第４９話
「雷獣の国の王族？！」
王の間でヴィクターから話を聞いたラクシュミはかなり驚いていた。王の間には他にハインリヒがいる。
「王族が他の一族の指導をするなんて聞いた事がないぞ。しかも城には入らないとは、雷獣の王から抗議されたらどうする」
王族の客人は、普通は城に招くものである。城にも入れないなど、相手を軽んじているとみなされる恐れがある。雷獣の国王が知れば不快に思うことだろう。雷獣の国は蛇の国から離れていてお互いに争うことはないが、他国に恨まれることは避けるべきである。
「それが、城に入らないように命じたのはハロルド様らしく、本人は半分は聖地所属なので大丈夫だと言ってます。厚遇しなくてもよいと」
「ハロルド様……」
ラクシュミはハロルドの意図を理解した。どうやらその男をゆりに会わせたくないようだ。
「いい男なんですか？」
ハインリヒが聞いた。
「結構いい男ですね。人目を引くほど美形ってわけではないですが、人当たりがいい性格で、王族だからとこちらを見下すこともないです。子供の頃から聖地で過ごされたせいか、私の目から見ても変わってます。魔力は王族だけあって強めですよ。でも、国王の意向で聖地で剣聖の修行をされて、剣聖の称号はまだもらってないようですが、剣聖に一番近い男だそうです」
「剣聖って今もいるんですか。聞いたことがないからもういないと思ってました」
ハインリヒが驚いていた。
「前剣聖は、王妃が聖地で案内してもらったスペードさんみたいですよ。バートランド様はスペードさんの弟子みたいです」
「え」
これにはハインリヒもラクシュミも目を丸くしていた。
「スペードさんってそんなにすごい人だったんだ……」
「イシュタールが一番会いたいだろうになあ。入れ替わりとは残念だな」
ラクシュミが言った。
「確かに」
ヴィクターが笑っていた。
「しかし、ロイには一体どれだけの人間が関わっているんだろうな。最初私は、ロイはハロルド様の加護であれほど強くなっていたんだろうと思っていたが、違うようだ」
ラクシュミが考えながら言った。
「そうですね。ロイ様の魔力向上にはムサカ様の存在も大きそうですし、剣技に関してはハインリヒやカール、それにあのバートランド様、それから、以前ロイ様に稽古をつけてくださった神官のジー様、あの時からロイ様は積極的に剣の腕を磨きたいと思うようになりましたからね」
とヴィクター。
「ハロルド様は、どうしてロイ様を重点的に鍛えるように、とおっしゃったんでしょうかね」
ハインリヒはそこが疑問だった。
「さあ。まあ何にせよ、我らにはありがたいことではありますから」
「そうだな。神の考えは、我らに分かるはずもない。とにかく、バートランド殿に失礼がないように、皆に伝えておいてくれ」
「はい」
ヴィクターは出て行った。
「私は雷獣の一族の方と会うのは初めてですよ。しかも剣聖だなんて」
ハインリヒは興奮気味である。
「あの一族は雷魔法が得意なんですよね。そのため、ヒルデリア様をとても敬っていて、ヒルデリア様の大きな神殿もあるそうです。ヒルデリア様はとても雷獣が好きで、以前は自分の側にいつもお気に入りの雷獣を置いていたそうですよ」
「その話は聞いたことがある。雷獣は麒麟と並んで美しい生き物らしいな。私も彼に会ってみたいが……城には来られないのか。ゆりに会わなければいいと思うが」
「イシュタールには悪いが、会うのが楽しみですね」
ハインリヒはわくわく顔だった。
さて、バートランドに指名されたロイは、とっくにミカエルの屋敷にいてバートランドと対面していた。ロイもバートランドに興味津々だし、バートランドの方もそうである。
「大人かと思ったら、子供だったんだね」
「雷獣の一族の王族って本当なの？ それなのに僕に稽古をつけてくれるの？ すごいね」
ロイは人なつっこい笑顔でバートランドに好意を示していたので、バートランドの方も笑顔で応じていた。
「僕お兄さんのことをなんて呼んだらいいの？」
「ん？ そうだなあ……短い間だけど、し……」
「先生でいいんじゃないですか？」
ミカエルが言った。
「……そうだね。先生かな」
