第51話
蛇の国の博物館になんと最高神アシュランの足型が来た。ゆりは新聞にも大きく出るだろうとは思っていたが、意外にも新聞の記事にはならなかった。
「そりゃそうだよ。アシュラン様のことを記事にするなんて恐れ多いよ！」
ラギはゆりにそう言った。
新聞には載らなくても、口づてに話は伝わっているらしい。連日早朝から人々が列を為しているようだ。凍死でもされるとシャレにならないので、朝６時から整理券を配られることになった。
新たな年が始まった。朝ちらほらと雪が降る日などがあっても、雪が積もるほどに降ることはまだない。
ゆりは侍女達に今年もお年玉を用意し、侍女達には喜ばれていた。
「今年は赤ちゃんがいっぱい産まれるよね。クロスは今年産まれるのかなあ」
シャナーンの初めての子供も今年産まれるのである。シャナーンの彼女が妊娠した当初は微妙な気持ちにもなったが、今は子供の顔を見るのが楽しみだ。
「そして、今年でなんとこの世界に来て４０年になるのよ。信じられないわ」
今年の10の月で４０年である。外見はまだ若いままなので全然実感はないが、それだけの月日が経ってしまった。
「まさかこんなに恋人ができるとは思わなかったな。そしてこんなに子供が産まれるとは……」
ゆり自身の子供は今年八人目が産まれるはずだし、ガーベラの時産まれた子供達はもうすでに結構な人数である。名前を覚えられないくらいだ。子供達の中では、アマンザにはゆりの正体が知られてしまった。
（アマンザは前からガーベラが二人いることに気がついていたもんね。私のことを知っても慕ってくれるなんて、アマンザってばかわいすぎるわ。またお話をしに行こう）
神の国ではサントスの子供もまだ会っていないし、ダーナの神殿にいるスライムのような不思議な神獣（？）も気になる。もちろんイシュタールのことも気になっている。
（でもまずは、アシュラン様にお礼を言いに行かなきゃだめかな。行きたくないわーでも神の国に行ったのにお礼もいいに行かないのがばれるとまずいかもしれない。やっぱり行かなきゃだめかな）
人々の反応もアシュランに対してはかなり違うのだ、ということをゆりは最近実感していた。
（そんな神様に度々頼み事をされる私は幸運なのかなんなのか、まあいいか。クーガ様とも今のところ順調だし。本当は、クーガ様も誰かと結婚して、子供とか作ってほしい。本人は子供はいらないって言ってるけど。普通の人と普通に付き合うってのはしたくないのかな）
自分のような孤独な者を生み出すことがクーガ自身には耐えられないことなのかもしれないが、ゆりとしては、もっとクーガにも生きている喜びを感じてほしいものである。ハザークや神々が子供と楽しそうに接している様を見ると、余計そう思えるのだった。
四日になり、羊の国から使者がやってきた。王女からゆりにお礼の品があるという。前回王女サンデリカからの手紙を読んだゆりは、ねぼすけに羊の国に行ってもらったことがあった。そのお礼である。王女からのお礼は、手編みのマフラーだった。
「まあ、ステキ！」
真っ白なマフラーには、端っこに黄色い蛇の模様もあった。
「ありがとう。大事にしますね。王女にもよろしく伝えてくださいね」
ゆりは喜んで使者の前でマフラーを首に巻いていた。
「王女も喜びますよ。喜んでいただきありがとうございます」
羊の使者も微笑んでいた。
ゆりは部屋に戻り、ミラに王女からもらったマフラーを見せた。
「これを王女様が？」
「よくできてるよね。しかも蛇の絵柄を入れてくれるなんて、かわいいよね。サンデリカちゃん、すっごくかわいい子なんだろうなあ」
ゆりは王女がマフラーを編む所を想像していた。
「売っているものではなく自分で編まれたとは、確かに、かわいい王女様ですね」
