第40話
神の国、アシュランの間に、ヒルデリアがやってきた。
「アシュラン、妙な噂を聞いたのですがご存じですか？ ジンラが人間の女性を溺愛しているとか。どこからそのような噂が出たのでしょう。ばからしい」
ヒルデリアは呆れた様子である。
「溺愛？」
アシュランはその言葉に笑っていた。
「ガーベラが聞いたら喧嘩になりかねません。もしや、パティウスの仕業では？」
「いや、違うんだ。これにはわけがあってな。この間、龍の国で軽い酒毒事件があって、蛇の国の王妃の仕業だという噂が流れた。それを聞いたジンラは、よく確かめもせず、王妃を激しく糾弾したらしい。王妃はまるっきり関係なかったのに」
「な……なんですって？ 激しく糾弾？ まさか。あの温厚なジンラが？」
ヒルデリアはショックのあまりよろめいていた。
「さらに王妃は今妊娠中でな。ジンラに問い詰められて情緒不安定になってしまったんだ」
「んまあ！」
「それでジンラは反省して、王妃の評判をあげるために、恋人にするという噂を流したんだ。神が恋人にするなら心が綺麗な女性だとみんな思うだろうからな」
「まーなんてことでしょう。妊婦にそのようなストレスを与えるなんて。ただでさえ、感情の浮き沈みが激しい時期だというのに」
ヒルデリアは妊婦の味方と言われているが、実際にそうである。アシュランの子供を妊娠した女性以外の妊婦には優しい。
「それで、王妃は大丈夫なのですか？」
「大丈夫じゃないのか？ よく知らんが。結構図太そうな性格をしていたから大丈夫だろう」
アシュランはたいして気にしていない様子で言った。
「アシュラン、普段はそうでも妊娠中の女性は繊細なのです。いくら初めての妊娠ではないといっても、ふとしたことがきっかけで取り返しのつかないことになってしまうこともあるのですよ」
ヒルデリアは眉をひそめていた。
「それはそうかもしれんが、私ができることといったら、その噂に目をつむるくらいだな。まさかうちのジンラがすまなかった、などと謝る気なんざないぞ」
「そこまでしろとは言いませんが……私の方から何か妊婦に良い物を贈っておきましょう」
「そうか。それは王妃も喜ぶだろう」
ヒルデリアはアシュランの間を出た。
「まったく男というものは……」
（誤解だったと謝ればすむものではないのに……）
ヒルデリアはブツブツ言いながら歩いて行った。
人間界、蛇の国では、まさか思ってもいない神の手形が手に入り、子供達は興奮している。
海の大神マリナールの手である。
大きくてごつごつしていて勇ましい手である。この手を見て、子供達はマリナールの姿を想像していた。きっと立派な体躯の持ち主なのだろうと。
「ねえ母様、なめてみたい」
ロイが言った。
「だめに決まってるでしょ」
とゆり。
「本当に塩かどうかなめてみたいよう」
「絶対だめ」
マリナールの手はこのまま展示できるようにガラスケースの中で立っていた。至れり尽くせりである。
「しおってしょっぱいやつ？ ミーもなめてみたいな」
ミシェイラまで言っている。
「だめだめ。なめたらとけてなくなっちゃうのよ」
「でも面白いよね。母様が頼んでいないのに手が集まるなんて。しかもマリナール様の手なんて予想外だよ。神様の手の陳列もすごく増えたね。そのうちに一階に入りきらなくなったりして」
シスは笑っている。
「いえてるね。博物館を建て増しすることになったりしてね」
ラギも笑っていた。
そこにラクシュミから思念が届いた。なんと博物館にラクアの手が増えているらしい。
「すぐ見に行こう！」
「私も行く！」
ゆりは子供達に博物館に飛ばせてもらった。
博物館の中には館長がいた。
「館長おはよう」
「おはようございます。皆様。こちらです」
ラクアの手は、神様の手の陳列の向かい側にあった。陳列を置くスペースがなかったので、反対の壁沿いに置いたようだ。
「おおー！」
「えー？ どうなってるの？」
「すごっ！」
「えー！！」
