第36話

「ワン、ワン」

（ん？　あ、そうだ）

体の上に何かがもぞもぞ乗ってきた。犬のジロウである。ゆりは目をぱっと開けた。やはり横にはオルガがいる。

（昨日シスといたような）

横を見るとシスはいなかった。シスはオルガに気がついて移動したのかもしれない。

「うーん、やはり謎だ」

オルガの声が聞えた。目を覚ましたオルガは体を起こしている。ジロウはよいこらしょとゆりとオルガの真ん中に強引に割り込んでいた。ゆりはベッドの上に正座をして、「調子に乗りました。すいません」と謝っていた。オルガは目をぱちくりさせている。

「ちょっとハイになってました」

ゆりは別人のように恥ずかしげだったので、オルガは笑っていた。

「別にいいが、そんなにかしこまらなくても」

「あ、そうだ。塔のお部屋に一緒に行きましょう。着替えてすぐ行きますので、先に行っていてくれますか？」

「わかった」

オルガは去って行き、ゆりはあわてて着替えをして顔を洗った。

「ワンワン」

ジロウはゆりの後をついて回っている。

「わかった。わかった。ジロウ君も一緒に来ていいから」

「ワン」

ゆりは上着を着て急いで塔に向かった。

塔のオルガの部屋に行くと、オルガは立って待っていた。

「お、おまたせいたしました」

ゆりはあわてて来たのがまるわかりなくらいぜいぜい言っていた。

「そんなにあせらなくても」

「だ、大丈夫です。オルガ様と一緒に、この星の神の木像を眺めたかったんです」

「ああ、ここにこの前飾ったんだ。知ってたのか」

「はい、多分、人間では、星の神が双子だってことを知ってるのは私だけだと思うから、私には話して大丈夫ですよ。誰かに話したくても、誰にも話せないんじゃないかと思って」

「…………」

オルガは星の神の木像に視線を向けたまま目を細めていた。

「一万……一万５，６千年。気が遠くなるほど長い年月の果てにやっとできた子供だった。本当にうれしかった。できることならずっと側にいてほしかった。ティカが望んだことだからもうどうしようもないが。ガーベラに話すときっと泣いてしまうだろうから、ティカのことは話さないようにしている」

ゆりはオルガの左手を握りしめた。

「今までは一人が当たり前だった。それが三人になり、一人減っただけで、こんなにも寂しいものだとはな。その代りに今はルチアがいるから、ティラも前よりは寂しくないようだ。ルチアも話ができるようになったら、もっと楽しくなるだろうな」

