第３０話
「わんわん！」
塔のハロルドの部屋では、すでに犬のジロウが待ち構えていた。
「ジロウ君、ハロルドが今日来てくれるって」
と伝えたときからジロウははしゃいでいる。
「わん！」
ジロウはうれしそうに尻尾をふりふりしながら部屋の中をうろうろしている。
部屋の中は暖かった。ハインリヒが少しあっためておくと言っていたので、そのおかげだろう。
（周りにお膳立てされて浮気する王妃様、すごい世界だわ……）
ゆりは今更ながらにそう思っていた。
（でも、ハロルドに出会えてよかったな。出会いは奇跡みたいなものだから、一瞬一瞬を大事にしなきゃね）
ゆりは以前男ガーベラからもらったお茶の影響か、今はそういう気持ちだった。
（ガーベラと体を取り替えてからいろいろなことがあったなあ。ハロルドにラーズにグレンにオルガにまでばれちゃったんだ。怒られなくてよかった）
ジロウが窓の方を向いて吠えている。金色の輝きが部屋に入ってきた。
「わんわん！」
「お、いたのか」
ハロルドはジロウの頭をなでなでしている。ジロウはすごくうれしそうだ。
「ようこそいらっしゃいました」
ゆりは大げさにお辞儀していた。
「ラーズはまだ来てないだろうな」
「ラーズ様はまだいらしてないですよ。ハロルド様が最初ですよ」
「ほんとかー？」
ハロルドはこちらに近づいてきて、ジロウはハロルドにくっつきながら歩いてきた。
「お魚すっごくおいしかったです。今日は何か良いことでもあったんですか？」
「ああ、実は良いことがあった。以前いなくなったヒルデリアの神獣が再び現われたんだ。それでヒルデリアはすごく喜んでいる」
ハロルドは見るからに機嫌がよさそうである。
「ヒルデリア様の神獣？」
「ああ、彼女は賢い神獣で話もできたんだ。ヒルデリアにとっては、友のような存在だった。まさか再び会うことができるとは思わなかった」
ハロルドはベッドに座りながら言っていた。
「どんな神獣なんだろう。ジュリアンが喜びそう」
「他の神獣とは違うからジュリアンが使うような存在じゃないがな。お前、雷獣は見たことがあるのか？」
「ありません」
「ヒルデリアの神獣は雷獣だ。しかも雷魔法が使える。戦いの折には私を助けて一緒に戦ってくれた」
「そうなんだ」
ハロルドは子供が産まれた時のようにうれしそうだった。ハロルドにとっても大事な神獣だったようである。
「ヒルデリア様の神獣ってだけですごそうですね。そういえば、アシュラン様の神獣っているんですか？」
「神獣ってほどではないが、金色のくじゃくやら、金色の鳥やらはいるぞ。神獣っていうのではなく、あいつは神の国にいる獣は結構作ってる。ペガサスやらユニコーンはあいつが作った生き物だ。早馬もあいつが作った。早馬、知ってるか？ 八本足の馬で直線の道ならばものすごい速さで駆けて行く馬だ」
「聞いたことがありますよ。聖地では見ませんでしたが」
「聖地は直線の道があまりないからいない」
「なるほど」
ハロルドはふいに立ち上がり、窓の方に歩いて行った。
「え？ だれかいるとか？」
ゆりはどきっとしている。
ハロルドが窓に近づくと、黒い物体が見えた。
「え？ 何？」
「でかいコウモリだ。オルガはいないぞ」
ハロルドが言うと、黒い物体は消えた。
「オルガ様がいるかと思ってきたのかな」
「あいつ、たまにここに来てるだろう。塔の中間あたりにコウモリがひっついてた」
「え？ ほんと？」
「この前うれしそうな顔をしてたからな」
「私はあれから会ってないですが」
「まあいい、やるか」
ハロルドはベッドに近づいてきた。ゆりはにこっと笑って、（じゃあバトンタッチ）ともう一人の自分に交代していた。
「ハロルド様会いたかったー」
蛇の目のゆりは大喜びした感じでハロルドに抱きついていた。
「あ、そうだ。今日どうしてクーガがいたんだ？」
ハロルドがそのことを思い出していた。
「実はうちで教会の建て替えがあって、クーガ様が協力してくれたの」
蛇の目のゆりは動揺することもなく言った。
「ふーん、そういえば、前のあれ、どうなった？」
「あれ？」
「アシュランにクーガのことを頼まれていたろう」
「あー、あれ……」
「クーガは人間になってないよな。なったらアリアスが大騒ぎするはずだ」
