第１４話
蛇の国歴7133年、女王ヴィラルージュがまだ五歳の頃の話である。
その年、蛇の国に流感が大流行し、その年だけでも大勢の一族の者が亡くなってしまった。時々猛威を振るうこの流感だけは、どんな魔法でも回復させることは困難なことだった。それは全世界的にいえる話であり、
この年はそのほかの国でも同じようなことが起こっている。
そして、その流感は城にまで入り込み、ヴィラルージュもまた、熱を出して寝込んでしまったのだった。
長男アゼルは体が弱く、次に産まれたヴィラルージュは一族期待の王女だった。王はまだ健康的ではあったが、王族の子供はそう何人も産まれるものではないのである。
「陛下、システィーナ様が……」
「…………」
ヴィラルージュを産んだ王妃もまた流感にかかり、この年亡くなった。王妃は隔離され、王は王妃を看取ることはできなかった。ただ思念で別れを告げることしか。
熱で苦しむヴィラルージュには母の死は知らされることはなかった。
「どうしてなの？ 僕が流感になればよかったのに……」
兄アゼルは、妹を思って涙を流していた。自分とは違い健康的な妹がアゼルにとっても希望だった。
このときムサカは86歳である。
「ばかなことを言ってはいけませんよ。王女は必ず元気になりますから」
ムサカはアゼルの肩をなでながら言った。
ヴィラルージュの熱はなかなか下がらなかった。三日高熱を維持し続けると死の危険が高まるのである。もう二日目だ。
ムサカはある決断をして兄である国王に告げたのだった。
「ばかなことを言うな！」
国王はムサカを一括した。
ムサカは、病気転移の魔法を使う、と国王に告げたのだった。
つまり、ヴィラルージュの病気を自分に移すと言ったのだ。
「ヴィラルージュがもしだめでも、子供はまたできる。それにお前が子供を作ればいい。代わりにお前を失うわけにはいかん」
病気転移の魔法、その魔法はかなり高度な魔法である。
「……もしくは、誰か他の者に……」
王は表情をゆがめながら言った。
「いえ、私にしか移せません。私は、誰かの死を背負うのはまっぴらごめんです。それよりも自分が背負う方がいい。それに、私が熱病で死ぬとは限らないでしょう」
「やめてくれ。システィーナも亡くなったんだぞ」
「ですから、私は王妃様の忘れ形見を失いたくはないのですよ。どうあっても。私は陛下に了解を取りに来たのではないのです。もし私に万が一のことがあった時は、申し訳ないと、先に謝罪に来たのですよ」
「ばかな……」
王は沈鬱な表情だった。自分が王の支えになっていると、ムサカとてわかってはいたが、何もしないで王女を失えば、一生後悔することになるだろう。
「頼む、ムサカ、死なんでくれ」
「なるべく、がんばります」
こうしてムサカはヴィラルージュが隔離されている部屋に行き、病気転移の魔法を使った。魔法は成功した。ヴィラルージュはすっかり平熱に戻り、代わりにムサカが熱病で苦しむことになった。
ムサカは熱病を克服はしたのだが、その後遺症が残ってしまった。しばらく体に麻痺が残り、1年は寝たきり生活を送ることになった。
「おじさまはどこにいるのですか？」
ヴィラルージュはその頃ムサカのことは「おじさま」と呼んでいた。
「ヴィラルージュ、ムサカは今病気で苦しんでいてなあ。お前には会えないのだよ」
父である国王はそう説明した。
「おみまいにいきたいです」
「だめだよ。思念で会話をするだけにしなさい。ムサカも弱っている姿をお前に見せたくないんだよ」
「わかりました」
ヴィラルージュも言いつけを守り、「早く元気になってね」とかわいらしく思念を送り、ムサカもそれに答えていた。
国王はムサカの元を訪れていたが、あるとき、老人姿でムサカがやってきたので国王は驚いた。
「ムサカ、その姿はどうしたのだ？」
「陛下、わしはどうも、あっちがもうだめになってしまったようです」
ムサカははげ頭をなでながら言った。
「はあ？」
「熱病の後遺症なのでしょう。こうなってはこの先若いままでは面倒なので、しばらくこの姿で過ごします」
「いやいや、ちょっと待て。そう急いで結論づけなくてもいいだろう。そのうちよくなるかもしれないではないか」
