第58話
ゆりの出産から六日が経った。街の中はお祝いムードでセールが行われている。出産の翌日にはお酒も振る舞われた。
「八人なんてすごいわよねえ」
「お一人でお産みになったんだもんな」
「王妃様は本当にがんばられてるよな」
八人目の御子様は一体どんな風貌なのか、みんな興味津々である。
城の北にある街の裏通りにいるミケは、ようやくゆりの様態が安定してきたのでほっとしていた。ここ数日、ずっと魔法の玉を見続けている。魔法の玉は一定の輝きは維持していた。
「さーて俺はどうしようかなあ」
渡した魔道具は二度と戻ってくることはないだろう。もし返還を要求すれば命が危ない。なにせ、金を出せば買える物ではないのである。今でも魔法は使えるが、凄腕の敵相手にはかなわない。そこらのごろつきを相手にするのならば簡単だが、王妃を守るという仕事も、もう続けることはできないだろう。
「まあ、今までもあんまり守れてないけど。あれが役に立ったのなら、王妃様を殺そうとしたことはチャラでいいよな。これからはただの占い屋で生計を立てるしかねえのかなあ」
などと思っていると、店のベルが鳴った。今日は店は閉めている。札も出ているはずだが、ベルがもう一度鳴った。扉の横のガラス窓から外を見ると、そこにいたのはミカエルだった。
ミケは扉を開けた。
「こんにちは、ミカエル様」
「よお。すぐお礼を言えなくて悪かった。私もちょっと動けなくてな」
ミカエルが店に入りながら言った。
「いえ、ご子息が来てくれましたよ」
ゆりが出産して次の日、ミカエルの息子ラリーが訪ねてきて、ミカエルの代わりにお礼を言ってくれたのだった。
「ご子息はミカエル様にそっくりですね」
「そうだろ。ところで……お前、かしこまった服とか持ってる？」
ミカエルはミケの服を眺めながら言った。ミケは占い屋らしく、フードがついた黒いローブ状の服を着ていて、黒いズボンも穿いている。
「え？ かしこまった服？」
「そのままでもまあいいか。王様がお前に会ってくれるって」
「は！？」
「だから今から行こう」
ミカエルは店の鍵を勝手に閉めていた。
「今なんておっしゃいました？」
ミケはかなり困惑している。
「うちの王様がお前に会いたいって」
「冗談でしょう！」
「本気だよ。さあ行こう」
ミカエルはミケの肩に手を当てた。
（やべえ、殺される！！ 死にたくねえよーーーーーー！）
そう思いながら、ミケは移動させられたのだった。
目の前にでかい扉がとーんとあった。ミケの顔は青くなっている。
横には番兵が立っていて、ミケに軽く頭を下げたので、ミケも頭を下げた。
「勘弁してください。王様になんて会えませんよ」
ミケは早口でミカエルに言った。
「ここまで来て何を言ってるんだ。さあ行こう」
番兵が扉を開けて、ミケはミカエルに押されて中に入らされた。王の間の向こう側に王が座っている。ミケは後ろに下がろうとしてミカエルにまた押されていた。
「進んで進んで」
「無理だ。無理ですって。やめっ」
強引に王と三メートルほどの距離まで進まされた。ミケはもう観念して、その場に膝を突き、「この国で最も偉大な御方に御挨拶申し上げます」と頭を下げた。
「このたびは貴重な品を貸してくれたようで感謝する。本当にありがとう」
ラクシュミは座ったままミケに礼を言った。ミカエルが王の椅子の横の棚にあった物を持って来てミケに渡した。
「魔道具と、これはお礼の品だ」
「？」
ミカエルは二つをミケに押しつけた。お礼の品とやらは二十五センチほどの高さの長方形の木箱だった。魔道具は、ミケが二度目に渡したやつである。ミケが怪訝な目を向けると、ミカエルが「どうしたんだ？」と聞いた。
「まさか戻ってくるとは思わなかったので」
「返さないと思ったか？ 返したくないのはやまやまだが、人の好意を足蹴にはできないさ。せっかくだから王の顔をじっくり眺めていってくれ。我らが王は綺麗な方だろう？」
「は、はい」
