第63話
聖地にあるスペードの家に、謎の老婆が訪ねてきた。人間というには小さすぎるような気がするし、妖精でもない。とにかく不思議な老婆である。老婆はスペードに、「寸法を測りたいから服を脱げ」と言ったのだった。
「何の寸法を測るんですか？」
スペードが聞いた。
「お前の腰回りと、太ももと……」
「どうしてですか？」
「お前のパンツを作るからだよ」
「パ……？」
スペードは驚き過ぎて固まっていた。
（やばい。さっぱり意味がわからない）
「あの、その前にあなたはどちら様で？」
スペードは勇気を振り絞って聞いた。
「わしは……じゃ」
何かぐちゃっとした言葉が聞こえたが、さっぱり聞き取れない。
「とにかく、はようお脱ぎ。まさかわしに襲われると思っとるわけでもなかろう？」
老婆は持っていた杖でスペードのお尻をたたいていた。
「あまりに突拍子もない話なので……」
スペードは杖から逃げながら言っていた。
「わしは別にお前じゃなくてもいいんじゃ。トルメンタがお前に決めるというから仕方なく」
「トルメンタ様？」
といえば、ヒルデリアが可愛がっている雷獣のことである。
「わしの好みは笑顔がキュートな美少年なのに」
老婆はぶつぶつ言い出した。スペードはトルメンタの名前が出たのでズボンを脱ぐことにした。
「はあ……」
老婆はため息をついている。
「これでいいですか？」
スペードはパンツだけになった。老婆は紐を両手で持って、スペードの腰に回して本当に胴回りを測っていた。
スペードはトルメンタに一度会ったことがある。
ゆりが子供を産む前のこと、クーガに付き合って欲しいと頼まれて、ヒルデリアの神殿に行き、ゆりの出産の無事を祈ったのだ。その時、神殿にトルメンタがいた。スペードはトルメンタと少し話をして、手に触れた。その時ビリッと静電気のようなものが起きたのだ。その時はいたずらをされたのかも、と思っていた。
老婆は次にスペードのお尻の周りを計り、足の付け根の周りを計り、最後に尻をなでていたのでスペードが「わっ」と飛び退いていた。
「なかなか立派なものをものをもっとるの。ひゃひゃ」
「…………」
スペードは相手が老婆なので対応に困っている。老婆は袋から丸まった紙のようなものを出して、ペンでそこに何かを書いていた。スペードはズボンをはいている。
「よし、ではわしはこれで」
老婆は全部袋にしまって去って行こうとしていたので、スペードがあわてて止めていた。
「それはないでしょう。理由を話してください。お願いします」
「うーん、お主はわしのタイプでもないしのう」
「お願いしますよ」
「お主で気になるところといえば、その立派な下半身くらいしか」
（このばあさんひでえな……）
スペードが頬をひきつらせていると、「しょうがないの。いす」と老婆が言ったので、スペードはあわてて椅子を持って来た。老婆は椅子にぴょんと飛び乗った。
「わしは、お主らがよく知っている言葉でいうと、精霊じゃ」
「精霊？」
「お主らも薄々気がついていると思うが、近いうちに、魔物との大きな戦があるじゃろ」
「はい」
「わしら精霊は、ちょっとだけ手助けをしてもいいということになっとるで。トルメンタがお前がいいというので、わしがここに来たわけじゃ」
「それで、私に、パンツを作ってくださるので？」
「うん」
「どうしてパンツなんですか？」
「男にとって一番大事な場所だからじゃ。そこは守らんとの」
老婆はずばっと言っていた。そう言われれば反論のしようもないが、何もパンツでなくてもよいと思う。
「そういえば、火の精霊は剣を妖精に授けたとか……」
「ありゃ妖精じゃない。人間でもない。火の精霊はすべてに無関心なヤツじゃった。やつにとっては、この世がどうなろうがどうでもいいことじゃった。人間にも妖精にも、神にも手を貸さぬ、と宣言しておったくらいじゃ。ところが、火の神殿にかわいい双子が産まれた。双子にあやつの父性が刺激されてしまったらしい。子供の力はほんに偉大じゃよ。今回火の妖精達も駆り出されることになっておるからの。あやつらがいなくなれば双子が悲しむというわけよ。といっても妖精には手を貸さないと言ってしもうた。半妖精のあの男しかいなかったのじゃろう。素質もあったのだろうがの。ひょっとして、武器の方がよかった、と思っておるとか？」
「はい、いえ」
スペードはついうなずいて否定していた。
