第23話
9の月のある日のこと、蛇の国、城の北にある大きな街の役所にやってきたヴィラは、両手両足を縛られて床に転がっている二人の男を見下ろしていた。二人とも口には布がかませられている。
「朝役所の外にいたので中に入れたんですが、どなたがなさったのかさっぱりわからないんです。悪人っぽいので、とりあえずこのままにしておきました」
役人がヴィラに説明した。
ヴィラは一人の男の口から布を取った。
「一体何をやったんだ？」
「なあんにもやってないっす」
中年の無精ひげがはえた男は口が自由になるやいなや言い、疲れたような表情でヴィラを見上げていた。
「後生ですから離してください。俺たちは、ちょっと神様に祈りを捧げようとしただけなんですよ」
「神様に祈りをねえ。それでなんでこんなことになってるんだ？」
「いや、その……」
「どんな悪いことをしたのかさっさと白状しろ」
「うう……あの、その前にトイレに行かせてください。さっきからずっと我慢してるんです！」
もう一人もモガモガ言っている。どうやら同じらしい。ヴィラはしょうがなく男達の手足から布を取り、トイレに行かせてやった。すっきりした二人組は戻ってきて床に座らされた。二人の素性を聞くと、この街に住んでいる者達のようだ。
「それで？ 何をしたんだ？」
「実は、ダーナ様のあの素晴らしい石像を見てつい、その、やりたくなってしまったんです」
男の一人が頭に手をあてて申し訳なさそうに言った。
「は？」
ヴィラは目をまん丸くしていた。
「それで、夜中に博物館に忍び込もうとしたら、気がついたらこんなことに！ でも男ならだれだって、だれだって同じように思うでしょう？ ね？」
男はヴィラに同意を求めている。
「いや」
「嘘だ！」
「石像とどうやってするんだ」
「ですから抱きついて、もうそれだけで興奮しまくる自信はあります」
「それでそっちは？」
ヴィラは呆れた顔で、うつむいて黙りこくっているもう一人の男に聞いた。
「俺は兄貴に命じられて仕方なく忍び込む手伝いをしようと……すいません」
もう一人はぺこりと頭を下げた。
「はあ……神様の像に不埒なことをするんじゃない。神のバチがあたったらどうするんだ」
「バチがあたってもいいから石像に抱きつきたいっす」
「抱きつくだけじゃすまないだろう」
「そりゃもう抱きついてチュッチュしまくりたいっす」
「だめだ。神様は敬うもんだぞ。そういう目でみないの」
「うう……ダーナ様……」
男はしょんぼりしていた。どうやらしょうもない事件のようである。
「こいつらの処遇はどうしますか？」
役人が聞いた。
「うーん、今回は未遂のようだからなあ。三日強制労働で許してやるか。つれてって」
「はい」
男達は役人達につれて行かれた。入れ違いにミルキダスがやってきて、事情を聞いて「ぷっ」と笑っている。
「何がおかしい？」
「いや、もし抱きつこうとしたのが王妃の石像だったら、シャナーンに殺されたかも、と思って」
「ははは、それはありうる。ダーナ様の石像を救ったのはだれなんだろう？ みんな知らないみたいなんだが」
ヴィラは一応思念を回してみたが、だれがやったかは分からなかった。
「戦士ではなく街の人かも？」
「そうかもな。ミルキダス、博物館の様子を見てきてくれるか？」
「いいですよ」
ミルキダスは博物館に行き館長と外観を調べたが、窓が割られた様子もなかったので、二人はほっとしたのだった。
一方思念で話を聞いたミカエルは、（また占い屋かな？）と思っていた。星祭りの時は王妃の石像を壊そうとした男は殺されていたが、今回は縛られただけですんでいた。男達は運がよかったというべきか。
などと考えていたら、ラクシュミから思念が来た。
―ミカエル、城に来てくれ。ゆりが気を欲している
―今行きます
ミカエルは移動した。
「王妃〜今きましたよ〜〜」
「おはよう。ミカエル」
ゆりはベッドの上で座っていた。ベッドの側には医師のフレイと子供達がいた。シスの気はすでに半分になっている。ゆりの横にはカールがいたが、こちらもごっそり気が減っていた。
