第62話
4の月下旬、ついにゆりの部屋の扉に「食べ物持ち込み禁止」の張り紙がされてしまった。
「ああ残念だ……」
と王の間でつぶやいていたのはミカエルである。
「当たり前だろ。ゆりが別の病気になったらどうするんだ。なあ、ユリ」
王の間にて、ラクシュミは足元にいたブタラのモモに話しかけていた。モモは鼻をひくひくさせている。城に来たときよりも大きくなったモモだが、でっぷり太ったブタラではない。ブタラにしてはスマートだった。袖にフリルがついたシャツに、ピンク色のフリルがついたスカート、結構おしゃれで、今ではモモは結構な衣装を持っている。裸でいる方が珍しいくらいだ。
「はあ、それはそうですが……」
「来月末には羊の国から十人くらいくるようだからな。羊の国の王女も来るみたいたぞ。ゆりもそれまでにはやせたいって言ってた。邪魔をしないように」
「はーい、まあ昨日はちょっとかわいそうでしたが……」
「ちょっとどころじゃないだろう」
昨日、ゆりが部屋でゴロゴロしていた所、なんと酒の神ジンラがゆりの様子を見にやってきたのだった。ゆりは逃げたかったがそれはかなわず、泣く泣く応対したのだった。しかし黒目のゆりは逃げて蛇の目のゆりが応対した。ジンラはゆりの様子を見て「元気そうでよかった。安心した」とほっとしたように去って行ったが、ゆりは激しく落ち込んでいる。
「大丈夫ですよ。間食をやめればすぐ元に戻りますよ」
「そうですよ」
ゆりの部屋では、フリットとシャナーンがゆりを慰めていた。
「それに、ジンラ様だってたいして気にされていないですよ。王妃がガリガリで痩せてた方が気にされたと思いますよ」
とフリット。ジンラにとってはゆりは恋愛対象ではないので、正直な話、ゆりが太ろうがたいして気にはしていないに違いないが、ゆりにはショックである。
「一族の女の人で太った人っていないよね？ どうしていないんだろう？ セリアも一時太ったってそんなでもないし」
「魔法を使うと、体力も消耗するからかもしれないですね」
シャナーンが言った。
「魔法って体力も使うの？」
「剣を振るほどではないですが、使いますよ」
「なら、私が魔法を使いまくればいいんじゃない？」
ゆりの左目は蛇の目になっていた。
「瞬間移動しまくろう」
「結界から外に出ちゃだめですよ」
「わかってる」
蛇の目のゆりは二人と別れた後、クロスを抱っこして、あちこち飛び回った。
「きゃっきゃっ」
クロスは結構喜んでいる。
「うれしい？ もっとあちこち行きたいけど、今日は我慢だね」
庭園に飛んだゆりは、そこでミシェイラとレーヌに出会った。
「マーだ」
「マー」
そして二人と一緒にいるムサカにも出会ってしまった。
（わかっ！）
こちらのゆりも若いムサカを見るのは初めてだったので、かなり驚いていた。顔にしわなどない。輝く銀髪、優しげな風貌、頼りになりそうな大人の男性である。魔力もすっかり回復し、金色のオーラもあふれるばかりである。
（おおっまぶしっ！）
「王妃様こんにちは」
「こんにちは。話に聞いていたけど、すごいですね。ハインリヒと同じくらいですか？ ひょっとしたらハインリヒより若いかも？」
「はあ、こんなことになってしまいまして……恥ずかしくて王妃様に会いに行けませんでした」
恥ずかしげにいうムサカにゆりは胸をわしづかみにされていた。
（やばいくらいにくるわー）
元々ムサカは過去の時代でも王になれるくらいだった。ムサカに惹かれるのはもはや一族の本能といっていいくらいである。
「マー、ピンクになってきた？」
「元気戻ってよかったねえ」
子供達はむしろ喜んでいたが、ゆりは「やばいっ！ それでは！」と逃げるように飛んで行った。
「いっぱいピンクになあれ」
「マーが元気だとうれしいねえ」
二人の無邪気な言葉に、ムサカは苦笑するしかなかった。
黒目のゆりははっと目覚めて、腕の中にクロスがいたので驚いていた。
「びっくりした。あっちの私が連れてきたんだ？ 心なしか疲れてるし、運動でもしてくれたのかも？ じゃあ私は何もしなくていいかな」