ただの手形かとおもいきや、なんと水でかたどった手形である。その水は透明ではなく、ちょっと青っぽい色がついていた。ガラスケースの下は白い石の台座があり、そちらには装飾などはない。だからこそ、視線は手の方に集中する。こちらは、決して触ることができない手である。
「すごーい。まほう？ すごいすごい」
レーヌが飛び跳ねている。
「わたくし感動しました。王妃様のおかげで、毎日わくわくどきどきでございます」
館長は本気で泣いていた。
「まさか、こんなに一杯手が集まるなんてね」
ゆりは水の手を見つめながら、感無量である。
ロイは館長をちょいちょいつつき、「手はもう一個あるんだよ。誰のか当てたら持って来てあげる」と言っていた。
「え？ もう一個？ 王妃様本当ですか？」
館長は目を丸くしている。
「本当よ。そちらは城に届いたの。誰の手だと思う？」
「えー……ヒントをお願いします」
「しょっぱい！」
ミシェイラが言った。
「え？ しょっぱい？」
館長はいろいろ名前を言ってみたが、誰の手か当てることはできなかった。マリナールの手だと聞いて驚きまくっている。
「ラクア様の手ってここでの展示を目的に作られた手だよね。ここ、神の国でも有名だったりして？」
シスはそんなことを思った。
「水の神様の手ってすぐわかるし、芸術的で、しかも信者も獲得できる。手形って深いわね」
ゆりは腕を組んでラクアの心情を推理してみた。
「それぞれ個性的だね」
ナナミが言った。
「そうね」
「あのー王妃様、ジンラ様の恋人になられたのですよね？」
館長がもみ手でゆりに聞いた。
「ま、まあね」
ゆりは頬をかきながら答えた。
「あのーもし可能でしたら、ジンラ様の衣装をここで展示させてもらえないでしょうかね」
「衣装？ いいかも。今度頼んでみるわね」
「ありがとうございます」
館長は子供のようにうれしそうな目をしていた。
「衣装も素敵ね。母様、次は衣装シリーズにしようよ」
ナナミが言った。
「シリーズ化しなくていいわよ。でもジンラ様の衣装だけは欲しい。酒祭りに活用できるし、もらったら一度王様に着てもらおう」
ゆりはにやっとしていた。
マリナールの手は数日王の間に飾られることになった。ラクシュミはしげしげと手を眺めている。
「手って面白いな」
この手首から先はどんな体なのだろうと、想像力をかきたてられる。
「こんなに面白いとは思わなかった」
フリットが王の間に入って来た。
「おはようございます。おや？」
フリットは白い手に気がついて近づいた。
「随分立派な手ですね。これも神様の手ですか？」
「海の神、マリナールの手だそうだ」
「ええー？ 王妃が頼んだんですか？」
「いや、神様づてに、勝手に増えてるらしい。面白いな。博物館にはラクアの手が増えたんだぞ」
「本当ですか？ すごいですね。まさか王妃の発案からこんなことになるとは。そうだ。来年の四の月あたりに、羊の国から10人ほどグループで来たいそうですよ。博物館の噂を聞いたみたいで」
「そうか。それまでに手が何個か増えてたりしてな」
フリットは笑っていた。
「うちの博物館、そのうち世界的に有名になるかもしれないですね」
「そうだな。博物館の館長も、楽しい日々だろうな」
ラクシュミは喜ぶ館長を想像して笑っていた。
神の国である。雲の上の神殿、対話の間に入ろうとしたハロルドは、そこから出てくるヒルデリアに出会った。
「神官と話か？」
ハロルドが聞いた。
「薬草の調合を頼んだのだ。ある妊婦のためにな」
「ふーん？」
「そなたも気をつけるように。何があっても、妊婦に声を荒げたりしないようにな」
ヒルデリアはハロルドに言い聞かせるように言っていた。
「？」
「ヒルデリア〜あーいたいた。バスケットができましたよ。ちょっと見てください」
サントスがやってきた。
「お、できたか。どれ」
サントスは大きめの籐の籠のバスケットを持っていた。中にはザクロやリンゴ、オレンジが入っていて、花で飾られている。
「このくらいでどうですか？」
「キレイにできたな。あとはこれに薬草をつけて渡そう」
