第4５話

「冗談だろう？」

神の国にて、イシュタールを魔物討伐に参加させてくれ、とアシュランに聞いたハロルドは、まずこんなことを言っていた。ちなみにアシュランの間にはイシュタールもいる。

「冗談じゃない。戦士が足りないって言ってたじゃないか」

とアシュラン。

「足りないとは言ったが、誰でもいいとは言ってない。イシュタールは半分人間だぞ？　耐久力も弱いだろう。死んだらどうするんだ？」

「さあ、どうしようかなあ」

アシュランは腕を組んでいる。

「おいおい、イシュタール、一体どういうことか分かっているのか？　お前は魔物を見たこともないだろう。お前の常識からはまったくかけ離れた世界なんだ。参加したがるな」

「はい、でも、あの……」

イシュタールはちょっともじもじしている。

「それがな、火の精霊の意思なんだ」

アシュランが言った。

「なんだって？」

「火の精霊がイシュタールを参加させたがってるんだ」

「なんで」

「さあ」

「あのー、そういう運命ならば、私も準備をしたいと思いますので……」

とイシュタール。

「一体どういうことだ？　なんで精霊がしゃしゃり出てくる」

「火の精霊の剣をサラディンが所有しているんだが、その剣はイシュタールにしか使えないそうだ」

「はあ？」

「半妖精ってことが関係してるのかどうかはわからんが。そういうわけだ。王にはなんと言ったらいいかなあ。悩む所だ」

アシュランはかなり悩んでいるようである。

「今、剣の鞘を作らせている。イシュタールにはハロルドの加護がつけられるだろうから、それはよかった。バロイとプータローにはつけられないからな。ただ、人間界では加護は封印しておかないとな。じゃないとイシュタールの仲間が怪しがるだろうから。今加護をつけろ」

アシュランがハロルドに言った。火の妖精に属する二人には、ハロルドの加護はつけられないようだ。

「何がなんやらさっぱりわからん。精霊の剣なんて初めて聞いたぞ」

ハロルドは戸惑いながらもイシュタールの左腕に触れた。イシュタールは左腕がじんわり温かくなるのを感じた。続いて、アシュランがイシュタールの腕に触れた。

「私もサラディンが所有しているとは知らなかった。他にもあるのかどうかも知らんし」

「イシュタールは人間界にはしばらく帰さないのか？」

「それが一番悩む所だ。行ったり来たりさせるのがいいかな。ずっとこちらにいるのもなんだろうし。あ、それから、大きい戦があるぞ。２，３年以内くらいに」

アシュランは話の流れでぽろっと言っていた。

「やっぱりあるのか」

ハロルドはげんなりした様子である。

「ま、そういうわけだ。とりあえずは、イシュタールは人間界が梅雨の間はここにいるということになっているから、梅雨が終わる頃までに良いわけを考えておく」

「気が進まんなあ。イシュタールに何かあれば、あの女が泣いて怒るだろうし、こっちでわけを知ったらどうする？」

「しばらくはただの稽古だ。大きな戦があることは、妖精達はまだ誰も知らないだろう？」

「はあ、じゃあ下に降りるか。アシュラン、降ろしてくれ」

「わかった。じゃあがんばれ」

「はい」

イシュタールは最後には元気に挨拶をしていた。アシュランは二人を地上に降ろした。

「うーん、どう言ったらもっともらしく、王も納得するかな」

魔物の存在を、アシュランは人間にはあまり公にはしたくなかった。魔物の大軍が神の国の近くに現われる、などということを人間に知らせたくないのである。

「戦名簿か……前回の名簿はいつきたっけな？　精霊には予知能力でもあるのか？」

火の精霊を目の前に連れてきて問いただしたい所だが、精霊はアシュランの呼びかけには応じない。協力関係にあっても、立場は対等なのである。

「秘密主義にもほどがある」

アシュランはぶつぶつ文句を言っていたのだった。


ちょうど草原で妖精達が稽古中だったので、ハロルドはイシュタールを皆に紹介した。すでに顔見知りなので、みんなうれしそうだった。サラマンダーの剣は工房に預けているので、イシュタールは普通の剣を借りて振ってみた。魔物のことはともかくとして、ハロルドの加護をもらったことがイシュタールはうれしかった。一体どれほど身体能力があがったのか、早く剣の打ち合いをしたくてしょうがない。

「ハート、私の加護をつけたから、力の使い方を教えてやってくれ」

ハロルドは額に角があるハートに頼んだ。

「わかりました。ハートです。よろしく」

ハートが右手を出した。

「よろしくお願いします。ハートさん。イシュタールです」

イシュタールはうれしそうな顔で握手をして、ハートにいろいろ教えてもらっていた。

それを遠目で見ていたハロルドは、（うれしそうだな。そのうち青ざめることになるだろうが……バロイとプータローも魔物に接したことはない。外れにやつらが現われてくれたら今はありがたいな）と思っていた。