「おばあさまも今は元気になったようだし、よかったわ。ハザーク様にも見せてこようっと」
ゆりはマフラーを再び首に巻いて、ハザークに見せに行ったのだった。
蛇の国にバートランドがやってきて十日が過ぎた。バートランドはずっとミカエルの屋敷で寝泊まりしている。最もバートランドは食事と寝る時以外は屋敷から出ていることが多い。時々シスとラギが食事を一緒に食べにやってくるようになった。二人ともバートランドのことをすごく尊敬しているようだ。そしてドルイドも挨拶のようにバートランドに挑みかかってくる。バートランドもドルイドが気に入ったのか、ドルイドが来た時は一時間ばかり相手をすることがあった。
「ドルイド君は面白いですよね。時々子供らしからぬ目をするときがあるんですけど、小さい頃に何かあったとか？」
バートランドは一緒に夕食を食べていたミカエルに聞いた。
「えーと……ドルイドはかなり複雑な身の上でして、私から説明するとハインリヒに怒られそうなので、ハインリヒに聞いてください」
ミカエルはそう返した。実際説明するのも複雑すぎてうまく話せそうにない。
「そうですか、じゃあ今度ハインリヒさんに聞いてみよう。ところでさっき風の妖精が近づいてきて教えてくれたんですが、雷獣の国にアシュラン様の手形が来たらしいです」
「え？ アシュラン様の手形が？」
「この国に足が来て、うちの国には手が。さらにジンラ様の酒まで来たらしいんですよ。俺が帰る三の月まで残ってないだろうなあ」
バートランドは残念そうに言っていた。
「突然手形が贈られたんですか？」
「そうみたいですよ。なんでもヒルデリア様の神獣トルメンタが復活したとかで。国ではお祭りらしいです」
「金色の美しい雷獣なんですよね。雷獣ってみんな雷魔法とか使えるんですか？」
「使える雷獣もいますよ。雷獣の中でもランクがありまして、上のクラスだと結構すごいです。人の言葉もよく理解しますし、賢いですよ」
「へー」
「でも個体数はそんなにはいないですよ。我が一族も、数を守るのが最優先事項ですよ。俺も三の月だけは絶対国に帰るって約束なんです」
「恋人が待ちかねてるんでしょう。それとも妻ですか？」
「恋人です。雷獣の女は怒ると怖いですよ。ところで、シス君が、ハロルド様が王妃様の恋人だって言ってたんですけど、本当ですか？」
「え……」
ミカエルの頬が引きつっていた。
「それとも王妃様に妄想癖があるとか？」
「え、いえ、違います。ハロルド様はうちの王妃に……ぞっこんです」
「ぞっこん？」
バートランドは目をぱちくりさせている。
「だから、バートランドさんをうちの王妃に会わせたくなくて、城に行かないように言ったんだと思います」
「二人も言ってましたが、じゃあ、ラーズ様とオルガ様が王妃様の恋人というのは？」
「え……」
まさか二人がそこまで言ってしまったとはミカエルも思わなかった。
「三人の神が恋人っておかしくないですか？」
正確にはグレンも入れて四人である。
「うちの王妃は、楽しい人ですから。神様にとってはすごく珍しくて面白いらしくて、つい恋人になりたくなっちゃうみたいです」
ミカエルは引きつり笑いを浮かべながら言っていた。
「はあ……ちょっと想像できないですが」
「ですよね。想像できないですよね。でも妄想ではないですよ。シス様は王妃のことがすごく自慢なのでつい言ってしまったと思うんですが、他の戦士には言わないようにしてください。ジンラ様以外の神様のことは公にはしてないので」
「ジンラ様も王妃様の恋人なんですか？」
ここまでくるとバートランドにすればかなり嘘っぽい話である。
「いえ、ジンラ様は違います。いろいろ事情があって、ジンラ様の提案でそういう噂を流してるだけなんです。バートランドさんは聖地にいる時に神様と交流したりはしたんですか？」