バートランドはちょっと残念そうである。
「先生はハートさんよりも強いの？」
ロイが無邪気に聞いた。
「ハートさん？ 妖精のハートさんのこと？ 彼に会ったことがあるの？」
バートランドは驚いていた。
「うん。前に一度会って、大人になったら稽古をつけてくれるんだって言ってたよ」
「え……」
バートランドはちらりとミカエルとフリットを見た。二人は詳しく知らないのか、そろって首を横に振っていた。
「そうなんだ。それは楽しみだね。ハートさんも強いよ。妖精の中では一番強いかもしれないなあ」
「スペードさんより強いんですか？」
ミカエルが聞いた。
「総合力ではハートさんの方が強いですよ。あの方は元々魔力が強いですからね。じゃあロイ君、明日から始めよう。明日からよろしく」
「はい、先生。じゃあさようなら」
ロイは瞬間移動で消えた。
「…………」
バートランドは考え込むように顎に指を当てていた。
「どうしました？」
ミカエルが聞いた。
「警戒心がない子供だなあと思って。王子は何人いるんですか？ どうしてあの子に重点的に教えろなんて言ったのかな？ 向こう側はなんか企んでる気配ですが」
「企んでるって、ハロルド様がですか？」
フリットが聞いた。
「すでにハートさんも彼に接触してるし、いかにも企んでそうですけど。もしかして次の剣聖にしようってわけでもないだろうし」
バートランドも蛇の国の一般的な知識は持っている。一族の総合力で順位をつけるとしたら、蛇の国は下の方で、王子を聖地に送る余裕はないはずだ。
（もっと暗い一族だと思っていたが、あの王子は明るそうだな）
「あなたのお父様は大事な王子をよく聖地に行かせましたね。力をつけさせるためですか？」
ミカエルが聞いた。
「ロマンのためですよ」
「ロマン？」
「剣技に長けた者にとっては、剣聖の称号って憧れなんですよね。俺の父もすっごく憧れていたみたいで、ある日聖地で剣聖の弟子が逃げたって聞いて、俺を行かせたいと思ったんです。母達を説得して、俺を聖地に送ったんですよ。俺は子供の頃からそういう素質があったみたいで、瞳も金色ではなかったから、行く事ができたんです。幸い兄が二人もいましたしね」
「ロマン……」
フリットがぼそりとつぶやいた。
「男のロマンらしいですよ。そのおかげで、俺はわりと自由にしてます。それで、王子は何人いるんですか？ せっかくだから、基礎訓練だけでも他の王子も参加しませんか？」
「いいんですか？ ではロイ様の兄のシス様もお願いします」
バートランドはミカエルの屋敷でとりあえず泊まることになった。
城では夕食時、ロイの話に皆興味津々だった。特にゆりは、バートランドの師匠がスペードだという所に一番興味を示している。
「フリットがそうだって言ってたよ」
「えーってことは、ロイは……スペード様の孫弟子！？ ロイすごい。がんばってね！」
ゆりは目を輝かせていた。
「スペードさんの孫弟子かあ、そう聞くとすごく感じるね」
とシス。
「母様よかったね。スペードさんにお手紙を書くきっかけができたね」
ナナミが微笑んで言い、ゆりは「うん」と言って、「なんでわかったの？」と聞いた。
「顔に出てるよ。私もバートランドさんに会いたい。お城には来ないの？」
「城には来られないんだって。母様は会えないね」
「う……良い男だった？」
蛇の目のゆりが聞いた。
「うん。多分」
「顔がみたーい」
蛇の目のゆりは残念そうだった。
その夜、ゆりは王の寝室でラクシュミと会った。
「王様は力でバートランドさんを見たの？」
「いや、見てない。面と向かって挨拶ができないのは残念だ。結構長くいてくれるようなのにな」
「イシュタールの代わりなんでしょう？ イシュタールの用事、随分長くかかるのね」
「そうだな」
「王様、バートランドさんのことはともかくとして、明日博物館に行きたいの。神様の手が一杯そろったから、そろったところがみたくて」
「開館前なら、明日の朝ハインリヒに連れて行ってもらえ」
「ありがとう」
ゆりは横からラクシュミに抱きついた。
「私は怖い」
ラクシュミがぼそりと言った。
「何が？」