ハロルドは気になったのか、対話の間に入らずにこちらにやってきた。
「誰に渡すんだ？」
「蛇の国の王妃じゃ」
「え？ なんでだ？」
ハロルドは瞬いている。
「ジンラの件、そなたは知っておるのか？」
「知ってるぞ。ジンラはお詫びにいろいろあげてたようだぞ」
「知っていたのならなぜ私にもっと早く知らせぬのだ。早く対処せねば、こういうことは神への不信につながるのだ。ジンラだけの問題ではないのだよ」
「そんな大事でもないだろうと思って……」
「大事であろう」
「そうだよね。神に問い詰められるなんて、かわいそうだよね」
サントスも同情的である。
「しかも王妃は身重だというではないか。私からも見舞いの品を渡すのが筋というもの」
「私からも何か贈ろうかな。今の時期、あの国では採れないような野菜とか」
サントスは悩みながら言った。
「一度では持っていけないのではないか？」
「私のは風の妖精に頼みますよ」
「そうか」
「見舞いの品、私が持って行こう」
ハロルドが口を挟んだ。
「そなたはいい」
「なんでだ」
「そのようなことそなたの仕事ではないし、そなたのような猛々しい男が行ったら王妃が今度は何事かと驚いてしまうだろう。ここは女性の方が良いかとライサに頼もうかと思ったのだが、グレンがどうしても行きたいというのでグレンに持って行ってもらう」
「はーグレン？ あのやろう」
「ん？」
二人はハロルドを見た。
「別に何でも」
ヒルデリアとサントスは歩いて行った。
こうして、その日の午後、グレンが城にやってきた。ゆりの部屋に通されたグレンは、ゆりを見るなりとてもうれしそうである。
「ガ……王妃様、体調は大丈夫ですか？」
「大丈夫ですよ」
グレンはバスケットをテーブルの上に置いた。
「どうぞ、ヒルデリア様が今回のことは申し訳なかったとおっしゃってました」
「わっもらってもいいんですか？ うれしい」
バスケットの中にはおいしそうな果物がたくさん載っていた。
「それからこちら、妊婦が飲める心を落ち着かせる薬だそうです」
グレンは布の袋もゆりに渡した。
「ヒルデリア様まで気にしてくださっているなんて。よーくお礼を言っておいてくださいね」
「はい」
「今回のこと、かなり広まっちゃったみたいですね」
「あなたに何事もなくてよかったです」
「元気だって言っておいてください」
「はい」
二人はちょっとの間見つめ合っていたが、ゆりが、「ちょっと横を向いてください」とグレンに横を向かせた。
「？」
ゆりはそろっと近づいて、つま先だちになってグレンの頬にちゅっとキスしていた。
グレンは驚いた様子である。
「今日グレン様に会えてうれしかったです」
「ガーベラ様！」
グレンはこらえきれなかったのかゆりを抱きしめていた。
「唇にして欲しいです」
「え？ 私とそういうことしてうれしい？」
「うれしいです！」
「そう？ んじゃ」
ゆりはグレンの唇にちゅっとキスした。グレンはとてもうれしそうだ。
「うれしいです」
「よかった」
グレンはぎゅっとゆりを抱きしめてから離れた。
「今日は犬はいないんですか？」
犬のジロウは部屋にいないようだ。
「今外に遊びに行ってますよ」
「そうですか。よかった。それでは行きますね」
「どうもありがとう」
グレンは帰りは部屋をすり抜けて飛んで行った。
「グレンかわいい。心が落ち着く薬？ 薬草かな？」
ゆりは袋を開けてみた。小さな袋がたくさん入っていて、使用方法の紙も入っていた。
「ヒルデリア様の神殿で売ってるものかもね。心が昂ぶっている時や、ひどく落ち込んでいる時に飲む薬草か。へーお茶なんだ。食後に飲んでみよう。しかし、連日神様がやってくるなんて、門番達はびっくりしてるんじゃないの？」
ゆりは笑っていた。
神の国に戻ったグレンはヒルデリアの元に行き、「王妃は元気そうでした。ヒルデリア様からの贈り物に感激されてましたよ」と報告した。
「元気そうだったか。それはよかった」
ヒルデリアはほっとしていた。
