第54話
「一年に十日だけ夜空に浮かぶ赤い月、子作りに最も適した十日間、人間の本能かその間は興奮しやすく、異性と交わることは簡単である。普段その気が全くなくても大丈夫、いずれは本能が目覚めます」
などと学校の教科書には書かれているが、そう簡単にいけば世話はない。
「大人になったら女の子と仲良くできるんだ。早く大人になりたい！」
と言った男の子も中にはいる。キース将軍の息子セルジュなどはそうだった。
「前世の分も赤い月を堪能する！」
セルジュはものすごく大人になるのを楽しみにしている。前世では大人になってすぐくらいに死んでしまったために、赤い月をしっかりと楽しむこともできなかった。今世では、と期待している。
こういう子供もいるにはいるが、大人になると責任感というものがずっしりと肩に乗ってくる。一族繁栄のためには、人口増加が今も昔も最重要課題である。ここ４０年ほどで一族の重荷もいくらかましになってはいるが、緊張のあまり赤い月がうまくいかない者も結構いるようだ。赤い月の授業をしたカーライルは、ひしひしとそう感じていた。
「赤い月で興奮できないなんて、自分はおかしいのではないのだろうか？」
そう悩む者もいるようだ。そしてそういう者達は誰かに相談もできず、一人抱え込んで悩んでいる。
五回の授業を終えて、カーライルはこの日ゆりの部屋にやってきていた。
「お疲れ様でした。すっごく評判が良かったみたいですね。さすがカーライル様ですよ」
ゆりは満足そうだった。昼間だがゆりはベッドの上だった。
「王妃は体調がよくないようだな」
「お腹が膨らんできたんです。来月か再来月に出産になりそうですよ」
「そうか。楽しみだな」
今日カーライルはエルバートの体を借りてきていた。ゆりは久々にエルバートの顔を見たのでちょっとうれしい気分である。
「セリアはまだそうですか？」
セリアは今年妊娠三年目である。
「まだそうだが、食欲は今回も結構すごいようだ。今回は甘い物ではなく、肉が食いたくなるといって結構食べてる」
「へー。肉」
「それで授業のことなんだが、個別で相談されて、それでいろいろ赤い月の闇を知った。興奮剤の多用で、逆に全く興奮できなくなった者がいたんだ。ああいうものの多用はよくない。たまに飲むならよいだろうが。以前ラギにも言ったことがあるが、薬に依存するようになると困るからな。軽いハーブやアロマならいいのだが」
「ラギはカーライル様に怒られてから、興奮剤の開発はほどほどにしたみたいですよ。それほど切羽つまってる人もいるってことなんですね」
「そういうものも一人や二人ではないようだ。学校の方で注意を促すように言っておいた。それから面白いことを思いついた。朗読会だ」
「朗読会？」
「官能小説を男役と女役で読んでもらう。あの授業で興奮している者もいたからな。女性にはこういうのも面白いかと思って。急遽若い女性に集まってもらって実験的にしてみることにした。来年用に王妃も書いてみたらどうだ？」
「官能小説をですかあ？」
「王妃ならすごいのが書けそうじゃないか」
「書くとなると恥ずかしいですが。でも来年までならちょっと頑張ってみようかな」
「ところで、王妃的には男は誰の声が一番いいと思う？」
「恋人達の中でですか？ うーん……小説のジャンルにもよりますけど、シャナーンとかいいかも」
「シャナーンか。ミカエルと言うかと思ったが」
「ミカエルももちろんいいんですが、年下の男の子に溺愛される官能小説とかなら、シャナーンがいいかなって。まさか本人に頼まないですよね？」
「まさか、頼むわけない。それじゃ、ゆっくり休んでくれ」
カーライルはゆりの頬にキスして去って行った。
「エルバートにキスされたみたいでどきっとしちゃった。官能小説かあ……」