「私は剣士なので、どちらかというと剣に興味があります」
「雷槍はランス坊やの武器じゃし、それなりの武器ならば神の国でも作ってくれるじゃろう。わしが作るパンツには防御力を高める効果がある。加えて精神的攻撃や物理的攻撃も跳ね返す」
「おお、それはすごいですね」
「特殊な糸をつむいで作るパンツでな、一人分しか用意はできん。前回パンツを渡した笑顔がキュートな妖精は、最後の方までがんばっておったが、仲間をかばって結局消滅してしもうた」
老婆は残念そうに言った。
「そうなんですか」
「あの時はわしも悲しかったよ。トルメンタもいなくなってしもうたし。またあのようなことにならなければよいがの」
「戦はどのようなものだったんですか？ 魔物が大量に出て来たということしか知らないんで教えてほしいんですが」
「大多数の魔物はなんてことはないのだが、ハロルドの力を低下させる魔物がやっかいじゃった。光の加護が低下した妖精達は、魔物の瘴気に耐えきれずに消滅したんじゃ」
スペードは息を呑んだ。神の国の外れの戦いでも、ハロルドは皆に防御の魔法をかけている。多少魔物と接触しても、それがあれば死ぬことはないのである。
「次は前回よりはましになるじゃろう。神々の数も増えとる。ランス坊やとルチアが大人ではないのは残念だが、次の次があるならば、その時はもっと楽になっておるかもしれんな。それまでこの世界があればの話だが。それじゃわしは行く。パンツができたらもってくるでな」
老婆は椅子から飛び降りた。
「ありがとうございます」
老婆は去って行った。
「パンツかあ……精霊にパンツをもらいましたーって、ちょっと言えないな」
言えば見せろと言われるだろう。やっぱり言えそうにない。前回パンツをもらった妖精も、誰にも言わなかったに違いない。
「しかし剣とパンツじゃ違い過ぎるんだが……贅沢か。何かもらえるだけでありがたがらなきゃな」
そうスペードは思い直し、（ちゃんとサイズがあってればいいんだが）とそっちを心配したのだった。
蛇の国では、女達はここしばらく浮き足だっている。原因は若返ったムサカである。なにせラクシュミはほぼ城から出ないので、外でムサカを見かけた女達は喜んで大変である。男達も喜んでいる。
「母までウキウキしてるんだから困ったものです」
ゆりの部屋に来たフリットが呆れたように言っていた。
「ふふ、いいじゃない。昨日ロアンナが来てくれたよ。ムサカさんのおかげで女性陣が若返ったように騒いでるって言ってた」
「自分が一番騒いでますよ」
「楽しそうでいいじゃない。王様だってウキウキしてるよ。自分がもし倒れても安心だって。ムサカ様が過去に帰った後は泣いちゃうかもしれない」
冗談ではなく、本気でラクシュミは泣いてしまいそうである。
「王のお気持ちはよくわかりますよ。なにせ、辛い子供時代を過ごされましたからね。ムサカ様が側にいらっしゃるなんて夢のようだと思っていらっしゃるでしょう。自分よりも力が強い者が側にいるなんて、今までなかったんですから」
「そうだね。誰かに頼りたくても頼れなかったんだものね」
「王妃もムサカ様にほれちゃったんじゃないですか？」
「実はまだ会ってないの。あっちの私は会ったんだけど」
「えー？ まだ会ってないんですか？」
「会ったらほれちゃいそうじゃない？ それが怖い」
「はは」
「ムサカさん、来年の赤い月はどうするんだろう。子供を作りたいから過去に戻りたいって言ったらどうしようって王様は心配してるわ」
「女王様が魔法を使わなければ戻れないんじゃないですか？」
「でも、ムサカさんでももしかしたら魔法を使えるかもしれないわよ？ 過去の時代では、女王様とムサカさんの力の差ってそんなにないじゃない？」
「確かに。じゃあ自力で帰ることもできるんですかねえ」
「できるかもね。残ってほしいけど、ムサカさんにはせっかくだから幸せになってほしいし、複雑だわ」
「そうですね。でもまあ、アナスターシャ様が帰られる時まで、我慢されるんじゃないですか」
「だといいねえ」
ゆりは今ダイエット中である。テーブルに紅茶はあってもお茶菓子はなかった。しばらく間食は控えることにしている。
「ところで、最近フリフリが出て来た気配、感じる？」
「感じないです」
「せっかくだから、子供を産んでくれてありがとう。大好きだよ。とかいって熱い抱擁がされたい」
「私がいくらでもかわりにしますが」
フリットが微笑んで言った。