ミケは思わずラクシュミの顔を見て、真っ赤になっていた。
「では王、彼を送ってきます」
「ああ、またな。ミケ」
「し、失礼します」
ミケは頭を下げて、王の間を出て行った。ミケの心臓はかなりの速さで脈打っている。
（名前を呼ばれた。王様に名前を呼ばれた！！）
ミケにすれば、かなりの衝撃だった。
王の間を出てから、ミカエルはミケを店に戻したのだった。
ミカエルが去った後もミケはしばらくぼんやりしていた。
今まで人を殺して礼を言われたことはあったが、助けて礼を言われた記憶がない。
（まさか王様が会ってくれるなんて……しかもお礼を言われた。さらに名前まで呼ばれた。銀色の髪で、綺麗な王様だったなあ）
ミケはもらった木箱を開けてみた。台座がある銀製のゴブレットで、葡萄の装飾があった。
「王様のファンになっちまったな。しかし本当にこれを返してくれるなんて、お人好しなのかなんなのか……」
ミケはかえってきた魔道具を首にかけ、「信じられん」と首をかしげていたのだった。
王の間にはハインリヒがやってきていた。
「あの魔道具、返してしまったんですね」
「返さないわけにはいかないさ。今回は様々な人が助けてくれた。人ではない方も。好意には感謝で返さなければな」
「そうですね。道具のために彼を殺すわけにはいかないですね。やっぱり」
ゆりの出産はアシュランも注目していた。ここで非道なことをすれば、後々神の寵愛を失う可能性もある。魔道具は欲しいが、ミケと仲良くなっておいて、もし必要な時が来たら魔道具を貸してもらう方がいいだろうと考えたのだった。
「道具より人の方が大事だ。ところで、ムサカ殿は何をしているんだ？」
「ぼちぼちうろうろしてるみたいですが、あちこちで黄色い声援が飛ぶんで困ってるみたいです」
「そりゃ黄色い声援も飛ぶだろう。ゆりがまだ会えてないって言ってたぞ」
「王妃に会うのは恥ずかしいみたいです」
その頃、ゆりの寝室に男達がやってきていた。イシュタール、カール、ハインリヒ、ミカエル以外の男達である。それぞれ顔色が悪く元気もなかった。理由はゆりの出産で気を与えただけではないようだ。
「王妃、元気になって本当によかったです」
ジュノーが起き上がってるゆりを見て泣いていた。つられてミルキダスも泣いている。
「みんなその顔はなんなの？ クロスの子蛇のことを気にしてるの？ ああなるなんて誰もわからなかったんだから。責任を感じなくていいのよ」
「…………」
「言いたいことがあれば言って。フリット」
ゆりは一番顔色が悪いフリットに聞いた。
「私のわがままが王妃を危険にさらしたんです」
「私だって、みんなの子蛇を産んであげたかったよ。それは私のわがままでもあるし。私は、みんなの子供が産んであげられないから、代わりに子蛇がほしかった。みんなのことが好きだから。だから気に病まないで。ただ喜んでよ。私もこうして無事なんだから」
「ですが……」
「喜んであげないとクロスがかわいそうでしょ。この蛇が王妃を苦しめたんだ。とかいう目で今後子蛇を見る気なの？」
「…………」
「きっと、私の金蛇の子は、あの子蛇ちゃん達で最後だよ。金蛇達もがんばったんだよ。だから褒めてあげてほしい。子蛇達を、喜んでかわいがってあげてほしい」
「うう……」
ミルキダスとシャナーンは感極まって泣いていた。
「そうですね。王妃」
ヴィラが泣きながら言った。
「喜んでいいんですね」
フリットの言葉に、「もちろん」とゆりが笑顔で言った。
遅れてハインリヒとミカエル、イシュタールがやってきた。
「王妃、夕方部屋でお祝いをしてもいいですか？」
ハインリヒが聞いた。
「もちろんいいよ」
「皆さん、祝いましょう。王妃と我らの蛇が起こした二度目の奇跡に感謝して。おそらくはもう二度と、こんな奇跡は起きません」
「……そうだな。祝おう。心の底から喜ぼう」
ミカエルが言って、イシュタールも瞳をうるませてうなずいた。フリットは泣きながらゆりを抱き締めた。ゆりはフリットの背中をなでた。続いてヴィラがゆりを抱き締めた。ゆりは男達全員と抱き合った。
