である。オルガの黒っぽい服やサラディンの赤い服などは染められている。糸を染めずに、最初から青い糸を作ることができるというのは結構すごいことである。
「二人は何をしに来たの？」
メリーアンが聞いた。二人はメリーアンに説明した。
「ふむふむ、実験してみよう！」
メリーアンはクロの背中の上で起き上がった。
「もう実験はいろいろしたわよ？」
「私の魅了とか安眠効果は、糸を作る時と、できあがってからも付けることができるの。ボスはできた服にいろいろ効果をつけてるみたいよ。服ならできるんじゃない？」
「服はまだやってないね」
「やってみよう」
二人はメリーアンと一緒に服の工房に行き、あれこれ実験してみた。すると、確かに布だと防御力が高まる効果を付けることができた。だが、神々や妖精達は、ジェラルドのクモの糸で作られた布の服で戦うことになっている。ジェラルドはその服に、神の力がさらに高まる効果をつける予定だ。ジェラルドの力がついている布に、ジェイクが力をさらに付けることはできなかった。
「なるほど……なら服以外ならいいってことね。たとえば、下着よ。パンツよパンツ」
「パンツ……」
ジェイクがつぶやいた。ちなみに、神様は女性はパンツをはかない。だが、キュリア達子供は、パンツをはいている。
「さらにシャツみたいなのを作って、それに力を入れたらいいんじゃない？」
「できるかな？」
「試してみればいいじゃん」
「そうだね。試してみよう！」
「やろう」
いろいろ試した結果、メリーアンが糸を作る時に、同時にジェイクが力を込めることで、糸に防御力を高める効果を付けることができた。
「お、おお！」
「おおおー」
「この糸をたくさんつくって、下着をつくってみよう！」
「うん、やろうやろう！」
工房での実験は続いたのだった。
六の月のある日、人間界である。聖地、アシュラン神殿の一室に、カサンドラがやってきていた。
「私に用があるとか？」
カサンドラはクーガに会いに来たのだった。
「はい。来ていただきありがとうございます」
「それで、どうかしたのか？」
カサンドラはクーガの横に座り、聞いた。
「実は、カサンドラ様にお願いがあります」
「お願い？」
「今度ある神々の戦に、私も出たいんです」
クーガはカサンドラの顔を見つめて、はっきり言った。
「んん？」
思ってもいなかった言葉だったようだ。
「どうか、出られるようにしてください」
「…………」
カサンドラの瞳が、陰っていた。
「あれは、妖精でさえ危ない戦いだ。クーガは聖地を守っておくれ」
「戦に出たいんです。拒否されても方法を見つけて強引に行きます」
「クーガ……」
「私が千歳の誕生日で人間になることを願わなかったのは、このことが原因でもあります。どうしても聞き入れてほしいです」
「……実は戦には名簿があってな、その名簿に名前がある者だけが参加することになっているのだよ」
カサンドラは苦しい言い訳をすることにした。
「その名簿はだれが作ったんですか？ カサンドラ様ですか？」
「いや、名簿はだれが作ったものでもない。アシュランの元にある日送られてきたらしい」
「カサンドラ様もその名簿を見たんですか？」
「いや、直接見てはいないが」
「妖精達の名前があって私の名前がないのは、逆におかしいじゃないですか。大神は、私の名前があったのを黙っているのではないですか？」
「え？ まさか」
「確かめてください。まあ、その名簿に名前がなくても行く気ですけど」
「クーガはあの魔法陣を越えることはできないと思うが……」
「お友達におんぶしてもらうか、もしくは、光の精霊の力を借りることにします」
「光の精霊……クーガ、考え直してくれないか。世の中が混乱する時、人々の心を穏やかにするためにも、クーガの力がいる」
カサンドラはクーガの手を握りしめた。
「私は九百年ばかり、神々の宣伝のために尽くしてきました。一度くらいわがままを言ってもいいと思います。絶対に死ぬと決まっているわけでもないでしょう」