などと言っていたらエルバートがやってきた。目つきを見るとカーライルのようなので、ゆりはちょっとびびっていた。
「王妃、太って落ち込んでるんだって？」
「はい、みんなの差し入れをつい食べまくっていたらいつの間にか……」
カーライルはゆりを見たりクロスを見たりしながら近づいてきた。
「昨日ジンラ様にこの姿を見られて結構落ち込んでるんで、非難はやめてくださいね」
「非難なんてしないさ。私をなんだと思ってるんだ」
「だって、カーライル様ってそういうの厳しそうだし。自己管理ができてない人は嫌いじゃないですか？」
「やせるのなんて簡単だ。ほら」
カーライルはゆりに麻袋を渡した。
「なんですか？」
ゆりは袋を開けた。中には赤い葉っぱがついた枝が大量に入っていた。
「やせる葉っぱだ」
「やせる葉っぱ？ この世にそんな葉っぱがあるんですか？ 初めて聞きましたが」
ゆりは目をまん丸くして葉っぱを見ていた。
「ああ、私はたまたま知っていたが、一族の者はあまり太らないせいか、有名ではないようだ。食事に使ったり、お風呂に入れたりすると、体の中の温度があがって、脂肪が燃えるようだぞ」
「まじですか？」
ゆりはかなり食いついていた。
ゆりは葉っぱを一枚口に入れてみた。
「これは……唐辛子の味がする！！」
ものすごく辛い葉っぱで舌がヒリヒリするほどだった。
「一族の者は辛いものは好きじゃないから、食べることはないがな。他の国では料理に使うらしいぞ。ヒリヒリ草って名前なんだ」
「カーライル様ありがとうございます。さっそくお風呂に入れてみます」
ゆりの目は輝いていた。まるで神様をみるような目でカーライルを見ている。
「ああ。大量に風呂に入れないようにな。あの風呂に入れるなら、葉っぱ十枚くらいまでだ」
「わかりました。これって妊娠太りとかにもいいですか？」
「妊婦は使えないんだ。出産後じゃないとな」
「なるほどーところでクロスが気になるんですか？ さっきからちらちら見られてますが」
クロスは今はご機嫌で手足をぱたぱたさせていた。
「別に、元気そうだなと思っただけだ。それじゃな」
「ありがとうございます！」
カーライルは早々に去って行った。
「ああ、今すぐにでもお風呂に入りたい。お風呂の用意をしてもらっちゃおうかな。そうだ。今日は私がクロスをお風呂に入れようかな。その後草を入れて私が入ろう。そうしようね。クロス」
ゆりは部屋に来た侍女にお風呂の支度を頼んだのだった。
一方ゆりと別れたカーライルは、ハザークの部屋に行っていた。
「随分久しぶりだな」
ハザークがちくりと言った。
「ちょっと来づらかった。気分的に」
「全く……」
「まあまあ、まだ抱くまでは行ってないし」
「そこまでいくんじゃない」
カーライルは勝手に長椅子に寝そべっていた。
「クロスだが、王妃の感情を敏感に感じてるみたいだな。さっき、妙な緊張感を感じた。もし王妃を罵倒していたら、攻撃されたかもしれない」
「ほー。すごいじゃないか。もうそんな力があるとは」
「クロスは兄弟のことはちゃんと認識しているんだろうか」
「さあ、へびっちにはなついてるぞ。王よりも」
「ちょっと忠告しといた方がいいかな。まだあの子は善悪の区別もないからな」
王妃の部屋で王妃を罵倒する者はいないんだろうが、子供達ならば、気軽にゆりにいろいろ言うこともあるだろう。それをクロスが勘違いすることもあるかもしれない。
「王妃にも言っといた方がいいんじゃないか？ ようは、王妃が笑ってればいいってことだろ？」
「まあそれはそうなんだが……王から思念を回してもらうか。ハザーク、王に思念で回してくれ」
「わかった」
その頃、ゆりの部屋にはラギがやってきて、カーライルが持って来た葉っぱを眺めて一枚口に入れてみていた。
「わっ辛い！」
「ラギってば、薬草博士なのにこれを知らないなんて」
「これでやせるってことまでは思い浮かばなかったよ。カーライル様ってほんと物知りだね」
「ほんとにね。でもこれで希望がわいてきたわ。ハロルド様に見られる前にやせたい」