「お前がいなかったらこの国はどうなっていたんだろうと考えると怖い」
ラクシュミは神妙な顔付きだった。
「王様ったら、そんなこと考えるだけ無駄よ」
ゆりは笑っている。
「無駄だが考えてしまうんだ。今この国が明るくなったのはお前のおかげだ」
「王様ががんばってるから、私も王様を幸せにしてあげたいって思ったの。王様に一杯家族を作ってあげることが、私の生きがいだから」
「生きがい？」
「うん。きっと私にしかできないことだったから。出産は大変だけど、その後の喜びには変えられない」
「ゆり、ありがとう」
ラクシュミはゆりの手を握りしめた。
「死ぬまでに、子供十人は余裕で突破できるような気がする」
ゆりが冗談でもなく言うと、ラクシュミは笑っていた。
ゆりは眠りについた。ラクシュミはゆりの寝顔を見ている。
「本当におかしな事だ。一族の女でもなかったお前に、守られているように感じるなんてな。今回も無事子供を産んで、元気になってくれ」
ラクシュミの脳裏から、いにしえの王ザクートの言葉が離れることはなかった。
翌朝、ゆりはハインリヒにつれて行ってもらい、博物館に行った。知らせが来ていたのか、博物館のカーテンは開けられている。
「こんなに神様の手がそろうなんて思ってなかったなあ」
ゆりは神様の手を眺めながら自分でも感心していた。最初は単なる思いつきだったが、これだけそろうと圧倒される。神々の石像が並んでいるのと同じくらいに素晴らしいとゆりは自分でも思っていた。
「圧巻だよね」
「そうですね」
「アリアス様とダーナ様は手じゃないけど、あの二人って似た者夫婦かも？」
「ところで、理想の手ってどういうことなんですか？」
ハインリヒがサントスの手の前で聞いた。
「理想は理想よ。うーん、確かにマリナール様の手って存在感があるわね。さすが海の王者って感じ」
さすがのハロルドの手もかすんでしまうほどだ。
「陸の王者の手はお願いしないんですか？」
ハインリヒが聞いた。
「アシュラン様？ アシュラン様にお願いはしたくない。面倒そうだから」
ゆりはずばっと言っていた。
「まあいいんじゃない？ なくて」
「はあ……」
「ロイはライオネル様の手が欲しいって言うんだけど、ライオネル様の手は毛がついてるから、手形をとってもらうのも大変だろうなあ」
「クーリーフン様の手もないですね」
「そうだね。クーリーフンはここのこと知っててくれないから、そういう気がないんじゃない？ まあいいわ。ガーベラの恋人のは全員そろったしね」
ゆりは満足そうだった。
「ラクア様の手もすごいな。永遠にこのままなのかしら」
「どうでしょうね。ところで、この場所、牧師さんによれば、教会並みに神聖な場所になってるみたいですよ」
「そうなんだ。そりゃそうかもね」
ゆりは笑っていた。
闘技場では、バートランドにロイ、シス、ナナミ、ラギが会いに来ていた。
「蛇の国にようこそ、シスです」
シスとロイは動きやすい格好でやってきている。
「僕はラギです。僕とシス兄さんは聖地に行ったとき、スペードさんに案内をしてもらったんですよ。すごく楽しかったです」
ラギが目を輝かせて言った。
「そうみたいですね」
「私はナナミです。長女のアナスターシャ姉様は今この場にはいないんですけど、私達は七人兄弟なんですよ。すごいでしょう」
「すごいね。王妃は何人いるのかな？」
「一人ですよ。一人で全員産んだの。だからすごいの」
「一人で？ そりゃすごい」
バートランドは驚いていた。バートランドは他のことでも驚いている。子供達にかなりの魔力のばらつきがあったが、ラギの魔力は王族にしてはかなり低かった。それなのに他の子と同じように並んでいたので驚いたのだ。
（普通は、魔力の低い王族を他の王族に紹介などはしないはずだが……この子も他の子と同じように周りは接しているということなんだろうな。意外だな）
バートランドは蛇の一族はもっと性格的に冷たい一族だと思っていた。男女の情も薄く、人同士のつながりもあまりないという噂を聞いていた。
（兄弟は仲が良さそうだ。この子を下に見ている感じもしないし、聖地では師匠も驚いたんじゃないかな？ 結構情が厚い一族じゃないか）