（やっぱり主役はガーベラ様？ それなら相手役は……ハロルドだと小説を書いたのがばれたら怒られそうだから、ばれても怒らないラーズにして……）
自分がガーベラになった時にラーズに愛される想像をしていたゆりは、ちょっと興奮していた。
「王妃、体調はどうですか？」
カールが部屋にやってきた。
「気をあげますね」
「どうもありがとう」
今はイシュタールがいないので、カールとムサカがこの時代にいてくれるのは、ゆりにとってとってもありがたいことだった。
（女王様、感謝します！）
カールはベッドにあがってゆりを抱きしめた。
「バートランド様に何度か相手をしていただいてるんですが、すごく良い方ですね。相手の弱点を素早く見抜く目をもっていらっしゃる。そしてその弱点を気づかせようとしてくださるんです」
「ロイが不意打ちで先生を攻撃してるみたいね。全部かわされてるみたいだけど、ロイもすごく楽しそうよ」
「ロイ様とドルイド様もですよ。暇があれば先生に指導をあおいでるみたいですよ」
「その上大人の相手もなんて先生もタフよね」
「本当に素晴らしい方だと思います。２の月の末には国に一度お帰りになるそうですが、どうやって帰られるんでしょうか」
「そうね。普通に帰ってたら赤い月に間に合わないもんね。もしかしたら、神様が迎えに来るのかもね」
（バートランドさんがすごいってことは、スペード様はさらにすごいってことよね。バートランドさんにスペード様との昔話とか聞きたい。会えないのが辛い！）
ゆりはバートランドの顔を魔法で見ることはできたのだが、面と向かって会うことは禁止されていた。自分でもしょうがないと思っていたが、いつか実際に会ってお礼を言いたいものである。
その頃シスとロイは山の中である。ドルイドも参加している。今日は山で敵と遭遇した場合どう戦うか、という授業をしていた。瞬間移動は禁止されて、ロイとシス、ドルイドは逃げ役、バートランドが追っている。三人が逃げて三十分ほどしてから、バートランドが山に入った。山の中では長い剣は不利である。そして火での攻撃も。三人は短剣を持っている。三十分の間が空いていたにもかかわらず、バートランドはすぐに三人に追いついてきたので、三人は攻撃に転じることにした。短剣での攻撃もバートランドは難なくかわし、ドルイドは魔法の弾をバートランドに放っていたが、バートランドはそれもよけていた。シスは魔法を使ってバートランドの体を動けなくした。ハインリヒに教えてもらった魔法である。
「おっ」
バートランドの足は止まっていた。
「成功した！ 今だよ」
ロイとドルイドは同時にバートランドに向かって行った。バートランドは足は止められていたが、手と上半身は動いていたので、両手で二人の手首をつかんでいた。
「いててて」
そうしているうちにシスの魔法の効果はなくなり、バートランドは二人の手首を離していた。
「くー悔しい！ シスにー体全部動けないようにしてくれないと」
ロイが口を尖らせていてシスに言っている。
「僕の魔法もまだまだだなあ」
シスは息を吐いている。
「三人の連携はよかったけどね。まだまだだね」
バートランドは笑っていた。
「先生は、実際に敵と戦うことはあるんですか？」
ドルイドが聞いた。聞いた話では、バートランドは子供の頃から大人になるまで聖地で修行をしている。その後は武者修行で外に出ていたようだ。
「あるよ。山賊やら盗賊やらの退治とか、たまに頼まれることがあってね。馬車の護衛もしたことがあるよ。ああいう輩はやっつけてもいなくならないんだよね」
「そうなんですか」
「できるだけいろいろな方法で戦えるようになろう。いくら魔法に特化していても、相手が魔法を封じてきたら戦えなくなってしまう。剣技にすぐれていても、剣がなければ戦えない。臨機応変に戦えるようになってほしい。君達は剣聖を目指すわけじゃないんだからね」
