第５６話
蛇の国は今日も雨である。
「今年の梅雨は長いかもしれないですね」
侍女のミラが言った。もう10日も雨が降ったりやんだりしている。梅雨が来ないのも困るが、長くなるのも困ったものである。
「洗濯物が大変よね」
「それがカール様が洗濯物を乾かすのを魔法で手伝ってくださっているんですよ。すごいですよね」
「へーそんなこともできるのね」
「とっても助かってます」
「母様見てー！」
部屋にロイがやってきた。
「すごいの見つけたよ。虹色ナメ」
「いらん！」
ロイが言い終わる前にゆりはロイを外に出していた。
「そんなもの部屋にもってこないで」
「えーかわいいけどなあ」
「かわいくないわよ」
続いてミカエルがやってきた。
「王妃、ゆで卵を作ってください。王妃のゆで卵が食べたいって子供達が言ってるもんで」
ミカエルはカゴに卵をたくさん持って来ていた。
「いいよー」
「あ」
シャナーンもやってきた。シャナーンも同じようにカゴを持って来ている。
「もしかして卵か？」
ミカエルが聞いた。
「そちらもですか？」
「一緒に厨房に行こう」
ゆりはミカエルとシャナーンを連れて厨房に行き、大きな鍋でゆで卵を作ったのだった。
せっかくの太陽の石だが、今のところゆで卵作りにしか活躍していない。だが、普通のゆで卵よりおいしく感じるようだ。
「梅雨がまだ終わらないけど、町の皆さんは大丈夫なの？ 畑とか」
ゆりが鍋の様子を見ながら聞いた。
「畑の作物はすでに刈り取ってますから。毎年のことですからちゃんと準備もしてますし、大丈夫ですよ」
ミカエルは後ろからゆりを抱きしめながら言っていた。
「そう？ ならいいけど」
「町の皆さんのことを気にかける王妃が素敵です」
シャナーンは笑顔である。
「シャナーンったら、私は町の皆さんのためにはたいして何もしてあげてないし」
「王妃の存在こそが、国民全員の幸せなんですよ」
「ありがとう」
「お世辞ではなく、本当のことです」
シャナーンに真顔で言われ、ゆりは微笑んだ。王様の子供を産みまくったゆりは素晴らしい王妃ではあるのだが、自分ではそう思っていないところが、ゆりらしい所だった。
「せっかくの博物館も、雨でお客さんが少ないのかしら」
「そんなことないですよ。さっきも結構人がいましたよ。雨だと仕事ができない人も多いですからね」
「そうなんだ。今はどの神様が一番人気なの？」
「マリナール様です」
「マリナール様？」
ゆりには意外に感じられた。
「マリナール様ってこの国では名前すらめったに聞かない神様なんですけど、あんなにたくましい神様なんだってみんな感動したみたいで、教会の牧師にマリナール様の話をしてほしいって誰かがお願いしたみたいですよ」
「へー。確かにマリナール様ってすっごくたくましい神様だもんね。ハロルド様よりも背が高いし、貫禄あるし、威厳もあるし、とにかくすごい神様だもんね」
（その神様の前で貝殻をつけて踊っちゃったけど……）
ゆりはその時のことを懐かしく思いだしていた。
「私も一度海が見てみたいです」
シャナーンが言った。
「あの大きなイカが一杯いるんですよね」
ミカエルは以前庭園に来た大きなイカを思い出しているようだ。
「あんなに大きいのはたくさんいないよ。みんなに海を見せてあげたいなあ。そろそろいいかな」
ゆりはお湯から卵をあげて、二人のカゴに移した。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。これくらいならいつでも言って」
厨房にフリットがやってきた。
「王妃、王妃に手紙が来ているんですよ」
「誰から？ アヤコさん？」
「羊の国の王女様からです」
「羊の国の王女？」
「珍しいですね」
シャナーンが言った。
「部屋の方でいいですか？」