「そうですね。サーラも話せるようになったし、ルチアも話せるようになりますよ」

「ああ、そうだな。……ありがとう。人間に話を聞いてもらうとは、いつもとあべこべだな」

オルガは苦笑していた。


ゆりはオルガと別れて城に戻り、食堂に行くと、シスとラギがにやにやしていた。

「母様、オルガ様が来たんだって？　部屋に行ったらもういなかった。時間稼ぎをしてくれなきゃ」

ナナミが言っている。

「レーちゃんもあいたかったなあ」

「またこんどね」

「それで、ハロルド様は慰めてくれた？」

ナナミが聞いた。

「ハロルド様には会ってない」

「真っ先に母様を慰めに来てくれるかと思ったけどな」

とシス。

「もしかしたら、知らないのかもしれないよ」

ラギが言った。

「私のあの話、神様の国中に知れ渡るのもやだなあ。聖地にまで知られてるんだからね。恥ずかしいったらないわ」

「濡れ衣だからいいじゃない」

ナナミが言った。

「世の中の人全員そう思えばいいけどね。思わないのが世の中なの」

「あ、ところでさ、カールが母様の秘密を知りたがってるんだけど」

ラギが言った。

「秘密？　私がガーベラになってること？　改めて言うのも恥ずかしいなあ」

「ガーベラになって神様の子供を産みまくってますって胸を張って言ったらいいじゃない」

とナナミ。

「いや、胸を張って言えませんって」

「胸を張って良いと思う」

シスが言い、「そうだよ」とラギも同意していた。

「母様はすごいことをしてるから、アシュラン様だって聖地に招待してくれたんでしょう？」

「ま、まあそうだけど」

（子供を産みまくる、その前に神様とやりまくってるって言ってるようなもんだし、胸を張って言えない）

とゆりは思っていた。

「ねえ、もう一人の母様」

ナナミの声で、ゆりの左目が蛇の目になった。

「母様はムサカ様を恋人にしないの？」

「なあに突然」

「母様はおじさんも好きだからそうなるかもってみんな言ってた」

「みんな！？」

「うん」

ゆりは肩をずりっと落としていた。

「ムサカさんはいい男だけど、さすがに儀式の男にするのもどうかと思うし、まあ縁があればねえ」

蛇の目のゆりはあいまいに答えていた。


朝は、カールが来ることになっていた。気をもらうためである。ゆりが部屋で待っているとカールがやってきた。

「おはようございます。王妃様」

「おはよう」

若いカールは爽やかな笑顔で挨拶してくれた。

「じゃあさっそく」

「はい」

ゆりは長椅子で並んでカールから気をもらうことにした。犬のジロウは長椅子の近くで寝そべっている。

「王妃様は、ジンラ様のお酒を飲まなかったって本当なんですか？」

「あ、うん。私は何度か飲ませてもらったからいいの」

「優しいですね」

「カールはちゃんと飲めた？」

「はい、とてもおいしかったです。砦の皆さんもとても喜んでましたよ」

「ロイったらこっそりお酒をもらってたのよ。全く」

「王子様ですから優先されてもいいと思いますが」

「優先しなくていいの。子供のくせに生意気なんだから」

ゆりは横に手を振っていた。カールはぷっと笑っている。常識的には王子様の意見の方が尊重されるものだが、ゆりが全くそう思っていないところが面白い。

「……王妃」

「はい？」

カールの顔を見ると、なんだか目つきが違う。

「あれ？　カーライル様？」

「そうだ。ちょっと王妃に会いたくてカールについてきた」

「そうなんですか？」

「実は王妃に頼みがある」

「なんでしょう」

「実はな」

「はい」

「…………」

カーライルが口を開きかけた時、どんどんと部屋がノックされて、ヴィラが入って来た。

「王妃、しばらく部屋にこもっていてください。羊の使者がやってきて、王妃の歌が聴きたいと言ってるもので。王妃は風邪ってことにしときます」

「あらら」

「今日は四人もいらっしゃってるんですよ。だんだん増えちゃって」

「なんだか申し訳ないなあ。でも私が歌うわけにもいかないし……」

「風邪ってことにしておきますからいいですよ」

（歌の代わりに竪琴を聴いてもらうわけにもいかないし、しょうがないのかな……）


―受けるといい。手伝ってあげるよ

その時頭の中に男の声が聞えた。

「え？　あ、ヴィラちょっと待って」

「はい？」


（ガーベラ様が手伝ってくださるんですか？）

―うん。せっかくだから。羊の国には君の良い評判が流れてほしいじゃないか

「私、竪琴を聴いてもらうわ」

ゆりはすくっと立ち上がって言った。

「ええ！？」

ヴィラはすごく驚いている。

「そんなに驚かなくてもいいでしょ。大丈夫だって。風邪ってことなら、広間についたてを立てて、少し離れたところで聴いてもらおう」

「やめといた方がいいと思いますが」

「やる。絶対」

「えー」

「王様にそう伝えて」

「はあ……」

ヴィラは出て行った。

―せっかくだから良い竪琴を弾こう

「カーライル様、ハザーク様の部屋にあるいい竪琴、持ってきてくれます？」

「あ、ああわかった」

