第61話
ゆりが出産してから一月が経過した。今のところ、クロスは順調に育っている。へびっちが毎日のようにやってきてクロスのお世話をしているので、クロスもへびっちに抱っこされるとうれしそうに笑っている。
ゆりの体調もかなり元に戻ってきた。これも様々な差し入れのおかげであろう。だが、ゆりは新たな危機に瀕してもいた。
「どうしよう……明らかに太ったよね。私」
滋養強壮にいいものばかりを食べ続け、食っちゃ寝生活を送っていたら、体重がかなり増えていた。体重計がないので定かではないが、鏡でみる限り、結構太ったような気がする。
「まだ全然ですよ」
「そうですよ。あの時に比べれば全然ですよ」
部屋にいたミカエルとヴィラが言った。二人は今日も差し入れを持って来ていた。果物やらお菓子やらである。男達はここに来るたびにいろいろなものをゆりに持って来てくれて、ゆりもついそれらを食べていた。「早く元気になってください」と言われ続けて、今では元気になりすぎているかもしれない。庭園を散歩するくらいはできるようになったが、あまり長時間は歩いてはいない。医師のフレイにも、まだあまり歩き回らないようにと言われている。
「王妃、あーん」
ミカエルはフォークにさしたりんごをゆりの口元に寄せていた。ゆりはシャリシャリりんごを食べながら、「あごが二重になってきたんだけど……」とぼそりと言っていた。
「気のせいですよ。前のようにすぐに元に戻りますから」
「そうかなあ」
「そうそう。このクッキーを見てください。王妃が前に焼いた蛇クッキーみたいでしょ。蛇の形のクッキーを焼いてもらったんですよ」
「え？ そうなの？ 街で流行るかな」
「流行りますよ」
クッキーは確かに蛇の形をしていてかわいかった。ゆりはついクッキーを食べている。その様子をヴィラも微笑ましげに見ていたが、実は男達によって「王妃を太らそう計画」が実行されていた。
それでなくともゆりはちょっとぽっちゃりしてきていたので、ミカエルが、「そうだ。このまま王妃を太らそう。あの姿になれば、絶対あの男に会いたいと思わないはず」と言い出したのだった。「あの姿」とはゆりがラギを産んだ時のことを言っている。ハインリヒとカールはその姿を知らない。「あの男」とはもちろんスペードのことである。
「あまり運動できない今がチャンスだ」
ミカエルは男達に、「王妃に会うときは必ず手土産に食べ物を持って行くように」と伝えて、男達はそうしていたのだった。ゆりはミカエルの思惑通り、順調に太っている。
ゆりがちょっとにやついているヴィラに目を向けた。
「やっぱり太ったって思ってる？」
「全然思ってないですよ。おいしそうに食べている王妃をみると、幸せを感じます」
「そーおー？ ところでさ、最近みんなの蛇さん達に会ってない。ミカミカに会いたいー」
「王妃が死にかけたのがショックだったみたいで、みんなの蛇が引っ込んじゃいましたよ」
とミカエル。
「えー！ そんな。せっかくみんなの子供を産んだんだから、ありがとう。好きだよ。くらい言ってくれてもいいじゃない」
「ありがとう。好きだよ」
ミカエルがゆりの手を握りしめて言った。
「ミカミカに言ってほしいの」
「ミカミカのことはもう忘れてください」
「やだー」
ゆりはミカエルの体を揺すっていた。
「ところで王妃、産後ムサカ様には会えたんですか？」
ヴィラが聞いた。
「ううん。侍女の話では、ムサカさん、私が寝てる間にお見舞いに来てくれてたみたい。太っちゃったから会いに行くのもなんかやだし、感謝の言葉は手紙で渡したの」
「同じ城にいるのに」
ヴィラはぷっと笑っていた。
「だって、ムサカさんも私を避けているようだし……もしかしたら怒ってるかも？ 若くなっても喜んでないっぽいじゃない」
「確かに喜んではいらっしゃらないですが、王妃に怒ってはいないですよ。それに王妃が若返らせたわけじゃないですし」
「怒ってないならいいんだけどね」
ゆりはしゃべりながらもりんごを食べている。
ゆりの左目が蛇の目になった。
「ねえ、あのさ、太らそうとしてない？」
蛇の目のゆりは二人にずばり聞いた。
「まさか、そんなことないですよ」
ミカエルが笑って言った。
「そうですよ」
とヴィラ。
「そう？ みんな毎回食べ物持ってきてくれるのはいいけど、こう食べ物責めだと太る一方なんだけど」
「食べれるってのは元気な証拠ですから、どんどん食べてください」
ミカエルは笑顔で言っていた。
二人は去って行き、入れ替わりでエルバートがやってきた。
「王妃、セリアさんが今はまってるパンを持ってきました。すっごくおいしいんですよ」
エルバートは中性的な綺麗な顔で微笑みながら、ゆりに紙袋を渡していた。
「ありがとう」