「王妃……」
「そうだ。私まだヴィラとシャナーンの子供見てない。近いうちに連れてきてね」
「はい」
ゆりは夕方のパーティーまで休むことにした。ゆりの体調は一時に比べたらかなりましになっているが、まだ歩き回れるほどではなかった。部屋の中を歩くくらいで、部屋の外は誰かに連れて行ってもらっている。
「あ、そうだ。パーティーにムサカさんは来てくれないかなあ」
「王妃は絶対ムサカ様にほれちゃいそうですよ」
とハインリヒ。
「ハインリヒより若返ったって本当？ 早く会いたいなあ」
ゆりの左目は蛇の目になっていた。
ゆりの部屋で急遽パーティーが開かれることになったので、侍女たちはテーブルや椅子を運んで来たり、花を飾ったりしていた。男たちはゆりの部屋からいなくなっている。
「お母さん、パーティーここでやるの？」
ラギがやってきてゆりに聞いた。
「うん。私はまだ本調子じゃないから、部屋の方がうれしいな」
「僕らも来ていいよね？」
「もちろん。適当に声をかけといてよ」
「わかった」
ナナミがクロスを連れてきてくれた。クロスはゆりの横にごろんと寝転ばされた。
「あうー」
「よしよし」
ゆりはクロスの髪をなでなでした。クロスの手足はむっちりしている。侍女によると、よくミルクを飲むようだ。
「あー私があと３０年早く生まれていたらなあ。ムサカさんの子供が産みたい！」
ナナミの言葉にゆりはぶっと吹いていた。
「ムサカさんの子供、絶対に超すごいよ。でもさ、ムサカさんこっちに来てどんどん若くなってるけど、帰る時には赤ちゃんになってたりして」
ナナミは言いながら笑っていた。
「ははは。ないとは言えないところが怖い」
「父様がさ、母様に関わるといつの間にか奇想天外なことが起きるんだけど、ついにムサカさんも巻き込まれたって言ってた。母様ってやっぱりすごいね。所でハロルド様遅くない？ いつ来るんだろう？」
「さあねえ」
「もしかしてもういらしたの？」
「ううん」
「楽しみだねえ」
とラギ。
「私たちも会えるかな？」
ナナミがラギに聞いた。
「会えないけど、楽しみじゃん」
「やっぱ会えないか」
などと言っていたら、「こんにちは」と壁からすり抜けてクーリーフンが入って来た。
「うわっ！」
「わっ！」
と二人は驚いている。
「顔色がいいみたいだね。よかった」
クーリーフンはゆりの顔を見て言った。
「一番はクーなの？ ミシェイラを呼んでくる」
ナナミはすっ飛んで行った。
「こんにちは」
ラギはうれしそうな顔で挨拶した。部屋の方で準備をしていた侍女三人が遠慮がちに寝室の入り口からこちらを眺めている。ゆりはクーリーフンに再び逢えたことがうれしくて、涙ぐんでいた。
「こんにちは、この前のと同じ実を持って来たよ」
クーリーフンは小さい袋をゆりに渡した。中を開けると、赤い小さい実がたくさん入っていた。
「ありがとう！」
「そのアカムクの実、うちでも栽培できればいいのになあ」
ラギが言った。
「これは今僕が採ってきたんだ。獏の国では、大きい湖の側にいっぱい生えてたよ。女の子に手伝ってもらったんだよ」
「女の子も喜んだでしょう」
「今度苗木をもらってきてあげるよ。根付くかどうかはわからないけど」
「本当ですか？ ありがとうございます」
ラギがうれしそうにお礼を言った。
ミシェイラとレーヌ、ナナミがやってきた。
「わーいクーだ！」
「こんにちは」
ミシェイラはぴょんとクーリーフンに飛びつき、クーリーフンはミシェイラを抱っこしていた。
「弟ができたね。よかったね」
「うん！」
「それでさ、明日の夜、遅くない時間にハロルド達が来るよ。それを言いに来たんだ」
クーリーフンはミシェイラを降ろした。ミシェイラとレーヌはクーリーフンにひっつき、クーリーフンはレーヌをなでなでした。
「ワンワン」
ハロルドという言葉にジロウが反応していた。