「先生、今日は何をするの？」
ロイが聞いた。
「まずは準備運動だよ。基礎体力がないと何もできないからね。午前中は運動。午後は、ここで大人を相手にするから見学して」
「はい」
「僕も見学していいですか？」
ラギが目を輝かせて聞いた。
「もちろんいいよ。見てなくていいですよ。子供相手も慣れてますから」
バートランドが横にいるミカエルに言った。
「ただ興味があるだけですよ。途中で消えますから」
「そうですか。じゃあ始めよう。怪我をしないように、よーく体をほぐそう」
シスとロイが参加して、ナナミは途中まで参加して消え、ラギは早々に見学に回っていた。
闘技場では今日は他に稽古をしている者はなく、バートランドの声だけが響いていた。ミカエルも途中から消えて、他の大人はいなくなってしまった。
（本当にいなくなった。見張りが誰もいないとは、信頼しすぎじゃないか？）
大事な王族を他の一族の者に預けて行ってしまうなんて、普通では考えられない。
（いくら神様の紹介っていったってなあ……あ、なんか見られてる？）
バートランドは空を向いて、頭を下げていた。
「今、気がつきましたな」
王の間でムサカが言った。ムサカは王の間で、ラクシュミやフレイ、ザメハと一緒に、バートランドの様子を宙に映してみていたのだった。
「さすが王族ですな」
とフレイ。
「体はそんなにごつくはないんだな。ロイだけではなく、大人の相手もしてくれるそうだ」
ラクシュミは、バートランドのことをもっとたくましい男だと思っていた。見た目はさほどではない。イシュタールの方が体格が良いくらいである。
「ありがたいですな」
ザメハが言った。戦士達の剣の稽古はハインリヒやカール達も参加はしているが、戦士の中で剣の達人を目指している者はそうはいない。強くなるに越したことはないが、どちらかというと剣よりも魔法が優先である。だからといって戦士というからには剣をないがしろにはできない。魔力は無尽蔵ではないのだから。それに接近戦ともなれば、武器の方が有利である。
「他の王族の方にこんなことを任せるのも情けない気はするが……まあいいか」
神の意向なのだから、ここはありがたく受けておこうとラクシュミは思っていた。教える者が不足しているのは事実なのである。
「代わりにあのようなすごい方をよこしてくださるとは、イシュタールはかなり重要な用であちらにいるようですね」
フレイが言った。
「そうなのだろうな」
闘技場では、ロイとシスは、準備運動をして、木刀の素振りをしていた。いつもやっている稽古とはさほど変わらないものである。午前中はそんな感じで終わった。ただの素振りといっても、木刀を百回も振れば、大人でも腕がかなり疲れるし、手に豆もできてしまう。
「手を見せて」
バートランドは子供達の手を軽く握った。
「？ え？ 回復魔法ですか？」
二人の手はキレイになっていた。
「そう。簡単な回復なら使えるんだ。疲れはとれないけどね」
「すごい」
「すごいですね」
子供達は尊敬の眼差しでバートランドを見ている。
「いやあ、それほどでも」
「こんにちは」
闘技場に男が現われてバートランドに近づいてきた。バートランドはその男の顔を見て、「わっ」と後ろに下がっている。
「顔になんかいますよ！」
「え、はい。私はカールといいます。手が空いたら是非お相手をお願いします」
カールはうれしそうな顔でバートランドに近づき、バートランドは後ろに下がっていた。
「どうかしましたか？」
「あなたの顔がどうかしてます」
「蛇の一族には肌に蛇がいるんです」
カールがにこやかに言った。
「え？ そうなの？ 君達にもいるの？」
バートランドが子供達を見た。
「いるよ」
二人は袖をめくってみせた。
「ほんとだ」
「雷獣の一族にはこういうのないんですか？」
シスが聞いた。
「あるよ。ところで、その蛇顔から出て来たりしないでしょうね」
「しないですよ」
「ならいいですが、俺は子供の頃蛇にかまれたことがあって、実は蛇が苦手なんです」
「それなのにこの国にいらしてくださったなんて……」