「しばらくは心穏やかに過ごせればよいが。ガーベラの様子はどうだ？ 今回のこと、怒ってはいないのか？ ライサも心配していたが」
「大丈夫でしょう。ガーベラ様も納得されてると思います」
「さようか。それにしても……なんぞ良いことでもあったのか？ 珍しくうれしそうな顔をしているが」
「え」
グレンは自分の頬に触っていた。ゆりとキスした喜びが、まだ顔に表れていたようである。
「そ、そうですか？ 別にこれといって何もありませんが」
「そうか？」
「はい。では、裏に控えてます」
グレンはさっさとヒルデリアの前からいなくなったのだった。
その頃ガーベラの神殿にはダーナがやってきていた。
「嘘だとしても、そんな噂が出ちゃうなんていいの？」
ダーナは横にいる生き物をなでなでしながらガーベラに言っていた。ダーナの横にいたのは緑色のぽよっとした丸い生き物である。以前ダーナの神殿にある木になっていた植物なのか動物なのかさっぱりわからない生き物だが、変身する能力があり、ちょっと話もできるようだ。
「それよりも、リーベはどうやってここに来たの？」
ガーベラが聞いた。
「はってきたのよ。最近早く行動できるようになったの」
「そうなの。前よりも大きくなったみたい？ こっちに来てみてよ。リーベ」
ガーベラが声をかけると、緑の物体リーベは、ソファからすとんと降りてこちらに移動してきた。そしてのびながらソファの上に自分であがっていた。
「随分よく動くようになったわね」
ガーベラがなでなですると、リーベは内側から輝いている。感触は変わらずぷよぷよしていた。
「神獣かあ……もしかしたら、精霊の一種なのかもね」
ガーベラが言った。
「そうかもね。リーベに触っていると、なんというか、良い気分になるの。ってリーベの話をしにきたんじゃないの。ジンラの話よ」
「ジンラにはものすごく謝られたわよ」
「嘘でも彼女がその気になっちゃったらどうするのかしら。それも気の毒だと思うけど？」
「そうねえ。でも、元々ジンラが悪かったんだしねえ。国の象徴を傷つけてしまったんだから、それなりの責任を取らなきゃ行けないってラクアが言ってたわよ。王妃の悪い噂が出てしまったのなら、それが忘れるくらいの噂をながすべきだって」
ガーベラはジンラからも謝られたが、ラクアもその件についてガーベラに説明しにきた。まさかラクアの発案とは思いもしなかった。そしてラクアの訪問を受けた時のゆりを想像すると、それだけでゆりが気の毒のような、隠れてその場面を見てみたかったような、面白い気分にもなった。ゆりのことを知らないラクアとジンラがゆりに関わってきたのだから、ガーベラもびっくりである。
「まあそれはそうでしょうけどね。良い噂ってすぐなくなるけど、悪い噂って結構長い間忘れられないものなのよね。ガーベラの悪い噂も、未だに海の国では忘れられてないものね」
「う……まあそうね」
マリナールを信仰する海の一族や、海沿いの村や町ではガーベラの石像など置かれていないし、ガーベラは全く信仰されていない。それもダーナと差がついている原因でもある。今はガーベラがマリナールと和解したとしても、「じゃあガーベラ様をあがめましょう」となるわけではなかった。
（そうかあ。ラクアは誰よりも、悪い噂がなかなかなくならないってことを知っていたから、彼女のことも気にしたのね）
ガーベラはそのことに気がついた。
「悪い噂が立つのもかわいそうだけど、神の恋人なんて噂が立って、彼女の方が本気になってもやっかいなことになるのよ？」
「あー大丈夫大丈夫。彼女はもうハロルドを恋人にしてるし」
「……え？ あ……そういえば、アリアスが、ハロルドはあの王妃のことを相当気に入ってるようなことを前に言ってたけど、完全に恋人なの？」
「そう。私はハロルドには二股かけられてるの。彼女に関しては、全然怒りがわかないの。なんというか彼女とは、通じるものがあるのよ。うまく説明できないけど」
「変なの」
「ダーナは不思議に思うだろうけど、そうなの、だから、心配しなくて大丈夫よ」