「そうだね。いつ神様がやってくるかわからないもんね」
「昨日はショックすぎたわ。まさかジンラ様がこのタイミングで来てくれるなんて。ほんと隠れたかった」
「……ぼ、僕は……今のお母さんだってかわいいと思うよ。じゃあね」
ラギはシスのようなセリフを言って逃げるように部屋を出て行った。
「あら？ ラギがかわいいって言うなんて珍しいわね」
ゆりはきょとんとしている。
「あぶなっ」
ゆりの部屋から出たラギはあせっていた。
ついさっきラクシュミから、「ゆりがクロスを抱っこしている時は気をつけるように。ゆりが落ち込んだらクロスが攻撃してくる可能性がある」と思念が来たのだった。
シスならばクロスの攻撃は防げるかもしれないが、ラギならば防げないだろう。
「今後気をつけないとな。僕がお兄ちゃんだってちゃんとわかってくれるといいんだけど」
シスとナナミからラギに心配する思念が来た。一番危険だと思われたようだ。
「でも、クロスがどう攻撃してくるのか知りたいな。誰か試しに母様に悪口でも言ってみてくれないかな。大丈夫そうな人といったら……ムサカさん？ 聞いてくれそうにないな」
ラギはあきらめたように言って去って行ったのだった。
お風呂の準備ができたのでゆりはクロスをお風呂に入れてから侍女に渡し、ヒリヒリ草の葉っぱを十枚ほどお風呂に入れた。しばらくすると体の中が熱くなってきた。脂肪が燃えている気もするし、汗もだらだら流れてくる。
「すごい。脂肪が燃えてる気がする！ 燃えて燃えて燃えまくれー！！」
ゆりは一人お風呂で興奮していた。さらに夕食には、ヒリヒリ草の葉っぱを入れたスープを飲んだ。
「おいしい」
辛い食べ物とは無縁の日々だっただけに、やけに懐かしい気もした。
「なんか、すごい匂いがするんだけど？」
辛い匂いが辺りを漂っているようだ。
子供達からは怪訝な顔をされてしまった。食堂にはラクシュミがやってきて、カーライルが気がついたことをゆりに伝えた。
「え？ そうなの？ クロスにはもうそんな力があるなんて……わかった。気をつけるね。王様待ってて。私やせるから」
ゆりはご機嫌でラクシュミに宣言した。
「無理にやせようとがんばらなくていい」
「だって、このままじゃ来年の赤い月に王様もその気にならないだろうし」
「母様また妊娠する気なの？」
ナナミが信じられないとばかりに言っていた。
「ん？ そりゃ、成り行きでそうなれば」
「母様ってすごいな」
シスもゆりに感心し、
「さすがって感じ」
ロイも言っていた。死にかけたのにそう思えるゆりに、誰もが脱帽している。しかも子供達にとっては、ついこの間の話なのである。誰もが泣いて泣いて泣きまくったのである。
「ゆり、しばらくお腹は休めたほうがいい。今まで頑張りすぎたくらいだからな」
ラクシュミはやんわり言っていた。
「フレイにも言われたけど、まあ、もし妊娠したら、産むしかないじゃない？」
ゆりは笑顔で言っていた。子供達がラクシュミに注目した。
「…………」
ラクシュミはあえて何も言わず、去って行ったのだった。
「母様ってやっぱりすごいね」
子供達は尊敬というよりもちょっと呆れ気味である。
「大丈夫よ。あんなに大変な出産もそうそうないって。もう子蛇が産まれることもないだろうしねえ……」
「子蛇またうんでよ。マー」
ミシェイラが言った。
「うーん。もう無理だと思う」
「ところで、なんで子蛇ができたんだっけ？」
ナナミが聞いた。
「なんでって。私の金蛇ちゃんががんばったからで……その金蛇ちゃんはしばらく出て来ないし」
「金蛇ちゃんしんじゃやだよ」
レーヌが言った。
「お母さんが無事なんだから金蛇さん達も生きてると思うけど」
とラギ。
「そうだといいねえ」
ゆりは記憶を思い起こしていた。元々なぜそういうことができたかというと、ゆりが神様とこっちで仲良くなることで、一族の力があがり、金蛇ちゃんが普段から肌にいるようになったのだ。
（ってことは、他の神様と仲良くなったら、また一族の力が上がっちゃうのかも？ まあ産後だし、しばらくはそういうこともないだろうけど）