「うーん……とりあえず、アシュランに話をするよ。私にそういう権限はないからな」
「お願いします」
その後、カサンドラは神の国に戻り、アシュランにその話をした。
「実は名簿にクーガの名前があった」
とアシュランから聞き、カサンドラは仰天している。
「我々に黙っていたんですか」
「うん」
（うんって……）
カサンドラはアシュランの言葉にあきれつつ、それも無理はないとも思っていた。カサンドラとてクーガのことを子供のように愛しくおもっている。戦に出させたくはない。だが、他の者達も、自分の愛しい者達を戦場に送り出すのである。ライオネルにとっては、ようやく生まれた子供達だ。カサンドラの思いも複雑である。
「クーガは私にとって保険だ」
「保険？」
「もし万が一、敵の力が前回よりも遙かに強く、こちらが劣勢になったとき、クーガが人間界にいるならば、私もなんとか人間達を守らねばならないという気になるだろう、ということだ」
「はあ……」
時に冷酷にもなれなければ、最高神などやってはいられない。万能の力があるわけではないのだ。この世界にとっての最良はなんなのか、それを選ぶことしかできない。
「別に他の人間がかわいくないわけではないが、割り切れば、結構あっさり人間達を見捨てることもできる。すべてを最初からはじめる、その権限を私は持っているからな。今は、エスメラルダがいるから邪魔されそうだが」
「…………」
カサンドラはちょっと悲しそうな顔をしていた。
「私だって、そうしたくはない。今の人間世界を持続させたいと考えている。それにもし今光の剣を使ったら、もしかしたら、ガーベラの子供達は大勢消えてしまうかもしれない」
「はあ？」
「確証はないが、光の剣は地上に生きる魔物だけではなく、人間、動物すべてを消し去ってしまう。それはもしかしたら、最初に戻るということかもしれない。前回は人間が生まれた後に生まれた神々は残っていたが……」
「前回とは？」
「実は、私は光の剣を二度使ってる。魔物が増えてどうしようもなくなったんでな。その時神々の記憶を操作した」
「えー……」
カサンドラにとっても寝耳に水の話である。
「あの時、神々は全員いたが、地上は最初に戻ったという感覚があった。ガーベラの子供達の多くは一人の人間が深く関わっている。次に最初に戻った時、子供達がいるかどうか、私にもわからない。もし子供達がいなくなったならば、たとえ神々の記憶を消したとしても、ハロルドはいずれは思い出して半狂乱になりかねない」
「サントスやラクアだってそうですよ」
「実験もできないし、光の剣はもう使えないと思った方がいいな」
「……クーガはどうするんですか？ もし戦に出さないとなれば、自分で行く方法を見つけると言ってますよ」
「光の精霊も味方してるしなあ」
「後方支援ということで参加させた方が良いのでは？ クーガは自分の意見を曲げることはないでしょう」
クーガの頑固さは、カサンドラもよくわかっている。
「そうだな。すまんが、ヒルデリアに話をしてくれるか？ 私からは言いにくい」
「いいですよ。私から言っておきましょう」
（やはりこうなるのか、あの時クーガを脅したようなものだしな……）
千歳の誕生日のお願いの時、アシュランはついクーガに戦があるようなことを話してしまった。
こうなることも、予想ができることだった。それでも、できることならば、クーガを戦には出したくなかった。
だが、これ以上本人の意見を無視するわけにもいかない。
「はあ……クーガが戦に出ることは、アリアスには黙っておくしかないな。大騒ぎしそうだ」
騒ぐアリアスを想像し、ため息をついたアシュランだった。
聖地では、ロイが急遽スペードに鍛えられている。ハロルドがロイに預けた光の力が付与された剣は、刃こぼれしたらいけないので、素振りの時だけに使い、二人の剣の打ち合いの時は、ロイはもらった剣と同じ重さの剣を使っていた。ハロルドの加護がついた者同士なので、かなりの素早さである。普通の神官の目には追えない。ロイの剣技は、毎日稽古をサボらずに頑張っていた努力を思わせた。幼いのに真面目な子だ、とスペードは思っている。