「じゃあして」
フリットは椅子から立ってゆりに近づいて、ゆりを優しく抱きしめた。
「大好きですよ。本当に」
「私も」
ゆりもフリットの背中に手を回した。
「フリットは、今の私でもその気になる？」
「なりますよ。外見がどうでも、王妃は王妃ですから」
「ほんと？」
「はい」
「ありがとう」
（でも、体のためにもやせよう）
子供達や侍女達からムサカの話を聞きまくっていたら、ゆりはムサカに会いたくてたまらなくなったため、夕方、やはり会いに行くことにした。
「ラギ、一緒についてきて」
ゆりはラギに同行を頼んでいる。
「いいけど、まだムサカさんに会ってなかったんだ？ あれから一月以上過ぎてるのに、そっちの方がびっくりだよ」
「やせるの待ってたらいつになるのかわからないから」
二人はムサカの部屋の前まで行き、扉をノックした。中からムサカが出て来た。
（おおおっ！）
中年ムサカも渋かったが、今のムサカはその時より若く、優しげな風貌で、しかも強そうなオーラをビシバシ放っている気がする。
（ステキだー！！！）
ゆりの意識はぷつんと途切れてしまった。
ゆりは気がつくと自分の部屋のベッドの上だった。
「あれ？」
「あ、気がついた？」
ベッドの横にラギがいた。
「私、どうしてここにいるんだっけ？」
「お母さん、ムサカさんに襲いかかったんだよ」
「はい？」
「覚えてないんだ？」
「冗談でしょ？」
「本当だよ」
「この体で襲いかかった？ それで放りなげられたわけ？」
それでは相撲である。
「まさか。ムサカさんはお母さんの頭をなでなでしていたよ。本能みたいなものだからって言ってた」
「本能？」
「あっちのお母さんならわかるけど、お母さんにも一族の本能なんてあるのかな。それとも巫女の本能？」
ラギは首をかしげている。
「……私がムサカさんに抱きついたのは本当なの？」
「うん」
「穴があったら入りたい」
ゆりは布団をひっかぶってしまった。そしてすぐに布団から顔を出していた。
「ムサカさんは怒ってなかった？」
「怒ってないよ。ここまでお母さんを運んだのもムサカさんだし」
「私はもう一生ムサカさんに会えないってこと？」
ゆりは口をへの字にしていた。
「あるいは、恋人にしちゃったら？」
ラギはあえて明るく言っていた。
「うぐっ恋人になってくれるわけないでしょ」
「なんで？ ムサカさんもせっかく若くなったんだから、いろいろ楽しんでもいいと思うけど。相手がお母さんじゃなくてもいいけどさ」
「子供がいうセリフじゃない」
ゆりは思わず突っ込んでいた。
王の間にはムサカがやってきていた。
「実は、城から出た方がいいのではないかと思ってまして」
「え……何かありましたか？」
ラクシュミはかなりショックを受けた顔付きである。
「万が一、王妃様が私に懸想などすれば、陛下も面白くはないでしょうし」
「いえ、全然平気ですよ」
ラクシュミは結構本気の顔である。
「ゆりは幸運の女ですから、ゆりと想いが通じ合う男は必ず幸運になれます。絶対に」
むしろどうぞと言わんばかりなので、ムサカの方が困っていた。
「陛下はそういう所はヴィラルージュ様とそっくりですなあ」
「そうですか？ 城から出て行くなんて悲しいことを言わないでください」
「私はいずれ帰るのですから、あまり頼りにしてはいけませんよ」
「わかってます。つかの間でもいいですから」
「わかりました。ではもうしばらく城にいます」
というと、ラクシュミはほっとしていた。ムサカもラクシュミの心情を察すると、ラクシュミの思いをつっぱねることはできなかった。ラクシュミが最初の子供ができるまで、どれほど孤独で辛い時を過ごしたのだろうと、想像することは容易である。一族が少ないこの時代、一族の力を維持することがどれほど大変か。自分がいかに恵まれた時代にいたのか痛感させられる。
（王妃様と想いが通じなくても、すでに違う方向に運命が進んでしまっているのだが……）
ムサカは頭をかきながら王の間を去って行った。
ムサカが部屋に戻ると、ゆりからの謝罪の手紙が届いていた。ムサカはゆりの行為はたいして気にしていない。強くて若い男に惹かれるのは、いわば本能である。ムサカが若い頃などは、寝室に女が来ることも珍しくなかった。なんとかして王弟の恋人になりたいと願う女は多かった。体がだめになってからは、面倒なので老人に変装していたのである。今は変身能力をザクートに封じられてしまったために、変身もできなかった。