結局、同じ神様と仲良くしてまた一族の力があがるのかどうかは謎のままだった。
（オルガ様かサラディン様とこっちで仲良くなんて……オルガ様は望めば嫌とはいわないだろうけど、それより先に王様との子供を妊娠しないと神様の子供を妊娠しかねないし。金蛇ちゃんには会いたいけど、しばらくはこっちでは真面目生活を送らなきゃなあ）
「次女の子ね。マー」
ミシェイラが言った。
「いもーとほしいもんね」
「うん、ほしいほしい」
「アー姉が帰るまでに何人増えるんだろう」
ナナミが引きつった笑いを浮かべながら言った。
神の国にて、火の神殿にジンラが馬車で酒を運んで来た。
「ありがとう」
サラディンがお礼を言った。
「いや、実は蛇の国の王妃の様子が気になったので、会いに行った」
「え！？」
サラディンはものすごく驚いた様子だった。
「あ、あの王妃か、どうだった？ 元気にしてたか？」
「ああ、元気だった。サラディンもやっぱり心配していたんだな」
「ああ、心配してた。すごく」
オルガに衝撃の事実を聞いてから、サラディンは毎日ゆりの心配をしていたくらいだった。イシュタールが神の国に帰ってきた時にはかなり愚痴ったのだが、イシュタールは全く気にしていない様子だった。
「私は、うちの王妃はガーベラ様並みに魅力的だといつも言ってましたが」
「それがそういう意味だとわかるわけがないだろう。ガーベラといい、お前と言い、私に悪いとちっとも思ってないのか？」
「うちの王妃がガーベラ様の時、サラディン様が不快になるようなことを何かしましたか？」
「いや、別にされてはいないと思うが……」
「きっと楽しかったと思いますよ」
イシュタールは完全にそう信じていた。
（イシュタールのやつめ、ガーベラと同じようなことを……）
サラディンはガーベラからも、「彼女といて楽しかったでしょ？」と悪びれない様子で言われたのだった。サラディンはゆりが最初から関わっている恋人なので、ゆりのおかげで仲良くなったようなものでもある。ガーベラはサラディンに対しては、悪いと思っていないようだった。
（まあ確かに風呂で変な歌を歌われたくらいだが……ガーベラによれば、フラムとスカーレットも彼女の時の子供だと言うし、結構彼女と仲良くしちゃってるじゃないか）
「どうしたんだ？」
サラディンが苦虫をつぶしたような顔をしていたのでジンラが聞いた。
「いや、別に。アマンザも一緒にお見舞いに行ったのか？」
「いや、アマンザは彼女を気に入っているようだから誘ったんだが、今回は行かないと言ったんだ。てっきり喜ぶと思ったんだがな」
「そうか」
アマンザはサラディン達と一緒にお見舞いに行ったので、今回は行かないことにしたらしい。
「彼女が元気だと報告したら喜んでいたがな」
「そうか」
「それじゃな」
ジンラは去って行った。
（フラムにスカーレットにジュリアンか……ディアメラと熱い湯で対決したのも彼女か。なんて肝の太さだ）
これだけの神々をだまし通すのだから並ではない。
『だましてたっていうよりも、彼女ももう一人のガーベラなのよ』
ガーベラはそうサラディンに言ったのだった。
「もう一人のガーベラか……」
「きゃはは」
子供の笑い声が聞こえてきた。双子のフラムとスカーレットがやってきた。
「パパー」
「パパ」
火の神殿は、以前に比べると、驚くほど明るくなった。妖精達も子供につられて笑顔が多くなった。子供達がいない生活など、もはや火の妖精達にも耐えられまい。
（彼女がどんな顔でここに来るのか、見物だな）
いろいろ考えると、ちょっと待ち遠しくもなってきたサラディンだった。
人間界ではその夜のこと、ゆりの夢に黒豹がやってきた。
「あースペードさんだ。久しぶりね」
黒豹は二人のぽっちゃりしたゆりを見て、ちょっと驚いた様子である。感動的な再会をした時、スペードはまた夢で会いたいなどとゆりに言ったのだが、あれからゆりがスペードに会いに来る気配もなく、気にしていたらゆりの夢にきたのだった。