「そうなったらそうなったでいいですが、女性にいちいち説明するのも面倒ですし……」
「いやしかし、別に老人姿でなくても」
「魔法力はすっかり回復しましたのでご心配なく」
「そういう心配はしとらん」
王はあせったが、何を言ってもムサカの意思は変わらなかった。
「頑固者め」
ムサカはようやくヴィラルージュにも顔を見せていた。
「もうすっかり治りましたぞ」
「あれ？ おじさま？ 一気に年取っちゃったの？」
幼いヴィラルージュは老人ムサカを見て驚いていた。
「わしは元々こうでしたぞ。これからはじいやとでも呼んでくだされ」
「え？ そうだっけ？ ？？？」
ヴィラルージュはまだ6歳だったので、老人ムサカと会う内に、そうだったかもしれない、と思うようになっていた。
そして大人になって後、「ムサカは父の弟なのに、どうしてあの姿なのだろう？」と思い始め、直接ムサカに聞いたのだった。
「実は若い頃恋人を亡くしてしまいましてなあ。それで、今後恋人は作らないという意思を示すためにこの姿になったのです」
「別に恋人を作ってもいいと思うが。その亡くなった彼女も怒りはしないと思うぞ」
女王はその時そう言った。
「わしはこれでいいのですよ」
「一度でいいから若い姿を見たい」
「良いですよ」
ムサカはその時変化を解いて若い姿を見せた。
「髪がふさふさなのにもったいないのう」
「ほほほ」
ムサカはすぐ元の老人姿に戻ってしまったのだった。
ムサカはハインリヒがあまりにうるさかったので、仕方なくざっくりとその話をした。ムサカの寝室にはハインリヒにドルイド、カールがいたが、３人とも涙ぐんでしまった。
「陛下のためにそんな犠牲を払っていらしたなんて……」
カールは泣きながら言っている。
「わしは犠牲とは思っとらん。陛下の成長が、わしにとっては生きがいであったからのう」
「ムサカ様は、システィーナ様が好きだったんですね」
ハインリヒが言った。
「そう。わしとシスティーナ様は幼なじみ、子供の頃はよく一緒に遊んだものよ。陛下はシスティーナ様によく似ておられる。勝ち気な所はそっくりじゃ」
「その陛下とよく１０年以上も離れる気になりましたね」
ドルイドが言った。
「アゼル様もたのもしくなってきたし、わしはちゃんと帰るからの。陛下はもうほっといてもよいが、こちらのことが心配で、せっかく王族がたくさんできておるのだから、いろいろ教えてみたい」
「とにかく、もう今後はこの姿なんですね」
ドルイドが聞いた。今もムサカは中年姿である。
「困ったのう。みんな驚くだろうな」
「いいじゃないですか。このまま行きましょうよ。ところで、体の方は最近ためしたりしたんですか？ もしかしたら治ってたりするかもしれないですよ」
「ない。そっちは無理だ」
「そうですか」
ハインリヒは、（そうだ。今度ガーベラ様がいらした時、ちょっと頼んでみるかな）などと思っていた。ガーベラが相手でもだめだったなら、だめということだろうし、もしかしたらそちらが復活するかもしれない。
「では我々はこれで行きますから、ゆっくり休んでください」
３人はムサカの寝室を出て行った。
「……まさかザクート様にお会いすることになるとはのう……本当に参ったな」
ムサカはふさふさの頭をなでていたのだった。
王の間では、ミシェイラがラクシュミに、「あのね、おじーちゃんがおじちゃんになっちゃったよ」などと言っていた。
「若返ったよね」
とレーヌも言っている。
「ムサカ殿のことか？ わけがあって老人姿になってたようだ」
「どんなわけ？」
「さあ」
「おじちゃんの方がいいよ。髪あるし」
「そうだな。あの姿の方がいいな」
ラクシュミも言っていた。なにせ、大人の銀髪の男を見ることは久しくなかった。あの髪を見るだけで、うれしい気分になる。
「ところで、二人ともおじちゃんなどと呼んだらだめだぞ」
「じゃあおじーちゃんでいいの？」
「ムサカ様と呼ぶんだ」
「わかった！」
二人は王の間を去って行った。が、本当に呼べるのかどうか謎である。
神の国では、ガーベラが散歩すると豹がとことこついて来ていた。ラーズなどは「この豹ガーベラの恋人だと思ってるのかな」などと言っている。