「はい」
三人は返事をした。
「楽しいです」
ドルイドは微笑んでいた。
（楽しい。この体には伸びしろがある。強くなりたい。もっと）
「ハインリヒさんに聞いたけど、君前世の記憶があるって本当なの？」
バートランドが聞いた。
「はい、前世では、ハインリヒにいじめられてました」
「え？」
「ハインリヒとカール、ムサカ様は過去の時代からいらした人なんです。ドルイドはその時代で亡くなった人なんですよ」
シスが説明した。
「へー転生してハインリヒさんの息子になったの？ びっくりだね」
「びっくりです。前世でいじめられた仕返しに、今世では反抗期にとことん反抗してやる予定です」
「ははは。なんだかすごいね。でも執念を感じるなあ」
「執念というか、愛だと思うけど」
とシス。
「父に対してじゃないですよ」
ドルイドがはっきりと言っていた。
夕方、北の国境付近にシャナーンがいた。今日は国境の外の見回りをして帰ってきた所である。そこにエルバートに入ったカーライルがやってきた。
「シャナーンちょっと話があるんだが」
「なんでしょうか？」
シャナーンはすぐにカーライルだと気がついたようだ。
「十八日の夕方、大人になってすぐの女の子を集めて官能小説の朗読会をやるんだ。男役として参加してほしい」
「はあ？ 何ですって？」
「目的は、女の子を興奮させることだ。赤い月前に少しでも興奮できたらそれが自信につながるからな。王妃に誰の声が一番好きかと聞いたらシャナーンと言ったのでシャナーンに頼むことにしたんだが、嫌ならしょうがない。カールに頼むかな」
「え、ちょ、ちょっと待ってください。今の王妃、からの言葉をもう一度お願いします」
シャナーンはぱっとカーライルの腕に触れていた。
「王妃に誰の声が一番好きかと聞いたら『シャナーン』と言ったんだ。シャナーンの声が一番ぐっとくるらしい。でも嫌ならいいんだぞ」
「嫌じゃないです。一族のためですから、やりますよ。女性は何人来るんですか？」
「二十人くらいかな」
「にじゅう……」
「当日はついたてを用意してお前達の姿は見えないようにするから」
「わかりました。では練習するのでその小説をください」
「後で屋敷に届けよう」
カーライルは去って行った。
（官能小説って……読んだことはないがどれほど際どい本なんだろう……）
シャナーンは少々不安だったが、カールにこの役を譲るわけにはいかなかった。
（恥ずかしいが、王妃のためだ。がんばろう）
夜シャナーンが屋敷に戻ると、本が一冊届けられていた。そして手紙も添えられていた。
「シャナーンは男の声だけでいい。王妃と一度練習したらどうだ？」
そう書かれていた。
「王妃と練習？ いいかも、明日王妃と練習しよう」
シャナーンは寝る前に本を読んでみた。「恋の手ほどき」という題名の本だが、内容は赤い月の男女のやりとりである。年下の男が憧れの女性と赤い月を過ごす話だった。シャナーンは本を読むだけで赤面した。
「これをみんなの前で……恥ずかしすぎる。だが王妃と練習はしたい。カール様には譲れない。絶対」
恥ずかしいながらもシャナーンは本を読みきったのだった。
この日は十五日である。ゆりは夜になるとクーガの元に飛んでいた。
「久しぶりですね。クーガ様」
「久しぶりですね」
冬なので、さすがにクーガは裸ではなかった。
「元気でしたか？」
「実はもう少しで出産しそうなんです。次の時は、もしかしたら体調不良でこられないかもしれないです」
「そうですか。出産の無事を祈ってますよ」
クーガはゆりを軽く抱きしめて言った。
「先日、サントス様がかわいらしい女の子を連れてきてくださったんですよ。もしかして……」
「私、まだその女の子は見ていないんです」
「それで、やっぱりあなたなんですか？」