ミカエルが話題を変えようと聞いた。
「交流というほどのものはないですが、ハロルド様はたまに見かけましたよ。女神に会いたかったんですが、女神はなかなか会えなかったなあ。残念ですが」
「そうですか」
（聖地より城の方が神様の発生率高くないか？）
などと思ったミカエルだった。
ミカエルは夕食後城に飛び、シスとラギとロイに「王妃と神様のことを他の人に言っちゃだめですよ」と叱っていた。
「ごめんよ。だって、母様は僕の自慢なんだもん」
とシス。
「自慢でもだめです」
「先生に母様のすごさを分かって欲しくて！」
「わかってもらってどうするんですか」
「だってさー」
シスは頬を膨らませている。
「一緒にいて思ったけど、神様が三人も恋人って嘘っぽい話だよね」
ラギが言っていた。
「四人じゃないの？ グレン様は？」
ロイが口を挟んだ。
「あ、そうだ。グレン様もいたよね。訂正しなきゃ」
とシス。
「しなくていいです。これ以上は言わないように。ほんとお願いしますよ」
「はーい」
三人は力の抜けた返事をしていた。
ミカエルはその後ゆりの部屋に行き、雷獣の国にアシュランの手形が来たことを話した。ついでにゆりはミカエルにひっついて気をもらっている。
「え？ すごいじゃない。私のアイディアで手形が世界に広がるなんて！」
ゆりは結構喜んでいた。
「うちに足をくれたのは、神様の手が一杯で目立たないからだと思う」
「そういうこと言っちゃだめですよ」
「言わないわよ。もしアシュラン様に会えたら、むちゃくちゃ喜んでる振りをしなきゃと思ってるよ」
「振りって王妃……」
「アシュラン様が参加してくれるのはうれしいんだけど、一般の人達がすごく熱狂してるみたいだから、他の神様の手が目立たないし、しばらくすれば落ち着くのかなあ。雷獣の国でも熱狂してるのかなあ」
ゆりは号泣している雷獣の国の人達を想像していた。
ミカエルはシスがバートランドに神々がゆりの恋人だとばらしてしまったことも話した。
「シスったら……バートランドさんも信じなかったでしょうに。誰が聞いても嘘っぽい話だわ」
ゆりは自分でもそう思っている。
「でも真実ですし、シス様や王妃が嘘つきだと思われるのも嫌なので、本当だと言っておきましたよ」
「私のことどんな美女だよって思ったんじゃない？」
「ワン」
犬のジロウがゆりの側で吠えていた。
「ジロウ君がハロルド様のことを証明してくれるみたいですよ」
ミカエルは笑っている。
「確かに、ジロウ君みたいな犬は人間界にはいないみたいだもんね」
「ワンワン」
ジロウは胸を張って座っていた。
夜になり、今夜は子供達の誰が寝室に来るのだろうと思っていると、なんとやってきたのはカールだった。
「王妃様、今夜は、私と過ごしてくれませんか？」
「カール……」
「あの、嫌ですか？」
「え？ 嫌じゃないよ。それで今夜はカーライル様は」
「いらっしゃいますよ。後で交代してほしいとのことです」
「いるのね。じゃあ私がカールはもーらい。儀式部屋に行きましょう」
蛇の目のゆりが出て来てカールに抱きついた。
「はい」
二人は儀式部屋の方へと移動した。
「ねえ、カールは、赤い月で過ごす女の子、決まった？」
「はい、なんとか決まりました」
「女の子の競争率すごかったんじゃない？」
「ある程度選んでいただいてから、面接しました」
「面接。ぷっ。カールってば真面目なんだから。じゃあ今夜は目一杯仲良くしましょう」
蛇の目のゆりは服を脱ぎ、カールにひっついて口づけたのだった。
「……王妃、おーうひ」
「んー……」
黒目のゆりが目を開けると、辺りは真っ暗だった。そして男がいる。