紙袋を開けると甘い匂いがした。丸パンの上にはたっぷり砂糖がかかっている。ゆりは欲望を抑えられずにパンを一つ手に取り、口に入れた。パンの中にはくるみが入っている。パンの外側はパリパリで、中身はふんわり柔らかい。
「おいしい！」
「よかった。セリアさんはこのパン十個くらい平気で食べるんで、買いに行く時は朝一番に行くんですよ」
「そうなんだ。今回は食事制限は言われてないの？」
「言われてますよ。あんなにおいしそうに食べているのに、セリアさんがかわいそうで……朝食はたくさん食べてもいいって言われたので、このパンを朝食に食べてます」
「そうなんだ」
「毎日はだめって言われましたが。王妃が元気そうでうれしいです。ではまた来ますね」
「ありがとうね」
エルバートは去って行った。
「相変わらず爽やかな顔立ち。もうすぐエルの子供ができるんだよね。それも楽しみ」
紙袋の中にパンはあと四個入っていた。
「もうやめておこう……でももう一個くらいなら……」
ゆりがもう一個パンを食べようかどうしようか悩んでいると、ジュノーがやってきた。
「今流行ってるパンを買ってきましたよ」
「さらにパン！？」
お見舞い食べ物攻撃は続いたのだった。
そんなこんなで十五日がやってきた。ゆりはクーガに会えるかどうかドキドキしながらベッドに寝転んだ。
リーンと鈴の音が聞こえて、ゆりはクーガの部屋に飛んだのだった。
「クーガ様！」
「今日は無理かと思ってましたよ」
クーガはうれしそうだった。
「体調はどうですか？」
「もうすっかり元気ですよ」
「それはよかった」
クーガはガーベラ姿のゆりを軽く抱きしめた。
ゆりは微笑んで、クーガの手を握りしめた。
「クーガ様、今日は私の頼みを聞いて欲しいんです」
「なんですか？」
クーガはゆりの体を離して聞いた。
「あの言葉は、今日は言わないでください」
「あの言葉？」
「恋人同士がよく言うあれです」
「ああ、あ――」
ゆりはあわててクーガの口をふさいでいた。
「それを言っちゃいけません」
「どうしてですか？」
「どうしてもです。もし言われたら、クーガ様に二度と会えないかも知れません」
「理由が気になります」
「霊体ちゃん、今日は休みたいって言ってるんで」
クーガはじーとゆりを見ている。
「本当ですって」
「でも私の霊体がさびしがってますし」
「私に会えてるんで大丈夫ですよ。ぜったいに言っちゃだめですよ？」
クーガがうなずいたのでゆりが手を離した。
「愛してます」
クーガはむちゃくちゃ早口で言ってしまった。
「あー！ クーガ様ひどい！」
ゆりはクーガの目を両手で塞いでいた。
「見ちゃ行けません」
「一体何があったんです？」
「見たら私のことを好きじゃなくなるかもしれないですから」
クーガはゆりのわきをくすぐり、ゆりがクーガから手を離した。
「もークーガ様ったらひどい」
ゆりは泣き顔で口を尖らせている。クーガはゆりの霊体を見てきょとんとした顔をした。
「いつもと変わらないですが」
「え？ ほんとですか？」
「はい。変わらないですよ？」
「？？」
ゆりはきょろきょろ周りを見たが、ゆりに霊体はやはり見えていない。
「太ってないです？」
「太ってないですよ」
「本当ですか？ それならいいんですが」
ゆりは首をかしげていた。
「もしかして太ったんですか？」
「結構太っちゃったんです。だから、見られたくなくて」
「霊体は太ってないみたいですよ」
「そうなんですか？ よかったあ。霊体ちゃんは太らないなんていいなあ」
ゆりは心底ほっとしていたが、クーガにはゆりの太った姿が見えていた。だが、お見舞いに行ったときの弱々しい姿よりは、こっちの方がまだましだとも思っていた。
「でも、クーガ様の霊体、何もしてないんじゃないですか？ いつも速攻で押し倒してるじゃないですか」
「今日は再びあなたに会えたことがうれしくて、お互いに喜びをかみしめてるんでしょう」
「そうなんですか？」
「仲よさげにしてますよ」
「ならいいんですけど」
元々ゆりの外見が好き、という理由でこうなったわけでもないので、クーガの霊体もゆりが太っていようがあまり気にしていないようだ。ゆりの霊体をなでなでしたり抱きしめたり、チュッチュしていた。
「でも、しばらくはこっちに来ないでくださいね」
とゆり。
「そう言われると行きたくなるんですが」
「絶対来ちゃだめです」
「猫と一緒に行っちゃうかもしれません」
「だめです。私がやせるまでは」
クーガはぷっと笑っていた。
「まあ何にせよ、あなたが元気になってよかったです」
この夜は、ゆりが産後だったのでクーガも遠慮したのか、こんなやりとりで終わったのだった。
翌朝、「絶対やせよう」と寝床で決意したゆりだったが、この日も男達のお見舞い食べ物攻撃が続き、ゆりはついいろいろ食べてしまったのだった。
つづく
１３部
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