第32話
11の月は蛇の国では人々が最もうきうきする月である。新酒ができて、酒祭りがあるのがこの月だからだ。ぶどう農園ではブドウが収穫されて、お酒が次々と作られている。教会でもこの時期は、酒の神ジンラを讃える歌がよく歌われている。
早朝、誰もいないぶどう農園に金の輝きが現われていた。
「今年のぶどうの出来はどうだったんだろう」
ぶどうはあらかた収穫されている。ジンラはぶどうの木に触れていた。どの木の様子も良いし、葉も元気そうだ。今年もそこそこのぶどうが収穫できたに違いない。
「匂いもいい。良い酒ができたようだ。そういえば、あの時の彼女は元気かな。結局、あの時だましたことを謝ることもできなかった」
ジンラは以前、王妃の夫の振りをしたことがあり、そのことを思い出したのだった。
「まあ今更か。あ、まずい、どうしても人間のお酒が飲みたくなってきた。しばらく我慢していたんだが。人に化けて飲みにこようかな。アマンザに言うと自分も行きたいというに違いない。こっそり来ようかな」
さすがに親子で忍んでくるってのもちょっと問題である。
「一旦帰ってからまた来よう」
ジンラは姿を消した。
そしてその日の夕方、さっそくジンラは蛇の国にやってきていた。人に変身し、目立たないように髪は青い短髪だし、顔もどこにでもいそうな人間の顔に変えている。ジンラは酒の神だが、人間が作るお酒にももちろん興味があり、昔、世界各地を酒を求めて巡ったことがあった。神の国でも蛇の国でもぶどうから作るお酒が主流だが、米や麦、果物、葉っぱ、ミルクや砂糖などから作るお酒を飲んでいる地域もある。ジンラも時々様々な物から酒を作ったりもしているが、それも少量である。神々も変わったお酒をたまに飲むのはいいが、毎日飲むのはぶどうのお酒が良いらしい。つまり、需要がないのだった。
（人間界に来たのはいいが、人間の言葉はすっかり忘れてしまった。昔は人間と会話もできたんだがなあ）
ジンラは目についた酒場に入り、カウンターに座った。
「いらっしゃいませ。何にしますか？」
酒場のマスターが聞いた。
「飲み比べ」
ジンラはその言葉は覚えていた。
「はいよ」
マスターはテーブルにグラスを５つ並べて、次々に酒を注いで行った。
「飲み比べ」というと、どこの酒場でもおすすめを５つ飲ませてくれるのだった。グラス五杯は、この国では普通の量である。マスターは酒の説明をしていたが、ジンラにはその言葉はさっぱりわからず、とりあえず、酒の色を見て楽しんでいた。まだ日は暮れていないので、酒場は満員ではなかった。テーブル席も一つしか使われていない。そこに座っていた三人の男達が話しているのが耳に入ってきた。
ジンラは酒を飲みながら、普通にその会話を聞いていた。意味はさっぱりわからなかったが、時々神々の名前が聞こえて来た。
「やっぱりよ、ハロルド様の手はすごく男らしかったな。手を見るだけで感動したぜ」
「そうだな。男の中の男だよな。ハロルド様は。すげえ怪力って話だもんな。手もすげえ」
「オルガ様は綺麗な手をしてたな。ジンラ様の手は噂通り良い匂いだったなあ。ジンラ様のお酒が飲んでみたいな」
「だなあ」
ジンラは酒を飲みながら、（私の名前が出て来たな）と思っていた。
「ダーナ様はやっぱりキレイだったよなあ。抱きつこうとしたら注意されちまったよ」
「ばか」
「ははは」
「博物館の話ですよ」
マスターがジンラに言った。旅人だとでも思ったようである。
「え？」
「博物館です。神様の手があるから、見てきたらいいですよ。博物館は、店を出て、通りをまっすぐ行ったらすぐありますから」
マスターは指でいろいろ説明してくれた。
（ハクブツカン……どういう意味だっけ。意味がわからんが。しきりに勧めてくるし、ちょっと行ってみようかな）