黒目のゆりは黒豹をなでなでし、蛇の目のゆりは、苦笑いをしている。
「私出産したんだけどね、みんなが滋養にいいものとか、体力がつく食べ物とかたくさん差し入れてくれて、いつの間にか太っちゃったのよ。会ったのが黒豹君でよかった」
ゆりは黒豹が本物のスペードだとはまだ知らないので、気楽に話していた。蛇の目のゆりは頬をかいている。
「スペード様には絶対内緒よーこの姿で会いたくないもんね」
黒目のゆりは笑って言っていた。黒豹は、とりあえずゆりの手に頬をすりすりしていた。
「黒豹君相変わらずかわいい」
「ねえ、スペードさんがまたあなたに会いたいって言ってたじゃない。どうするの？」
蛇の目のゆりが聞いた。
「とりあえず、痩せるまでは会うの無理だけど、痩せたら……どうしよう。私と話をしてスペード様は本当にうれしいのかなあ」
「うれしくなきゃ言わないでしょ」
「会って話をしてさようならでも喜んでくれるのかなあ」
「喜んでくれるんじゃない？ あそこじゃ押し倒されたりはしないと思うけど、スペードさんも男だからわかんないけど。ああ、押し倒されたら困るってこと？」
「中途半端に近づくのも悪いような。今更だけど。顔を見ていたいなんて私の我がままだし」
「まあいいじゃない。男女の仲はいろいろあっていいよ。スペードさんだってやりたいだけなら他の女性と付き合うだろうし。ところでさ、今日若いムサカさんに会ったんだけど、すごくステキだった」
「へー」
「ってわけで、私はムサカさんに近づきたい」
「そう」
「あなたも会いに行こうよー」
「そうだね。そろそろお部屋を訪ねようかな。それにしても、私達ってやっぱり運がいいのかな。もうだめかと思ったけどみんなのおかげでこうして生きてるんだから」
黒豹はゆりの膝の上に顎を乗せて話を聞いていた。
「黒豹君も私に会えなくなったら悲しんでくれたのかな。いつ何が起こるかわからないから、後悔がないように生きなきゃね」
ゆりは黒豹の頭をなでなでしながら言っていた。
翌朝、聖地にいるスペードは、夢でのことを振り返り、ぼんやりしていた。
（あなたと話がしたいと思ったのは……俺のわがままだ。俺は次の大戦で死ぬかもしれない。死ではない。消滅。消滅するのが正直怖い。あなたといるとその恐怖も一時忘れられそうだから……だから会いたいと言ったんだ）
魔物と戦い命を落とした妖精の魂は、その場で消滅してしまい、人間のような輪廻の輪にも入れないと言われている。神獣トルメンタが復活したのは例外のようなものである。
（あなたのためじゃない。俺自身のためにああ言っただけだ。だからあなたは何も気にしなくていい。俺がいなくなったら悲しむだろうが、慰めてくれる人はたくさんいるだろし。クーガ様もいるし）
だから、スペードは気が楽だった。
「ガンガンガン」
扉を何かがたたく音が聞こえてきた。
「ガンガンガン」
やっぱり誰かが来ているようだ。スペードはシャツをひっかけて扉を開けた。扉の外にはだれもいない。と思い目線を下に下げると、そこに老婆がいた。
「？ どちら様でしょうか？」
ただの老婆といっていいものかどうか、身長は一メートルほどしかない。顔や手はしわがれているので老人っぽいが、軽くうねった前髪は鼻の辺りまで長く、後ろは一つにしばってあった。髪は黄色く、服装も黄色い。とにかく全身黄色かった。ローブ状の裾の長い服装で、手には木の杖を持っていた。その杖で扉をたたいたようだ。
「じゃまするよ」
その人物は女性の声で言って勝手に家の中に入ってきた。
「あのーどちら様でしょうか？」
どうもただの人ではないようだ。だが妖精でもない。
「わしは、……じゃ」
「はい？」
老婆は腰紐にくくりつけてあった袋から長い紐を取り出した。
「先にわしの用をすませてもらうよ。ズボンをお脱ぎ。お前の寸法を計りたい」
「……はい？」
スペードが意味がわからず、首をかしげていたのだった。
つづく
１３部
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