「そう、ならいいけどね。あまり我慢して爆発しないようにね」
ダーナは不思議そうな顔で、リーベと一緒に去って行った。
『ガーベラすまない。誓って、あの王妃には何もしないから』
ジンラはガーベラにそう言っていた。
（面倒だからジンラにはもう暴露しちゃえば良いと思うんだけどねえ。でも、そうすると、ジンラがその事件のことをさらに後悔しちゃうかもしれないし、難しいわね。恋人に女の妖精がちょっかいかけただけでもむっとしちゃうけど、彼女の場合は違うのよねえ。やっぱり私の認識としては、彼女は私の分身なんだわ。それに私は彼女に深く感謝している。今までしばらく、私の人生は海で例えるなら凪だった。ずっと代わり映えしなかった。ラクアの件で私も自重しなきゃって思っていたから、恋人は増やさないようにしていたし、人間の男は私が相手をすると死んじゃうこともあるから関わらなかった。でも今は、子供もたくさん増えて、神獣もたくさんできて、すごく楽しい。恋人達の違う顔も見ることができた。ラクアがあんなに娘を溺愛するとも思わなかったし、話をしたこともなかったサラディンとこんな関係になるなんて思ってもいなかった。私も、もっといろんなことに挑戦したっていいんだわ。今の私は新しい楽しみを見つけてしまった。人間に変身して人間界をうろちょろすること。人間の恋人とのいちゃいちゃも楽しい。今度いつハザーク様や豹さんの所に行こうかしら♪ 今ちょっと行ってみたい所があるのよねえ。誰と一緒に行こうかな）
ガーベラはるんるん気分でいろいろな人の顔を思い浮かべていた。
神の国夜、オルガの元に、かなり遅れて、ジンラの情報が入ってきた。息子のティラがジンラの話を聞いてきたのである。
「お母さんは大丈夫かな」
ティラはガーベラの心配をしていた。
オルガは、（ジンラが彼女がガーベラだと気がついたのかも？）とジンラの神殿に行き、ジンラにわけを聞いた。
（全然違った）
ジンラはまだゆりがガーベラになっていることは気がついていないようである。
（私が寝てる間に結構ないざこざがあったんだな）
数日の間でそんなことがあったとは、オルガもびっくりである。
「ヒルデリアにも怒られた。彼女は妊婦だったんだな。そのことも知らずに私は……」
ジンラはかなり後悔しているようだ。
「そんなに激しく問い詰めたわけでもないんだろう？」
オルガが聞いた。
「彼女は怖かっただろうと思う」
「それで恋人になったということにするとは、随分思い切ったんだな。アマンザは怒ってないのか？」
「アマンザ？ いいや。アマンザは彼女に好意を持っていて、彼女が恋人になったことにしてもかまわないと言っている」
「？ （なぜに？）」
普通息子の立場としては、文句を言うものではないだろうか。ちょうどアマンザが新しい酒を持ってやってきた。
「オルガ様こんばんは」
「やあ」
アマンザは、空になった酒の瓶を交換してくれた。
「アマンザは、あの王妃がガーベラによく似ていると言うんだ」
ジンラが言った。
「へーちなみにどこが似ているんだ？」
オルガがアマンザに聞いた。
「うーん、顔、ですかね」
アマンザは笑顔で答えた。
「顔？」
「アマンザは視力が悪いのかな」
ジンラが真面目な顔で言い出したので、オルガはちょっと吹き出しそうになった。
「僕にはよく似て見えるんですけどねえ」
アマンザは本気で言っているようだ。
（間違いない。アマンザは王妃の秘密に気がついている）
オルガはそう理解した。
「確かに似てるな」
オルガの言葉に、ジンラは目を丸くしていた。
「オルガまで？」
「心の目で見ればそっくりだ」
「心の目？」
オルガとアマンザは目を合わせた。二人は目でちょっと会話をし、アマンザは去って行った。
「心の目……」
ジンラはそれをどう解釈してよいやらわからないようである。
部屋に赤い色彩が現われた。火の神サラディンが突然やってきたのだ。
「ジンラ、変な噂を聞いたぞ。ジンラが、蛇の国の王妃を溺愛して、毎晩寝所に通っているという話は本当なのか？」