「クーガ様は現状維持で落ち着きましたよ。それがなぜか私達の手柄ってことになって、聖地旅行ができたの」
「え？ そうなのか？」
「そうなの。そろそろ愛し合いましょう。夜は短いんだし」
ゆりはきわどい質問をされる前にハロルドをベッドに促している。
「クーガをどうやって説得したんだ」
ゆりが押したくらいではハロルドはびくともしなかった。
「実は色仕掛けで」
ゆりが言うと、ハロルドは鼻でふっと笑っていた。
「ひどい。鼻でふっと笑うような女のところに、いらしてるんですよ。ハロルド様は」
ゆりは口をとがらせて言っている。
「ま、それはそうだが、お前は時間をかけてじわじわくるタイプだ。一族以外の男がお前を見てすぐ好きになるってのは無理だろ」
ハロルドは真顔で言っていた。
「ひどい。私に一目惚れする人、世界に10人はいますよ」
「わかったわかった。じゃあやろう」
ハロルドはゆりと一緒にベッドに上がったのだった。
二度愛し合った後、「ほら、代われ」とゆりは交代させられていた。
「私は何もしなくてもすでに満足してる感じですが……」
「私はまだいける」
「さすが軍神様」
黒目のゆりはやけくそ気味に言っていた。
「ところで、さっき近くに神がいた」
「え？」
ゆりは目をぱっちり開けていた。
「ラーズだったら絶対部屋に来るから、ヤツじゃない。オルガかもな」
「えー。部屋に訪ねてきてくれたのかな」
「私とここにいるってさすがに気がついただろう。オルガに埋め合わせしなきゃ、とか一切考えなくていいからな」
ハロルドは先に言っていた。
「今度埋め合わせしなきゃ」
「考えなくていいって」
黒目のゆりはそのままハロルドに抱かれていた。ハロルドは今日は終始ご機嫌だった。
終わった後はゆりは朝までハロルドにひっついていた。ゆりにすれば終わった後の方が肝心である。
ハロルドが去って行き、ゆりはジロウと一緒に階段を降りて、オルガの部屋をのぞいてみた。
「本当にオルガ様がいらしたのかしらねえ。あ」
棚の上に初めてみる木製の彫刻が二つ並んで置いてあった。二〇センチほどの小さい彫刻だが二つの顔はよく似ている。人形のポーズは違っていた。二つとも、空を飛んでいるような姿である。額に丸い飾りがある、男の子の彫刻である。
「ティラとティカだわ」
違う世界へと行ってしまったティカのことは、人間界の神話で語られることはない。すでにもう、どの神話にもティカのことは載っていなかった。
神の国でも星の神の人形を対で置くことはできないのかもしれない、と思うとゆりはオルガの心を察してしんみりしてしまった。
「私はずっと覚えているから。もう一人の母親として」
ゆりは星の神の彫刻に話しかけて、部屋を出て行ったのだった。
部屋に戻ると侍女が勢揃いしてゆりを待ち構えていた。その後は男達が様子を聞きにきたりしてゆりは恥ずかしかったが、午後になり、ヴィラがやってきた。
「王妃、昨日クーガ様とハロルド様が鉢合わせたんでしょう。クーガ様は怒ってなかったんですか？」
部屋にはゆりとヴィラだけだったので、ヴィラははっきり聞いていた。
「クーガ様、さっさと帰っちゃったけど、怒ってるかなあ。でも、私とハロルドの関係は知ってるから、大丈夫じゃないかな」
ゆりは気楽に考えていた。
「聖地で二人が争ったりってことにはならないんですか？」
「ハロルドは私とクーガ様のことは知らないと思うんだけど」
「内緒にしてるんですか？」
ヴィラは驚いている。
「だって、二人はあんまり仲良くないから、別に言わなくてもいいかなって思って。ま、明日会えるからその時に聞いてみようかな」
「そうですか」
ゆりの部屋の扉がノックされて、フリットがやってきた。
「王妃、悪いんですが、明日の教会行きは、中止になりました」
「え？」
「すいませんねえ。楽しみにしていたのに」
フリットは申し訳なさそうである。
「王妃は今護法もかかってるし、安全だと思うんですが」
ヴィラが言った。
「王妃が無事でも、教会に何かあったら困るってことになりまして、なにせできたばかりですし」
「えー……敵って教会に攻撃したりはしないもんじゃないのー？」
「普通はそうなんですが、普通じゃないことがあったら困るので、すいませんねえ。クーガ様にこちらでお話をしてくださるように頼みますからね」
「えー」