「あらら」
「ごめん。今日は底なしみたいなの」
とゆり。
「大丈夫ですよ。では代わりますね」
カールはゆりから離れた。
「休んでね」
シスが声をかけて、カールはお辞儀をして消えた。
ミカエルはベッドにあがってゆりにひっついた。ゆりの顔はまだ青い、気がまだ足りないようだ。
「ミーちゃんも気あげるよ」
ミシェイラが言った。
「ありがとう。気持ちだけで十分よ」
とゆり。
「僕もあげても平気だと思うけどなあ」
ロイも言っていた。
「じゃあどうしてもって時にはお願いね」
「うん。まかせて」
「あなたたちはもう行っていいわよ。大丈夫だから」
「うん、母様、ちゃんと休んでね」
「後でくるね」
子供達はゆりの寝室を去って行った。
ミカエルの気は急激に減っている。
「これは他の者にも声をかけた方がいいな」
フレイは他の男達にも思念を回した。
ミカエルの次にはフリットが来て、ヴィラ、ジュノー、ミルキダス、さらにハインリヒの気を奪ったところでゆりは落ち着いて眠りだした。イシュタールとシャナーンは前日にゆりに気を与えたので今日は除外されている。
「明日も王妃がこういう状態になったらどうします？」
ハインリヒがフレイに聞いた。
「今日これだけ気を奪ったのだから落ち着くとは思うが……王の気を奪うのだけは避けたいがなあ……まだ奪ってるようだな」
ハインリヒの気が結構減っている。
「よっぽどお腹がすいているんですね。ハザーク様は？」
「今日最初がハザーク様だったんだ」
「こうなったらもう、最終手段を使いましょう」
「最終手段？ ……ああ」
フレイには意味がわかったようだ。
しばし寝ていたゆりは、強い気の力に包まれて目を覚ましていた。
（王様の気だー……王様〜〜良い匂い）
ゆりは目を閉じたままぎゅっと相手に抱きついていた。
「母様元気になってるみたい。よかった」
シスの声が聞こえてきた。
「……どうもすいません」
ラギは謝っている。
「すいません」
シスも謝っている。
（なんで謝ってるんだろう？）
ゆりはそう思いながらも、抱きついている相手の体をなでまわし、（あれ？ 王様とちょっと違う？）と気がついていた。
（王様よりも細いような……え？ だれ？ もしかして……）
恐る恐る目を開けて側にいる者の顔を見て、ゆりは「ぎゃっ！」と叫んで離れていた。
「ム、ムサカさん……」
そこに寝ていたのはムサカだった。
ムサカはちょっと困ったような照れたような顔付きである。
「母様、父様と間違えてたでしょ」
シスが笑っている。
「気の質は同じだもんね。ムサカさんの方が実は濃いけど」
とラギ。
「す、すいません。まさかムサカさんだと思わなくて」
ゆりは正座をして平謝りだった。
「いえ、いいんですよ」
ムサカも体を起こしていた。
「母様今日は朝から気がほしがりまくっててさ、みんなからもらったから、ムサカさんにも頼んじゃったんだ」
「もう大丈夫そうですな」
「はい、もう元気です。ありがとうございます」
ゆりの顔はまっかっかだった。
「王妃様のブレスレットを預かりましょう。もう気の力は空のようなので」
「え？ はい」
ゆりは腕にしていたブレスレットを外してムサカに渡した。
「ブレスレットの気、もうなくなっちゃったんだね」
シスが言った。
「元気になったら気を込めておきます」
「何から何まですいません！」
「いいんですよ。それでは私はこれで」
ムサカはベッドから降りて歩いて去って行った。ムサカが部屋を出て1分ほどしてから、「あなたたち、どうしてさっさと起こしてくれないのよ！」とゆりは子供達に怒っていた。
「え、だってさ」
「母様具合が悪いと思ったし」
「なでまわしちゃったでしょ！」
「別にそれくらいいいんじゃない？」
「よくないわよ」
ゆりは泣きそうである。
「次に会う時すっごくきまずいじゃないの」
「それにしてもさ、赤ちゃんがこんなに気を欲するなんて、ミシェイラ並じゃない？ みんなの子蛇の影響か何かかな？」