（困ったものだが。まあ私はまだ体の方は復帰していないから、王妃様と変なことにはならないだろうが）
ノックの音がして、出ると訪ねてきたのはラギだった。ムサカはラギを部屋に入れた。
「ムサカさん、お母さんのこと、嫌いにならないでくださいね。お母さんさっきのこと全然覚えてないみたいなんです」
「そうなんですか。無意識だったようですね。王妃様のことは嫌いにはならないですよ」
「よかった。ところでこの魔石なんですが、まだ治癒の魔法が継続してるですよね。すごいですね」
ラギは魔石を持っていた。これは、隕石の欠片である。魔法の剣が魔法をずっと持続していることから、ムサカが試しに治癒の魔法を石にいれてみたのだった。ムサカはラギから石を受け取って眺めた。確かに治癒の魔法は継続しているが、たとえば足を折った者がこれを持ったら瞬時に治るというものではない。治りが早くなるというものである。この石は、ゆりの出産後、ゆりの側にずっと置いていたものである。ゆりの回復には、これも多少は力になっている。
「そうですね。まだ魔法は持続していますね」
「どうしてこういう話が広まらなかったんでしょうね」
「私が思うに、隕石の石にも様々あって、すべてに魔法を入れることができたわけではなかったのかもしれないですね。隕石の石自体手に入りにくい物ですし、この石が持続できる魔法は、私が使った魔法の半分ほどのようです」
「ってことはどういうことでしょうか。あの魔法剣の魔法は、剣を作った職人の魔法じゃないってことですかね」
魔法剣のダ・ムーには気力を回復させる力があるのだ。
「職人もそういう魔法が使えたかもしれないですが、ひょっとすると、魔法に関しては王族の手を借りた可能性がありますね。今まで考えたこともなかったですが」
「なるほど。いろいろな謎がわかっていくって楽しいですね」
「魔石は本来、攻撃魔法よりも治癒系の魔法を使う方がむいているのかもしれませんね」
「そうですね」
ラギはうれしそうにムサカの話を聞いている。
「僕、ムサカさんとお話するの、すごく楽しいです」
「私も楽しいですよ」
ラギはにこやかに去って行った。
（魔石系が広まらなかったのは、面倒だったからだろうな。魔法力が強い時代には全く必要なかったし、あまり良い物とは思われなかったのだろう）
なにせ魔力が重視される世界である。他人を助けるために魔石を作ろうなんていう発想自体なかった。自分の魔法を将来の役に立たせたいと思ったカーライルの息子のカールは、例外だったといえる。
攻撃系の魔石を作ることはできたので、ムサカは今度は治癒の魔法で魔石を作ってみることにした。
その夜、ゆりはムサカのことでかなり反省しながら眠りについた。そして気がつくと神の国にいた。
「おー久々の巨乳の美乳！」
とガーベラの胸に喜んでいると、クーリーフンがやってきた。
「あ、来たんだ」
「クー♪」
ゆりはクーリーフンに抱きついた。
「いろいろありがとう。私すっごく元気になったの」
「そうみたいだね。お母さんも喜んでるよ。昨日手鏡であなたの様子を見てた。ハロルドと一緒に」
ゆりはガーンとのけぞっていた。
「き、昨日？」
「うん、お母さんあなたが心配でたまらないみたいで」
「その手鏡、割ってもいい？」
「だめだよ。貴重な品なんだから」
「だって、私今結構太ってるのよ。それをハロルドに見られたなんて！ その前にやせる気だったのに！」
「瀕死よりいいじゃない」
「よくないわよ。プライバシーの侵害よ。あの体を見られたなんてすっごくショック」
「ちょっと見ただけだから大丈夫だよ。あなたの体型を気にするくらいなら、ハロルドはあなたを好きになってないよ」
「ううう」
「体型なんて変えることができるんだからいいじゃない。顔を変えるよりは簡単だ」
「それはそうだけどー」
ゆりは口を尖らせている。
「それより、みんな会いたがってるから行ってあげたら？」
「うん。とりあえず、サラディンに会って話をする約束があるの。行ってきます」
「行ってらっしゃい」
ゆりはサラディンの顔を思い浮かべて移動したのだった。
若返ったムサカ様
（スペードさんがトルメンタにあった話は、アルファの方の番外編にあります）
つづく
１３部
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