一時間以上打ち合っていると、ロイの足はかなりもつれていた。それでもかなりの体力である。ついに足が思うように動かなくなり、稽古が中断された。
「やっぱりスペードさんはすごい」
ロイはフラフラしながら動いてベンチに座っていた。
「君もすごいよ。よくがんばっているね」
スペードは素直にロイを褒めた。
スペードの方は息切れもしていないのはさすがである。ロイは神殿で用意してくれた水筒から水を飲んだ。
「そうだ、スペードさんは精霊からすごい剣をもらったんでしょ？ うちの母様、その剣と同じレターナイフをもらって喜んでいたよ」
ロイが思い出したように言った。
「え？」
「すごい剣をぼくにも見せてほしいな」
スペードがぶつぶつつぶやくと、スペードの手にぱっと鞘に入った剣が現われた。
「すげー瞬間移動した！」
ロイは喜んでいる。
スペードは鞘を抜いてロイに剣を渡した。
「重い。すごい！」
剣はロイがもらった光の剣よりも重かった。
「君のお母さん、この剣のこと知っていたんだ？」
「母様は精霊とも知り合いだから、剣のお披露目に招待されて行ってたんだよ。スペードさん気がついた？」
「え？ ほんと？ 全然気がつかなかったよ」
ゆりはロイに口止めする暇もなかったので、ロイはぺらぺら話していた。
「精霊の国ってすごい木があるんだってね。ミシェイラとレーヌも行ったんだよ。はい」
ロイは剣をスペードに返した。
「もしかして、君の母様には、精霊の恋人もいるとか？」
「え？ 精霊の恋人はまだいないよ。多分」
「そう。精霊とどういうつながりがあるの？」
「えーと、母様がしたある行為に、精霊達が感謝してる、みたいな？ 詳しく言えないけど」
「そうなんだ……」
スペードの手からしゅっと剣が消えた。
「剣が瞬間移動できると便利でいいなあ」
（もしかして、俺にこの剣をくれるように頼んだのは……）
スペードはそこで、パンツを作ってくれた老婆が、「お主が男前だからだろう」というようなセリフを言っていたのを思い出した。
（こういうことだったのか！）
スペードは真相に気がついてしまったのだった。
その夜、間が悪いことに、ゆりはスペードの夢に行ってしまった。黒目のゆりは（ちょうどよかった。ロイのお礼を言わなきゃ）とルンルンである。ちなみに今着ているのは、メリーアンが作ってくれたかわいい寝間着だった。肌触りもよく、ベッドに入るなりぐっすり寝ることができた。
（スペード様〜）
大木の裏側に回ったゆりは、スペードと、その横に座っている蛇の目のゆりを見た。やはり自分よりも先に来ていたらしい。しかし雰囲気が変である。蛇の目のゆりはかなり困った様子で、スペードもどこか不機嫌そうだった。
「え？ もしかして、ロイが何かしました？」
ゆりはてっきりそう思った。
「ロイ君は何もしてませんよ。ちょっとここに座ってください」
「は、はい」
ゆりはスペードの横に正座をして座った。そしてもう一人の自分にアイコンタクトしている。蛇の目のゆりも何かいいたそうな目をしていたが、意思は通じなかった。
「精霊に、私に剣をあげるように頼みましたね？」
「え？」
ゆりはきょとんとした。
「ゆり様が頼んだんでしょう？」
「え？ 何の話ですか？」
「超すごい剣の話です」
「超すごい剣？」
「剣のお披露目の時、精霊界にいたでしょ」
「え？ 私達に気がついていたんですか？ すごいですね」
ゆりは素直に感心した。
「精霊が俺を選んだわけじゃなく、あなたが俺を指名しただけだったんですね」
「え、ロイがそんなことまで言いました？」
ゆりはそんな話は子供達にしていない。ただ、スペードがもらった剣とおそろいのレターナイフを精霊に作ってもらったと言っただけだ。
「言ってませんがそうでしょう？」