「は？」
あまりの話にジンラもさすがにぽかんとしていた。
「それはさすがに嘘だが、彼女を恋人にしたというのは本当だぞ」
「恋人に？ まさか、ジンラもおまじない被害者か？」
サラディンはそれしかないとばかりに言った。
「え？ おまじない？」
「突然彼女の寝所に飛んだんじゃないのか？」
「え？ いいや」
「違うのか？ まさか、イシュタールか？ イシュタールに王妃自慢を聞いている内にその気になったとか？」
「いいや。ちょっと事情があって……」
サラディンも椅子に座り、ジンラはざっといきさつを説明した。サラディンはかなり驚いていた。
「あの時はとにかく本人に話を聞かねば、とそれしか考えていなかった。すごく後悔してる」
「そうか。ガーベラは怒ってないのか？」
「ああ、ガーベラは大丈夫だ」
「そうだサラディン、実は、おまじないをどうしても試してみたくて、彼女にやってもらったんだ。私も神の国から彼女の部屋に移動したんだ。面白かった」
オルガがサラディンに言った。
「え？ 試したのか？ 何やってるんだか」
サラディンはオルガにも驚いていた。ジンラはさっぱりわけがわかっていなかったので、オルガがおまじないの説明をした。
「神を召喚する魔法なんて聞いたこともないぞ」
説明を聞いたジンラは口を開けていた。
「とにかく面白かった」
「面白がるな。私は二度とごめんだぞ」
とサラディン。
「おまじない……彼女に頼めば、私も彼女の部屋に飛ぶことができるのか？」
ジンラがオルガに聞いた。
「おまじないにはある条件が必要なんだ。彼女に頼むだけでは無理だ」
「条件？」
「その条件は教えない」
「彼女の部屋に飛ぶ前、何か特別なことでもあったのか？」
ジンラはサラディンに聞いた。
「あの時のことはあまり記憶がない。私は彼女と腰紐を結び合っていた。オルガも彼女と何か結んでたか？」
サラディンはあの恐ろしい朝のことを思い出していた。
「いや、私はただ飛んだだけだ」
「どんな条件がそろっていたんだろう？」
サラディンは首をひねっている。
オルガは笑いながら、「それだけは教えられないな」と言っていた。
部屋の入り口の外では、アマンザが隠れてこっそり3人の話を聞いていた。
（おまじない？ なんだろう。気になる。オルガ様はお母さんのことに気がついたんだ。うちのお父さんはいつ気がつくんだろう。案外鈍いから言わなきゃわからないかもなあ）
アマンザは言ってしまいたいような、言うのが怖いような、微妙な気持ちでいた。
翌早朝、サントスは畑で野菜を収穫していた。ここで採れた野菜は神が食べるためではない。サントスは趣味で野菜を栽培しているが、いつもは妖精達が収穫して、聖地に送られている。サントスの神殿のレストランで食材が使われることもある、サントスはいろいろな野菜を収穫し、娘のネルが土を払ってキレイにしていた。カゴ一杯のトマト、なす、きゅうり、キャベツ、とうもろこしが並べられている。
「一杯採ったけど、カゴ一個じゃ無理だな。どうやって持って行こうかな」
風の妖精に持って行ってもらおうと思っていたが、キャベツだけでも結構重い。
「せっかくの野菜を袋に一緒にいれちゃうのもやだしなあ」
「馬車で持って行ってもらったら？ せっかくだから、一杯あげようよ」
ネルが言った。
「そうだね。1種類づつ袋に入れようか」
サントスが麻袋に野菜を入れていると、猫のリーファがとことこやってきた。
「にゃーん」
「おはようリーファ。今日もどこかに行くのかな？ そうだ。気が向いたらこれらの野菜、蛇の国に持って行ってくれない？ なんてね」
「お父さんったら」
「ははは」
二人で笑っていたらリーファはサントスに飛びついたので、サントスはリーファを抱っこした。次の瞬間、サントスの姿は消えてしまった。
「あ！」
「ガチャッ」
という食器がふれあうような音がした。
「え！」
声を発したのはサントスである。サントスは目の前の光景に唖然としていた。先ほどまで神の国にいたのだが、今は屋内、しかも、黒髪の女性が驚いてこっちを見ている。