「いいよ。じゃあ連れて行って」
ゆりは瞬間移動で部屋に連れて行ってもらい、ミカエルもついてきた。
「手紙を持って来たのは顔見知りの商人なんですよ。羊の国の国王にはだめだと言われたみたいで、王女はこっそり商人に頼んだみたいなんです」
「へー、どんな用件なんだろう？」
ゆりはフリットから手紙を受け取り、封筒を開いて手紙を読んでみた。
「親愛なる王妃様へ 突然このような手紙を渡す無礼を許してください。私は羊の一族の王女、サンデリカです。私のおばあさまが危篤です。おばあ様にはおじい様以外に好きな人がいます。その方は、昔おばあ様が子供の頃に助けてくれた人で、妖精のようなのです。私はどうやってその妖精様を捜したらいいのか分かりません。助けていただけないでしょうか。おばあ様に最後にその方に会わせてあげたいのです。その妖精様の特徴は、とてもハンサムで、背が高くて、たくましい人らしいです。おばあさまは、騎士様と呼んでました」
そこまで読んだゆりは、（え？ 妖精ってスペード様のことかな？）とそう思った。
「でもどの妖精様なのかはわかりません。名前もわかりません。詳しくは手紙を託した商人に話しました。このようなお願い、迷惑だということはわかっております。もし、協力していただけるなら深く感謝いたします。サンデリカ」
「フリット、その商人は今どこにいるの？」
ゆりがフリットに聞いた。
「城の中にいますよ。うちも世話になっている商人で、身元は確かです」
「ここに連れてきてちょうだい」
「わかりました」
フリットは瞬間移動で消えた。
「この王女様って何歳くらいなのかしら？」
手紙の文字は、かわいらしい字だったが、大人が書いた文章でもない気がした。
「王女は３０歳くらいですよ。三番目の王妃の御子様です。きっと、ジンラ様と王妃の噂を聞いて、王妃に頼もうと思ったんでしょうね」
ミカエルはゆりから手紙を受け取って読んでいた。
「シスくらいか。大好きなおばあさまのためになんて、泣けるじゃない。そうだ。雨の中来てくれたんだから、お茶も用意してもらおう」
ゆりは侍女に頼んでお茶を準備させた。
しばらくしてフリットが商人を連れてきた。その商人は恰幅がいい中年の男で、顎にはもじゃもじゃのひげがあった。かなり緊張している様子である。
「雨の中大変だったでしょう。座ってください」
ゆりが席を示した。
「ありがとうございます。王妃様にお目通りがかなうとは、こ、これ以上ない光栄なことです」
ゆりの両隣にフリットとミカエルが座った。
「それで、王太后様の様子はどうなの？」
「最近風邪を引かれたようで、それで寝込んでしまわれました。王太后様は御年260歳なんですが、年の割りには元気でいらしたんですが、風邪をこじらせてしまわれたようでして……王女様も国王陛下経由で手紙を頼もうとしたのですが、他国の王妃の手を煩わせることはならないと、許可されませんで、それで王女様はこっそりと私に頼まれたのです」
「なるほど、まずは、王太后様と妖精さんの出会いはいつか、それから話していただけますか？」
「はい、羊の一族には眠り病という病があるのですが、王妃様はご存じですか？」
「眠り病？ 知りません」
「これは一族特有の病気でして、眠ったまま３，４日目覚めないというものなのです。大体の者は４日もあれば目を覚ますのですが、当時病にかかった王太后様は、５日も目を覚まされませんでした。それは王太后様が大人になる前くらいの時のことです。他にも数人目覚めない者がおりまして、先代の王は聖地に依頼をし、聖地から妖精が一人派遣されました。その方が王太后様を救ってくださったのです。王太后様は長い間その方のことを覚えていらっしゃったようで、その後聖地に依頼するほどの病にかかった者もいなかったので、その方に会うことはできなかったようです」