ジンラは酒を全部飲んでから金を払った。
「そこまっすぐですよ」
マスターはどうしてもそこに行かせたいらしいので、ジンラは通りを歩いて行き、大きめの建物に行った。
「閉館まで後三十分ですよ。お早くどうぞ」
（何かの施設らしいな。わかった。美術館か何かだな）
ジンラはそこまで想像して、金を払って中に入った。そして、神々の手やら、なんと自分の手形が飾ってあるのを発見したのだった。
（ん？ これは、グレンに頼まれて押したあれか？）
「あー良い匂い」
皆ジンラの手の前で匂いをかいでいる。
（私の手から酒の匂いがする！）
ジンラは手形など押したこともなかったので、初めて気がついて驚いていた。
（これはびっくりだ。さすが私の手だな。こっちは、女性の手だな。もしかしてガーベラか？ こっちの手はわからん。あとは、ハロルドの手はわかったが、他はだれだろう？）
手の前には名前の紙が置いてあったが、ジンラには読めなかった。
（色付き……すごいが誰のかはわからん。こっちは女性の手だな。はて、誰のだろう）
人々は木の板に自分の手を入れていた。
（板に手形。わかった。これはサラディンだな）
手形の周りは黒くなっていたので、ジンラはそう思った。
（しかし、よく出来た手だ。想像して作ったのだろうか）
まさか本人の型取りだとは、ジンラはその時思わなかった。
「もう少しで閉館ですよー」
出なければいけないようなので、神々の手を見てジンラは博物館を後にした。
（まさか自分の手形が飾られているとは。グレンはなんと言っていたっけ。人間の女性に頼まれたと言ってたな。今度詳しく聞いてみよう）
「あのう……」
博物館を出て歩いていたら、声をかけられた。振り向くと、そこには真っ赤な髪の男が立っていた。
「あの……ジンラ様では」
イシュタールはすごく小さな声で聞いていた。
「やあ、奇遇だな。実は人間のお酒がすごく飲みたくなって来たんだが、酒場でここを勧められて、入って来たんだ」
「そ、そうなんですか」
イシュタールはゆりのようにジンラの言葉が理解できていた。イシュタールはものすごくうれしそうな顔をしている。
「私の手があったんで驚いた」
「ありがとうございます」
「それじゃあ」
「は、はい」
イシュタールは深々と頭を下げていた。ジンラは神の国に戻り、イシュタールは即城に行き、ゆりに報告したのだった。
神の国に戻ったジンラは、自分の神殿で聖水を飲んでいた。
（たまには他人が作ったお酒もいいものだ）
グラス五杯くらいなら、ジンラにとっても序の口である。
そこにグレンがやってきた。
「ジンラ様、今晩宴会をすることになりまして、お酒をお願いしたいんです。急ですいませんが」
「雲の上か？ わかった。後で持っていこう。ところでちょっと聞きたいことがあるんだが」
「なんでしょうか」
「実は偶然、この前渡した私の手形を発見したんだ。蛇の国の、美術館みたいなところで飾ってた」
「はい、あそこの王妃様に頼まれました」
グレンは動揺せずに答えていた。
「他にも手がいっぱいあったが」
「ハロルド様達が、手をかたどって、工房で作ってもらったようですよ」
「え？ 工房？ ここの？」
「はい」
「ハロルドの他は誰の手だったんだ？」
「白いのがウィル様、ラーズ様、色がついたのがオルガ様とカサンドラ様、布のはガーベラ様と、実は私の手です」
「へーいろんな神が協力してるんだな」
「王妃様は人々の信仰をあげたいとおっしゃってまして、我らにとっては、人間の信仰は大事ですから」
「そうか。アリアスも参加させた方がいいんじゃないのか？ 声をかけないと、逆に怒るかもしれないぞ」