さて、人間界蛇の国では、ゆりがハザークに、カーライルを恋人にしたと告白した。驚いたハザークは固まったまま動かなくなってしまったので、ゆりはハザークのひざをちょんちょんとつついていた。

「ハザーク様、大丈夫ですか？」

「王妃は……我よりもカーライルの方を好きになったのか？」

ハザークはちょっと切なそうに聞いた。

「そんなことは一言も言ってないですよ」

「カーライルと抱き合って、よかったんだろ？」

「そこまでしてないです。カーライル様には、気持ちよくさせられただけです。まだ」

「まだ……」

ゆりはハザークの手を握りしめた。

「私がハザーク様を大好きなのは、死ぬまで変わらないですから」

「本当か？」

「はい」

「それで、今後抱き合う予定か？」

ハザークはそこが気になるようである。

「まだそこまでは考えてないです。他の恋人達とも普段そこまでしてないですから」

「でも実際にやつがいたら、抱き合ってるだろうなあ」

「実際にいたら、カーライル様はとっくに他の恋人を作ってると思いますよ。最初は私のこと散々けなしてたし、まあそれは、ハザーク様もそうでしたけど」

「……もう覚えてない」

ゆりはぷっと笑っていた。

「まあ私の内面を好きになっていただいたと思ってますけど」

「今は王妃の顔も好きだ。足も」

「はいはい」

ゆりはハザークに寄り添い、しばらく手を握っていたのだった。


翌日夜、ゆりはシスと一緒にベッドで寝ていたが、ちょんちょんと頬をつつかれて目を覚ました。まぶしい光が目の前にどんとあった。

「あ」

「あ！　ハロルド様だ！」

シスも目を覚ましていた。

「こんばんは！」

「ああ、こんばんは。ちょっと二人にしてくれるか？」

「はい、ごゆっくり！」

シスは飛び跳ねるように立って消えた。

「クーンクーン」

犬のジロウが尻尾を振ってハロルドに近づいた。ハロルドはベッドに座ってジロウをなでている。

「こんばんは！」

ゆりは背中からハロルドに抱きついた。

「あれからジンラは来たのか？　恋人だってことになったらしいじゃないか」

「そうみたい。来てないわよ。ハロルドは私のこと心配してくれた？」

「お詫びの品をもらって逆に喜んでたんじゃないか？」

「ぎく、見たように言うわね。お詫びの品一杯もらっちゃった。ところでイシュタール、今神の国にいるのよ。会った？」

「ああ、うれしそうに剣の稽古をしてる」

「そうなの。よかった」

ゆりは横からハロルドの顔を眺めた。

「なんだか元気がない？」

「別に普通だが、今日はお前を喜ばせる元気はない」

「珍しいわね。何をしに来たの？」

「お前と話がしたくて来ただけだ」

「そうなんだ。私の顔を見たくて来てくれたんだ。うふふ」

ゆりはハロルドの横に座った。

「神の国に賢い猫がいるでしょ？　その猫ジロウ君のことが好きでね、よく遊びにくるのよ。この前なんてサントス様を連れてきちゃって、サントス様びっくりしてたわよ」

「サントス？」

「うん。すごいよね。神の国からここに瞬間移動ができちゃうんだもの」

「へー。猫といえば、でかい黒猫が気になってるんだが」

「でかい黒ネコ？」

「豹並にでかい猫がいるんだ。もう豹よりでかいかも」

「えー見たい！　どこにいるの？」

「キュリアが大体一緒にいる。その猫、グレンの神器みたいなのつけてるぞ。お前の時にできたんじゃないのか？」

「え？　私は知らないけど」

黒猫が産まれたのはゆりが人間界に戻ってからだったので、ゆりは知らなかった。

「今度行ったら猫ちゃんに会おう」

ゆりはでかい猫を想像しながらうれしそうだった。

ゆりの左目が蛇の目になった。

「ねえ、ハロルド様、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、今まで人間で、何かの褒美で若返った女の人とかいる？」

「え？」

「私がそれなりの年になって、アシュラン様にお願いしたら、かなえてくれるかな」

ゆりはハロルドの反応を見ながら聞いた。

「珍しく、普通の人間らしい望みを言い出したな」

ハロルドはラギの想像通りのことを言っていた。

「だってーいろいろ考えちゃうじゃない。ちなみにあっちの私は、そういうこと望んでないのよね。欲しい物ったら食べ物ばっかりなんだから」

「だからガーベラになれてんだ。ま、若いままでいたいってのは人間の女のよくあるお願いではあるが、残念ながら私にそういう力はない。前みたいに一時だけ若がえらせるなら可能だがな。自分の魔法で若返っている女なら結構いたがな。最近じゃあまり見ないが……アシュランならそういう力があるかもしれんが、実際にそういう力をもらった女がいたかどうかは知らんな」