ラギは首をひねっていた。他の子達と違う所とすれば、そこだけである。
「そうだね。今日は尋常じゃない気を吸い込んでいたもんね。将来すごい子になるのかな。楽しみだね、カールとムサカさんがいてくれてよかったね」
「ありがたいね」
「私は恥ずかしいったら！」
『マー……ぼく……わるいこ？』
その時声が聞えてきて、ゆりはあわてて、「良い子よ。クロスとっても良い子よ」と言っていた。
「クロスは良い子だよ」
「良い子良い子」
「みんなからいっぱい気をもらってよかったね。クロスは何も気にしなくていいからねー」
ゆりはお腹をなでながら語りかけた。
「おなかすいちゃった。何かもらってきてくれる？」
「わかったよ。父様が、夜は迎えにくるって言ってたよ」
「わかった」
（あせったーあまり変なことを言ったらクロスが気にしちゃうかもしれない。言葉には気をつけなければ）
とゆりは思ったのだった。
一方ゆりの部屋を出て歩いて自分の部屋に戻ったムサカは、扉を開けて、部屋の中で酒を飲んでいるハインリヒとドルイドに会っていた。
「勝手に入って何をしとんじゃ」
「お疲れ様でした。王妃は元気になりました？」
ハインリヒが聞いた。
「ああ、かなり元気になられていた」
ムサカは空いている椅子に座って、テーブルの上にブレスレットを置いていた。
「僕ムサカ様のご飯をもらってきますね」
ドルイドは瞬間移動で部屋を出て行った。ハインリヒは新しい杯に酒をついでムサカの前に置いていた。
「王妃様は妊娠すると度々あんなにも気を欲するのか？」
ムサカがハインリヒに聞いた。
「こんなに気を欲するのはめったにないですよ。妊娠初期にもあるかな。ブレスレットの力、空になってしまったんですね」
ハインリヒはブレスレットを手に持ってみていた。
「ああ、かなりの力が入っていたが、すっかり空だ」
ムサカは杯の酒を飲んでいた。一杯飲み干してから、「今まで大変だっただろう」と言った。
「時々のことなんですがね。ところで……愛を感じました？」
ハインリヒがひっそりと聞いた。
「ん？」
「あれって愛を感じる行為でしょう？」
「……まあ言いたいことは分かる。王妃様が自分の気に染まるのを見るのは、面白かった」
ムサカは認めていた。
「ムサカ様でもころっといっちゃうかと思ったんですが。王妃すっごく良い匂いでしょ？」
「そうだな。私に好きになって欲しいのか？」
「いえいえ。そういうわけではないんですが、王妃に気をあげてる内にそういう気になりかねないかなあと」
「そういう気もどういう気もない…………？」
ムサカは後ろを振り向いた。いつの間にか膳を持ったドルイドが後ろに立っていた。
「ムサカ様、王妃様の恋人になるんですか？」
ドルイドが聞きながら膳をテーブルに置いていた。
「まさか。ドルイド、お前は今も王妃様が好きなのか？」
ムサカが聞いた。
「どのドルイドも、王妃様のことは好きですよ。僕も王妃様に気をあげたいなあ」
「子供はだめ」
とハインリヒが言った。
「前世に縛られるのは良いことではないが……ドルイドの場合は特殊すぎるからのう……」
ムサカは顎に触っている。
「時々老人版のしゃべり方になりますね」
ドルイドが言った。
「癖じゃ」
「でも考えてみると、ムサカ様が王妃様の恋人になるのもいいかも。これから何度も王妃様に気をあげることもあるだろうし」
「おいおい、ムサカ様が儀式に参加しだしたらどうする。私はやだぞ」
「お父さんが儀式を抜けたら？」
ドルイドはにやりと笑って言った。
「お前な……」
「儀式では王妃様と交わらないので、男性機能がなくても大丈夫ですよ」
ドルイドはそこまで暴露していた。
「こらこら」
「儀式に参加する気はないが、交わらないというのはどういうことだ？」
ムサカがハインリヒに聞いた。
「気にしなくていいです」
「……実はな、私は前に蛇霊神の儀式に参加したことがあるんだ」
「「ええ！？」」
ドルイドもハインリヒも驚きまくっていた。
「いつですか？ アゼル様誕生の時ですか？」