（人間界だ！）
「リーファ、ここはどこ！？」
サントスはあわてていた。
「サントス様！？」
「きゃあ」
侍女が悲鳴をあげていたが、うれしそうな悲鳴だった。
「ワンワン！」
犬がしっぽ振りながら近づいて来て、リーファはサントスの腕から降りて犬に近づいていた。
「サントス様じゃないですか。もしかして、猫に勝手に移動されちゃったんですか？」
そう聞いたのはゆりだった。先ほどの音は、突然サントスが現われたので、驚いて紅茶のカップを皿に落とした音だった。
「え……そ、そうです。もしかしてここは……」
サントスはうろたえている。
「蛇の国ですよ。私はゆりです。今話題の」
ゆりは自分で言って立ち上がり、お辞儀をした。
「や、やっぱり……すいません。突然部屋に入ってしまって」
サントスは真っ赤な顔をしていた。
「いえ、猫ちゃんのせいでしょう？ この猫ちゃん、うちのワンちゃんが好きみたいなんです。最初はクーガ様が一緒に連れてきてくださって」
「クーガが？」
「はい」
「そ、そうなんですか。参ったな。リーファ。私を連れてきてなんて頼んでないのにもー」
サントスは困ったように頭をかいていた。
「しかも泥まみれなのに」
「ふふふ。かまわないですよ。サントス様にお会い出来て光栄です」
ゆりは微笑んでいる。
「あ、そうだ。えーと、き、嫌いな野菜とかあります？」
サントスはしどろもどろになりながら聞いていた。
「野菜はなんでも好きです」
「そ、そうですか。よかった。あなたにあげようと野菜を収穫していたんですよ。後で、馬車で持って来ます」
「え？ 本当ですか？ あ、そうだ。聖地で食べたお芋がすごくおいしかったです。甘くて」
「い、芋……なら芋も入れておきます」
「うれしいです」
「リーファ、リーファそろそろいこう」
サントスはリーファをせかしている。リーファは犬にひっついている。
「リーファ！」
サントスは遠慮がちに怒鳴っている。猫がしょうがないな、とでもいう風にサントスに近づいてきて飛びついた。
「突然、すいませんでした」
サントスは神様なのに申し訳なさそうに頭をさげて、消えた。
神の国にサントスが戻ってきた。サントスは猫を降ろして、よろよろと地面に両手をついていた。
「あー驚いた」
「お父さん、どこに行っていたの？」
ネルが聞いた。
「人間界だよ。もー驚いた。リーファ、突然飛ばさないでよ。君の移動距離はどうなってるんだよ」
サントスは四つん這いになったまま、リーファに怒っている。
猫は知らんとばかりに横を向いていた。
「えー人間界？ いいなあ！ 人間界のどこに行ったの？」
「野菜をあげる予定の王妃様に会っちゃったよ。びっくりした。そうだ。芋も追加しよう。あれ？ そういえば、あそこにいた犬、ハロルドの犬に似てたけど……まあいいや。驚き過ぎて心臓が止まるかと思った」
サントスはよろよろと立ち上がり、芋を収穫に行ったのだった。
そして人間界のゆりは、「サントス様、かわいすぎる！」とむちゃくちゃ受けていた。
「目が泳いでて、すごくかわいそうだったなあ。猫ちゃんったら」
神様なのに低姿勢なところがサントスらしい。
「あ、王妃様！ ガーベラ様の恋人が、全員城にいらっしゃったんじゃないですか？」
侍女が声をあげた。
「あ、ほんとだ。すごい！」
「あの絵画よりステキでした」
ゆりの部屋にあるサントスの絵画はサントスが変身する前の姿なので、今のサントスとは少し違っていた。
「サントス様って素朴な感じでステキなの。ガーベラの恋人が全員城に来たのかあ。めでたいなあ。サントス様、うろたえていたから、壁の絵画にも気がつかなかったかな。ふふ。野菜をいただけるなんて楽しみだなあ」
午後城に馬車がやってきた。大量の野菜にゆりの目が輝いた。持って来たのは妖精で、サントスはもう来なかった。
「すごい。おいしそうな野菜だね」
ラギはしげしげと野菜を手に取ってみている。