ゆりはがくっと肩を落としていた。
「昨日教会に行っておいてよかったですね」
ヴィラが慰めるように言っていた。
「敵ーゆるさん！」
ゆりは悔しそうに机をたたいていた。
10の月２０日、とうとう南の町の教会が完成したお祝いの日がやってきた。この日は新聞の一面にも大きな記事として載っていた。南の町は酒祭りのようなお祝い気分で、商店街では酒も振る舞われている。ゆりも子供達も残念ながら城で教会のお祝いをすることになった。
「王妃様、教会に昨夜から並んでる者がいるみたいですよ。しかも若い女性達みたいです」
ゆりの侍女が教えてくれた。
「クーガ様目当てかも？ 徹夜組もいるんだ。楽しそうだなあ」
クーガは着実にこの国にもファンを増やしているようである。
九時ごろになり、クーガが城に顔を出したのだが、ゆりが王の間に行く前にクーガはいなくなっていた。
「あ、ひどい」
「クーガ様もうれしそうだったよ」
王の間でクーガに会ったラギがゆりに言った。
「私も会いたかったのにい」
「後でいらっしゃるよ」
今日はゆりの恋人達も警備に大忙しのようである。朝はだれも城には来なかった。広間で宴会の用意がされて、ゆりは食べ物をつまみながらジュースを飲み、子供達は酒を飲んでいる。ブタラのモモは部屋をぶらついたり出て行ったりしていた。そこにミカエルがやってきた。
「ねえ、ミカエル、クーガ様は何時頃城に来られるの？」
ゆりがつまんなそうに聞いた。
「実は教会にすごい人が詰めかけてまして、今２回目のお話が始まった所なんですよ。一回じゃ全員入らなかったもので」
「えー」
「すごいね。徹夜で待ってた人もいたんでしょう？」
シスが聞いた。
「そうですよ。他の街から行ってる者もいましたよ。立ち見も入れてぎゅうぎゅうで二〇〇人、それでも入らなかったんですから、すごいですよ。結構ざわついてましたが、クーガ様が現われたらシーンとしてましたよ。やっぱりすごいですよね。あの方は」
「まさか三回目のお話はないでしょうね」
ゆりは嫌な予感を抱いていた。ゆりの予感通り、クーガが城にやってきたのは夕方になってからのことだった。なかなか街の人達が離してくれなかったようである。その頃にはゆりはすっかり待ちくたびれて一人で折り紙を折っていた。折り紙の鶴は一〇〇羽もできている。広間にはゆりとモモだけだったので、ゆりはモモに話しかけたりもしていた。
「お母さん、クーガ様がいらしたよ。今お父さんに挨拶してる」
ラギが広間にやってきた。
「ようやくかあ。クーガ様もう疲れてるんじゃない？」
「うん、今日のところはもう帰るって」
ゆりはがくっとうなだれていた。
「せっかく今は安全な時だったのに」
「しょうがないよ。あれだけ人が来てたら」
「あれだけ？」
ゆりは素早く反応してラギを睨んでいた。
「もしかして、教会に行ったんじゃないでしょうね」
子供達は途中でいなくなっていたので、ゆりも怪しいとは思っていたのだった。
「え？ いや、その、実はちょっと遠くから眺めたんだ。近くには行ってないよ」
ラギはあわてて弁明している。
「ロイは行ったみたいだけど」
「はあ？ ロイはどこにいるの？ 行くなって言われたでしょ！」
広間ではゆりの不機嫌が爆発し、王の間では、ナナミがクーガに、「母様がしょんぼりしてるから顔を見せてあげて」と気を利かせて言っていた。
クーガが広間にやってきた時には、ゆりは待ち構えていたように笑みを浮かべていた。
「待たせてしまったようで申し訳ありません」
クーガがやってきたのでラギはほっとして去って行った。ゆりは「いえ、いいんです。今日はありがとうございます」と微笑んでいた。
「思っていたよりも大勢来ていただいて、一度じゃ終わらなかったものですから」
「お腹がすいたんじゃないですか？ 座って何か食べてください」
「すいません。フウガを連れて帰らなければならないもので、夜になる前に帰ろうと思うんですよ」
「そうなんですか？ フウガ君にもよろしく伝えてください。今日は本当に、いや、今まで教会のために本当にありがとうございます」
ゆりは席を立ち、王妃様らしくお礼を言っていた。
「こちらこそ楽しかったですよ。これはなんですか？」
クーガはテーブルに並んでいる折り紙を見ていた。