「そうじゃ。私にはその気はなかったのだが、当時の巫女にどうしてもといわれてなあ……巫女が相手の男を指名すると、男はよっぽどのことがないと逆らえなかった」
「王弟でもですか」
ドルイドが驚いた表情のまま聞いた。
「気が強い男の方が、女蛇が喜ぶ傾向にある。陛下からも頼まれてしまい、仕方なかった」
「はあ……ムサカ様も巫女で苦労したんですね。それでいやいや儀式をしたんですか？」
二人はちょっと前のめりになっている。
「儀式は特殊な空気だった。巫女はトランス状態になると別人のようになっていたから、その時はいやではなかった。むしろ巫女のことを美しいと思ったほどだったが、男は10人ほどいてその時交わったのは4人だけ。他の6人はただそこにいただけだった。巫女を抱けない男達が気の毒だったな」
「へー……本当の儀式ってやっぱりそういうものなんですね」
ハインリヒは前のめりになっていた体を元に戻していた。
「儀式はそれ一度きりだった」
「ムサカ様は恋人はいらしたんですか？」
ドルイドが聞いた。
「赤い月を過ごす相手はいたぞ。病になるまではな」
「そうですか。その巫女とも付き合っていたんですか？」
「いや、儀式が終わってからはそういう気にはならなかった。それっきりだ」
「もし体が普通に戻ったら、過去に帰りたくなります？」
ハインリヒが聞いた。
「医者にもかかったし、簡単には戻らん」
「うちの王妃は愛欲の女神様なんですから、王妃の側にいたらわからないですよ」
「儀式に参加したら戻るかも」
ドルイドが怖いことを言い出して、「お前はもう黙ってろ」とハインリヒが言っていた。
「どうしてムサカ様を儀式に参加させようとするんだよ」
「お父さんとムサカ様が入れ替わったら面白いかなあと」
「子供なら親の応援をしろ」
「いやだ」
「生意気な」
「そろそろ出て行ってくれんか」
ムサカは二人を追い出して、夕食を食べた。
（まったく複雑な親子だな……）
ドルイドには、ハインリヒにたいして嫉妬のような感情があるようだ。
（儀式か……随分昔のことのような気がするなあ……）
ムサカは140年近く老人姿を続けていたので、その前の出来事が随分前に感じられるのだった。
（あの時儀式に参加したのは嫌ではなかったが、ゆり様は一体どのような儀式をされているのだろう？）
ムサカにはさっぱり想像できなかった。
（老人ではなくてもとっくに200を超えてるのに儀式もないだろう）
ムサカはヴィクターと同世代である。たとえ体が正常だったとしても、そろそろもう無理か、という年だった。若者に交じって儀式に参加するというのもかなり大変そうである。
その夜はラクシュミは早めにゆりを迎えに来た。王の寝室に行ったゆりは、「実は、王様だと思って、ムサカさんをなでまわしちゃった」と告白していた。
「どこを？」
ラクシュミが聞いた。
「胸の方とか……」
「そうか。びっくりした」
「ムサカさんって王様と同じ匂いがするから、てっきりそうかと思っちゃった」
「なで回したのが上の方でよかったな」
「王様にだっていきなり下の方は触らないでしょ」
「そうかな」
「え……あったっけ？」
ゆりはあわてて今までの記憶を思い起こしていた。
「ない、絶対ない」
ゆりは力を込めて言った。
「まあ、そう興奮せずに、寝ろ」
「ないよね？」
「ないない」
ゆりは寝転び、また体を起こしていた。
ゆりの左目が蛇の目になっている。
「王様、やっぱりムサカさんを誘惑していいかな」
「……あまり迷惑はかけるんじゃないぞ。過去に帰りたくなっちゃったらどうする？」
「迷惑なんてかけないわよ。気をもらいながら、いろいろお話したいなって思って」
「はあ……ムサカ殿にはいろいろ頼ることになってしまって申し訳ないな。実は怒っていたらどうしよう」
「怒ってないでしょう。むしろ、王様の役に立てて喜んでくれてるよ」
「だといいがな」
「王様は、女王様の血を継いでるんだものね。ムサカ様にとっても遠い子孫だもん」