「実はそうです」
「相変わらずすごいですね」
クーガは感嘆するばかりである。
「できたらクーガ様の子供もぽんと産みたいんですけど」
「遠慮します。なんか本当に産まれそうで怖いです」
「クーガ様は子供が不幸になると思ってるかもしれないですが、案外みんなに可愛がられて幸せに生きるかもしれないですよ。とりあえず、最高神の溺愛は決まってるようなものですし」
「それでも……」
「まあその話は置いておいて、愛し合いましょう。しばらく本体ではそういうこともできないだろうから」
「そうですね」
二人は抱き合った。
「霊体ちゃんも思う存分楽しませてあげてください」
「ぷ……愛してます」
二人の霊体が体から出て来た。
「言霊」という言葉があるが、「愛している」という言葉には、魔法がかかっていなくとも、その気になってしまう力があるのだろう。
「赤ちゃんが産まれたら教えてくださいね。見に行きたいので」
クーガがゆりを抱きしめて言った。
「わかりました。落ち着いたら連絡しますね。私は出産のベテランなので、心配しないでください。なにせ、七人も産んでるんですから」
ゆりは最後には笑ってそう言ったのだった。
次の日、シャナーンがゆりの部屋にやってきた。ゆりは今日も寝転んだり起きたりである。
「王妃、体調はどうですか？」
「平気よ。その本は？」
シャナーンが本を持っていたのでゆりが聞いた。
「あさって朗読会をすることになって、男のセリフを読んでほしいと頼まれたんです」
「え」
「それで、もしよかったら、王妃と練習したいなって思って」
「えーやる。やりたい。こっちに来て」
ゆりはベッドのにあがるように指示し、シャナーンがゆりの横に座った。
（カーライル様、シャナーンに頼むとは。女の子達喜んじゃうね）
「このこと彼女に言った？」
「いえ。言ってないです」
「聞きたいだろうなあ……どれどれ」
ゆりは本をめくり、セリフの部分を探した。
「あなたのような坊やが私と赤い月を過ごしたいですって？ ちゃんちゃらおかしいわね」
ゆりは小説のセリフを読んでみた。
「俺はあなたを愛しているんです。一目見たときから、あなたを愛する夢ばかりをみていた。どうか、赤い月を共に過ごしてください」
シャナーンがセリフを読んだ。
（シャナーンの俺呼び、新鮮だわ）
「そこまで言うなら試してあげるわ。初日に私の屋敷にいらっしゃいな」
「本当ですか？ 天にも昇る気持ちです」
そしていきなり赤い月当日に場面は移る。
「約束です。セリーヌさん、赤い月は夜空を照らしています。今夜は俺の愛がかなう日、そうでしょう？ この日を待ちわびていました」
「まあ坊やったら、とりあえず落ち着きなさい。まだ部屋に行ってもいないというのに」
「俺の体はもうあなたの柔肉に入り込みたいとすでに爆発しそうです。触ってみてください」
「まあ、坊やだと思ってあなどっていたらなんて猛々しい。ぶっ」
ゆりはつい笑っていた。
（なんて小説だ。これをシャナーンが女の子達の前で！？ まじで？）
シャナーンを見ると、顔が真っ赤だった。
（当日来る女の子達がうらやましい。シャナーンのこんなレアな所が見られるなんて！）
「シャナーン、当日って……どうやって読むの？」
「ついたてがあるみたいです。まあ私って丸わかりですが。この小説っておかしくないですか？」
「官能小説っぽいから、こんなもんかも」
「笑われないかとそっちも心配ですが」
ゆりは本のページをめくって濡れ場を読んでみた。
「ああ、そこよ。そこがいいのよ」
「ここですか？ ここがいいんですか？ ならもっとよがって声を聞かせてください」
シャナーンが続いた。
「ああ……いいっ！ シャナーン」
ゆりはシャナーンに抱きついて口づけていた。
これは女の子達も赤い月前に興奮しちゃいそうである。