「王妃、このまま寝ないでくれ」
「えーと、カーライル様？」
「そう。私だ」
「なんか足元が暖かいです」
ゆりは布団にくるまっていた。
「カールが太陽の石をもってきたんだ。寒いからな」
「そうなんだ。おやすみなさい」
「寝るな。私はまだ何にもしてないんだからな」
「そうなんですか？ あっちの私といろいろしたかと思ってました」
「してない。邪険にすると王妃の分身に相手をしてもらうからな」
「うう……わかりましたよう」
カーライルの手がゆりの胸に触れてきた。
口づけをされながら胸に触れられていると、ゆりはそれだけで変な気分になってきた。
（カーライル様ってばテクニシャンすぎる。これが本当に素のカーライル様なのかとまだ疑ってるんだけど、やっぱり何かの魔法にかかってたりして）
なにせ前回そういうことがあったので、ゆりはその思いも捨てきれなかった。
結構良い気分になってきたところで、ゆりは何かを閃いていた。
「あ、そうだ。私すごいことを閃きました。カーライル様、私の頼みを聞いてほしいんですが」
ゆりはカーライルの両手を握りしめて言った。
「なんだ？」
「赤い月の先生になってほしいんです」
「誰の？ 王妃の？」
「私ではなく、一族の若者のですよ。私はこの世界に来た当初から思ってたんです。赤い月が、もっと楽しいものになってほしいって。大人になってすぐの若者達にとっては、赤い月って怖い物でもあるでしょう？ ヴィクター将軍がよく相談にのっているようなんですけど、カーライル様のような、女性のことをよく知っている方が男性陣に女性と仲良くする秘訣を話していただけると、女性にとってもいいと思うんです。ですから、赤い月に関しての授業の先生になってください。二の月が終わるまででいいですから」
「えーそんな恥ずかしい授業をするのはやだな」
カーライルはやっぱりいやそうだった。
「カーライル様しかいないんです。カーライル様が、い・ち・ば・ん・上手、だから」
ゆりは上手を強調して言った。
「え、そ、そうか？」
「はい。カーライル様は、女性が喜ぶつぼを心得ていらっしゃいますから、どうか、若者達を導いてあげてください。お願いします」
「うーん」
「カーライル様だって、一族の若者達を見てはがゆく思ってるでしょ？ お願いします。前戯のコツを教えてあげてください」
「それは恥ずかしすぎるんだが……ところで王妃は知らないだろうが、王妃と他の女性の性感帯は違うんだぞ」
「え？ そうなんですか？」
「男の性感帯も王妃は知らないだろう」
「下半身以外にあります？」
「ある。この前の儀式を見てて、王妃はそこは知らないんだろうなと感じた」
「え？ ちょ、どこです？ それ重要じゃないですか。今まで誰も何も教えてくれなかったですよ？」
ゆりはカーライルに覆い被さる勢いだった。昔、閨の授業をしてくれたヴィラにも聞いた覚えがない。男達を恋人にして随分経つのに、今更そんな話を聞くとは。
「ふふ、王妃と抱き合った後ならいくらでも教えてやるが」
カーライルは意地悪げに言っている。
「えー。いいですよ。他の人に聞きますから」
「多分知らないんじゃないか？」
「そんなことないでしょう。とりあえず、赤い月の先生の件はお願いしますよ。一族にとって子作りは重要なことですから、なんでしたら王様から直々に依頼してもらいますから」
「それをしたら王妃が何かしてくれるのか？」
「じゃあ、前払いで」
ゆりはカーライルの手を離して、ごそごそと布団の中にもぐっていた。
ゆりは口での奉仕を始めたのである。
「……う……うう……」
カーライルが達したところでゆりは布団から顔を出した。暗くてゆりには見えなかったが、カーライルの頬はほんのり赤くなっていた。