ゆりの脳裏に浮かんだ男は一人しかいなかったが、ハンサムでたくましいという王女の言葉がひっかかる。
（ハンサムと言えないこともないかも？ 騎士っぽくはないけど。でも目覚めさせたんなら彼しかいないよねえ）
「なにせ名前もわからず、どの属性の妖精様かもわかりませんで、聖地に聞いてみれば教えてくださるとは思うんですが、陛下はちょっと頭が固い方でして、こちらの都合でそのようなことを聞くわけにはいかぬとおっしゃるもので」
「なるほど、国王様の許可なく魔法鳥も飛ばせないもんね。わかりました。私から聖地に聞いてみますね。見つかったら、その人にすぐに羊の国に行ってもらいます」
「本当ですか？」
商人はうれしそうだった。
「私は、恋する乙女の味方ですから、任せてください」
「ありがとうございます」
商人は何度も頭を下げて去って行った。部屋に残ったミカエルは、じろりとゆりを横目で見ている。
「その妖精に心当たりがあるんですね？」
「うん」
「もしかして、スペードさんのことですか？」
「ううん。違う人。でもその人と私は、ただのお友達だから。何もないから」
「オトモダチ……」
ミカエルは横目でゆりを見ている。
「本当だってば。とりあえずどうしよう。クーガ様に手紙を書くしかないかな」
「クーガ様を気軽に利用するのは王妃くらいですよ」
ミカエルはちょっと呆れていた。
ゆりは急いで手紙を書いて、ラクシュミに聖地まで手紙を送ってもらった。
魔法鳥の手紙はぱっと聖地に着くわけではない。聖地のクーガの手に渡ったのは夕方のことだった。クーガはすぐにねぼすけの家に行ってみたのだが、本人はいなかった。机の上にはメモが残されていた。「獏の国に行く」と書かれている。ねぼすけがいつ帰るかわからなかったので、クーガは獏の国に飛ぶことにした。近くにいた風の妖精に捜索を頼み、原っぱで獏に囲まれて寝転んでいるねぼすけを発見した。もう夜である。獏の国も冬だったが、ねぼすけの周りだけは暖かくなっていた。どうやら魔法を使っているようだ。暖かいから獏が集まっていたのだろう。
クーガを見たねぼすけは、「何？ 事件？」と聞いた。
「すぐ羊の国に行ってください。あなたに会いたがってる女性がいるんです。危篤のようなので」
「え？ そうなの？」
「210年位前に助けた女性みたいですよ」
「へーあの時３，４人助けた気がするけど、君が連れて行ってくれる？」
「いいですよ。もう夜ですが、あなたには夜の方が都合がいいでしょう」
ねぼすけは立ち上がり、クーガはねぼすけを連れて消えたのだった。
羊の国では、聖地から城に客がやってきたので国王が驚いて出迎えていた。そして理由を聞いて、王女を呼び出し怒りだした。
「お前は、なぜそんな勝手なことをして聖地の方の手を煩わせるようなことをしたのだ」
「ごめんなさい。お父様」
真白な巻き毛の少女は申し訳なさそうにうつむいている。
「陛下、お叱りにならないでください。これも王女様のおばあさまを思う優しいお心から来たものですから」
クーガが取りなすように言った。
「あなた様が、おばあさまを昔助けてくださった方なんですね」
王女は目をキラキラさせてクーガを見た。
「いえ、助けたのはこちらの男です」
クーガは横にいたねぼすけを示した。
ねぼすけは着替える間もなく来たので、ラフな格好のままだった。
「あ、そ、そうだったのですか。ごめんなさい」
「おばあさまは眠られているのかな？ さっそく会おう。案内してくれるかな？」
「はい」
「帰りは一人で帰れるから、クーガ君はもういいよ」
「そうですか。では私は帰ります」
クーガは国王に礼をして、去って行った。
ねぼすけは王太后が眠っている部屋に行った。
「おばあさまは金色の目をしてるかな？」
「はい、金色の瞳をしています」