「う……まあ口沿えはしましたよ。精霊さんに、いい武器を造ってくれるって言われて、じゃあイシュタールにお願いっていったら、イシュタールはもうすごい剣を持ってるって言われて、それでスペード様のことを話しました。でも、スペード様に実力があったから剣をもらえたんでしょう？」
「超すごい剣って、あなたが考えた名前なんですか？」
「違いますよ。超すごい剣を造ってくれって言っただけですよ。まさか名前になるなんて……それでどこに怒ってるんです？ 名前がいやなら変えたらいいじゃないですか」
「別に怒ってないですよ。あなたが何も話してくれないから寂しく思ってるんです」
「いや、何か怒ってますけど」
「精霊に認められたって単純に思っていたんで」
「認められてると思いますよ」
「剣のお披露目の時、どこにいたんですか？」
「私達は精霊に変身してましたから。あっちはすごく近くで見てましたよ」
スペードが蛇の目のゆりをちらりと見た。
「あなたはほんと秘密主義ですね。精霊と知り合いってのも知らなかったし」
「王妃様としては、スペードさんに剣を造ってもらったなんておおっぴらに言えないですよ。それに恩着せがましいじゃないですか」
「どうしてそこまで精霊と仲が良いんですか？」
「それはまあいろいろありまして……」
「ねぼすけには言えて俺には言えないんですか？」
スペードの攻撃にゆりは「うっ」とうめいている。
（お、おたすけ〜〜〜）
黒目のゆりは、蛇の目のゆりに心の中で訴えたが、蛇の目のゆりは何も言わなかった。
「私はスペード様のファンなんです。ファンとしてすごい剣を持ってほしいなと思いまして、ただそれだけなので……せっかくなので改名しませんか？ 『スペードスペシャル』とかどうです？」
黒目のゆりが真顔で言い出し、蛇の目のゆりは、あまりの名前に「ぶっ」と吹きだしていた。
「いえ、超すごい剣でいいです」
スペードは笑っている蛇の目のゆりを見ながら言った。
「そうですか？ スペードスペシャルいいと思いますけど」
蛇の目のゆりは本気でげらげら笑い出していた。スペードも、さすがにそんな名前を剣につけたくはない。ちょっと頬が赤くなっている。
「ところで、最近豹君が私の夢に来ないんですけど……ここで元気でいるのかな？」
ゆりは話の内容を変えたかったので、周りをきょろきょろ見て豹を探した。今は豹はどこにもいない。
「黒豹ですか？」
「そうです。素敵な黒豹君なんですけど」
「あれ、俺ですよ」
ついにスペードが暴露した。
「はい？」
「あの黒豹は俺だったんですよ」
「…………」
ゆりはその言葉が衝撃的すぎて、受け入れられなかった。
「まさか、そんなはずないでしょう。どこから見ても豹でしたよ？」
「姿を変えてもらってたんです」
「はあ！？」
黒目のゆりはもう一人の自分を見た。違うと言ってほしかったのだろう。
「実は、最初から知ってた」
「はあああああー？」
ゆりは叫びながら後ろに下がっていた。
「乙女の夢に何してくれちゃってるんですかー！！」
ゆりは真っ赤な顔でスペードに言っていた。
黒豹がいたとき、ゆりはとんでもないことをいろいろ言ったような気がした。
「大神まで来た時は驚きました」
「スペード様ったらひどい！」
「まあまあ、スペードさんも、豹でもあなたに会いたかったってことなんだから、もういいじゃない」
蛇の目のゆりが言った。
「う、うう……」
あまりのことに感情の処理が追いつかない。
「いつか全部話してくださいよ。ねぼすけの方があなたのことを知っているのはなんか寂しいです」
「はい。その、スペード様、大きな戦があるみたいですけど、無事戻ってきてくださいね」
今はくだらない話をしている場合ではなかったとゆりは思い直し、またちゃんと正座をしていた。
「はい」
最後にスペードの大きな手を握って、夢は終わった。
「黒豹がスペード様だった？ 嘘でしょー」
目を覚ましたゆりは、まだそのことにショックを受けて絶叫していたのだった。
つづく
１４部
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