官能小説の朗読会は、大人になって１０年以内の女の子達を集めて行われた。女の子達はそれがどんなものかさっぱりわからずに声をかけられて、夜更け頃、学校の教室に集まった。
教室にはアロマキャンドルがあちこちにおかれて、ちょっと幻想的でもあり、良い匂いも漂っていた。前面にはでかいついたてがある。
そしてついたての向こうに二人がやってきた。男はシャナーンで、女はカーライルが声をかけた娼館の女性である。
（え？ この気はシャナーン様？）
（まさか？）
シャナーンがいると気がついて、女の子達は落ち着きなくそわそわしだした。
「これより本の朗読会を始めます。どうかお静かに聞いてくださいね」
女性の声で教室はシーンと静まりかえった。
男が赤い月に年上の女性を誘い、女性がオーケーして自分の屋敷に誘った。それから際どいシーンが続くのだが、二人はかなり真剣にそのキャラを演じていた。
「ちょ、ちょっと待ちなさい。部屋まで我慢しなさいってば」
「我慢できないんです。はあ……早く……あなたを抱きたい……」
「しょうがないわね。こっちに来なさい」
「その前に口づけだけでも。いいでしょう」
「もう！」
女の子達は（男、部屋まで我慢しようよ）（そこで押し倒せ）などと思いながら聞いている。ようやく部屋まで行った二人は、結構な濡れ場を展開した。なにせ声がシャナーンだったので、女の子達の脳裏では、キャラの顔はシャナーンになっていた。
「ああ、そんなにされたらおかしくなってしまうわ。坊やのくせにこんなっ！」
「もう坊やじゃありませんよ。俺は、あなたを愛する一人の男です。明日もあさってもこんな風に愛し合いましょう。セリーヌさん。あなたも俺を好きだと言ってください。じゃないと、やめますよ？」
「やめちゃいや。好きよ。好きだからやめないで」
（おお−）
（すごっ！ シャナーン様すごっ！）
（今日来てよかったー！）
熱気に包まれて朗読会は終わった。シャナーンは終わるとさっと女性を連れて姿を消したのだった。
「ちょ……今の夢？」
「シャナーン様が！」
「耳が……耳が喜んでいる！」
「萌える！」
「体がぞくぞくする」
「これ、２回目ある？」
妖しい朗読会の噂は瞬く間に広がり、シャナーンの彼女達がシャナーンに詰め寄ることになった。
「私達も聞きたいです！」
「ひどいです。シャナーン様」
「大人になって間近の女性向けだったんだよ。だから」
「私達にも読んでください」
「お願いします」
四人は涙目でシャナーンに迫っていたので、シャナーンは仕方なくまた読むはめになったのだった。なぜそんなに聞きたがるのかシャナーンにはさっぱりわからない。
シャナーンの元にカーライルもやってきた。
「すごく好評だったぞ。２回目をやってほしいそうだが」
「えー……これっきりにしてほしいんですが」
「なら次はカールに」
「いや、ちょっ、やります。やりますよ」
シャナーンも引き受けるしかなかった。
「でも、もう他に若い女の子はそんなにいないでしょう？」
「今回の子達が絶対参加したいっていうから、人数を増やして三十人。これが本だ」
本には「恋のてほどき2」と書かれていた。なんと続編のようだ。
「二の月最終日にしよう。よろしく」
「はあ……」
続編は、二人の赤い月２年目の話で、年下の男に逆に翻弄される女という話だった。シャナーンの肩に手を乗せたのはエルバートだった。
「シャナーン、君はえらいよ。一族のために身を張ってるね」
「ある意味ね」
シャナーンはげんなりして答えたのだった。
二の月最終日の朝、ゆりの部屋に訪問者がやってきた。犬のジロウは尻尾がちぎれそうなほど振りまくっている。ハロルドである。
「ワンワン！」
ハロルドはジロウをなでて、ゆりに袋を渡した。
「会えてうれしいです。なあに？」