「……王妃、一つ聞くが、どうして儀式はああいう流れになったんだ？」
「え？ 口でのことですか？ 私がそうしたかったからそうなったんです」
今更恥ずかしがってもしょうがないのでゆりは正直に言った。
「私が気持ちよくなるだけじゃだめだし、かといって抱き合うのは抵抗があって」
「男がその行為を許すのは、よっぽど相手を信頼していないとできないことだ。たとえば、娼婦にそれを頼むってことは、普通の一族の男ならしない」
「そうなんですか？ どうして？」
「男にとってはそこは急所だからだ。歯は凶器にだってなるだろう。かまれて使えなくなったら、それこそ取り返しがつかないからな。王妃に奉仕させて自らの欲求を果たしながらも、実は男達は自分の心を王妃に捧げてしまっているということだ。普通に抱き合うだけだったなら、男達もそこまで王妃のことを愛しはしなかっただろう」
「……はあ……ぴんとこないですが」
「つまり、抱くよりすごいってことだ」
「抱くよりすごい……のかな？」
カーライルはゆりを抱きしめて、指を足の付け根にすべりこませていた。
「あ」
「やっぱり口でしながら自分でも感じてたんだな。もう指が奥まで入りそうだ」
「ちょ……あん……」
指で愛撫されてゆりはいってしまった。
（カーライル様の指技すごい。やはり先生になってほしい。女の子達のためにも）
朝自分の部屋に戻ってきたゆりは、カーライルから言われた言葉を思い返していた。
（歯は凶器になる。まあ確かにそうかも。思いっきりかまれちゃったら体が使えなくなっちゃうかもしれないんだもんね。私は知らず知らずの内に、彼らに心まで捧げさせてたのか。気づかなかった）
確かに、相手を信頼しきってないと、そういう行為を受け入れることはできないかもしれない、とゆりは今更思ったのだった。
ゆりは朝食後、ラクシュミに会いに行き、さっそくカーライルを先生にするように推薦した。
「一応そういう先生はいるが」
「もっと男女の仲に踏み込んだ先生が必要です。カーライル様は最適なんです」
「迷惑じゃないか？」
「三の月までですから、とりあえず、五回ほど、やってもらいましょう」
ラクシュミはカーライルに悪いと思っているのか躊躇していたが、ゆりが激推ししたために、それを了承し、ラクシュミに聞いたミカエルは、笑いながらも授業のチラシをすぐに作成した。それを５０歳前後のクラス向けの掲示板に貼った。定員三十名としていたのだが、
「すぐ枠がうまりました。初回分は朝一番の生徒が見てそれから５分で完売です」
ミカエルは王の間に来てラクシュミに報告していた。
「早いな。もううまったのか。さっきその話をした所なのに」
「あぶれた者たちが次はどうしても参加したいというので、２回目の授業分に回しました。２回目も完売です。50、60代ってそんなにいないんですけどね。普通の大人にも聞きたい者がいるみたいで。それから女性で授業を受けたいって者がいるんですが」
「女性陣は、ゆりにやらせたら喜ぶんじゃないか？」
ラクシュミは笑って言っていた。
「王妃の名前を出したら希望者が殺到するからだめですよ」
「学校でもそういう授業があるんだろう？ みな水蛇殿の授業に何を期待してるんだろうな」
ラクシュミは首をかしげている。
「内気な者だと誰かに相談なんてできないですからね。もしかしたら、一人で悩んでいる者もいるのかもしれません。こういう授業だと参加しやすいですし」
「そうか。ミルキダスも、昔はそういうタイプだったもんな」
「そうですね。今では別人ですが。そうだ、カーライル様に全く聞かずに予定を組んでしまったんで、今から報告してきます」
ミカエルは去って行った。
「ミルキダスか……まさかあんなに子供ができるとはな」