「そうだが……自分の情けなさをさらすようで恥ずかしい気もする」
「王様はすごいよ。今まで頑張ってたご褒美だと思えばいいじゃない」
「そうかな」
「そうよ」
「そうか……お前は、あまり変なところを触らないように」
ラクシュミは最後にそう付け加えていた。
「私だっていきなりそんなことしないわよーだ」
ゆりは唇を尖らせて言い、二人は寝たのだった。ゆりの気は安定して、その夜はラクシュミからは気は奪わなかった。
城の者達はもちろんゆりの体調を気にかけていたが、城の北にある街にも、一族以外でゆりの体調を気遣っている者がいた。
占い屋のミケである。ミケは以前作ったゆりの健康状態を知る魔法玉の輝きが薄くなっていたので、朝から気にしていたのだった。
今は玉の輝きは元に戻っている。
「王妃様、ようやく元気になったようだ。よかった。しかし王妃様の体調が悪いと、こっちまでドキドキしてしまうな」
ミケが安心して寝ようとした所に、どんどんと扉をたたかれた。扉を開けると、男が一人中に入ってきた。
「やあ、久しぶりですね」
「…………」
ミケはその男に見覚えがあった。中年の一見爽やかそうな短髪の男だが、実は殺し屋である。鳥の国で、ミケとこの男はどちらが早く依頼された相手を殺せるかという殺し合戦をしたことがあったのだ。
「まさか驚いたな。どうしてここに？」
「昨日街であなたを見かけましてねえ。思い切ってきてみたんですよ」
「はあ」
「入っても？」
「何もないですがどうぞ」
ミケは奥から店の方にランプの灯りを持ってきた。
「あなた仕事をやめたって聞きましたよ。本当ですか？」
「本当ですよ。なんだかまっとうな仕事がしたくなりましてねえ」
「へえ」
男は店の中を眺めている。
「それであなたは仕事ですか？」
「まあ、そんな感じです」
ミケの心がざわめいていた。この男、殺し屋としての腕前は、結構上の方である。果たしてどんな依頼でこの国に来たのだろうか。
「足を洗ったってのは嘘でしょう。あなたのような人が、簡単に仕事を辞めるわけがない。機会を窺ってるだけなんじゃないですか？」
「何の機会です？」
「淫婦を殺す機会ですよ」
「いんぷ、とは」
「この国の股がゆるい王妃のことに決まって――」
シュンと風の音がした。男の首がズバッと切れてずれていた。
「やべえ、すぐ殺しちまった。もうちょっと話を聞いてからのほうがよかったかな」
男の首が落ちようとした時、男の姿は消えていた。ミケは店の端に顔を向けた。そこにその男が無傷で立っている。
「そういやあんたも幻術を使うんだっけ」
「王妃をけなされて怒ったのか、図星を指されて怒ったのかさあどっちだ？」
男はこんな時でも涼しげに笑っていた。
（気持ちが悪い男だぜ）と思いながらミケは、「俺の邪魔はするな。俺はじっくりと時間をかけて準備するつもりなんだからな」と言ってみた。
「足を洗ったのはやっぱり嘘か」
「準備が整ったら、また依頼を受ける気だ。どうせだれも受けないだろうからな」
「それがね、私が受けたんですよ」
「あんたが？ どうやって王妃を殺すんだ？ 王妃は城の外には出ねえのに」
ミケは笑いながら聞いた。
「そうですよね。王妃は城の外には出ない。私は別に王妃を殺そうとは思っていない。だが王妃の恋人の一人ならばねえ」
そこでミケは男の意図を理解した。
（こいつ、死体に細工をする気だな）
恋人が死ねば、王妃は最後に恋人に会いたがるはずだ。男の死体は城の中に入る。王妃が恋人に会ったときに何かを起こすというのもかなり難しいことだろうが無理だと決めつけるのは危険である。
「恋人って、王妃の恋人はみんな一族の手練れだぜ？ 殺すのは難しいだろう」
「そりゃ準備が必要ですよ。協力者も。あなたが協力してくれれば心強いんだがねえ」
「だれかとつるむのはまっぴらごめんだ。すぐ裏切るからな」
「ならばやりましょうよ。殺し合戦を再び。以前やったあれ、楽しかったじゃないですか」
「俺は楽しくなかったね。せかされての殺しはもうごめんだ」
「そう言わずに」