「わかった。じゃあしばらく二人だけにしてくれるかな？」
「はい」
王女と侍女は去って行った。ねぼすけはベッドに近づいて王太后の額に手を当ててみた。風邪だと聞いていたが、熱は下がったようだ。だが、体力的にはかなり低下し、気の力も弱い。
ねぼすけはベッドの側に椅子を持って来て座り、王太后の手に自分の手を重ねて、目を閉じた。
「……さん、……お嬢さん……」
ぱっと少女は目を覚ました。
「え？」
そしてきょろきょろと周りを見て目の前にいる男を見た。
「久しぶりだね。お姫様」
男が微笑んでいる。左右違う色の瞳をしたその男は、青系の襟の大きな上着にズボン姿だった。
「あなたは……」
「私は羊の騎士ですよ」
男は背中を向けた。男の上着の背中には、でかい羊の顔の刺繍がされていた。
「ぷ……ぷぷぷ……」
少女は笑っていた。
「騎士様、再びお会いできるなんて思いませんでした」
少女は涙をぬぐってうれしそうに言っていた。真っ白い巻き毛の少女は、先ほど出会った少女によく似ていた。金色の瞳に、鼻の上にそばかすがあった。白いドレス姿である。
「私もあなたと遊びたかったです。今日は一杯遊びましょう。まずは、私の馬に乗ってください」
ねぼすけが手を出した先には、どでかい羊がいた。
「メー」
「騎士様、これは、馬ではなく羊ですが」
少女は笑いながら言っている。
「この羊の名前が馬というのですよ。さ、乗せてあげましょう」
ねぼすけは少女の腰に両手をあてて、羊の上に乗せていた。自分もその後ろに乗っている。
「さ、行け、馬」
ねぼすけが声をかけると、羊は草原を歩き出した。少女は必死になって羊の毛をつかんでいる。羊はぴょんぴょん跳ねた。
「きゃあ」
「落ちないように気をつけてくださいね」
「はい」
羊は結構なスピードで、草原を越え、林を超えて、お花畑に来た。
「キレイ」
「降りますか？」
「はい」
ねぼすけは羊から降りて、少女を降ろした。
「騎士様はちっとも変わらないですね。あの時も、羊の騎士だといって私を助けてくれましたね」
「あなたもたいして変わってはいないですよ」
「そんなことはないでしょう」
「幸せな人生でしたか？」
「はい、夫は、もう亡くなりましたけど、良い夫婦関係でした。孫は３人もできましたし」
「あの王女様は、あなたにそっくりですね」
少女はうれしそうに微笑んでいた。
朝、王太后が目覚めた時には、ねぼすけはもういなかった。
「うれしい夢をみたよ」
王太后は侍女づてに、部屋の外にいた家族にそう伝えたのだった。
ゆりの元にはクーガから魔法鳥で手紙が届いた。すぐにねぼすけを羊の国に連れて行ったと書かれていた。
「よかった。王太后様喜んだかな」
その翌日、羊の国の王女と国王陛下から感謝の手紙が届けられた。危篤だった王太后は、ちょっと元気になって起き上がっているらしい。
「よかった。私はたいして何もしてないけど、クーガ様、ねぼすけ君、ありがとう」
ゆりは喜んでいたが、その夜ねぼすけが夢にやってきた。
「ねぼすけ君、ありがとう。王太后様ちょっと元気になったみたい」
「そうなんだ。よかった。あれって、君の依頼、だよね？」
「そうですよ」
「じゃあ、依頼料は君に請求してもいいよね？」
ねぼすけは微笑んでいる。
「ん？ うん。そうですね。いかほどでしょうか」
黒目のゆりが聞いた。まさか王女に請求してとも言えない。
「お金より君に頼みがあるんだ。目の前で、ガーベラ様に変身してみてくれないかな」
「……お金の方がいいんですけど」
「変身できるんだろう？ ガーベラ様だって言ってたし。変身してみてよ」
二人のゆりはちょっと困ったように目を合わせていたのだった。
つづく
１３部
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