「今夜は広間でパーティーをしよう。男達も全員呼んで。それから、せっかくのおいしい野菜だから子供達も呼ぼう。ユリウス達もね」
「お父さんに頼んでくるね」
急遽厨房が慌ただしくなった。ラクシュミから思念が飛び、男達の元に届いた。
「そうだ。ロアンナにも会いたい。それからセルジュ君も。侍女達は厨房のお手伝いもよろしく」
「はーい」
こうして、盛大なパーティーが催されることになった。
夕方には広間のセッティングが完了し、料理が次々と運び込まれていた。
「おいしい野菜は蒸しただけでもうまいの！」
あまり凝ったメニューはなく、素材を生かした料理が並んだ。トマトは切っただけである。
「この芋甘くてうまいねえ」
ロイが蒸した芋を口に入れていた。
「ロイ、いっぱい食べちゃだめよ。それから誰か、ハザーク様にも料理を運んでね」
「私が運びます」
ミラが手をあげた。
「よろしくね」
「うまっ」
「うまっ」
レーヌとミシェイラまでやってきてつまみぐいをしていた。
「もーでも私も食べたい。一個だけ」
ゆりはフォークでお芋をさして口に入れていた。サツマイモのように甘い芋である。
「うまっ！」
「王族……」
ラギがぼそっと言っていた。
パーティーの時間が近づいて、ゆりはちょっとだけかしこまったドレスを着て、ジンラにもらった髪留めをつけた。
「王妃様ー」
子供達がやってきた。
「みんな、大きくなったわね」
ゆりはみんなの子供達をみて、ついうるっときていた。アナスターシャと同じ頃に産まれた子供達は、もう頼もしいくらいに大きくなっている。
ハインリヒはドルイドを見て、「あ」とちょっと驚いていた。
「王妃様、ひどいんですよ。お父さん、パーティーのこと僕に教えなかったんですよ」
ドルイドがゆりに告げ口をしていた。
「えーひどい」
ゆりはハインリヒを睨んでいる。
「いやードルイドは野菜は嫌いかなって」
ハインリヒは頭をかいていた。
「好きですよ。野菜が嫌いなのはお父さんでしょ」
「王妃様、今日は何のパーティーなんですか？」
ミカエルの子供ラリーが聞いた。
「今日はおいしい野菜をいっぱいいただいたから、みんなにも食べて欲しかったの。土の神様の恵みに感謝して、一杯食べてね」
「はーい！」
料理はビュッフェ形式で、子供達は自分で料理を取って席に座った。
「王妃、今日はジンラ様が恋人になった記念パーティーですか？」
ジュノーがゆりに聞いた。
「違うわよ。実はガーベラの恋人が全員城にやってきた記念パーティー」
ゆりはジュノーにこっそり言った。
「えーそうなんですか？ サントス様はいついらしたんです。馬車は妖精さんだけだったんですよね？」
「今朝よ。今朝お部屋で会ったの」
「そうだったんですか」
ユリウスやジュメ、ロアンナ、セリアにエルバートもやってきてくれたので、ゆりはそれぞれと話をした。
「お招きくださりありがとうございます」
セルジュがゆりに丁寧にお辞儀をした。
「かわいい」
セルジュは四歳である。ユリウスの子供フランツは今年十八歳。ユリウスが男嫌いだった話など、すごい過去のような感じがする。
「みんながどんな大人になるのか楽しみね」
途中、ラクシュミも顔を出してムサカの横に座っていた。子供達はラクシュミに挨拶に行っている。ラクシュミは子供達を見て目を細めている。ムサカはそんなラクシュミを見て微笑んでいた。
野菜は好評で、パーティーは幸せな気分で終わった。ラクシュミは今晩は寝室にゆりを呼んだ。
「今日はみんなの子供達を見て、とても幸せな気分になったぞ」
「来年にはもっと増えるね」
「ああ。お前は私の幸運の女神だ。ありがとう」
ラクシュミはゆりを抱き寄せていた。
「王様……」
ゆりはうつらうつらしている。
「もう眠そうだな」
「ヒルデリア様からいただいた薬草のお茶を飲んだから。そのせいかも」
「そうか。おやすみ」
「おやすみなさーい」
ゆりはとっても良い気分で眠りについたのだった。
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