なにせあれだけ神の手がそろっているので、ジンラはそう思った。アリアスは結構目立ちたがり屋である。そして、アリアスは人間達にかなり人気もある。
「はあ、ですが、私からは頼めませんし。型取りは結構時間がかかるので、アリアス様がやってくださりますかねえ」
「そうかな」
「それでは、後でお願いします」
「ああ」
アシュランの間で宴会が開かれた。男だけの宴会で、ヒルデリアもいなかった。裏で控えていたグレンは、ジンラが手形の話をしやしないかとどきどきしていたが、ジンラはその話題は出さなかった。
宴会が終わり、ジンラが自分の神殿に戻ると、ガーベラがアマンザとお酒を飲んでいた。
「おかえりなさい」
「やあ」
「宴会は楽しかった？」
「ダーナの所にいる神獣か何かよくわからない生き物の話題が出た」
「リーベね。面白い生き物よね」
「それじゃ僕は寝るね。おやすみなさい」
アマンザは部屋から去って行った。アマンザが完全にいなくなったところで、
「実は、人間のお酒が飲みたくて、人間界に今日行ってきたんだ」
ジンラはこっそりガーベラに言っていた。
「あらそうなの？」
「そして美術館のようなところで、ガーベラの手形を見た。私の手もあったんで驚いた。ハロルド達の手は、白い粘土か何かの塊で手形が作られていた」
「私の手？」
「グレンと一緒に押してあった」
「あ、ああ、あれね。へー飾ってあるんだ」
ガーベラは、ゆりが押したやつだと気がついた。
「アリアスの手がなかったんだが、せっかくだからあった方がいいと思う」
「アリアスのはないんだ。他にはどの神の手があったの？」
「ハロルド、ウィル、ラーズ、オルガ、カサンドラ。ダーナは全身があった」
「へー。そりゃアリアスのもないとねえ。本人がなんで声をかけないんだって言いそう。私がアリアスに頼んでみようかしら」
その夜はガーベラはジンラと仲良くなり、翌日、アリアスにその話をしてみた。
「私の手？ 手よりも顔だろう。私が一番自信があるのが顔だからな」
アリアスは真面目に言っていた。
「顔？ じゃあ顔をかたどるわけ？ ぷっ」
ガーベラは自分で言って笑っている。
「そんなことするか。ちょっと来い」
アリアスは奥の部屋にガーベラを案内した。そこには、アリアスの木像やら石像やらが並べたあった。そして、台の上には胸像もあった。
「これがいい。等身大の私の顔だ」
アリアスは胸像に触れている。真っ白い石を彫って作られたものである。
「手はないけど」
「顔があればいいんだ」
「そう？ 後で誰かに取りに来てもらいましょう」
二日後、博物館の前にアリアスの胸像が置いてあった。台座付きである。
「えー、今度はアリアス様が来たの？ 見に行こう！」
さっそく子供達は見に行った。
「ジンラ様が頼んだのかしら？ それともダーナに話を聞いたとか？」
言うとラギがうるさいので、イシュタールがジンラに会ったことは、ゆりは子供達には内緒にしておいた。
「アリアス様、すごく自信がありそうな表情だったよ」
「いい男だった」
「目立つ所にバーンと置かれていたよ」
子供達がゆりに報告した。
「でも手はなかったよ」
「アリアス様のことだから、手よりも顔だ、とか言ったのかもね」
ゆりは想像して笑っていた。自分がなにもしていないのに展示品が増えていくのも面白いものである。
神の国ではアマンザが、ジンラに頼み事をしていた。
「今年の蛇の国での酒祭り、行ってもいいですか？」
「ん？ ああ、いいぞ」
「今年は誰に連れて行ってもらおう。お父さんも一緒に行けたらいいのになあ」
「ははは、あまり飲み過ぎないようにな。あ、それから、今年は酒を土産に買ってきてくれ。一本、いや三本くらい」
「はい」
まだ飲み足りなかったのか、ジンラはアマンザにそう頼んでいたのだった。
すすむ
戻る
目次