第38話
日が暮れて、スペードは聖地にあるアシュラン神殿を訪問した。神殿入り口もこの時間になると門が閉じられている。スペードが来たのは正面の門の横手にある入り口である。扉のノッカーをコンコン鳴らすと、出てきた者はすでに話を聞いていたのか、スペードを中に案内してくれた。普段信者達がくる部屋の奥、神官達が過ごす部屋の方にある小部屋に案内された。
「こちらでお待ちください」
「どうも」
部屋の中はろうそくの火で灯されている。壁沿いにある大きな棚には酒瓶がずらりと並んでいた。どうやら神官達が酒を飲む部屋のようだ。部屋の真ん中には人が10人ほど座れるくらいの四角い机と椅子が置かれていた。
スペードがしげしげと棚の酒を眺めているとクーガがやってきた。
「こんばんは」
「こんばんは」
クーガはいつもの神官服である。
「クーガ様は他の服は着ないんですか？」
ついスペードが聞いた。
「普段はこれが慣れてるので。あなたもかしこまった服で来ましたね」
スペードもびしっとした上着を着ている。
「大神の神殿に来るので一応は」
「座ってください」
「はい」
席はどう座るのか、横か、それとも向かいあって座るのだろうか、とスペードがちょっとドキドキしていると、クーガは机の上に酒瓶を五本と杯を置いて、スペードの向かい側に座っていた。
「あなたに酒をついだりはしないので、好きに飲んでください」
「私も酒を持ってきましたよ」
スペードは袋から酒瓶を一本出して机に置いた。
「前にいただいたんですが、一本だけ取っておいたんですよ。ジンラ様のお酒です。一緒に飲みましょう」
「おやおや、いいんですか？」
「はい、でも、大神の神官ともなると、ジンラ様のお酒をいつでも飲めたりするんですか？」
「いいえ、大体はいろいろな国からの貢ぎ物のお酒ですよ。蛇の国のお酒もありますよ」
クーガは瓶の一本を手に取っていた。
「へえ」
青い瓶にラベルが張ってあった。
「ガーベラ」
ラベルにはガーベラと書いてある。女神ガーベラをモチーフにしたお酒らしい。
スペードはここに来るまで考えていたことがあった。ジンラのお酒はクーリーフンがスペードに持って来たものである。それは、ガーベラからのお礼の品だった。もう一度巻き貝を聞いてみたが、「あなたによく似た人に助けてもらったの」とガーベラは言っていた。スペードはその時は、てっきりガーベラがカードの持ち主になったと思っていた。だが実際は違っていた。
（もしかしたら、ゆり様がガーベラ様に頼んで、ああいうことになったのかも？）
そう考えると話のつじつまがあう。
（ゆり様はクーリーフン様と知り合いなのだから、ガーベラ様とも親しいのかもしれない）
スペードはそこまで推理したのだった。
（というより絶対親しい。ガーベラ様は、この前ゆり様によく似た姿に変身していたし）
ねぼすけの家の前で、スペードはゆりの顔をしたガーベラに会ったことがあった。
「あの、もしかして、あれから蛇の国の王妃様に会いました？」
スペードはおずおずとクーガに聞いてみた。
「会いました。わりと元気そうでした」
クーガはあっさり答えた。
「心配で会いに行ったんですか？ クーガ様って、ゆり様のことがむちゃくちゃ好きなんですか？」
スペードはつい面白そうな顔で聞いた。
「むちゃくちゃ好きです」
クーガは笑みを浮かべて言ったので、逆にスペードの方が面食らっていた。
（まじかよ……）
「シラフじゃ聞けない話になってきた。飲みましょう」
スペードは自分が持って来た瓶を手に取ってコルクを抜き、自分の杯に酒を注いだ。
「クーガ様もどうぞ」
スペードは瓶をクーガに渡して、クーガも自分の杯に酒を注いでいた。
「まさかクーガ様が人妻を好きになったなんて、いやーファンの皆様には聞かせられないですよ」
ファンクラブの会員達が知ったら大変なことになりそうだ。数人ショックで卒倒するかもしれない。
「それで、ゆり様と仲良くする時はどこで会ってるんです？」
「それよりあなたはどうなんです？ 花のつぼみがなくなった時はショックでした？」
クーガがお返しのように聞いた。
「はあ……残念でしたよ。彼女と話すのは楽しかったので」
クーガが素直に答えたので、スペードも素直に答えていた。
「彼女の価値観は、他の人とはちょっと違うでしょう？ 私は今と違って、生まれた時は全く魔力がなくて、国では肩身が狭い思いをしていました。彼女は、自分の子供を魔力の有無で差別したりはしない。そこがすごい。子供達も、それが普通だと思っている。私の母親が彼女のような人だったら、私ももっと楽しい人生を送って、多分妖精にはなってないんだろうなあ、と思ったりするんですよ」