カールは感動するように言っていたが、バートランドは、「問答無用で命令されました」とぼそっと言っていた。
「大人の相手は午後にしようと思ってましたが、まあいいか。あなたはこの一族で剣の腕はどの程度ですか？」
バートランドがカールに聞いた。
「私の剣の腕は、まだまだたいしたことはないです」
カールはそう言っていたが、「この場合謙遜しちゃだめだよ。カールは上位ですよ」とシスが訂正した。
「そうですか。では純粋に剣だけで戦いましょう」
「はい！」
カールはすごくうれしそうだ。
「といっても、剣が刃こぼれしたらもったいないので、木刀でやりましょう。君達は離れて見てて」
シスとロイはラギの横に移動した。
「うわー楽しみだ！」
子供達はわくわくしている。
バートランドとカールはお辞儀をして向かい合った。
「では行きます」
カールの方が先に動いた。
闘技場に木刀がぶつかり合う音が響いた。カールもかなりの実力者だが、子供達の目から見ても、バートランドの剣の腕前は、やはり相当すごいと思えるほどだった。動きも機敏だし、無駄な動きがない。
「すごい……」
「楽しそうだね」
「うん」
木刀で打ち合っている二人は、楽しそうにも見えた。カールの木刀をバートランドが弾き飛ばし、打ち合いは終わった。
「ありがとうございます」
カールはお礼を言った。
「こちらこそ」
「先生はやっぱりすごいね！」
ロイが感動するように言っていた。
「ま、先生だからね」
「途中動きが速すぎて見えなかった」
「やっぱり剣の腕を上げるには運動能力をあげる必要がありますね」
シスはそう感じていた。体力がないと、剣を長い間振り回すこともできない。
「そうだね。体力は重要だよ。俺の師匠なんか、なにかというと走ってこいって言ってたよ。天気がいいから聖地一周してこいとか」
「聖地一周……」
聖地を旅行したラギとシスならば分かるが、島国といっても聖地はかなりの広さである。一周走ればどれほどの時間がかかるかわからない。
「それで弟子が何人も逃げたって話だ。おれはタフだったから残ったけどね。君達も早起きして走るといい。脚力も重要だから。毎日続けることが大事だ」
「はい」
シスは力なく答え、ロイは、「僕はカールと一緒に結構走ってます」と自慢げに言っていた。
ラギは二人の肩に手を当てて、「がんばって」と言っていたのだった。
午後は戦士達を十人ほど集めて、バートランドの大人向けの稽古が始まった。闘技場にはヴィラとハインリヒもやってきている。シス、ラギ、ロイも勉強のため見学していた。
「ヴィラはやらないの？」
シスが横にいるヴィラに聞いた。
「私は剣の方はあきらめてますので。ハインリヒ殿に任せますよ」
とヴィラ。
「じゃあ五人まとめてきていいですよ」
バートランドが促して、中級戦士が五人、木刀を持って次々と向かって行った。バートランドはどれも簡単にかわしている。しかもかなり余裕の様子である。
「もう一度」
バートランドは今度は木刀だけではなく、肘や足での攻撃も加えていた。
「早い。私でも勝てないな」
ハインリヒは少し見ただけであっさり言っていた。
「戦う前から諦めちゃだめですよ」
とヴィラ。
「相手は王族だから、負けても恥じゃない」
「ハインリヒが無理なら、うちの誰も先生に勝てないってこと？」
ロイが聞いた。
「まあ、そうですね」
「じゃあ、もし、先生が敵だったらどうやって戦うの？」
「もし敵だったら？ 毒で仕留めるしかないですね」
「……あ、そっか。なるほど」
ロイは納得していた。もし敵ならば、正攻法で戦う必要はないのである。
「もう一度」
バートランドは戦士達への対応の仕方をその都度変えていた。今度は全員の武器を奪ってほうりなげている。
「いい人ですね」
ヴィラはバートランドを見ながら言っていた。自分よりもかなり弱い相手にも、誠実に対応しているところはかなり好感が持てた。
「ロイ様、シス様、あのような方に相手をしていただけるなんて、幸運ですよ。普通は大金を払っても来ていただけないですから」
ヴィラが言った。
「うん」
「本当にそうだよね」
二人もそう思っているようだ。
城では、午後にはゆりも王の間に呼ばれて、バートランドの姿を見せてもらった。ゆりは大喜びである。