ゆりに会うまで、ミルキダスは暗い性格で、誰かと仲良く酒を飲むということもなかったようだ。誰かに赤い月の相談をすることなどできなかったのだろう。今のミルキダスも明るい方ではないが、顔付きはかなり穏やかになった。笑うこともあるし、仲間内で酒を飲んだりもしているようだ。子供ができる、というのは一族の男達にとっては大きなことだ。心の重荷から解放される。今は、ミルキダスにとって赤い月は義務ではなく、恋人との一時を楽しむ時間になっているのかもしれない。ミルキダスはゆりに出会って幸運だったが、世の中にはそういう女性に出会えず、ずっと赤い月がうまくいっていない男性もいるかもしれない。
「赤い月も、前ほど重い感じじゃなくなってきたな。それもゆりのおかげか」
離れた所で、番兵達がうなずいていたのだった。
ミカエルは、学校の校庭で若い大人向けに魔法の指導をしているカールの元に行った。カーライルはまだカールの中にいるようだ。そしてミカエルからその話を聞いたカーライルは、「五回もするのか」と面倒そうだった。
「一族の未来のためにありがとうございます」
ミカエルは笑顔でお礼を言った。
「お前達先輩が指導すべきだと思うが」
「もちろん相談にくればアドバイスはしてますよ。ですが、内気な者も多いんですよ。授業なら参加できるみたいなので」
「お前が教師をすればいいと思うが」
「カーライル様は王妃推薦ですから。王妃がそんなにカーライル様をいいと思ってるなんて、うらやましいです。私だって授業に参加したいくらいですよ」
ミカエルは心底うらやましそうに言っている。
「このやろうめ」
カーライルはぐちっと言っていた。
所変わって神の国である。ジンラのお酒の神殿にて、アマンザはつまらなさそうな顔付きだった。せっかくジンラがゆりを恋人にしたというのに、あれからジンラはゆりに会いに行く気配もなかった。
（お母さんに会いに行く時は僕もついて行こうと思ったのに！ 恋人ってほんとに噂だけじゃん。たまにくらい会ってほしいよ）
アマンザはゆりに会って話をしたりしてみたかったのだった。
「やはり、奥の手を使おう」
アマンザは妖精に「ちょっと出かける」と言って布袋を持って神殿を出て行った。
アマンザが数日前にクーリーフンに相談したところ、カサンドラの所にいる猫が、瞬間移動でよくゆりの部屋に飛んでいるという情報を聞くことができた。サントスも最近飛んでしまったようだ。
（僕も、猫に連れて行ってもらおう！）
アマンザは馬でカサンドラの神殿まで移動した。
カサンドラは織機で織物を織っていた。
「こんにちはカサンドラ様、今日は猫はいますか？」
「猫？ リーファのことか？ さあ、自由にあちこちうろついておるからな。私も居場所は分からないんだ」
「そうですか」
アマンザが神殿の外に出ると、少し離れた所を猫がとことこ歩いていた。金色の毛並みの猫なので、他の猫と間違いようがない。
「あ、いた。リーファ、待って」
「にゃーん？」
リーファは足を止めてくれた。
アマンザは周りを気にしながらひざをつき、小声で話しかけた。
「リーファって蛇の国にいる犬と親しいんだってね。今から会いに行く気ない？ 会いに行くなら僕も連れて行って」
リーファは首をかしげるようにしていたが、アマンザの膝の上にトンと乗っかった。
「行く？ ほんとに行く？ やった！」
アマンザはそのまま神の国から消えていた。
（やった。お母さんに会える！）
アマンザは喜んだが、移動した場所は、屋内ではなく、屋外だった。
だだっ広い場所で、金色の毛並みの犬が走り回り、子供が二人と大人もいた。
「？ どこだろう？」
「ワンワン！」
犬が猫に気がついてこちらに走ってきた。
「あ、アマンザ様？」
「アマンザ様だ」