「そういえば……今まで全く思いもしなかったですが、確かにあの兄弟は魔力のばらつきがありますね。兄弟同士普通に仲良くしていたので、それがおかしいとも思いませんでした」
「私にしてみれば、結構すごいことですよ」
「彼女があなたを知ったきっかけはあのカードなんですね？」
クーガが聞いた。
「そうです。カードのスペードが助けてくれたらしくて。王妃様なのにあんなに他の男を褒め称えていいんですかね、とちょっと心配になりましたが、王様とはちゃんとうまくいってるんですよね？」
「仲良くなさっていると思いますよ」
「他に彼女の恋人は何人くらいいるんですか？」
酒も入っていたので、スペードは踏み込んで聞いてみた。
「20人くらいと聞きましたが」
「え。に、にじゅう？」
スペードはさすがに驚いて目を丸くしていた。
「そんなにいるんですか？ 夜の順番とか決めるの大変じゃないですか」
「彼女は、恋人達とは体の関係にはないんです」
「え？ 恋人って体の関係ってことじゃないんですか？」
「あの一族は性欲がすごく薄いみたいで、赤い月以外でそうそうその気にはならないんです。だから、彼女が普段そういうことをする相手は少ないですよ」
「じゃあ恋人って何をするんです？」
「口づけをしたり？」
さすがにクーガも儀式のことまでは口にしなかった。
「口づけ……」
スペードはショックを受けていた。まさか、一族が違うだけでこんなにも認識に差があるとは。
（もしかして、彼女は恋人ってそういうもんだと思っていたのかも。あの晩俺にあんなことをされて、すごく驚いただろうな）
「え？ じゃあ彼女とそういう関係なのは、王様と、クーガ様と、ラーズ様？ すごい組み合わせだな」
「あなたも彼女に何かしたでしょ」
「う……あの時の彼女はあまりにかわいすぎて。でもそのせいでもう話ができなくなってしまいましたよ」
スペードは残念そうに言った。
「あなたは彼女のことがむちゃくちゃ好きなんですか？」
今度はクーガが質問していた。
「むちゃくちゃ……はわからないですが好きは好きですよ。愛してるなら、自分一人のものにしたいとか思わないんですか？」
「彼女は人間版ガーベラなので、恋人が複数いる方が魅力的なんですよ。それに、私は誰かの人生を背負いたいとは思わない。あなただってそうでしょう。執着心が強い人間は妖精にはなれない」
「まあそうですね。しばらくは、かわいい猫をなでたりするくらいですね。その猫も、時々しか来てくれないですが」
ジンラのお酒はすっかり飲み干してしまった。スペードは「ガーベラ」のお酒の栓を抜いて杯に注いだ。飲んでみると軽いお酒だった。女性に人気がありそうな酒だ。クーガもちびりちびりと酒を飲んでいる。
「ところで、大神が人間達に不戦を命じたわけ、あなたは知ってるんですか？」
クーガは話題を変えた。
「いえ、知りません」
「でも見当はついているでしょう？ 神の国でも不穏な気配が流れてるんじゃないですか？」
「特には」
「ねぼすけさんはそう言ってましたが」
スペードの頬が引きつっていた。
「何かが起きる時って、聖地に知らせはあるんでしょうかね」
「さーあるんじゃないでしょうか。クーガ様はねぼすけと話をする仲なんですか？」
この二人の組み合わせは意外だとスペードは感じた。
「別に仲が悪くはないですよ。近いうちに何かが起こりそうなんでしょう？ その何かは初めてではない。私は以前歴史の本を読んでいて、一時期大陸に冬の時代があったことを知りました。カサンドラ様に聞いた所、その時は神の力が著しく衰えて人間達の生活に影響が出てしまった、とおっしゃっていましたが、神の力が衰える原因になることがその時起こったんでしょう？ 人間達には決して言えないようなことが。それがまた起こりそうなので、大神は人間達にそのような布令を出したのでは？」
「まあ、多分そんな感じでしょう。私もはっきりと知らされたわけではないですよ」
「それは一体どこで起こるんですか？」
「起こるとすれば神の国ですよ。私もその前回のことは噂でしか知らないですが」
「それが近づいたら教えてください。お友達として」
クーガの口から思いもかけない言葉が飛び出した。
「オトモダチ……ついにお友達だと認めてくださるんですか」
「はい。大神に、千年目にしてようやくお友達ができたと報告しておきます。なので、何かわかったら教えてください」