バートランドの相手はハインリヒに代わっていた。ハインリヒは先ほどの五人よりははるかにましにバートランドの相手をしていた。途中からハインリヒは両手で木刀を握り、二刀流で応戦していた。
「すごい……」
見学していただれもが息をのんで二人を見ていた。木刀での応酬は、バートランドがハインリヒの持っていた木刀をたたき落とし、バートランドの木刀がハインリヒののどもとに止まったところで終わった。
「参りました」
ハインリヒは降参していた。
「やはり強いですね」
「ずっとこんなことばかりやってましたからね」
城でその様子を見ていたゆりは、「あの人、大人になったロイに似てるね」と言った。
「そうか？」
とラクシュミ。
「強くて、優しくて、頼りになりそうで、やんちゃそう」
「確かにそうかもしれないですね」
フレイが同意した。
「大人になったロイか。懐かしいな……もう何年前の話になるんだ？」
「シス様が産まれる前ですから、３０年は前のことですな」
ザメハが答えた。
「もうそんなになるか」
ゆりはムサカに大人になったロイが以前この国にやってきたことを話した。
「そんなことが……未来の魔力で可能だったんですね」
ムサカはそこに驚いていた。時間を遡る術は、かなりの魔力を使う。ヴィラルージュにさえ高度な魔法だった。それを魔力が薄い未来で使うとなると、かなり大変なはずだ。
「それもそうですね」
ラクシュミはそこに初めて気がついていた。指摘されると確かにおかしい。未来でどうやってそんなに高度な魔法を使ったのだろうか。ロイは三度過去にやってきた。一度目はゆりが言った呪文にブレスレットが反応して扉が現われた。二度目の扉は見ていないが、三度目は未来からの扉が突然現われてロイがやってきた。未来で誰かが呪文を使ったのは確かなことである。
「一番可能性が高いのはミシェイラかな。魔力は一番高くなりそうだ」
「その謎解きはこれからですな」
とフレイ。
「そうだな」
ムサカは魔法を閉じた。
「雷獣の一族かあ。王様知ってる？ ヒルデリア様の神獣が雷獣なのよ」
ゆりはラクシュミに言った。
「知ってるぞ。今はもういないんだろう？」
「ううん。最近復活したのよ。ハロルド様もむっちゃ喜んでた。って噂を聞いた」
ゆりはムサカがいたのでそう言った。
「そうなのか」
ムサカは不思議そうにゆりを見ている。
「ジンラ様に聞いたんです。私は、ジンラ様の仮の恋人ですから」
「なるほど」
フレイとザメハは苦笑していた。
神の国である。
ハロルドがアシュランの間に行くと、アシュランは低いテーブルに載せた木箱に左手を突っ込んでいた。
「……何をしているんだ？」
ハロルドが聞いた。見たことがある木箱である。
「手形を取ろうと思って」
「……頼まれたのか？」
「いや。頼まれてない」
「？？？」
ハロルドはきょとんとした目をしている。
「あれだけずらっと神の手が並んでいるのに、私には面倒だから頼まないって言ってたんだぞ。ひどいと思わないか？」
「……そりゃまあ面倒だろう。どう考えても。面と向かって言われたのか？」
ハロルドは当然ゆりの顔を思い浮かべている。
「いや、言ってるのを偶然聞いてしまった」
「勝手に見るな」
「あそこの噂を聞いて、見てたら偶然聞いたんだ。本当に偶然」
「それで、手形をあげようと？」
「どうしようかな。ただの手形じゃ全然目立たないしなあ。純金で作るわけにもいかないし……いっそのこと一人だけ足型にした方が目立つかも」
ハロルドは、人間達がアシュランの足形にむらがっている様子を想像していた。笑いたいが笑っちゃいけない、そんな気分である。
「まーいいんじゃないか。それも」
「あー悩むな。気分転換に悩むには最適なくだらん悩みだ」
アシュランは自分で言っていた。
アシュランは楽しそうに悩んでいるので、ハロルドはそのまま去って行った。
どうやら蛇の国の博物館に、とんでもないものが加わることになりそうだ。
つづく
１３部
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