「明日、私だけの方がいいですかね」
とゆり。
「うん。その方がいいね。君達には悪いけど我慢してね」
クーリーフンが子供達を見て言った。
「ミーはクーに逢えたから平気」
「それじゃね」
クーリーフンは手を振って去って行った。
「マー明日楽しみだね」
「ね」
ミシェイラとレーヌがゆりに言った。
「うん。とりあえずは、今日のパーティーね」
「ああ、幸せ」
「目の保養」
「神よ、感謝します！」
クーリーフンを見ることができた侍女達は、大喜びで再びパーティーの準備に戻ったのだった。
夕方、ゆりの部屋にお酒や食べ物が一杯並べられて、男達がそろい、パーティーが始まった。ゆりは着替えてソファに座っている。主役のクロスはベビーベッドに乗せられていたが、すっかり眠っていた。
「王妃、かなり顔色がよくなってきたな。よかった」
今日はカーライルはカールと一緒にいた。
「はい。結構楽になってきましたよ」
男達に子供達もやってきたが、ムサカはまだだった。
「ムサカさんは来てくれないのかなあ。いつ顔を見せてくれるんだろう？」
「ムサカ様はすごく恥ずかしいみたいですよ」
とハインリヒ。
「王妃に会うと食べられると思ってるんですよ。きっと」
ミカエルが笑いながら言った。
「まだそういう元気はないもーん。王様はムサカさんが過去に帰りたくなるんじゃないかってびびってたよ。こっちじゃ赤い月を過ごせる女性がいないし」
「あと８年くらい我慢すればよりどりみどりですから。もうちょっと我慢してもらいましょう」
とハインリヒ。
ムサカの生殖機能が復活したかどうかは謎だが、もしまだだめだったら、そこは愛欲の女神に頼んでみようとハインリヒは思っていた。
子供達の話題になった。男達の子供もたくさんできた。シャナーンには初めての子供ができて、ヴィラには二人目が。イシュタールの子供はもうすぐ産まれる。
「我々は王妃に出会えて幸せですよ。王妃のおかげで、子供ができたようなものですから」
ヴィラがしみじみと言った。
「みんなががんばったからでしょ。将来誰の子供達がくっつくとか、楽しみだよね」
「クーンクーン」
ジロウがゆりの手をぺろぺろなめていた。
「そろそろ寝ときなさいって？ フリット、気をちょうだい」
「はい」
フリットはゆりを抱き上げて寝室に運び、しばし寄り添ったのだった。
聖地にて、夕方、クーガの元に蛇の国からの手紙が届いた。ゆりはシスに代理で手紙を書いてもらい、ラクシュミに頼んで魔法で聖地に送ってもらったのだ。クーガはゆりからの手紙を受け取ると、すぐに部屋に飛んで開いた。手紙は２通あった。もう１通は王からの手紙のようだ。
クーガはゆりからの手紙を読んだ。
「クーガ様、無事子供が産まれました。私は元気ですよ。子供が増えて、ますますお城の中は賑やかになります。これから楽しみです。手紙は代理でシスに書いてもらいました。ゆり」
と手紙には書かれていた。
「……王妃様……」
クーガは沈痛な面持ちだった。ゆりが大変だったことを、すでにクーガは知っていた。
今日の昼間、聖地の商店街で、クーガは偶然人になって買い物をしているグレンに出会ったのである。
グレンはちょっと悩んだ様子だったが、クーガにゆりのことを話したのだった。ゆりはいつでも元気に出産しそうなイメージだったので、クーガはかなり驚いた。グレンはアシュランがかなり助けてくれたと強調し、今は安定しているから大丈夫だと言って、クーガと別れたのだった。
クーガはすぐにゆりに会いに行きたかったが、取り乱しそうな気がして行けなかった。弱り切っているゆりを見たくなかった。とりあえず、ゆりからの手紙を待とうと思っていた。
「本当に無事でよかった」
クーガは次にラクシュミからの手紙を開封して読んだ。
「え？」
ラクシュミからの手紙には、意外なことが書かれていたのだった。
つづく
１３部
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