「ザクロだ。採ってきた」
「わあ、ありがとう！」
ゆりのお腹は少し膨らんでいる。
「お前なら大丈夫だと思うが、こっちでも元気に出産してくれ」
「はーい。もしかして、バートランドさんを連れて行くんですか？」
「そうだ。やつに会ってないだろうな」
「会ってないですよ。すごく良い人ですね。子供達はすごくなついてるんですよ」
「そうか」
ハロルドはジロウと同じようにゆりの頭もなでなでした。ゆりはその手を握って頬擦りしていた。
「あ、イシュタールは元気ですか？」
「元気だぞ。みんなとも仲良くやってる。こっちに来ても、あいつの邪魔はしないようにな」
「わかってますよ」
「じゃあな」
ハロルドは消えた。
「さようなら」
ゆりは何もない空間に言っていた。
ハロルドはバートランドを連れて蛇の国を出た。今日誰かが迎えに来ることは、風の妖精の伝言で知っていたのだった。
雷獣の国のバートランドの部屋についてから、ハロルドはすぐに行こうとしたのだが、バートランドは呼び止めていた。
「あの、ロイ君に何かあるんですか？ どうして彼を鍛えたいんですか？」
「あの子には私の加護があるからだ。近々戦わなければならない状況が来る」
「誰と戦うんですか？」
「魔物だ」
「ま……魔物！？」
バートランドはその言葉に心底驚いていた。
「魔物が人間界に多数やってくることがあるかもしれない。だから、今鍛えてほしいんだ」
「子供に戦わせるんですか？」
「もちろん、お前も戦うに決まってるだろう。だが、お前と聖地の連中だけで、この広い人間界を守ることはできない。何があるかわからないからな」
「そんなことがいつ起きるんです」
「近いうちに。詳しくは私達もわからんのだ。戦いの最前線は神の国の外れだ。スペードもハートもそっちで戦うから人間界の応援には来られない」
バートランドはつばを飲み込んでいた。近々、人間界にとんでもないことが起きそうだ。
「このことは、他には内緒にしといてくれ」
ハロルドはバートランドの肩に手をあてて姿を消した。
バートランドは今まで魔物を相手に戦ったことはなかった。それなのに、ロイを鍛えるのは魔物と戦わせるためだとは。加護があるといってもロイはまだ子供なのだ。
（魔物が人間界に多数やってくる？ まさかそんなことが起きるなんて……）
バートランドは心底不安に思ったが、その表情は消して、部屋からでていったのだった。
蛇の国城の北にある街にて、商店街を歩いていた占い屋のミケは、ミカエルが通りにいるのを見つけて近づいて行った。
「ミカエル様、こんにちは、ちょっと話があるんですが」
「よお、なんだ？」
「ここではちょっと。店にお願いします」
ミカエルは瞬間移動でミケの店に移動した。
「実は会いたかったんですよ。王妃様、最近具合が悪いですか？」
ミカエルはどきりとした顔をしたが、平常心に戻った。
「前の魔法でわかったのか？ 実は出産が近づいていて、体調が不安定なんだ」
「ああ、出産でですか」
ミケはちょっとほっとしていた。
「納得しました。ありがとうございます」
「そうか。じゃあな」
ミカエルは去って行った。
「出産かあ。そりゃ体調不良にもなるか。まあ、王妃様は出産に関しちゃベテランだもんな。大丈夫だよな」
安心したミケは、輝きが弱まった魔法の玉を眺めて言っていたのだった。
「王妃様を守ってほしい」
そういう依頼を受けたものの、王妃本人は城にいるのでミケが守ることもできない。せいぜい王妃の評判にケチがつきそうなことを阻止したりするくらいである。
「雇い主は一体どう思ってるのかねえ。聞いてみたいもんだがな」
いまだ雇い主は分からないのだった。
つづく
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