カーライルは去って行き、ハザークの部屋から良い竪琴を持って来てくれた。

「練習しなきゃ」

ゆりは竪琴を受け取る、練習を始めたのだが、それを聴いていたカーライルは、「王妃、やめとこう」と言っていた。

「大丈夫ですよ」

「大丈夫じゃないだろう」

「本番には強いですから」

ゆりは胸を張っている。

「羊の使者がびっくりするぞ？

「大丈夫ですって」

ガーベラが助けてくれるようなのでゆりは安心していた。

「王妃の図太さはどこからくるんだ……」

「だって、今他国での私の話題といえば、毒殺しかけただのなんだのってだけじゃないですか。羊の国だけでもほんわかした話題が欲しいんです」

「ほんわか……逆に笑いを取りたいんだな？」

カーライルはそう受け取っていた。

「違いますよ」


王の間ではヴィラから話を聞いたラクシュミはかなり驚いていた。羊の使者達は、今客間でフリット、ジェダンと会談中である。

「無理に弾かなくていいんだぞ？」

「王妃が是非にやりたいと」

「やめといた方がいいと思うが……仕方ないな。羊の使者達には、王妃は竪琴はさほどうまくないのだが、と言っといてくれ」

「わかりました」


広間にでかいついたてが運び込まれて、ゆりは広間に移動した。

「王妃、こうなったらがんばって笑いを取るんだぞ」

カーライルはゆりを応援していた。

「はいはい」

カーライルは消えて、カールは周りをきょろきょろ見ていた。

「カール、今から羊の方達に竪琴を聴いてもらうの。せっかくだからカールも端に座って聴いてくれる？」

「は、はい！」

カールはすぐに状況を理解している。

観客用の椅子は6個用意され、ゆりはついたての奥の椅子に座った。カールはゆりが見える位置に座っている。

ヴィラが広間に来た。

「王妃、準備はいいですか？」

「ばっちりです」

羊の使者達が四人に、フリットとジェダンが中に入ってきた。フリット達はちょっと不安げな表情である。

「王妃様、風邪気味だというのに申し訳ありません」

羊の使者がついたての向こうで言っていた。

「声がこんなだけだから大丈夫ですよ。せっかくですので竪琴を聴いていただきたくて」

ゆりはしわがれた声を出して言った。

「つたない竪琴ですが、広い心で聴いてくださいませ」

ゆりは一応自分でも言っていた。

「ありがとうございます」

場が静まり、ゆりは深呼吸した。


―大丈夫。君ならできるよ。音楽は心だ。青い空、辺り一面に実る麦畑。麦を収穫する人々。大地への賛歌を奏でよう

（大地への賛歌かあ。難易度は中級者向け。ガーベラ様がついてるし、大丈夫）

ゆりは竪琴の弦に指を当てた。


フリットもヴィラも内心心臓ドキドキだったが、思ったよりも曲の出だしはなめらかで、指もよく動いているようなのでとりあえずほっとしていた。

ゆりは誰かが手を添えて導いてくれているような感覚で曲を弾ききった。

曲が終わると、羊の使者達が拍手をしてくれた。

「心が温まる曲でした。ありがとうございます」

「本当に」

「素晴らしかったです」

「喜んでいただけてよかったです」

ゆりはしわがれた声で言った。羊の使者達は去って行き、ゆりはほっとしてついたてから出て来た。

「王妃様、素敵な曲でした」

カールはにこやかにゆりに近づいてきた。

「うまく弾けた。よかったー」

―ガーベラ様、助けてくれてありがとう

「音楽は心か。なるほど」

ガーベラが代わりに弾くのではなく、ちょっと助けてくれたことで、ゆり自身、気づきもあった。いつもは手ばかり気にして曲の情景やらを思う暇さえなかった。

「王妃様の優しい心が伝わりましたよ」

カールの言葉に、ゆりは微笑んだ。


ゆりの竪琴に羊の使者達は喜んで帰って行ったので、ラクシュミは、「ガーベラだったのか？」とフリットとヴィラに聞いていた。

「いえ、王妃本人でしたよ。その割りにはいつもよりも落ち着いていて、指も動いてましたね」

とヴィラ。

「私もガーベラ様かと思ったのですが、達人という域でもなかったので、やはり王妃本人かと。王妃も竪琴を習って長いですから、うまくいくことだってありますよ」

フリットが言った。

「そうなのか？　まあよかったが」

ラクシュミは、以前のクーガの前でのゆりの竪琴を聴いていただけに不思議そうだった。


ゆりはカールに部屋に瞬間移動で連れてきてもらった。竪琴をテーブルに置き、侍女にお茶を頼んだ。
「ワンワン」

部屋ではジロウが座って待っていた。

「ジロウ君、うまくいったよ」

「ワン」

ジロウは尻尾を振っている。

カールの目元が細くなっていた。

「王妃、ちゃんと笑いは取れたか？」

カーライルは真面目な顔でゆりに聞いた。

ゆりはいろいろ説明するのが面倒だったので、「ばっちり取れました」と言って返した。

「そうか」

カーライルはゆりをねぎらうように肩をポンポンとたたいて、部屋から出て行った。

カーライルの頼みは結局わからなかったのだった。


つづく

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