「そうなの」

ハロルドは大きな手をゆりの頭に乗せていた。

「もしそれなりの年になっても、その時にはサラスベの実を持って来てやるから、そうしょげるな」

「うん。ありがとう」

ハロルドはジロウを一杯なでて去って行った。

「考えてみたら、見かけが変わらないってのも面白くないかもね。中年の私だってかわいいと思うし、サラスベの実か、……ちょっとは安心したかな」

ゆりが布団に入ると、ジロウが布団の中にもぐりこんできた。

「みんなとずっと付き合えればいいなあ」

ジロウはぺろっとゆりの頬をなめていた。

「ジロウ君も長生きしてよね」

「ワン」

蛇の目のゆりはちょっと心の重みが取れたかのような気分で眠りについたのだった。


神の国に戻ったハロルドは、ゆりとのやりとりを考えていた。

（アシュランが今まで人間にそういう力を与えたのかどうか……グレンに聞いてみるか）

翌日、ハロルドは雲の上の神殿でグレンを捕まえて、個室に連れて行った。

ハロルドは結界まで張りだしたので、グレンは、「どうしたんですか？　彼女に何かあったんですか？」と動揺していた。

「ちょっと聞きたいんだが、アシュランには人間の老いを止める力とかあるのか？　今までそういう力を人間に与えたことはあるか？」

「はい？」

「そういう話はあまり聞いた事がないからどうかと思ったんだ」

「人間の中には魔力が強い者がいて、自分の魔力で老いを止めてる者なら知ってますよ。老いずに生きている者も人間界には数人いますし、大体アシュラン様が何かしたわけではなく、勝手にそうなってますね」

「そうなのか。アシュランにそういう力はあるのか？」

「ありますよ」

「じゃあアシュランに頼めば？」

「……もしかして、あちらのガーベラ様のことですか？」

「ああ、話の流れで、私に老女姿を見られたくないなあと言ってた」

ゆりはそんなことは言っていなかったのだが、ハロルドはそう言ってみた。

「ふふふ……」

グレンは何がおかしいのか笑っていた。

「彼女は、おばあちゃんにはなりません。３００歳まで生きることがあればわかりませんが」

ハロルドはよくわからない様子である。

「アシュラン様は彼女に神石を贈ったでしょう？　あの石には、老化を遅らせる効果があるんです」

「え？　彼女は知らなかったぞ」

「教えてませんから当然知らないでしょう。知らない方がいいですよ。一〇〇年ほどして、見た目があまり変わらないかも？　と気がつく方がいいです。あくまでゆっくり老化してるだけなので、まったく変わらないわけではないですからね」

「そうなのか」

ハロルドはちょっとほっとしていた。

「良いことばかりではないですよ。アシュラン様は、長いこと彼女を利用したいと考えられてるんですから」

「ふーん、まあ、それくらいはしょうがないだろう」

（よかった。サントスにサラスベの実の大量生産を頼まなきゃいけないかと思ってた）

ゆりの老いについては、ゆりに言われなくてもハロルドが気にしていることだったので、ハロルドは悩みの一つが解決した気分だった。

「私としては、彼女には妖精になっていただきたいんですが、アシュラン様は、彼女はそこまで望まないだろうとおっしゃってました。ガーベラは神の国に二人もいらないと言うに違いないと」

「まあ、確かに、一人の妖精に神々が何人も恋人になったんじゃおかしすぎるしな」

「長生きしていただきたいです」

「そうだな」

（いつかは別れの時がくる。今はまだ、考えないようにしよう）

ハロルドはグレンと別れて神殿を出た。雲の上に、でかい黒い生き物とキュリアがいた。その生き物の大きさは、虎と同じくらいである。

「ここまでどうやってきたんだ？」

ハロルドは驚いていた。黒ネコのクロは空は飛べないはずである。もはや猫かどうかも不明だが、顔は豹というよりも猫っぽい。まさにでかすぎる猫である。

「質問です。クロはどうやってここにきたでしょう」

キュリアは笑いながらハロルドに質問していた。

「まさか、飛べるようになったのか？」

「ぶー」

「パティウスが連れてきた？」

「ぶー」

「うーん」

ハロルドが悩んでいると、横から金色の毛並みの猫がとことこ歩いて来た。

「わかった。この猫だろ」

「ピンポン正解です。リーファが連れてきてくれたの。今日はね、ヒルデリア様にクロを見せてあげようと思って。クロ、行きましょう」

「ニャーゴ」

クロはかわいくない声で鳴いてキュリアについていった。普通の猫の大きさのリーファはもう消えている。

「でかい猫か……あれくらいの犬がいてもいいかもな。産まれないかな」

犬好きのハロルドはそんなことを思いながら、ペガサスを呼んで飛んで行ったのだった。


つづく


１３部

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