「鶴です。私がいた国にいた鳥なんですよ」
ゆりは鶴を一つクーガに渡していた。
「ツル。もらってもいいですか？」
「どうぞどうぞ」
ゆりはツルを五個ほど羽をとじてクーガに渡していた。
「ありがとうございます。それではまた」
「はい。また来てくださいね」
クーガは去って行き、ゆりは自分の部屋に戻った。
ゆりは笑顔で見送ることができたので自分でもほっとしていた。さすがにあの場面で愚痴を言うほど子供でもない。クーガは街の人達のために時間を割いてくれたのだから、王妃様としては感謝すべきであろう。
ゆりが部屋に戻ると、シャナーンがやってきていた。
「あ、王妃、これ、フウガ君から預かりました」
シャナーンはゆりに布に包まれた物を渡した。
「なんだろう？」
受け取ってみると、硬い感触である。布を開いて見ると、中にあったのは木彫りの人形だった。
「わっ！ ちょっ！ すごい！」
ゆりは木彫りの人形を見て感動していた。その人形は高さ二〇センチほどのクーガの立ち姿だった。色は塗ってなくてもクーガだとすぐわかる人形である。
「フウガ君、天才？」
「王妃様にはクーガ様のファンクラブに入っていただいたので、お礼って言ってましたよ」
「すごくうれしい」
「実は私もいただいたんですよ。私が教会の王妃の人形を何度も見ていたのでフウガさんが作ってくれたんです。あれより大きいのを」
「見せて。見せて」
シャナーンはうれしそうにテーブルに置いていた。それは長椅子に座っている二人の人形で、ゆりとシャナーンである。座った人形の高さは一五センチくらいである。
二人の特徴をよくつかんでいる。しかもうれしそうに微笑んでいる。
「フウガ君、やっぱり天才？ 建物もいいけど、こっち関係でも食べていけるんじゃない？」
ゆりはフウガの才能にかなり感心していた。
「とってもうれしいです。寝室に飾ります」
シャナーンは人形を大事そうにしまって去って行った。
ゆりはクーガの人形をうれしげにテーブルに置いて、「今日はお疲れ様でした」と話しかけていた。
「女の子が一杯きたそうですね。さすがクーガ様ですね。徹夜で並んじゃうなんてねえ。いやー私も一緒に並びたかったくらいですよ」
ゆりはクーガ本人には言えないようなことをベラベラ話し出した。
王の休憩室では、「ゆりはどうしてる？ 怒ってないか？」とラクシュミがシスに聞いていた。
「怒ってないですけど、ちょっとかわいそうだったな。せっかく楽しみにしてたのに」
「私だって行かせてやりたかったが、あれだけ人が詰めかけたんじゃなあ、何があるか予測がつかないからな」
「クーガ様とはまたゆっくり話せますよ。きっと」
「だといいがな」
そこにナナミがやってきた。
「父様、母様クーガ様の人形にずっと話しかけてるよ」
ナナミはそう報告していた。
「え、怒ってる様子なのか？」
「怒ってないけど、ずっと話しかけてる。ロイの愚痴とかも言ってた。ロイ教会に行ったんでしょ。ずるい」
「あ、そうだ。忘れてた。ロイを怒らなきゃな。ロイ、ちょっと来い」
ラクシュミはロイを思念で呼び、ロイはしぶしぶ怒られに来たのだった。
クーガはフウガと一緒に聖地に戻り、フウガは久しぶりの聖地を懐かしく思っていた。
「いやー楽しかったなあ。やっぱり新しい建物が建つっていいですね」
「今回の給料は明日払いますので、明日神殿に取りに来てください」
「ありがとうございます。建物もいいんですけど、今回木彫りとかも楽しかったんで、ちょっとそっちもしようかな」
「いいじゃないですか」
「王妃様にクーガ様の木彫りの人形をあげたんです。喜んだかなあ」
「はあ？ 私の人形？ 勝手に作らないでください」
クーガは驚いている。
「いいじゃないですか。王妃様クーガ様のファンだし」
「作るのは神様の木像だけにしてください。私のはやめてください」
「わかりました。勝手に彫るか」
フウガは最後にぼそっと言っていた。
「フウガ、聞えましたよ」
「いいじゃないですか。会員に頼まれて作るだけにしますから」
「だめですって」
「クーガ様にばれないようにしますから」
「ばれてます！」
こうしてクーガのあわただしい一日は終わったのだった。
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