子供達も近づいてきた。シスとロイである。一緒にこちらにやってきた大人は金髪の男である。
「アマンザ様、猫に移動させられちゃったんですか？」
ロイが聞いた。
「先生、アマンザ様ですよ」
シスはバートランドにアマンザを紹介していた。
「こんにちは、どうしてこちらにいらしたんですか？」
バートランドが聞いた。
「えーと、その……」
アマンザがちょっと困ったような顔をしていると、シスが、「お母さんに会いに来たんですか？」と聞いた。
アマンザは「お母さん」という言葉がわかったのか、うなずいている。
「僕が城に連れて行ってあげる。ちょっと行ってきます」
ロイがアマンザに触れてアマンザを城に連れて行った。
「ワンワン」
猫と犬はじゃれるように走り回っていた。バートランドは不思議そうな表情である。
「うちの母様もてるから、子供の神様も会いに来ちゃうんです」
シスは笑みを浮かべて説明した。他にどう説明すればいいかわからなかったようだ。
「子供にまで、すごいもてっぷりですね」
バートランドはシスに合わせるように言っていたが、内心不思議だったに違いない。
その頃ゆりは、別室でミルキダスといた。二人とも布団に入っていたが、ミルキダスだけ上半身裸にされている。
「あのね、ミルキダスの性感帯が知りたいの」
「え？ 性感帯？」
「うん、だからいろいろ触らせて」
ゆりは怪しい手つきでミルキダスの肌をいろいろ触っていた。ミルキダスは頬を赤くしたままされるがままである。
「どこだろう？ ここ気持ちいいって場所ない？」
「え……」
「胸はありきたりだしー」
「お、王妃……」
ゆりの両手がミルキダスの胸を触っていたので、ミルキダスはドキドキしている。
「それとも胸が気持ちいい？」
「王妃！」
ミルキダスがたまらずゆりを押し倒そうとした時、ロイから思念が来た。
「え？ アマンザ様が王妃に会いにいらしたみたいですよ」
「え？ アマンザ？」
ゆりはすぐに平常心に戻ってミルキダスから離れていた。
「アマンザがどうやってきたんだろう？ とりあえず、直接行くのはまずいわ」
ミルキダスはあわてて服を着て、ゆりを連れて別室から廊下に移動した。ゆりは廊下から部屋に入った。
「アマンザー！」
「お母さん！」
アマンザはゆりを見るとうれしそうな顔で近づいてきた。
「じゃあ僕戻るね」
ロイは消えた。
「一人できたの？」
「猫に連れてきてもらったんだ。違う場所に行っちゃったんだけど」
「今犬のジロウ君は外で遊んでるからね。ってことは、あの猫は、誰かの元に移動できるってこと？ まあ座って」
「うん」
アマンザはゆりの横に座った。
「僕、お母さんに会いたかったんだ。話がしたくて」
「アマンザ。かわいいんだから」
アマンザの好意にゆりは感動して涙ぐんでいた。人間の自分をこんなにも慕ってくれるなんて。
「お母さんは、ガーベラ母さんと匂いが似てますね」
「え？ そう？」
さっき妖しい雰囲気になったせいかもしれないので、ゆりはちょっとあせっていた。
「お酒をちょっともってきたよ」
アマンザは布袋の中から瓶を３つ出して机に置いていた。
「どうもありがとう。今猫ちゃんはジロウ君と遊んでるんでしょ？ ちゃんと城に来てくれるかしら」
「忘れられたらここに泊めてもらっちゃおうかな。なんて」
「ふふ。ジンラ様が心配しちゃうじゃない。ここに来るって誰かに言った？」
「誰にも言ってないです」
「アマンザが一人で神の国に帰ることはできるの？」
「僕はできないです。誰かに手伝ってもらわないと。まあ、いざとなったらクーリーフンが迎えに来てくれますよ」
「それもそうね。アマンザは最近面白いことあった？」
「あの猫もすごいけど、僕は断然リリーがかわいくて。リリーの尻尾の蛇達も僕にすごくなついてるんですよ」