「前から思ってたが、あんたの笑った顔、ほんと気持ち悪いな」
「！」
男の足場が真っ黒になり、男の体がずるりと下に沈んだ。
「店の中ではやりたくないが、仕方ないな」
「殺し合い合戦じゃなくて『殺し合い』の方が望みのようだ。ま、それも楽しいかもしれないですね」
男は半分体が沈みながらも涼しげな表情で言っている。
ミケは男にカードを投げたが男はそのカードを指で受けるやミケに投げ返した。そのカードはミケの右腕をかすめていた。
男は黒くなっていない床に手をつけると前に回転して穴から抜け出し、すぐにミケのすぐ側まで来て手に持っていたナイフでミケの首をかっきろうとした。ミケはすぐに体をそらして同時に隠し持っていたナイフで男を刺そうとしたが、男はそれをよけていた。
（あまり派手にやると誰か来ちまう。外に出れば逃げられる。こいつはここで殺すしかねえ）
ミケはすでに店の外には出られないように結界を張っていたが、店の中では得意の炎魔法も使えない。男の姿が4人に分かれた。それも幻術である。4人の男はナイフを手に同時にミケに襲いかかってきた。ミケは瞬時に本体を見抜き首に風の太刀を浴びせたが、男の首には結界のようなものが張ってあり、風は男の首の手前で止まっていた。男のナイフがミケの腹に刺さっていた。男の分身のナイフもミケの肩や背中に刺さっている。分身はナイフを刺したところで消えていた。
「ぐっ……」
「首を狙うと思っていましたよ」
男は刺したナイフを横に引こうとして、「浅いな」と言っていた。深々と刺したつもりのナイフが、少ししか刺さってはいないのである。
ミケの体から出血はしていたが、血がドバドバ流れてはいなかった。ミケの体にも、防御魔法がかかっていたようである。
「風……」
ミケは足を踏ん張り、魔法をかけ続けた。男の首の近くで風が結界を破ろうと音を立てている。男はナイフを横に引いた。ミケの腹が横に裂けた。
「今回は私の勝ちですね」
男が笑いながら言った。
「魔法力は俺の方が上だ！」
ミケは声を振り絞るように言い、魔法に意識を集中した。風の魔法はついには男の防御魔法を上回り、男の首を切り裂いた。
「ぐ……」
男は首が切れながらもナイフを握りしめている。ミケはそのナイフを奪い、男の胸に突き刺していた。男はそのまま床に倒れた。風は男の首を半分切り裂いて消えた。ミケは腹を押さえながら男を見下ろしていた。
「こいつも幻じゃないだろうな。死んだよな？」
ミケは足で男の体をつついてみた。ちゃんと感触がある。男は死んだ後も笑っているかのようだった。
「まだ笑ってやがる。変態め。ん？」
男の上着のポケットから紙がはみ出していたのでミケは指でつまんでその紙を取り出してみた。そこには手紙のような文章が書かれていた。
「これを読んでるってことはあなたが勝ったってことですね。私は病気で余命はわずかしかない。昨日あなたを見かけて私はとてもうれしかった。最後にもう一度、あなたと殺し合戦をやりたくなった。もしくは、あなたに殺されるか。それでもいい。病気で死ぬなど私らしくもない。死体は森にでも捨ててください。さようなら。なんだこりゃ。俺は全然うれしくない。俺を巻き込むなよ。いててて」
ミケは手紙をぼっと燃やしていた。腹から血が流れている。深手ではないが、血が流れ続ければ命にかかわる。ミケはふらふらと歩きながら店の外に出た。
（病院が近いのはありがたい）
普段ならば一〇〇歩も歩けば病院につくのだが、今はその足取りは重く、病院も遠く感じられた。
裏通りには他にだれもいなかったが、ちょうど酒場から出て来た男がミケに気がついた。
「どうかしたんですか？」
ミケが体を折り曲げていたので気にしてくれたようである。
「び、病院……」
ミケは青い顔で言った。
「ミケさん！？」
どうやら裏通りの住人のようである。男は助けを呼んで、ミケの体は病院に運ばれたのだった。
つづく
13部
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