「私と豹って絵的に結構合うと思う。絵画に描いてほしいくらいだわ」
豹もじっくり見ると美しい生き物である。このまま側にいてもいいかあ、とガーベラは思っていた。
ガーベラが豹とお花畑を散歩していると、パティウスが飛んできた。
「その豹まだいたの？」
「弓矢で射ったりしないでちょうだいよ」
「しないよ。最近弓もってないもーん。この豹、なんか不思議な感じがするんだよなあ」
パティウスは豹に顔を近づけている。
「豹ちゃん、がぶっとやってもいいわよ」
ガーベラが言ったが、豹は口も開けずおとなしいものだった。
「うーん、ねえガーベラ、この豹にチューしてみてよ」
「チュー？」
「なんか普通の豹とは思えない。よく人間の童話にあるじゃない。女のチューで変身が解ける話」
「あなた人間の童話とか読むわけ？」
「読まない。劇とかたまに見に行くよ。面白いから」
「はあ」
「この前みた狼の国の劇でさあ、そういうのがあったんだ。チューしたら狼が人に戻るの。でもさ、女の子は、狼のあなたが好きだったのにとか言ってさ、男を振っちゃうんだよ」
「なにそれ。喜劇？」
「それで最終的には、二人とも狼になって、森に去って行くんだよね。感動するのかなんなのかよく分からない話だったな。観客達も微妙な顔付きだったよ」
「そりゃそうでしょうねえ」
「まあとにかくさ、ちょっとやってみてよ」
「まさか人にはならないと思うけどねえ。なったらなったで面白いけど」
ガーベラは豹に近づいて、ちゅっとキスしてみた。するとなんと、豹の体が白いもやのようなものに覆われて、そのもやが晴れたとき、その場にいたのは一人の老人だったのでガーベラもパティウスもびっくりした。
ガーベラはびっくりして座り込んでいる。
「あれ？ 豹の方がよかったパターンかな？」
パティウスはつい言っている。
その老人は、若い頃は結構精悍な顔立ちだったのではないだろうかという顔立ちで、真っ白い短髪に短いあごひげ、背が高く、顔は老人っぽいとはいっても腰は曲がってはいなかった。しかし若々しい豹がこんな男に変わるとはびっくりである。
「ガーベラ様ありがとうございます。実はわしはガーベラ様の大ファンでして、大神が誕生日の願い事を一つ聞いてやるとおっしゃったので、わしは迷わず、ガーベラ様に会いたい！ と願ったのです」
「え？ そうなの？ どうして豹だったの？」
ガーベラは花の上にへたりこんだまま聞いた。
「まさか人の姿で会うのも無理でしたから、豹でなら会わせてやるとおっしゃっていただいたので。先日は興奮のあまり粗相してしまい、申し訳ありませんでした」
男は恥ずかしげに言っていた。
「ガーベラ様に口づけまでしていただいて、わしはもう満足です」
「あなたはどこに住んでいるの？」
「わしは長生きしている豹ですよ。あるときから人になったり言葉が話せるようになりましてなあ。今じゃ長老と呼ばれております」
「そうなの。せっかくだからあなたにもちゅーしてあげる」
ガーベラは男に抱きついてチュッとキスしていた。男はうれしそうである。
「ガーベラ様！」
「豹さん！」
二人は抱きしめ合っていた。それをパティウスはぼーと眺めている。
「これで思い残すことはありません。そうだ、ブラントに会ったらよろしく伝えてください。わしはまだまだ元気だと」
「ブラント？」
「こちらでの通り名はスペードといいます」
「ああ、スペードさん？」
「では、本当にありがとうございます」
男の姿は消えてしまった。
「あ、名前を聞きそびれちゃったわ。もう豹には会えないのかしら。ちょっと残念」
ガーベラは残念に思っていた。
「本当に人間だとはねえ。いや、人間に化けられる豹だから、やっぱり豹か。ややこしいな」
とパティウス。
「あの人若い頃はかなりいい男よ。今度若返りの薬を持って行っちゃおうかしら」
「刺激が強すぎて殺しちゃわないようにね」
パティウスはクーリーフンのようなことを言っていた。
子供の豹レオが走ってやってきた。
「レオちゃん、パパ豹はもう行っちゃったわ」
「結局この子はガーベラとあの豹の子供ってことだよね？」
「そうなの？ 私にもよくわからないけど」
「それであっちには男達の力も入ってるのかな」