「そうなんだ」
「リリーは日に日に大きくなっているんです。お酒を飲んで大きくなるから、面白くて」
「本当よね。お酒で成長するなんて面白いよね。あ、そうだ。サントス様の子供に会った？」
「会いましたよ。かわいい赤ちゃんですよ」
アマンザはうれしそうにゆりと会話し、夕方子供達が帰ってきた。
「母様、猫ちゃんどこかに行っちゃったよ。どうしよう」
シスが言った。
「あらら」
「ワンワン」
ジロウがアマンザに顔を寄せ、アマンザはジロウをなでなでした。アマンザはどうにかなると思っているのか焦る様子はない。
神の国では、カサンドラが神殿の中に入ってくるリーファをみかけた
「リーファ、アマンザが捜していたが、会ったか？」
「ニャ！」
リーファははっとした表情をし、消えた。
城では日が暮れて、リーファが再びゆりの部屋にやってきた。
「猫ちゃん、よかった」
「にゃーん」
リーファはぴょんとアマンザにとびつき、アマンザが抱っこした。
「それじゃあさようなら」
「さようなら！」
ゆりと子供達に見送られて、アマンザは消えた。
「猫ちゃん、アマンザを連れて帰るの忘れたことに気がついたのかしら。賢いわあ」
「アマンザ様、お母さんといてうれしそうだったね」
ラギが言った。ラギはラギでアマンザとお酒の話ができて喜んでいた。
「なんだか本当の兄弟の気分？」
とシス。
「そうだ。アマンザ様からいただいたお酒、先生に持って行ってあげなさいよ」
ゆりは一本ロイに渡した。
「うん。わかった！ あげてくる」
ロイはうれしそうに去って行った。
「ロイはすっかり先生に心酔しちゃってるみたいよ」
ナナミが言った。
「目標がいるなんていいことじゃない。ところで、明日も稽古はあるの？」
「ないよ。明日は姉様の誕生日だから」
「きっと盛大に祝ってもらってるんだろうね」
アナスターシャがいなくても、五日の誕生日は城でも街でもお祝いをすることになっている。
ロイからジンラのお酒をもらったバートランドは、ものすごく喜んだが、王妃様に対する疑問はさらに深まった。
バートランドはまた夕食時にミカエルに聞くことにした。
「あのー今日アマンザ様が王妃様に会いにいらしたようなんですが、どうしていらしたんでしょう？」
「え？ アマンザ様がいらしたんですか？」
ミカエルは知らなかったようだ。
「今日稽古中に突然猫と一緒にやってきたんですよ」
「そうなんですか」
ミカエルは別段驚きもせずにお酒を飲んでいる。
「子供の神様がなぜ来たんでしょう？」
「その猫、瞬間移動ができるみたいで、いろいろな神様を王妃の部屋に連れてきてるんですよ。それででしょう」
「なぜに王妃の部屋に？」
「犬のジロウ君が好きみたいです」
「ああ、今日も仲がよさげでした。あんな犬は初めてみましたよ」
バートランドは神の国の犬を見るのは初めてだった。そこらにいる犬とはまるで違い、人になついているしおとなしい。
「ハロルド様は王妃様のことが好きであの犬を贈ったんですね？ でもアマンザ様はわけがわからないです」
「ジンラ様経由でこの前知り合ったんですよ。それで遊びにきたんでしょう」
「はあ。遊びに……」
バートランドはいろいろ考えたが、それ以外のわけは見当たらなかった。
そして神の国では、うれしそうな顔でアマンザが神殿に戻ってきた。
「アマンザ、どこに行っていたんだ？」
ジンラに聞かれたアマンザは、「ちょっと冒険してました」と答えた。
「冒険？」
「はい。場所は秘密です」
アマンザはとにかくうれしそうだったので、ジンラはそれ以上聞かなかったのだった。
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