クーガは笑みを浮かべて言っていた。
「はあ……」
スペードはうれしそう、というよりは、困惑気味な感じで、初めてのお友達同士の飲み会はお開きになったのだった。
スペードは神殿の外に出た。肌寒い風が吹いている。
「お友達……」
スペードはついぷっと笑っていた。
（俺から何か情報が欲しくてああ言ったような感じだな。しかし、千年の間お友達がいなかったってまじか。クーガ様はここで育ったんだもんな。子供と知り合うのも難しいか）
今は神官仲間はいるだろうが、相手が恐縮して本音を語り合ったりする仲ではないのかもしれない。この世でただ一人の神と人間の混血児。その孤独は、スペードの想像を超えるものに違いない。
（俺の子供時代も散々だったが、クーガ様に比べればましだったのかもしれないな。お友達か。ゆり様と会うまではクーガ様と話もしたことがなかったのに、妙なことになったな）
「誰かに自慢してもいいのかな」
スペードは笑いながら自分の家に帰って行ったのだった。
暦は12の月に入った。今日は朝からしとしとと雨が降っている。もうすぐ梅雨がやってくるので、国中その準備に取りかかっている。ゆりはスペードへの返信を書いたが、まだ手紙は手元にあった。梅雨に入り、イシュタールが神の国に行く時に持って行ってもらおうと思っている。
今日は蛇の目のゆりとジュノーが長椅子に並んで座っている。ゆりはジュノーが持って来てくれた果物の砂糖漬けをおいしそうに食べていた。レモンのような酸っぱい果物や皮を煮て砂糖で煮込んである。黒目のゆりはあまり食べないが、蛇の目のゆりはこれが結構好きなのだ。
「すっぱ甘くておいしい。はい、あーん」
ゆりはフォークに果物をのせて、ジュノーの口元に運んだ。ジュノーは口を開けて食べさせてもらっている。
「すっぱ甘いですね」
「これがおいしいの。ところで、ヴィラとシャナーンとイシュタールの彼女、まだお腹は大きくなってないの？」
3人の彼女は妊娠中である。
「まだですがもうすぐでしょうね。周りはわくわくですよ」
「そうよね。みんなの子供もたくさんできたね」
「本当に。王妃は自ら子供を産むだけではなく、我々にも子供をもたらしてくれましたよ」
「みんなの子供はみんなが努力したからじゃないの？」
蛇の目のゆりは笑っていた。二人で話をしていたらドアがドンドンとノックされて、扉が開いた。やってきたのはミカエルだが、どこかあわてた様子である。
「王妃、大変ですよ。今、正門からラクア様がいらっしゃって、王妃に会いたいとおっしゃっているんです」
「え？ だれだって？」
ゆりは聞き返した。
「ラクア様ですよ。水の神様の」
「ラクア？ なんで？」
「わかりませんが、すぐに対応されないと」
蛇の目のゆりはジュノーと目を合わせた。
「なんかよくわからないけど、あっちに代わる」
ゆりは砂糖漬けの瓶とフォークをジュノーに渡し、黒目のゆりに交代した。黒目のゆりは代わるなり、
「なんか口の中が甘酸っぱい」
と言っていた。
「あ、それか」
ゆりはジュノーが持っている物を見た。
「王妃、大変ですよ。今、正門からラクア様がいらっしゃって、王妃に会いたいとおっしゃってるんです！」
ミカエルは再び同じセリフを言った。黒目のゆりはきょとんとして、「だれだって？」と聞き返した。
「水の神様ですよ」
「王妃、水の神様がいらしたんですよ」
ミカエルに続いてジュノーが言った。
「なにしにきたの？」
ゆりは目をまん丸にして聞いている。
「わかりません。とにかく、すぐ会ってください」
「え……ええ？ ええ！？ えええ！？」
状況を理解すると、ゆりは立ち上がり、あたふたしだした。
「ラクア様はどんな様子なんですか？」
ジュノーが聞いた。
「怒ってる？」
と聞いたのはゆりだ。
「そんな感じでもないですが……」
ミカエルは首をかしげている。
「え？ どうしよう。なんか怒られるの？ もしかして、なんかばれた？」
ゆりはあたふたしながら、とりあえず、テーブルの上にあった水差しの水をコップに注いで飲んだ。
「王妃、早く行きましょう！」
「え、ええ！？ もう？ け、化粧……」
「神様を待たせちゃいけませんよ」
とミカエル。
「えー！？」
「王妃、がんばってください！」
ジュノーはゆりに声援を送り、ミカエルはゆりの腕に触れて瞬間移動したのだった。
つづく
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