少し遅れてリリーもやってきた。レオよりもリリーの方が明らかに大きくなっている。
「またお酒を飲んだみたい」
「面白いね。今度龍と仲良くなってみたら？ すごい神獣ができるんじゃない？」
と言ってパティウスは飛んで行った。
「龍ねえ、龍は敵だから無理じゃなーい？」
ガーベラはぼそっと言っていた。
聖地では、ハロルド神殿にいたスペードの元に、他の神官がやってきた。
「スペード様聞きました？ 豹の長老が行方不明らしいですよ」
「え？」
「ノイトラールでも噂になってましたよ。国中どこを探してもいないんで、聖地に行ってるんじゃないかとか聞かれたんですが、来てないですよね？」
「まさか、俺は会ってないぞ。行方不明っていつから？」
「今月に入ってからみたいですよ。一応書き置きがあったみたいなんですが、どこに旅に出たんでしょうね」
「書き置きがあったのなら、どこかでご無事でいらっしゃるだろう」
スペードはちょっと安心した。
「ついこの間も誕生日のお祝いの手紙を出したところだ」
豹の長老は、今年三三三三歳になる。人間時代のスペードを知る、数少ない者である。今でも彼とだけはたまに手紙のやりとりをしていたのだった。
「どこに行ってしまわれたんだろう……」
スペードが落ち着かない気分でいると、その日の夕方、ガーベラの神官がやってきた。
「ガーベラ様がスペード様とお話がしたいようなので、いらしてください」
「私とですか？」
（一体なんの話なんだろう？）
と思いつつ、スペードはガーベラの神殿にある対話の間に入った。そこにいたのは確かにガーベラである。
「こんにちは、スペードさん」
「こんにちは。私に用とはなんでしょうか」
「この子を見せたくて呼んだのよ」
ガーベラは何かを持ち上げてスペードに見せた。そこにいたのは子供の豹である。
「かわいいでしょ？」
「かわいいですね」
「レオっていう名前よ。豹の長老さんと私の子供」
「……はい？」
スペードは聞き間違えかと思って大きく首をかしげていた。
「豹の長老さん、誕生日のお願いをアシュランにかなえてもらったみたい。その願いが私に会いたいってことでね。よくわからないけど神獣ができちゃった」
「は……あ……」
「あの長老さんの名前はなんていうの？」
「クロード様です」
「クロードさんか。あなたによろしくって言ってたわよ」
「……あの、長老は神の国にいたってことなんですか？」
「うん」
「国じゃ探してるみたいですが」
「もう帰ったわよ」
「そうですか」
「そういうことなの。それじゃね」
「は、はい」
ガーベラは言うだけ言うとさっさと鏡を閉じてしまった。
『よくわからないけど神獣ができちゃった』
「『よくわからないけど』のところが非常に気になるんだが……長老、まさか神の国にいたとは……」
スペードは苦笑しながらガーベラの神殿を去って行ったのだった。
その夜、スペードは豹になってゆりの夢に行っていた。
（そろそろ俺の手紙は読んだかな？）
スペードはそこを気にして、蛇の目のゆりをチラチラ見ていたが、なんのアプローチもなかった。
（まだかな）
黒目のゆりは黒豹をなでながら、
「ごめんね、ちょっと浮気しちゃった」
などと言っていた。
（え？ 浮気？）
「あの豹君ったら強引で、つい恋人にしちゃったの。でも私は黒豹君の方が好きよ」
などと言っている。
スペードは蛇の目のゆりの方に近づいて、膝に手をがんがん乗せていた。
「説明しろって？ ちょっと説明できないなあ」
（豹って現実世界の豹のことだよな。どうして豹がいるんだろう？）
「ごめんね。まさか――」
「あーもうその辺でやめとこうよ」
蛇の目のゆりが黒目のゆりの言葉を遮っていた。
「今は黒豹君を愛でてあげたら」
「そうね」
黒目ゆりは黒豹をなでなでしている。
スペードは蛇の目のゆりをじろりと見た。蛇の目のゆりは愛想笑いを浮かべている。やはり説明する気はないようだ。
（さっぱり意味がわからん）
こうしてスペードのゆりに対する謎がまた一つ増えたのだった。
つづく
１３部
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